2015.07.10 (Fri)
の続き。
だらしのないこと このうえない親父も、戦時中は、堂々のエリートだったから、戦後、しばらく在籍していたらしい「警察予備隊」とかいう自衛隊の前身組織に、そのまま ずっと居さえすれば、かなりの地位にまで上っていたはずだと聞いたこともあるが、
なんせ、戦後進駐してきたアメリカ側の兵士と大ゲンカしてブチ切れたのがキッカケで辞めちゃったって、大笑いするしかない話、
旧のブログか どこかで書いたことがあった。
しんどいし、めんどいので、再び今ここでは書かないけど、
要するに、
アメさんとこの兵士は小学生程度の計算能力すらも なかった、って驚愕の真相だ。
それでも、日本は、そんな相手に負けたんだぜえw
まあ、また、気が向いたら書こう。
(もともと、からだが虚弱だし、心理的なものでもあるのか、自分や身内の生い立ちに まつわること等を思い起こすと、てきめんにダルくなることがあるの。調子が悪いときは、いわゆる「フラッシュバック」ぽくなるから。)
で、そんな うちの親父だが、
くだんの、自宅放火・子ども焼死事件を引き起こした海自幹部という愚かな父親に共通しとるなあ、と思った。というのは、
親父も常日ごろ、
「おれが仕事に行くときは、行ってらっしゃいと。帰宅したら、お帰りなさいと、いつも言ってほしい」
と、こうした不平を、ぶうぶう鳴らしていたからw
大概そういうのを理由にして暴れ、暴力振るってた。あのアル中親父は。
しかも、
親父自身の子どもの数は、初婚・再婚を合わせれば、現代としては多いほう。さすがに8人までは いかないが、
流産とか死産の分も足せば、それくらい いきそうだw
でも、戦前や戦中は、1ダースくらい珍しくもなく産んでたらしいよね。
大家族で、祖父母やら、上の子どもから順繰りに、下の子どもの面倒を見させていたから可能だったことなのかな。
親自身が直接に子どもの世話しなくても、それで、わりと普通で、両親とも家業のほうに専念してたとか聞く。
昔は、庶民の子は、学校なんか適当なとこで切り上げさせ、家の手伝いだけさせておれたそうだから。
女の子は、現代ならば、まだホンの子どもである年齢のうちに、口減らしを兼ねて嫁に行かされたというし。
父本人にしてみたら、その生い立ちも薄幸だったろうし、
だから、連鎖現象ってやつなのか、
様々な条件は一人一人異なっては いても、結局、親父の子ども全員が何らかの、解決困難な問題を抱えていたりする。
それでも、
「誰の お蔭で飯が食えるのか!」
「この出来損ないが!!」と、嫁や子どもをブン殴って、
だったら、嫁も貰わず、子どもも拵えずに、家庭なんか持たず一人で生きていれば よかったがなと、なまいきな私が言おうもんなら、ますます激昂して、もっと酷く殴るw
自身については、人並み以上の、自分の欲望や何か、
たとえ、それが邪まなものであろうと最優先することを、全くと言っていいほどに、躊躇したり疑問視することがなかった。
ほんものの「脳天気」と言うのか幼児的万能感と言うのか、
これぞ、自己愛の権化。
要するに、エゴのカタマリ。
ただ、
本人は、自覚がないどころか逆に、自分のほうこそが、むしろ被害者だという、出所の分からん潜在意識を持っていたようだ。
だからこそ、
苦労が多く不利だろうと何だろうと、いざとなれば家族を含めた他者に、要領よくツケを押し付けてでも、なりふり構わず自我を通し、
最後は、辛うじて、それなりに「勝ち組」のほうに まわれた。
「勝ち組」と言っても、
家庭のなかにおいて、家族の苦難の上に なり立った、俗世間的には、いたってチンケなチンケな程度のものでしかないけど。
それ以上に、因果のタネを残しただけ。
自分が一番可愛いのだから、その自分に、ちょっと余裕があるときだけ、子どものことも少しは思うか、って程度。
もちろん、自分に余裕がないとき、自分の分が悪いとか不利なときは、わが子に対してでも猛然と牙を剥く。
親だからって、子どもが最愛と限ったことでは ないよ。
ほとんどの人は、きれいごと言ってるだけだろうと思う。
要するに、家族のなかにあっても、ぬぐえない孤独なのかな。
それが、生い立ちによるものなのか、生来の個人的資質なのか、
そのへん、よくは分からないが。
(ついでにと言っちゃ なんだけど、
たとえば、大島弓子さんの『夏の夜の獏』というマンガ作品など読むと、どうしても、胸に すごく迫ってくるものがあるよ。
うちの実家なんて、関係性でも心理面においても、もっと もっと複雑怪奇に愛憎入り乱れ、何かにつけて物騒な家庭だったけどもw)
ところで、私は、小・中学生の頃から、
学校とは、パートタイム刑務所みたいなもの、自分たちは、パートタイム囚人みたいなものだと思っていた。
今回 また、
近ごろ、河川敷で、悪い仲間に寄ってたかって なぶられたあげく、
とうとう命を落とした男児と同様、見るからに あどけない男の子が、
さても痛ましいことになってしまった。
この男子生徒の担任教師が、ある時の生徒の訴えに対して、
「上から目線」(原文では、「目先」と書いてあったようだw」)
と指摘したということで、
いかにも教師稼業の ちっぽけなプライドが顔を出したか、という印象を持ったが、
ま、ガッコのセンセイ即ち「子ども相手の、お山の大将」なんてものは、
その殆どが、ひたすら要領の良い優等生が なるものだし。
私が小学校のときの担任のように、一念発起し、働きながら苦学して、教職資格を得たという叩き上げの苦労人なんて、いまどき、まず、いないだろう。あの当時でも珍しいほうだったと思う。
その他の担任のなかには、子どもの目から見てさえ、いかにも苦労知らず、世間知らずの お嬢ちゃんセンセイも いた。
案の定というべきか、本当に頼りなく、事なかれだったのを憶えている。
実際、私らの担任後、早々に辞めたと聞いた。周囲も、「やっぱりね」という評だった。
おおかた、地元の旧家あたりへでも嫁がれたのだろうと想像する。可愛い顔の、若い先生だったし。
高校時分の友人の場合も、クラス内いじめで悩んでいたにも かかわらず、担任教師が、あまり、気に掛けてくれないという悩みを聞いていたが、一見、温厚そのものな、そのベテラン教師には、
うまく遣り過ごせない、要領が悪いのじゃないか?と咎めるような感覚が潜在意識にあって、むしろ、友人のほうをこそ問題視しているふしがあるのではないかと、クラス外の私にも感じられた。
その記憶と同時に、
うちの身内も教職に就いていたが、彼が、その職業に就いて、まだ間もない頃、
担任したクラスの女児の家庭が経済的逼迫しているということで、
ある日、母と示し合わせるようにして、私の意向は無視しw、
比較的、くだんの女児と年齢が近かった私の衣類やらバッグ等を、容赦なく取りあげ、その女児へ与えるべく、サッサと運んでいったこともあったのを憶えている。
この身内が思いがけなく自死したおり、職場の上長は、原因に思い当たることは全く ない、と言っていたそうだ。
まあ、身内の場合、私とは立場が異なるものの、やはり、幼い頃からの、親に対する葛藤の深さは同様で、そのことが、とうとう終生、割り切ることもできないまま、心の底に澱が積もっていくごとく、自分の家庭や仕事にまでも、葛藤が しのび込んでいたということもあったのでは なかろうかと察している。
【続く】