2015.12.09 (Wed)
『「健常者」は「正規品」か』
の続き。
私から謝らなくてはならない相手は、子どものころ飼っていた犬たちや、野良も含めた猫たち等、主に動物に対してヘマやら無神経なことを仕出かしてきた事例が多いのは自覚している。
いかにも傲慢なようではあるが、
「万物の霊長」人間さまに対しては、私が謝るべきことよりも、こちとらのほうが、あんたらに謝ってもらわにゃならんこと、たくさん あっただろ!と言いたくなる事例が断然、多い。
でも、人間相手にも、いまのとこ、他人さまのなかで御二方ほど おられます。
一人は、ずいぶん以前に、旧ブログで書いた話なんだけど、
なんせサイト側の つごうで消滅しちまってるので、再び書くけれど、もう、ここでは掻い摘んでおく。
私が20代の頃にアルバイトしていた職場で、作業中、来訪した若い男性に、何ごとかを尋ねられたのが、ひどく訛りのある方言めいた独特な話しかたで、こちとら聴覚障碍のため、さっぱり聞き取れず、
とりま、他の同僚に ふっておいて、しばらく時間を置いた頃合いに、
あの人、いったい何て言ってはったの?と確認すると、どうやら中国の人らしいということが分かり、
「ああ、だからかぁ、中国の人って、なんかピンシャン♪ピンシャン♪した喋り方しはるから、よけい、聞き取れへんかったぁw」
とヘラヘラ言ってしまってから、
ふと振り向いたら、そこに、くだんの中国の青年が。。。
最初、私に話しかけてきたときは、せいいっぱいのカタコトでも臆することなく元気良く、にこにこと明るい笑顔満開だったのに、
打って変わったような、くら~い表情になってた。。。(しゅ~ん)
話すほうは、まだ少し拙くても、聞くのは、かなり身についておられたようなので、私が迂闊に言ってる内容が、ちゃんと理解できてたのだろう。
たぶん、あっ、バカにされた、と思わせてしまったんだろう。
ご本人は、すでに、そこから、他の場所へ移動されたものと思い込んでいた私は、いつもの調子で、同僚相手に軽薄な発言を してしまったわけだが、でも、ほんとうに、悪気だけは全く なかったのだ。
あの無邪気な笑顔と、その後の暗い表情の落差を思い出すたび、申し訳なさで、胸が いっぱいになる。
どうか、日本と日本人を嫌いにならないでねと。
もう一人は、これも、職場での話で、先述した出来事から十年後くらい後。
当時の職場は、派遣に近い形態の働き方だったので、本社にいるよりも、取引先等に出向いて仕事することが殆どで、その日も、数人の同僚とチームを組む かたちで出張していた。
そのなかに、新入りの青年が混じっていて、彼が入社してきたとき、上司が、
「○○君は、ちいさい頃からのアトピーの後遺症で、こういう痕が残ってるんです」
と、紹介の おりに言い添えていたとおり、彼の顔の大部分には、赤黒い感じの痣が、首筋から伸びてきたように覆っていた。
たしかに、いきなり見た当初には、ついギョッとするのを防ぐことは できないのだが、
話せば普通の青年であり、礼儀正しく穏やかな人柄だということは すぐ分かるので、同僚の誰もが、ごく自然に相対していた。もちろん、私もだ。
で、その日も、昼の休憩時間が来た。
あらかじめ用意してきたものを、そのまま屋内の作業場で食べる人たちも いるが、外に出て食事するつもりでいた私は、その青年と二人だけになっていることに気づいたとき、内心、困惑した。
というのは、
当時、私は、実家の親の病気と入院のこととか、
自分自身、その後の手術を要した病気の前触れで、体調が最悪だったことなどが数年来に わたって続いており、
人知れず、慢性的な睡眠不足と疲労が重なっていて、ほんの少しでも、せめて目を閉じて休みたく、
同僚たちとワイワイ賑やかに食事よりも、とにかく、ただただ、一人になりたかった。だからこそ、敢えて外に食事に出る方法を選択していた。
本当は、お弁当を作って持って行くほうが安上がりなので、それまでは、そうしていたのだが、すると、同じようにしている同僚たちと一緒に、お昼休みの殆どを過ごすことになる。
どうしようかと考えつつ、とりとめもなく話しながら、慣れない街を しばらく行くと、それなりの食事処が目に入り、くだんの同僚に、「あそこ、どう?」と勧めておいて、彼が頷き、そっちへ歩きかけたとき、
じゃ、私は、ちょっと用があるので、ここでネ、と そのまま進んで行こうとした。
その瞬間、同僚の表情が、ひどく曇ってしまった。
たぶん、顔に、目立つ痣がある自分と二人で、人の多い場所に入るのが厭なのか?
と思わせてしまったのだろう。
落ち着いた体調であったら、事前に、同僚の気分に与える影響を慮ったうえで、もう少しは慎重な言動を とれたはずだが、
必死でゴマカシながら仕事を続けていたものの、もう心身共に疲れ果てていた。なにしろ、私のほうに、余裕が なかった。
同僚の顔色がサーッと変わったのには気づいたが、それに かまわず、一人になれる場所を求めて彷徨う私は、あとも振り返らず、サッサと歩き去った。
その時点から あとの記憶は、すっぽりキレイに抜け落ちたまま。
侮蔑だの疎んじたり厭う気持ちだのは毛頭なかったこと、
むしろ、彼らに好感を持っていたのに、焦りの気持ちから、無思慮な言動を とってしまったこと。
あれから、長い時が過ぎ、
その間も、いろいろと、あり過ぎるくらい、いろいろ あった。
もし、いま再び会うことが できるなら、まずは、彼らに謝りたいと思う。
いや、
いま、ここで、勝手に謝ってしまおう。
ごめんね、軽率な私を許してね。
『<赤いあざ>大分の男性、難病公表に共感の輪』
毎日新聞 11月27日(金)9時1分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151127-00000008-mai-soci
障碍の種類は異なるけれど、この かたがたの訴えておられることは、私にも概ね察しは つくし、理解できるし、わが身に つまされることも多い。
私も、これで一枚看板たる顔面に、思いがけず、皮膚の異常が出たとき、誰かの外国土産で もらってあった『タイガーバーム』を、母に勧められるまま、塗って寝て、
翌朝、起きて鏡を見たら、自分でも卒倒しそうなほどドえらいことになっていたので
(まじ、ホラー級だったのよ!w家族が驚いて心臓マヒを起こさないように、あらかじめ予告してから、恐る恐る見せたくらいだw)、
イスラム教の女性ではないが、行き遭う人々を驚かさないよう、でも、
なんだか怪しげに顔を覆って駆け込んだ病院への道中、
それとなく、こちらを窺う人々、
やっとの思いで到着した待合ロビーでは、走り回るガキ、いや、子どもらが、
覆った顔を押さえながら俯き、うずくまるように腰掛けている私を目ざとく見つけ、興味津々で近寄ってきて、ろこつに覗き込みに来るわ;
そのとき、
生まれて このかた初めて味わう種類の、なんとも喩えようのない惨めな気分を味わった。
さて、呼ばれて病室に入り、
もう、この頃になるとね、すでに、相対する相手の反応を見るのが、自分で怖ろしくもあり、どこか淫靡な快感ですらありw
京大 医学部卒だったかの青年医師の真ん前で、顔の覆いを取り去るとき、
「よろしゅうござんすか?ようござんすか?禁断の覆いを取りますよ取りますよ?腰抜かさないでくださいネ、うふふぅ、、、では、まいる。。。
ほりゃあ!!どだ!?恐れ入ったか」
てな、あやしい気分に陥っておりましてな。
ほとんど、横溝正史ワールドだよ。
で、
ほりゃあぁ~!と
勇んで、覆い布をサッと取り払った私の顔面を見た瞬間、
医師は、顔色一つも変えず、
「あ、こりゃあカブレやね、うんうん」
と頷きつつ、ほとんど目視だけで、すみやかに、治療薬の処方をスラスラ記した。
付き添っていた母が、
「あのセンセ、まだ若いけど、『黙って座ればピタリと当たる』つうの、まんま やったなあ」
と、いたく感心。
その後、処方された薬を用い、たちまちにして、人相が、もとに戻ったのを見て、
これも、生まれて初めて もよおした感慨と言っていいほどのものだったが、
まあ、この顔に戻れて感謝だわぃ、とりま思った(苦笑)
一時は、このさき、どうなるのかと、わが人相の激変に、目の前が暗くなったからね。
ふしぎなことに、酷かった腫れと浸出液が治まるにつれ、
もともと、ささやかに自慢だった肌が、あたかも、あかんぼう時代に返ったかと思うくらいの絶好調となり、しばらく続いたというオマケ付き。
私的回顧談の脱線が長くなったが、
学校時分に、比較的軽度ながら、吃音の傾向を持っていることが明らかだったクラスメートも いた。
旧ブログにても、この、学業・スポーツとも優秀、クラス委員を受け持ち、誰に対しても穏やかな態度の、優しい性質の男子を思い出し、クラスを共にした頃のことを、いくらか綴った記憶が ある。
どちらの記事についても、私なりに、いろいろ思うこともあるのだが、字数が長くなるので、一番言いたいことを手短に記しておく。
お互い、どうしたって、通常人よりも難儀の絶えない人生ながら、
理解と受容を与えてくれた御伴侶、そして、お子さんたちが いらっしゃる以上は、
どのような お考えの もと、情況変化のなかを歩まれるにせよ、気を強く持って、苦境を乗り越えていかれなければならないだろう。ご健闘を祈ります。
『<吃音の悩み>男性「差別の人生」障害者手帳求め法廷に立つ』
毎日新聞 12月6日(日)8時1分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151206-00000006-mai-soci
Cibo Matto“Stone”