2016.08.06 (Sat)
「日本国民統合としての象徴」とかって、
いつ読んでも、なんだか要領を得ない、けったいな文面だなあと感じないことが ないのだけれど。
現天皇さんは、ご自身に課せられた、その「ウンタラの象徴」というものを、具体的には どのようなものと考えていらっしゃるのだろうか。
「天皇」とは、いかなる本質をもって存在するのか。
「象徴天皇としての あるべき姿」。。。
当初、おっしゃったこととして報道された記事内容を思うに、やはり、
「象徴」としての わが身なればこそ、その現身を、実際の各地に運んで行き、務めを完璧に果たしてこそ、「象徴」たる役目を全うしたことになるのだ、
というふうに お考えなのだろうか。
それにしたって、
なんだか要領を得ないことに変わりは ないのだけれど、
もし そうであるなら、
主権者である国民に対して、許可を得なければ ならない
ということになる。
退くにせよ譲るにせよ、
天皇である自分が考えている、そのように すべきである、という判断を、天皇みずからが表明することも、実行する権限もないのだから。
したがって、国民に伺うための、ビデオ発表、ということか。。。
「公務」なる務めを果たす、ということをして、
「天皇」または「皇族」という身分を、
イコール「天皇」ブランドの「皇族」会社、商標は「菊の花」マーク、
といったふうに、まさに、一つの企業体のように想定してみれば、
現天皇さんの おっしゃったことは、
あたかも「『象徴』ビジネス」
として お考えになっているようにも思えてくる。そうすると、
宮内庁職員の覆面座談会で、天皇さんは、
「ワーカーホリックになっておられるから」
という発言も、ああ、なるほどね、と思い当たる。
そうなると、
私みたいに、天皇や皇族と言えども、一人の普通の人間である人たち、と考え、
実権的政治的権力を持たせることも、一個の考えをハッキリと表現することも、歴史に鑑みて、甚だ危険性が大きい以上は、それらを認めることは断じて許容できないと同時に、
その家系に生まれたからという、ただ その理由だけで、
特別の地位・待遇と背中合わせに、基本的人権を大きく損ねることになってしまっているという、この制度の、甚だしい矛盾に、思考を及ぼさぬわけには いかないのだ。
ちなみに、
私が十代の頃だったかに、
うちの身内が、テレビで、天皇さんたちの姿を眺めつつ、皇族がたのプライベートに関わる話を思い出して、噂していたのを憶えているのだが、
ある殿下などは、愛人を お持ちになっていることは、知っている人は知っていることなのだとか。
うちの身内も、当時の『社会党』支持者だった兄以外は、どちらかと言えば、天皇家や皇族に対して、親近感やミーハー的関心を持っているほうだった。
しかしながら、
私のような考えかたを する一般国民も、こんにちでは多いはずとは思うのだけれど、
この時代になっても、いまだに、天皇や皇族を、普通の人間以上であり、「神秘的な何か」を備えているに違いないと、ろくな知識も根拠もなく信じ込んでいる、素朴と言うか原始的と言おうか、宗教的感覚の人々も少なくは ないようだと思われる。
けれど、どうだろう。
いわゆるネットウヨ、
その正体の大部分は、例の『日本会議』あたりが大いに含まれるのだろうが、あの連中に顕著なバッシング行為の一つと見受ける、
「雅子さま叩き」
の凄まじさを見ていると、
まあ、雅子さま御自身は、美智子さまと同様、そもそもは民間の御出身なので、生まれながらの皇室の一員では ないわけだけれど、だからと言って、
現天皇さんが、また、次期天皇になられるはずの現皇太子、あるいは、他の皇族がたであっても、
「公務」というものを、報道によって知ることのみで左右される一般国民の機嫌を損ねる程度にしか果たせないでいる事態、となると、
やはり、「雅子さまバッシング」のようなことは起きるのでは あるまいか。
その恐れは、すでに、
現皇太子までもが、皇太子妃と一緒にバッシング対象にされてしまっているという、ある種の連中の動きによって現れている。
「天皇」「天皇家」「皇族」という奇妙な矛盾のカタマリ的存在を信奉する連中ならでは、かくのごとくの分裂ぶり、
グロテスクなまでのキテレツぶり。。。
現天皇さんが、あたかも、一つの企業のブランドを体現しているかのような感覚で、「公務」というビジネスを、スムーズに、完璧に こなせないのならば、そうなった自分は退くべきなのだ、という思考なりポリシーなりを お持ちであるのなら、それは、とりもなおさず、
いまだ、宗教的な感覚でもって仰ぎ見るような人たちの求める思いとは、大いに、根本的に乖離しているはずでは ないのか。
いったい、この人たちは、業務を遂行するビジネスマンとしての「天皇」を求めているのだろうか?
天皇さん御自身、そのような ありかたを求められているに違いないのだ、と判断されてのことなのだろうか。
私個人としては、
普通の人間とは異なるかのような、原始的な宗教めいた感覚でもって、「象徴」という、要領を得ないものを体現できうる存在として支持している人々よりは、
現天皇の お考えや姿勢のほうに、より現代的でスッキリした分かりやすさを感じるところでは あるのだが。しかし。
再び問いたい。
「天皇」とは、いかなる本質をもって存在するのか。
ビジネスとしての「天皇」なのか。
そうでは なく、
まったく別の次元に居て、公務に全く動かなくても「超越的」存在なのか。
天皇、天皇家という、
現代において、民主主義と人権の時代において、これほど奇妙な存在もないのは明白なこと。
天皇家の存在意義の根本とは、どのへんに あると、
言ってしまえば、「国事行為」は まだしものことで、
特有の祭祀の意味、
少なくとも、
天皇の祭祀だけは、天皇その人が務めるほか ないほどの意味が あるはずでは ないのだろうか、
その実際的重要性を、どのように考えていらっしゃるのか。
というわけで、私は、
ただただ形式的維持のための「女性天皇」「女系天皇」の可否を論じる前に、
当の天皇その人に問い質して、忌憚のないところを伺うべきではないのか?
と、旧のブログから言ってきた。
どのような結論に落ち着こうとも、考察と議論は、そのあとのことだろう。
祭祀の ありかたの深奥と意義に関してだけは、主権者と言えども、国民の われわれには知りようが ない。
一般国民と、膝つき合わせ、ぶっちゃけた おしゃべりでも できれば いいのかもしれないが、
そんなにも くだけてしまうと、今度は、
「菊のカーテン」の奥に まします、といった神秘的イメージが台無しになってしまうので、そうも いかないのだろうか(笑)
誰かが言っていた。
天皇家は、『靖国神社』宮司を代々世襲でやるのみ、という身分にする かたちで残せば いい、と。
なんとなく笑ってしまった私も、正直なところ、そのほうが、殆どの方面で、まるく おさまるのじゃないかと言う気もする。
まずは、『靖国神社』関係者、支持者、遺族会等の人たちの切なる願いである、天皇直々による祀りが叶うわけだし。
ことわっておくが、私個人は、その祭祀についてさえも、
これが ないと、その先の日本が国家として立ち行かなくなる現実などは あるはずがない、という考えだ。
周知のとおり、ご病気のあとでもあり、まぎれもない高齢となられているのだから、天皇さん御自身に直接、お尋ねできる時間は、もう それほど残されていないだろう。