2015.12.09 (Wed)
こないだのエントリーで晒しておいた「カルト連」ストーカー
『バカ者の見本w』
これと同じようなこと言う女も いてさぁ。
そやつの自己申告によれば、スナック ホステスあがりの身から、通信制大学の万年1年生みたいな分際へ、でありながら、何かにつけて、聞かれなくても自称するのが「心理学の専門家です」とw
そして、
「自己愛性人格障害者」でもあるということを堂々と宣言する この女、
くだんのストーカー野郎と同じく、やはり『2ちゃんねる』出身かつ『汚気愚』の古参会員だった。
あるとき、偶然に見かけたのが、
他人の部屋に転がり込み、食べさせてもらっておりながら、部屋の主を、たびたび怒らせ、持て余されるようになって、ついには、部屋の借り主のほうがブチ切れて出て行ってしまったとかで、
その女の発した夥しい質問のなかでも、ことに ふるっていたのは、
行く当てもカネもなく、自分だけ残った部屋で、アパートの家主を騙してでも、そのまま何食わぬ顔して居座り続けることが可能な方法を教えてくれろというwこの非常識さにも かかわらず、
家業が大家ですのでという会員さんが、寛容に優しく回答してくれていて、
そもそも、あなたの要望は契約違反なのであるからと、質問内容の無理筋を指摘しながらも、常識的ルールや法的な面での忠告を添えて、あれこれ親切なアドバイスしてくれたというのに、
おのれのド厚かましい企みに沿わない忠告を うるさがり、
しまいにケンカ売り始めてた(嗤)
ああいうのが、ネット民が言うのを よく見かけるところの「火病」ってやつなのか、まあ、ヒステリーかね。
私に対して やったのと同じ、凄まじい罵倒だったよww
相手してあげてた回答者は、ひどくビックリしたようで、ほんとに気の毒だったが、
こんな無礼なイチャモンと罵倒をエスカレートさせていても、サイト側は、なぜか、この女についても優遇的に見逃し、ほぼ野放し。
と言うか、
どういうわけか、このテの連中は、お互いに肩を持ち合ったり庇い合ったりと、
つまり、古株常連ほど、慣れ合いシステムが出来上がってるみたいで、
どうやら、ハンドルと文体を変えての自作自演以外では、
お馴染みさんどうし訪問、ご機嫌伺い、称え合い、
そういった成果が、一つのスレッドの異様な伸びという かたちで示されたりもする。
それとは逆に、
古株常連のうちの誰かを敵に まわしてしまったり、気に喰わないと思われてしまった新参者に対する場合は、カテゴリーを跨いでサーッと結託し、攻撃のタッグマッチを組み、
同時に、
ひとたびターゲットに据えた対象を、各自の得意分野または縄張り範囲から重点的に排除させるべく、運営への通報をガンガンやる。
もちろん、排除対象の設けたスレッドは伸びないように、不参加もしくは、
頃合いを見て、やはり、潰すために、とにかく理由をつけて、運営へ通報し、削除を要請する。
私も何度か やられましたわw
その結果、えらく不公正にして不公平な、偏った様相が蔓延する奇怪な状態になるわけ。
別宅というか支部というか、本当の集合場所は『2ちゃんねる』内に あるようで、『汚気愚』における一部始終は、年がら年じゅうスタンバイしている古株常連ら(このなかには、運営スタッフが混じっているという噂もあるw)が監視していて、ムズムズ暴れたくなったら、そこから、『汚気愚』側の各スレッドへと、ひとっ飛び、アラシに出向いたり、
一しきり、気が済めば、また舞い戻って来て、引き続き、ぐだぐだぐだぐだ、口汚い罵りコトバでもって、個々の会員らについての偏見と蔑視満々な断定やら断罪行為に励む、そうすることで、鬱憤晴らししているw
そして時々、
こうした自慰行為に耽り、「われと わが身を甘やかす」しか することが ない自分を思い、しばしの自己憐憫に浸る、
その自己憐憫を、またも他人を断罪する燃料に。
そんな不毛な、哀れな世界(嗤)
もっとも、私が『汚気愚』を見限ったあたりから、とたんに閑古鳥が鳴くようになったとか?ww
くだんの女が、私を呆れさせたセリフの一つが、
「精神障害者のほうが、身体障害者よりも高等」とか上等なのだ、みたいなこと。
その女の珍奇な持説によると、なんでも、
身体障害者は、精神障害者よりも下等なのだそうでw
あの頃、ネット初心者であった私は、こういう手合いを無視して放置する、いわゆる「スルー」ということを知らず、知ったところで、質問と回答を遣り取りする流れが定型である以上、なかなか思い切った無視も上手く できなかったもので、
先述の暴言についても、なんちゅう愚劣なことを言い散らすか、ほんの子どもも閲覧するようなQAサイトでコヤツはと、大いにアタマに来て、
その歪みきった、とことん俗悪な了見を ただしてくれようとw
「じゃあ、身体と精神の障害を、両方とも抱えている人は どうなるんですかね」
と問うてやったんだけども、
現実に、こういう状態の人は少なからず いるであろうのは当然のことだし、
私が低学歴、自分は大学で学んでいるのだから、大学も行ってないアンタなんかとはレベルが違う云々、さんざん侮辱してきたこととも相俟って、
精神が身体がと、ぷっつり切って考えることがナンセンスであることにも気づけないオツムで、どんだけ心理学だ なんだと勉強したところで、この女の「学問」なんど到底、モノにもなりゃせんだろうにと、もう呆れ果てた。
いやはや、どーにもなりませんな、
さすが「自己愛性人格障害者」だというだけあって、ヘリクツだけは垂れまくるが、本質的な論議能力ゼロ、最後は結局 いつものように支離滅裂な罵倒に終わる。
私も、いろんな問題ある人間を見てきたし、否応なく関わらざるを得ない環境で生きてきたけれど、
ここまで えげつないのも、まだまだ いるもんなんだなあ、どんな育ち方したのやら、どんな ご面相で生きてるのやらと、とことん呆れたけど、
これが なんと、また ご本人の自己申告によれば、いたって普通のというか、裕福なほうの家庭で、むしろ、通常より恵まれた環境で生育してるらしかったのだから、いやはや いやはや。
本人の悩みの発端としては、やれ、両親の仲が良すぎたからだの、凡庸な母親が、大手企業に勤務する父親を、男としても一家の主人としても頼りにし、従順でいるのは問題意識に欠けていると思えて、気に入らなかっただのブツクサブツクサ、何が問題意識なのやら、サッパリ理解できなかったが、
妹のほうが気立ても出来も良く、なおさら疎外感がーブツクサ、というのは、まあ、ありふれた劣等感か。
結局、こうなると、環境要因だけでは説明しきれないということだ。
精神面の病や障害には、持って生まれた個人の資質が影響大でもあるのだろうし、その概ねは、脳の問題が主要な原因なのだろうと思う。、
ところで、
むかし、仕事帰りだったかに、エレベーター前で、ドアが開くのを待っている車椅子の男性と行き遭い、その男性が、エレベーターに乗り込むのを優先するつもりで、開閉ボタンを押したまま、しばし待機の姿勢でいると、
「ありがとうございます!」
と、明るい声と会釈で応えていただき、その爽やかさに、思わず感動したことがあった。
「健常者」のサラリーマン諸兄や諸姉は、当然でしょ、ってなムスーッとした顔つきで、会釈も ないのが多数なのにねw
「正規品」たる自分が、少しでも気を抜いていたら、ずうずうしい障碍者なんかに甘えられて たまるもんか、
障碍者という名の不良品どもから、些かの被害も受けるなんて、あっては ならないこと!
なぜなら、「正規品」の自分こそは正しい人でアタリマエなんだもの、
このように、潜在意識で思い込んでるのが、「健常者」なる者ならではの病なのです。
実は、「隠れ」精神障碍・発達障碍・パーソナル ディスオーダーだった「健常者」たちを、私は、何人か知っている。身内にも他人にも。
意外なほど、そこかしこに混じって居るよ。
もちろん、高齢者ほど、最新知識も病識も乏しいので、自覚なしが殆ど。
たとえ自覚はあっても、この種の障碍は、目立つ症状さえ抑えられていたら、黙っていれば知られにくい内部障碍のうちでもあるので、なおさら隠している、隠しおおせていることも多いだろう。
このテの同僚らと仕事していた頃が あった。
なんとも不可解なトバッチリ(なぜか、確認作業を何度となく繰り返しても、気が済まないらしいとか、唖然とするほど極端なマイペースとか)で次々と、それらの最終解決を要求され、一方的に、私のほうへ ほうへと流れ続けた結果、こちらの仕事量だけがドンドン増え続けたため、彼女たちの数倍のスピードで こなさなければ ならない仕儀に陥ったのだが、
古株社員であるにも かかわらず、当の本人は、一方的負担を負わせている新入りのうえ障碍者の私に対し、やはり、幾ばくかは忸怩たる内心の屈折が あったわけなのか、さも親切そうなマメな態度を演出してみたり、虚勢を張って、このうえないエラソーな態度で説教してきたり、ついには青筋立てて、もの凄い形相で罵ったりもする、そんな情況だった。
また、個人としてはヤリ手であっても、管理職としての目配り、采配能力その他が全く足りていなかった上司。
それらが、
その場で一番、立場の弱い私に、つけ込むという かたちで集中した。
私の入社前にも、こうした「犠牲」的立場を一身に担っていた健気な人が、積み重なる理不尽さに耐えかね、とうとう、感情の堰が切れたようになって、突如、辞めていったということがあった。その人も古株社員の一人だったし、仕事は手慣れていて優秀であり、もちろん、健常者だったのだけれど。
なんとも奇異な現象に取り巻かれ、訝りつつも、わけが分からなかった当時の私には、ただ不可解だった。
いま振り返ってみて、一言で言うならば、要するに、あのひとたちの
「甘え」
だったのだなと思う。
家族間においても、こうした「甘え」が、特定の一員めがけて押し寄せるという現象は ありうるものだ。ことに、介護の問題には多々起きているのではないだろうか。
「健常者」たちよ、
何を以って確かな「健常者」足り得る自分、と規定しているのやら知らないが、あまりウヌボレないほうが いいよ。
自分自身も、気づいていないだけで、実は、カクレ障碍者、かもしれないのだから。
そういう人は、実際、少なからず いるのだよ。
【続く】