2016.01.14 (Thu)
の続き。
さて、名実ともに先進国たり得ているか、
それとも後進国か否か、それを見分けるには、
人権についての社会的共有と判断力を観察すればいい。
なぜなら、再び三たび言うのだが、
あっちは認めて、こっちは認めないという都合が通らない、それは、
「自由の背中で責任を負える」かどうかも問えない、
普遍思想であるからだ。
もっと言っておくと、
「自由なら責任を伴う」というよりは、
「責任を持ち得るからこそ自由」なのだ。
だが、世のなかには、人と生まれてありながら、自分にも他者に対しても一切、責任を負うことが できない、これこそ最も不自由な者もいる。
せいぜい、おのれが、辛うじて、そういう種類の者でなかったことを感謝しておくが良い。
もし、分かっていて敢えて、かように愚劣な主張を したのなら、
この者自身、異物が混入し、温度管理放棄されていた危険物を、「もったいないから」の一言のもとに食わねばならない。
自分は厭だから拒否するは通らないのだ。
それが通るとするなら、それは人権の おかげによるのではなく、
単なる利己主義の冷血、排他だけが罷り通る、
究極は、阿鼻叫喚のディストピアだ。
それが、およそ常人の神経には耐えられない惨い世界だからこそ、先人は、あらゆる理想を追求し、思想を磨き、苦労しながら哲学を追究してきた。
思いどおりにしようとする自分が、同じく、思いどおりにしようと かかってくる他人を、どこまで退けられるか。
相手が、自分よりも不利な立場にいる、弱い者とは限らないのだから、いつだって、自分側が即、不利で弱い立場に陥る覚悟で、
片時も、気を弛めず、始終、あたりを窺い続けて、
野性の獣も呆れるほどの怯えと凶暴さで暮らさねばならない。
つまりは、
これこそが、真の意味での、先人の苦労に対する冒涜である。
わかりましたか?
わかりましたかー??
わかりましたかーっ!?
なに?まだ わかりませんてか?
何国人であろうが、一応、この国で生育、基本教育を受けてきて成人となった者であれば、なぜ、この程度の判断も つかないのか。
一昨年か、その前くらいからも、高級どころで知られる業者までをも含めた食品偽装が相次いで露見、そのときも、私は、中国あたりを嘲笑する資格が、日本にあるのか?と言ってきた。
実態はエセ先進国に過ぎず、なまじ先進国の看板を許されているだけに、もっと始末の悪い後進国である、それが実態だと。
「美しい国」どころでなく、カネに「貧すりゃ、たちまち鈍す」を地で行く、
恥ずかしい国ではないか。