2016.08.04 (Thu)
『誰も言わない「障碍者の価値、その生存の価値」』の続き。
あらためて加えておくのだが、
私の経験上で、また特に、インターネット上で顕著に齎された、身体障碍者に対する侮蔑と罵倒の現象。
これを寄こしてきた当人自身が、何らかの精神的問題を抱えていることは明白だ。
ネットでは、匿名で八つ当たりが できるからというのも大きいのだろう。
このように、
障碍者を侮蔑する視線、かつ、最も激越な罵倒を憚らぬ者自身が、精神的の問題なり障害を抱えているという、あまりにも皮肉な現象。
この手合いのなかには、すでに取りあげたように、「自己愛性人格障害」であることを公言していた者を含む。たしかに、それに違いないことは、その言動傾向からも確認できた。
いわゆる「人格障害」の場合、病気や障害として範疇に入れるのが妥当かどうか、専門家ですら判断に悩むところらしいが、
これまでの私の個人的経験上からの実感としては、やはり、脳の傾向性が影響していることに間違いは ないものと思っている。
一言で言って、
彼らは、あらゆるものに毒され易い。
この毒され易さを、ある「自己愛性人格障害」者は自身で、「素直ゆえ」と主張していたが、
そうではなく、
自分自身の思考力によって吟味し、価値観を深く培っていく力が、極度に乏しい、ということなのだ。
こうした点は、特に、いわゆる「ネットウヨ」らにも、この特徴が目立つ。
有名な誰かの軽薄な詭弁でしかない説に引き込まれる、
いったん感化されたら、とことん思い込み続ける、それだけに、
何につけても、影響された相手からの受け売りしか できない、
コメントは繰り返しコピペのオンパレード、
批判や指摘を向けられると、論理性皆無の激昂、
あるいはフテクサレの開き直り、おちょくり、誤魔化し。
共感を示されるや、卑しいほどの悦びぶりと、子どもっぽい同志意識で徒党を組みたがる。
ただ、単なる「俗物」と呼ぶには、あまりにも極端だから、
いちおう、いまのところ、滑稽な姿として、世間では、奇異の眼で見られているようだけれど。
それでも昨今は、それらしいヘリクツを言うことで、邪まな儲けを企む者が増えてきているようだから、
それでなくても、毒され易い連中が、ネットを中心に跋扈しているのが←今ここ、という状態。
まあ、ウヨクよりは、もう少し論理的に優秀な人が多いと見受けるサヨクと呼ばれる側にも、同様のことが指摘できるとは思う。
だから、私は、どちらも好まないし、くみしないのだが、
つまり、
いずれにせよ、
「極」が付くということは、問題が大きい。
生育環境の問題も深刻だったし、低学歴で障碍者でもある私から見れば、
恵まれた家庭環境、身体的にも問題なく、大学まで出してもらって、教職資格までも得ている身で、ふざけんなー!甘ったれ!!と、正直言って、罵りたくもなるが、
「相模原事件」の犯人も、生来的な問題を内包していたのか、挫折感に弱過ぎたのか、あるいは、手を出した薬物等が直接的影響だったのか、よく突きとめてもらいたいと思う。
どうも、男性には珍しく美容整形らしきことも していたようだし、
交友ぶりを示す画像にも、みょうなテンションの高さと、独特の軽薄さを感じる。
それと、
近年の、佐世保の事件でも、自殺したという父親は、同級生を殺害するまでに至った娘の異常を知っていながら、ほぼ放置していたという問題が あった。
もっとも、未成年と成年と言う違いは あるけれど、
措置入院前後の対処を、特に親は、どのような対処を とっていたのか、
そこらへん、大目に見る気に なれないのは、自然な人情というものでもある。
まがりなりにも成人後の犯罪と、その下手人の親に対する責任追及とは、むろんのこと、無理が あるのは理解できるが、
近ごろでは、親子間「連鎖」という指摘を見ない日は ないくらいに知られてきている以上、
自分が製造して養い、長年の教育を施してきた子どもに、いかに成人した後と言えども、無関係とは言い切れまいものが あろう。
もっとも、
連帯責任を推し進めるのは、安倍政権と『日本会議』の大いに望むところだったw
私の実家では、
母方の叔母が精神に異常を来したとき、
これまた先天性の脳の異常を秘めていた母が必死になって、妹である叔母の異常について、全く関係ないデタラメな病名を持ち出して誤魔化そうとヤッキになっていたものだが、
いまにして思うと、まったく、理解不能だ。
ただ感じるのは、
私の身体的障碍と同じく、知られてはならない恥という、強烈な思い込みと価値観。
いまでは、私自身に、積んできた体験と、相応の知識が備わっているので、当時の母らの実態の本質が、よーく見える。
で、その発狂した叔母は、ご近所に、一歩違ったら、人命に関わっていたであろう行為を しでかしていたので、
警察からの知らせで急遽、東京まで出向き、
これまた複雑な人間関係と事情を抱えていた母方の実家がアテにならないもので、
叔母を うちで引き取り、しかるべき病院を探して入れたし、
長期入院を終えて退院後も、まずまず落ち着くまで同居した。
かろうじて幸いだったのは、
もともと、判で押したように几帳面なところのある
(これとて、裏面では、思い込みが激しいことに通じるのだが)、
叔母は、服薬を怠らないよう努力してくれたこと。
これで、だいぶ、その後の生活を維持するうえでプラスに持って行けた。
私自身、うちの親らを見てきて、
そもそも、彼らの親の深刻な間違いを透かし見ることが できるし、
うちの親から齎された弊害は、明らかに、私の生活と人生に、カバーしきれない影を落としている。
親が本当の無関係では ありえない。
…さて、
そう言えば、その叔母の祥月命日が近い。
【続く】