2016.06.24 (Fri)
『誰もがその特性を持っている?「大人の発達障害」で注目された「自閉症」の基礎知識』竹内弓乃 2016年6月23日13時5分
http://bylines.news.yahoo.co.jp/takeuchiyuno/20160623-00059163/
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ちなみに私もチェックしてみたところ、12点で、平均よりも低い得点となりました。私の所属する組織の男性スタッフは16点だったそうです。性差もあり、女性よりも男性のほうが得点が高い(自閉症傾向が強い)といわれます。
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筆者さんたちの「自閉症」指数チェックの結果を、ここで報告する意味は よく分からないけれど、
「男性のほうが得点が高い(自閉症傾向が強い)」というのは、たぶん、そうだろうと、かねて私は思っていた。
たとえば、
一般的には、男性のファッション感覚ひとつを とっても、保守的な傾向だ。
(男性のファッション自体が、一般的には決まりきった、形式的な傾向であるし、対異性のファッションについても、たとえば女性の着用する靴は、オーソドックスでシンプルな黒のパンプスを、最も好ましいと感じるとか、奇抜なものを纏う女性を敬遠したりする傾向性の調査結果)
このことには、
従来から決められているもの、慣れ親しんだもの以外の、見慣れないもの、新しいものに対する不安感の現れの一端ではないだろうかと思っていたわけだが、
それでいて、
「発達障碍」や、
あるいは「パーソナリティ障碍」をも含めて精神障碍についての、世間の声のなかには、
「天才」だ
「ひらめき」が、
といった、平凡な一般的傾向の人には希薄とされる利点の面を殊更に挙げて主張する人も多々見かける。
こういった主張にも、
ある種の猛毒性を孕んでいることの自覚が ないことに要注意だ。
早速、この記事への投稿コメントにも見られる。
「ラカン」が どうだとか
(しかも、おそらく、どんな学者の説の内容も、的確に理解できていないし、本人ばかりは理解しているつもりで、実際には、ひどく歪んだ解釈を しているに過ぎないものと思しい)、
いつも、このような「学問知識」(と言うか、学者の名と学説の題名のみ)の多さを、匿名で必死に自慢してみせるしか、ネットで書くことがないのだろうか?
と感じさせられる「顔本」常連が、早速とびついてコメントしている。
私は、以前から、この常連投稿者を見かけていて(投稿量が夥しいので)、おそらく、精神科病歴を持っているのだろうと見受けていたし、
そういう類の者は、どういうものか、いわゆる「ネット民」には掃いて捨てるほども多いようなので、いつもは流し読み以下の扱いだが、
日常生活で、普段から、惨めさに打ちのめされそうになっているのだろうか?
と感じさせられるほど、
劣等感アカラサマになっているということに、本人だけが気づいていないのか、痛々しいほどだ。
だが、
この劣等感は、他者に対する俗悪な見下しや侮蔑意識に、容易に転換するものだ。
要するに、
「素直」というのも、極端だと、困った事態になるように、
本来は平凡なる俗物の感受性や思考回路に過ぎないものも、
極端になると、「俗悪」そのもの、
ついには、社会的に悪影響を及ぼすようになる。
はっきり言ってしまうと、世間の人々の、こうした論調と、同時に、以下のような論調とを、私は唾棄する。
じつに、これらこそが俗物的価値観に依存した思考だからだ。
すなわち、
発達障碍であれ何であれ、
何らかの才能だとか「天才」とかがなければ、存在する価値はない、
ということなのだろうか。
以前から、当ブログのエントリーでは何度か言ってきているのだが、
特に、茨城県だったかの自治体で、どこぞの企業経営者の類が、「先天的障碍児を、出産前診断で選り分ける度合いを高めて、税金を浮かすべし」等々の主旨にて主張したという記事に、大いに賛同するコメントが押し寄せたとき、私は、当ブログにて徹底的に反論しておいた。
貶めるのも、排除するのも、むやみと持ち上げるのも、
根っこの心性は同じ出どころではないのだろうか。
【続く】