2014.02.13 (Thu)
この佐村河内さんて、「共犯者」さんに対し、
「自殺してやるからぁ」とか言ってたんだってねー。
それ読んで思い出したんだわ。
私が、まだ、幼稚園にも あがるか あがらないかの年齢当時の、母親の発言に関する記憶なんだけど。
「おとうさんや あの子ら(←父親の連れ子w)は、あんな態度やし(怒)
おまえだけは、おかあさんの言うとおりせえへんかったら、おかあさんは、からだ弱いんやから、病気で死んでしまうで」
「毒薬を隠して持ってるんやから、それ飲んで、死んでしまうで」
とか、
「言うこと聞かへんかったら、おまえなんか、この家に置いて、おかあさんだけサッサと出て行くからな」
とか、ほぼ毎日のように脅されてたw
私は幼いながら、しょっちゅう、気でも狂ったみたいに暴力を振るう酒乱の父親なんぞ、子ども心に、人間として信用できなかったので、そんな父親と、底意地の悪い、腹違いの きょうだいたちと、こんな家に とり残されてしまったひには、もう完全に終わりだ、と、いつも怯えていた。
そして、
父が暴れだすたび、母が二言目には、横で震えながら泣き、途方に暮れている私を指して、
「この子には、アンタしか、おらへんのやからな!」
と、厭味たらしく言い切ってみせるのを、ただ悲しく哀しく見つめるのみだった。
外向的で社交的な母が出かけたまま、なかなか帰って来ない日などは、とうとう置き去りかと、グシャグシャに涙を流しながら、近所じゅうを必死に探し回った夕暮れ。
さて、
うちの母親は(と言うか、も、と言うべきか)、死後に判明したところでは、もともと遺伝的に、脳に局所異常があったということが明確になったのだが、どうも、以前からの状態等を鑑み、突き合わせてみると、癲癇の下地を持っていたものらしい。
これは、母の、早逝した実妹の一人には、かなり激しい発作として現れていたという話を、むかしに聞いていた。
ただし、このことについても、母は決して、「癲癇」というコトバ自体は用いず、他の ありふれた言い替えしかしなかったけれど。
私が生まれるより ずっと前に自死した、この見知らぬ叔母は、母たち姉妹のなかで最も美しく、おだやかで、おとなしく、がまんづよい、しかし、芯に激しさを秘めた娘だったという。
ならば、
うちの母の、ああいった「恫喝」的過激発言を やたら したがるタイプってのが実際いて、
それは、やっぱり、「人格障害」の類だからなのだろうか?
母の若い頃には、「心理学」だの「精神医学」だのいう単語すらも、一般には、あまり浸透していなかっただろうと思う。
「人格障害」という単語を、母らも知ったのは、私の腹違いの姉にあたる者が、そうだという診断が なされてからのことだった。
すぐ上の義兄ですら、私とは、かなり年齢が離れていて、言わば、おとなたちのなかに幼児一人という状態だった頃は、言い返すコトバ一つも持たず、ひたすら悲しみ、怖れていたが、
いま思い返すと、ハラワタ煮えくり返るわwww