2016.01.12 (Tue)
「そういえば、あの人、近ごろは どうしてるのかな」
と、ふと思うときがある。
そういうときに限った如くに、ほどなくして、突然の訃報が発表されたりするのがフシギと言うか皮肉と言うか何と言おうか。
70歳手前の年齢だったということにも驚いたけど、
同時に、まだまだの年齢だもの、デヴィッド・ボウイが亡くなったとの一報に、
「え!?なんで!?!」
と、私も思ったよ。
やっぱり、病気には勝てないということか。。。
パソコンで「ボウイ」と入力すると、「暴威」と一発変換(笑)
「暴威」と染め抜いた衣装を まとい、ステージに立つ、妖しくも若き日のデヴィッド・ボウイを、巻頭グラビアにデカデカと掲げる各社音楽雑誌の光景も、記憶の底から浮かび上がってきた。。。
私が、当初からの大ファンであることを公言してきた“JAPAN”の中心メンバーだったデヴィッド・シルヴィアンも、ボウイの影響は大いに受けているという。
『戦場のメリークリスマス』では、偶然か運命か、両デヴィッドが関わっている。
監督の大島 渚氏も、3年ほど前の、やはり1月だった。
うちの親父(←まさに旧日本帝国陸軍青年将校w「ヨノイ」と恐らく同年配w)が思わずフリーズした名場面が出ますよww
とにかく、ボウイの もたらすインスパイアは、ミュージック シーン、ロック界隈のみならず及んでいて、各界に熱狂的なファンを産み出していたのだ。
何を隠そう、私は、小学生時分から、リズム&ブルースの他には、グラム ロックというものに目覚めててね。
そうは言っても、ボウイがデビューし、人気が上がり始めた時期に かけては、私は、まだ幼い頃だから、全く知らない。
ビートルズが来日して、一大ブームになってた頃かな?
だったら、影が薄かったとしても、むりはないと思う。
私は、もちろん、ビートルズに関する記憶も持たない世代だけど、
ボウイやグラム ロックという世界に比べると、ビートルズの楽曲なんて、いたって素朴感のある、健康的な音楽だわねと思うw
“Watch that Man”と、『夜を ぶっとばせ』も気に入ってたんだけど、
これは、ローリング ストーンズのカバーだっけ?
本家ストーンズのは聴いたことがないままだけど、
ミックのよりも、デヴィッドのほうが、たぶん、私の好みだ(笑)
家族や身内は、洋楽ジャンルも好んでは いたものの、あの時代、テレビの歌謡番組全盛期、
周囲の殆どは、大人なら演歌、
同年配の友人やクラスメートたちは、歌謡曲アイドルに夢中な子が圧倒的相場だったし。
うちの叔母が集めていた様々な洋楽レコードのなかには、こんにちでは伝説的名盤と言われているものも含まれていて、それらを譲り受けたりすることもあったし、
年齢が離れた兄からの「いもうと教育」によって仕込まれた影響も幾分あったとは言え、
さすがに、グラム ロックまでは誰も、ね。。。w
何がキッカケで、幼くして知ったものか、自分でも憶えてないんだけど、
とにかく、ムシが好いたのだとしか言いようがないww
12、3歳の私が、お小遣いで、初めて自分で選んで買ったレコードは(当時は、レコードやカセット テープ全盛時代で、CDなんてのも、まだ全然)、ボウイのシングル レコード、「ジーン ジニー」だったw
その次くらいに買ったのは、たしか、Tレックスの“20th Century Boy”だったw
やがて、「ロッキーホラーショウ」の“Touch-A, Touch-A, Touch Me”を仕入れてきて、
大学出たての、若くて未婚女性だった英語担当教師に、くだんの歌詞を翻訳させようと、クラスメートたちを集めて謀ったりww
さあ、今夜は踊ろう。
“Let's Dance”
日本を愛してくれたボウイを偲びながら眠ろう
“Crystal Japan”
盆踊りに発想を得たのではないだろうかと、ひそかに思っていたのだ
が、ボウイの踊っているステージ姿を見て、間違いないと確信した
(笑)