2016.06.24 (Fri)
『「日本会議はものすごい“後ろめたさ”を抱えている」 先駆的研究者・上杉聰が語る日本会議の最大の問題とは?』2016.06.20
http://lite-ra.com/2016/06/post-2354_4.html
『甘い。』
私が、まだ実家で生活していた頃だったが、
「昭和天皇」が病に臥せり、やがて亡くなられた。
そのおりの『読売』新聞には、げ~んなりさせられたことを、いまでも鮮明に思い起こせる。
連日、トップからデカデカと写真入りで掲載し続ける、
皇居前広場の地べたに土下座せんばかりに座り込んで涙する女性の姿など。
これじゃあ、まるで、戦中も かくや?の趣だった。
だが、もっと驚くべき現象が、当の我が身に起きていることを知り、私は心底、愕然とし、ついで、ゾッとした。
というのは、
ついに、昭和天皇の訃報が駆けめぐり、当然のように、元号を変えるという段階に来たとき、
私は、反射的に、なんとも形容し難い、漠然とした一種の不安感を覚えたからだ。
私は、まさに『昭和』の時代も戦後に入ってのち、やがて迎えた最も安定かつ楽観性と華やかさの漂う時代に生まれ、生育し、成人した。
そんな『昭和』は、歴代で最も長く続いた元号だったので、
人間、自分の最も若く活動的な時代を基調として、将来も継続し得るかのように錯覚しておりがちな心理と共通しているのだろうか、
もし、代の入れ替わり激しく、元号も短期で変更されていたなら、さほどの感慨も起きないのだろうが、
自覚なく、『昭和』時代というものは、これから先も ずっと続いていくかのような錯覚に、いつしか陥っていたのだ。
私は学校時分から、社会人となっては いよいよのこと、履歴書等の公的な書類については特に、できるだけ、西暦年を優先して記入することを心がけてきていたし、少なくとも、西暦と和歴とを併記してきた。
いつ頃からか、西暦を優先して重視することにも、いささかの疑問を感じ始めたのと、日本の役所関係の書類等にも、和暦記入しか欄がないことも多いので(←わざとだろw)、
結局、このことについては、あまり深く考えないように、流してきていたのだが、
いよいよ、「昭和」という元号を変更する話題が出たときには、反射的なショックに近い心理状態までも齎されたのであった。
「昭和天皇」の訃報がないかぎり、このことに気づく機会は訪れなかったかもしれない。
もともとの大昔は、天変地異の類が起きるたびに、元号も変更していたそうなので、
ならば、「昭和」の敗戦時も そうだろうし、現「平成」時代に至っては、もう すでに何度か変更せねばならなかったはずだろうか。
恐るべし、「一世一元」法。
そもそもは、これも やはり、中国由来だそうだが、
誰が思いついたのやら、
要は、巧妙極まる支配的洗脳なのだ。
しかも、例の「靖国神社」と同じく、「明治」になってから始まったという。
このことも、わりと近頃になって知ったが、
くだんの「元号法」を確定した裏には、やはり、『日本会議』の動きが大きかったらしい。
ましてや、
天皇を「元首」の地位に返り咲かせるなんど、もってのほか。
ふざけるな、『日本会議』と自民党・安倍政権。
おまえさんらが、その腹底で、何を目論んでいるのか、こちらに分からないとタカを括ってるのなら、大間違いだぞ。
だから、「甘い」!と言ったんです。
知らぬ間に しのび込んで来るものには、厳重に用心だ。
あれから、実家を出て自活を始めた私は、偶然も手伝ったとはいうものの、
実家では、父が頑として購読し続けていた(←この滑稽さ滲むエピソードについても、旧ブログや過去エントリーに記したことが ある)「読売」新聞から「朝日」新聞へ乗り換えたのだった。
そのかわりに、ネットで得る様々なルートからの情報にも、
年々、自分なりの厳しい選り分けかたを以て用心するようになった。
同時に、
読むだけ時間がムダ!と判断した対象には容赦なく、以後、一切の目も くれないようにしている。