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とりあえず、ひかりのくに
     
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2016.02.15 (Mon)

「女のアパート」と「ため息」

の続き。

 

さて、

<虐待予防>妊娠中から支援対象を把握へ 大阪府が対策
毎日新聞 27()1015分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160207-00000010-mai-soci

 

集団的自衛権かよw

「切れ目ない支援」とか「特ア」

あ違った、

「特定妊婦」とはww

 

ま、私なんかも、母親の腹のなかにいるときから虐待されてたようなもんだからなあw

重度の仮死状態で生まれたのも、それが第一の要因。

 

『狭山女児死亡』事件のこと

【続】『狭山女児死亡』事件のこと

虚空の吾が子



生まれて最初の1、2年ほどは、いくつかの家庭事情ゆえ、私たち母子は、ある閑静な お屋敷街の一画に建っていた古いアパートで暮らしていた。

そこへ、父親が時々やって来る、という生活形態を、しばらく続けていたらしいのだが、

生後半年にて、いきなり立ち上がって歩き始めたという現象で、周辺の大人たちを仰天させたという奇跡の私はw

自然と、人生最初の記憶も それに つられ、
事実として、生後半年ごろから始まっているのだが、

なぜか、その頃の記憶に、父親の姿だけは一切、ない。

 

幼少時の記憶鮮明な私を して、

この時期、親らの記憶について、ほぼ唯一残っているのは、

ある晩、何かのひょうしに激怒した母が、私を、箒を手に取って追い回してきた姿、それだけ。

 

おっかなさのあまり、そのまま、お隣の部屋へ駆け込み、
普段から可愛がってもらっていた人たちの一人である、そこの おばさんに宥めてもらい、
そのとき、おばさんが小引き出しから取り出した一口羊羹を与えられたところまでは憶えている。

この時分の私の記憶は、ほとんどが、他人さんと、その当時に暮らしていた街の ようすばかり。周囲の人々に非常に可愛がられていたからでもあるのだろうが、それにしても、親の記憶に関してだけは奇妙だ。

 

その、おっかない母の話では、

当時、父は、けっこう頻繁に訪れていたし、来れば、幼い私を、ふろにも丁寧に入れてくれていたというのだが、

この奇跡の記憶力を保つ私にして(笑)、
父についての記憶だけがスッポリと抜け落ちているのだ。

 

思うに、

私にとって、父親は、すでに この時分から、興味も関心も全く持ち得ない対象だったに違いない。

終生、違和感しか感じない父親だった。

 

幼いうちは、父がシラフで穏やかにしているときには、それなりに甘えた記憶もあるし、むかしの写真も残っているし、

外見的な面や、ある種の感覚とかに共通した点は自覚しているので、実の父親に違いないことは理解できるのだけれど。

 

何と言うか、人種が違う、みたいな違和感と言うか、生理的な違和感。

年々、この違和感は嵩じていった。

 

だいたい、酒乱になるほど飲んでは、

圧倒的に力弱い女性や子どもに、殺しかねないほどの暴力を振るえるという、その感覚が理解できない。

 

しかも、

ひとしきり、思うさま振る舞ったあとでは、
一転して、卑屈このうえない態度の みっともなさ。

真似してみろ、ったって、私には できない。

 

 

この頃の話は、例の『汚気・愚』での回答や、旧ブログにおいても、ある出来事に まつわる想い出等エピソードとして記しておいたことが ある。

生後半年にての記憶などのことは、すべて事実だ。

 

よく、一般的に、記憶の捏造であるとか、心理的なもので云々と説かれるのが常のようだが、

私の場合は、親を始めとして周囲の者たちが目撃していることも、のちに確認してあり、ある程度以上に裏は取れていると言っていい事実なのである。

 

もしも、母親の腹中で死に瀕することが なかったなら、
おそらく、「胎内記憶」というものも保持していたのではと思う。

 

追憶【旧ブログ“Eine Prinzessin des Lichtes”より】

み、みんな、か、かなしいんだな

わが ささやかなる祝日に

からっぽの部屋で

【続】あの家についての部分的、そして最後の話

【続】「母の泥船」

 

さて、『女のアパート』。

ある日のことだ。

若かった母たちが、アパートの一室から、か細く泣き続ける あかんぼうの声が、ここ数日たて続けに漏れてくることを、住人間で話題にしたことがあり、

ようすを探った母たちは、
室内で、あかんぼうと共に、ぽつねんと取り残されたような、若い女を見つけた。

 

その女には、時おり、かよって来る中年の男が いたようなのだが、

もともとは良家の子女らしき育ちの女が、勤務先上司の囲い者になったすえに、いつしか捨てられてしまい、善後策を講じるチエもオツムもなくて、ただ茫然と過ごしていたものらしい。

 

あかんぼうが、空腹のために泣き続けていたという真相を知った母たちは、それっとばかり、あちこちから、当座の必要物資を掻き集め、
そのなかには、自分の持っていた着物やら、うちの母は、くだんの女に履かせる草履を新調してやり、

同時に、

高級クラブのホステス募集の口を、誰かが見つけてきて、女には、用意してやった着物と草履を身に着けさせ、なんとか、クラブ勤めを開始させた。

あの当時の日本は、景気が上昇の一途となっていた時代で、水商売の世界も、非常に儲けが良かったのだそうな。

 

しばらくして、新たに困ったことが起きていることに、母たちは気づいた。

 

あかんぼうの身は、女が出勤するときに、母たち、アパートの女連中が、かわりばんこで預かってやっていたのだが、

あかんぼうの母親である女が、仕事を終えても、なかなか帰宅しない日が頻々と起きるようになったのだ。

 

困惑と共に、またもや、その女の動向を探らなければならなくなった母たちが突き止めた真相は、

クラブ ホステスとして勤め始めた女が、やがて、店の常連客と ねんごろになり、外泊を重ねるようになっていたということ。

 

その後、どうなったのか、この話の続きは、私の記憶からはトンと薄くなってしまっているのだが、

結局は、くだんの女の実家に連絡し、
両親が大慌てで迎えに来て、あかんぼうと共に引き取られていったとか、そんなところだったと薄々憶えている。

 

 

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