2016.07.17 (Sun)
『「天皇退位」について』の続き。
それにしても、↓このエントリーをアップして ほどなく、この話題だから、
これで幾度目かの苦笑を禁じえなかった。
近頃は、ほんとうに、奇怪なことが続いている。
なお、
天皇が退位したら「上皇」になるのか?という疑問が あるけれど、
それは ないだろうと思う。いかにも時代錯誤な感じもするし、
退位は退位、それだけのことで、皇族の お一人という立場に戻られるということだと、私は解している。
でも、おかしな現象になりかねないとも思う。
だって、「天皇」というのは、日本で最高の位なのだというからには、
今上が退位されたら、そのあと即位した「天皇」に、絶対的忠誠を誓って へりくだるような立場になるわけ?父親でもある今上天皇が?
なんかヘンな感じは否めないね。
もちろん、退位の場合でも、では「元号」は どうするのか?という疑問は あって当然だが、
まあ、退位後の「もと天皇」が存命の限りは、従来の元号で通す、となるのか、
「一世一元法」というのを、あくまでも、その「天皇」在位のうちに限る、というのであれば、元号は変えるのがスジだろう。
思い出すのは、
安倍政権が返り咲いて、ほどなく、「主権回復」と称したイベントを盛大に行い、取り残された沖縄の人々の怒りの声を完全に無視して、会場に、安倍朕らの「天皇陛下バンザーイ」の大声が響き渡った場面。
そのとき、天皇ご夫妻は、予定どおりに去りかけた歩みを止め、しばし、立ち尽くしておられたが、お二方とも、明らかな感情を浮かべられることは勿論なく、
その場面を、パソコンのモニター越しに見た私の目には、
まるで酔っ払いたちが集団で、言いたいことを叫んでいる あられもない狂態を、「いつものことだ、やれやれ」と静かに受け止めておられるかのような面持ちに見えた。
しかし、
天皇さんたちは、そのような狂態を晒して恥じない者どもの動きを、ご内心では喜んでおられるのだよ、という意見も ある。
もちろん、それは、「ウヨ」ら一流の見立てであろう。
ただの一国民に過ぎない私には分からないし、知る由も ない。
それだけに、
参院選直後であり、「安倍政権安泰」との お墨付きを得たかのごとくに、あれよあれよと「改憲」論議が前面に押し出されてきた感のある今、
なぜに、「退位」しかも、「憲法上」云々という話が持ち出されているのか、
国民として、正直なところ、不審な感は拭いがたいものが ある。
最後に一応ことわっておくが、
私個人は、敗戦後の急ごしらえが剥き出しのような「象徴」「天皇制」が孕む甚だしい矛盾について、いいかげん、これ以上、目を逸らすわけには いかないと考えている。
だが、同時に、
いまの天皇さんを始め、天皇家の かたがたに対して、人としての敬意を持ちこそすれ、貶めるような意向は一切、持っていない。
また同時に、
天皇や、それに連なる一族の かたがたを、やれ「心の支え」だの「日本人としての誇り」の理由になど、したことも感じたこともない。
彼らは彼らの一家だし、私は私だ。
なので、非人間的なまでの御無理は なさらないでいただきたいのだ。
それだけ。
『日本会議』あたりの連中が唆しているのかと、私は睨んでいるが、
主権在民、人権・基本的人権を、国民から奪ってしまえという、
近ごろの自民党・安倍政権や、そのシンパらの主張の裏には、
天皇の人権が、事実上、認められていないから、
ということが あるのだろう。
「天皇」家の存在意義、存在理由とは何なのか?
ということを、あらためて、深く考察しなければ なるまい。
要するに、
現代のような、「天皇家」ならではの活動、「皇室外交」を始め、各国との政治的事情の上に繰り広げる交流というものを取っ払えば、
そこに、何が残るのか残らないのか。
また、
「天皇家」特有の祭祀は、何を置いても最重視しなければならないほどのことなのか。
その祭祀事に、男性であるか女性であるかの別は、本当に、意味のあることなのか。
あるとしたら、どういう意味なのか。
一国民には、知りようもないことだ。
だから私は、『産経』系サイトでの旧ブログにおいても、
そこのところ、今上天皇にしか分からないこと、そのあたりの忌憚のない お考えを、いまのうちに問うておく必要が あると指摘しておいた。
これは、「政治的」にも何も、あくまで「天皇家」としての内々の祭祀事なのだから、あれこれを臆することなく、天皇さんの思いの正直なところを発表されたら よいのにと思う。
「女性天皇」「女系天皇」の可否の問題は、そこを確認してからでないと、話の進めようがないはず。
もちろん、女性の、また女系天皇であっても、実のところは何ら差し障りないのが実態であれば、一国民である私個人としても、「女性天皇」大いに結構じゃないかと思っている。
昭和天皇の お若い頃、ご結婚を討議しているとき、のちの皇太后となられた良子さまとの縁談に、何やらの遺伝が、と横から嘴を入れて、昭和天皇からアッサリと、「良子でよい」と一蹴され、たちまちケチョンケチョンになったという、当時のオエライがいたそうな。
こういう、崇め奉っているようでいて、隙あらば、その存在に、もっと上のほうから偉そうな指図を したがる者も いる。
いつの時代も そうだ。
もちろん、安倍朕は、天皇家でも何でも、立ってるものはコトゴトク、自分のために利用する腹だろう。
そして、
一度は自分を糾弾し、徹底的に辱め、追い落としたマスコミと、そのマスコミに依存している一般国民シモジモを、心底、軽蔑し、憎んでさえいることだろう。
そんな安倍朕が、為政者として、庶民・国民のためを思っての政治など敷くわけがないのだ。
彼の目的は、まったく別のところに あるのだから。
「ファンタジー」をファンタジーとして、静かに置いておけないのが、
こないだの『ヤフー』の特別記事にも登場した『日本会議』創設者の一人だったという村上某氏のような手合いだ。
※追記:
私は、以前から再々、『日米地位協定』のほうを どうにもできないうちに改憲先行、それこそ、軍隊保有ということにしてしまうと、これまで以上に、アメリカの言いなりになって、今度こそ、土地・カネに加え、命までも粛々と献上するハメになるでは ないかと言ってきたのだが、
むやみと鼻息荒くも、始末の悪いノスタルジーにドップリコと浸かったままノボセあがっているだけと見受ける『日本会議』の爺さまたちは、
現実問題、この『日米地位協定』を、どうするつもりでいるのか、これ一つを考えてみても、甚だ不審でしかない。
ま、それこそは「目くそ鼻くそ」の争い。
日本の神話というものも、ギリシャの それと同様、まさしく、人間の物語である。
どこまでが事実なのか、実在したのか、サッパリ分かりもしないし、
しょせん「ファンタジー」であることは承知のうえなのだから、
どこの国の神話が事実無根で荒唐無稽で、と嗤う筋合いでは ない。
ましてや、天皇自身が、祖先筋であることを明言している国のことを。
ともあれ、霞のような「象徴」でもロボットでもない、事実、生きている人間にほかならない天皇さんの お疲れに配慮して
(なにしろ、亡くなられた皇太后の最晩年は認知症だったというし)、
最悪の場合、お出ましの席で、という、もしもの事態も あり得ないことでは ない。
せめて、すみやかに、善後策を講じてさしあげることだ。