2014.02.09 (Sun)
虚空の吾が子に 2010/07/25 06:10
『柳美里さん、児童虐待テーマに初のノンフィクション』
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/books/breview/408801
産みたくて産んでも、それで やっぱり悲劇のヒロインになってしまうのかい。正直、チラッと思ったのも確かだけど。
誰に頼まれたわけでなく、私的色合い濃厚な作品を、世間に向けて発表し続け、誰に頼まれたわけでなく、この世に子を産み落とす。
それだけエネルギッシュ、エゴイストでなければ。
そりゃあ、子どもの時分は、親の関心を引き付けたくて非行もサンザンするわけ。
グレるのは、それだけ元気な証拠。
むしろ、グレるエネルギーもないほうが、よっぽど深刻かも。
私は、早くも中学生になる頃にはハッキリ、自分は子を産むまい、いや、産んではいけないと思い定めていた。
だって自分自身が、こんなにも、親や世のなかというものに対して納得いかないまま、子ども産むなんて、筋が通らない、
こんな むごい世界に子ども産み落とすなんて、まだ見ぬ吾が子が、かわいそうではないかと思っていたから。
「おかあさんは、あんたを産まないことが愛情の証だからね」なんてワケわからんことを、中学生が心に呟いていた。
なんのこっちゃもなく、成人してのち、産みたくても産めない体になってしまっていたが。
ところが私の身内でも知り合いでも、親や生育環境に対して恨みや不満たらたらの者ほど、意外と当然のごとくに子を つくるもんだ。
しかも、ごく若いうちにというのが珍しくない。
まぁ、いろんな意味で、若さゆえというのは分かりやすいが、もはや中高年にもなって、この世は甘くない、肉体を持つ身ゆえ辛い思いをする、ということが身にしみて分かるはずのトシになってから、産むつもりで つくって産むというのは、わからんなぁという気もする。
ある若い男が、しゃべってる途中、ふいに、「子どもが欲しいな」と言ったので、理由を訊ねてみた。
子どもでもできれば、、、何と言ったっけ、あ、忘れてもたゎ。
自分自身が何か変われるかなという気がするとか自分の気持ちの支えになるかな、とかなんとか言いおったような気がするが、そのとき私は、即座に、
「あまーい!(チッチッ)変われんやつは変われんわ。子どもはアッと言う間に大きくなって、サッサと親から離れていくの!」
と切り捨てた記憶はあるのだが。
とは言え、
不満は大いにあるからこそ、子どもに苦労させるに忍びないとて産まないという消極者は、エゴも薄いかしらんが、エネルギーも低かろう。(苦笑)
要するに、
内心不満まんまんだからこそ、子を持つことで、自分自身が何か良いように、何か劇的に変わるんじゃないか、と期待するエゴイストは、生命欲旺盛ということなのだ。
逆に、
これと言って、とくに不満もないし、当然のように、つくったので産みましたという、何も考えてない、真に めでたい人。(←決してイヤミのつもりはない。)
多くは、この どちらかであるように見受ける。
『胸が締め付けられる 児童虐待に寄せられる声』
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/other/403223/
~虐げられている子供は親に嫌われないよう、親の機嫌を損ねないよう振る舞う。ほめられたくて、抱きしめてもらいたくて、必死にがんばる。周りにいってしまったらもっと親に嫌われる。もっとひどい仕打ちを受ける。こんな恐怖感に捕らわれているという。~
そもそも、子どもは、自分のほうが何かしら悪いからなんだろうと思ってるさ。
どんな親でも、子にとっては、それがフツーの親なんだから。
幼い子どもに、それは正当か否かの見分けなど つかないのだし。
親自身が、虐待を「正当な行為」と信じているのなら尚更のこと。
幼い子どもが、こんな暗い哀しい眼をするものか?と驚かせられるとき、それは、どんなときであることか。
ヒトの子どもだけじゃないさ。
次々に閉じられた ちいさな まぶたの下で、まだ濁りを知らぬ瞳が、虚空を見詰めるように消えていった。。。
夥しい瞳が!
むかしから!
おおむかしから!!
延々と!!!
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