2020.02.13 (Thu)
謙虚さを失った日本人なんて、最も似合わぬ姿だ。
トントン上手く行ってると、どうしても、うぬぼれ心が頭を もたげてくる。
ますます上手く行ってると、ますます、うぬぼれる。
うぬぼれてウヌボレて、うぬぼれ沼にドップリ浸かってる人は、やがて、大失敗する日が来る。
それで「自業自得」、ということで終わってくれりゃあ、話は単純、スッキリ明快でいいんだけれど。
往々にして、罪なき者や立場の弱い者を巻き添えにしてしまい、そこに全てを押しつけたままトンズラすることも多々あるから、未来永劫、深い恨みを買うことになるのだよ。人間の歴史の最も重大な面だ。
『韓国映画「パラサイト」、作品賞など4冠 アカデミー賞』
2/10(月) 11:19配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200210-00000007-asahi-movi
まあ、日本からインタビューしに行って、せっかくだから、日本に絡めた質問をと思うのも理解できるよ。
で、『カズ・ヒロ(辻 一弘)』さんというかたが おっしゃったことは、私にも かなり共感できるような気は した。と言うのも、
以前も述べたように、私自身、国外に出たいという気持ちを、10代の頃から持っていたから。
やはり、人間関係の問題は大きくて、私なんかは、まず、親からして厭だったしw
言ってしまえば、
日本の社会全体の雰囲気とか、日本人の気質や国民性みたいなところにも、少なからぬ違和感が、ずっと あった。
逆に、
周囲の人たちにしてみれば、私に対して、それこそ違和感を持っていたことだろうけれど。
社会人になって、職場に入ったら、ますます違和感。
障碍者としても、生きづらいなあという実感は拭えないままだし。なまじ、「中途半端」だからかもだけど。
なんせ、障害者どうしでも「ムラ」つくってるしまつだもんw
とは言えど、
日本以外の、どの国でも、似たり寄ったりな面は多かれ少なかれ あるだろう。そのへんは、アメリカ人と結婚し、向こうで長年、在住している人の日常の話を聞いても分かることだった。
しょせん、同じ人間なのだからね、良くも悪くも。
それに、
アメリカやフランスに留学したりで長期間を過ごした日本人が、ついにはノイローゼになって帰ってきたという事例は、昔から多いらしい。
ある有名なパフォーマーの女性も、同じような情況で、アメリカから日本へ帰国した経緯を、どこかのインタビューで答えていたのを、旧ブログか過去エントリーにて紹介したことを憶えているけど、
その彼女の話によると、とにかく、自己主張とか自己アピールが猛烈に凄いんだってさ、向こうの人たちは。10代の若い女の子でも。
気圧されるんだろうなあ。
ごく若い人でも、たとえ表面だけであっても、とにかく、おとなっぽい。
しかも、表現力が豊かだわね。
アジアのなかでも、お隣の中国や、日本人と共通したところのある気質の朝鮮半島の人々と比べてさえも、日本人は突出して地味だし。
一言で言うと、まさに「ひらたい」w
映画の俳優さんとか見てても、比べると一目瞭然なくらい、殆どの日本人は、どうにも「小粒」感が あるんだよね。これ、先月のエントリー『幻想小説』でも少し触れた。
『カズ・ヒロ』さんというかたは、日本人としての姓をも捨てたらしいと窺えるようなのだが、出生届を怠った親を持つ私は、この点も共感してしまうところ。子ども時分から ずっと、親の姓を捨て去りたくて たまらなかったものだ。
日本独特のと評される戸籍制度も、要するに、あくまで役所が、市民を管理し易いからだそうな。
だから、役所のミスで誤字のままでも、変更を認めたがらないし、ましてや、本人の意向のみで姓名変更なんて、まず絶対に認めない。
公教育の場でも、敢えて「小粒」揃いに育ててるというのか、
そのほうが、親でも先生でもオカミでも、扱い易い、管理・支配し易いからだろうけど。
その おかげか、
大多数の日本人は、いかにも「優等生」と言うか「良い子ちゃん」の雰囲気で、ほんとうに、お勉強が、そこそこ、できる(だけの)小学生か中学生みたいw
この傾向は、近年、ますます深まっている感じが ある。
いつ頃からか、「おこちゃま文化」と言われるようになって久しいようだし、実際、子どもっぽいの好きだよねw
大昔の日本人は、「渋好み」だったと思うんだけどなあ。。。
芸術作品でも工芸品の類でも、洗練されたものが あったと思うんだが。
現代は、たとえば、「皇室」の若い世代の女性たちを見ても、何だかオバサンみたいな、ダサくて退屈なカッコさせられてるよね。判で押したみたいに画一的な。
まあ、あくまでも公的な場ではということなんだろうか、「オーソドックス」第一にのつもりなんだろうけど。
おカネだけは、庶民からしたら、目の玉とび出るほど、かかってるんだろうけどさ。
ほんとうに、年々、センス悪くなってる感じ。
うちの母親は、日本でオリンピックやるというと、
「これまた、いつもの、赤いブレザーwよっぽど好きやねんなww」
と笑ってた。
今夏に予定のオリンピック(&パラリンピック)で用いられるユニフォームも、一見しただけで、
「うわ、これまたダサい」
と思った。誰がデザインしたのか知らんけど。。。選んだ者が悪いわな。
だいたい、すったもんだの末のエンブレムも、みょうに細かくてダサいなと思ってた。色もジミ~だし。
極めつけは、あの、日傘として考案されたやつ
(ええ、そう、『笠地蔵』みたいなやつねw外国人から「クレイジ~!!」と呆れられてたやつよww)
も思い出して、心底、げんなりした。
あれを初めて見たとき、一瞬、目の前が暗くなったわwww
はずかちい~~~
日本の恥~~~
お~んお~~ん
…
腹立ってきた。
先に挙げた記事の話題に戻る。
ただね、
『カズ・ヒロ』さんの回答を読んでみると、「日本人」であること、「日本国籍」というものが、逆に、たいへん重く感じておられたゆえにこそ、ということかなと思えた。
その意味では、
ほら、例の『表現の不自由展・その後』で、たとえば、「昭和天皇の写真を燃したー!!」って、(ネト)ウヨらがギャーギャーギャースカ大騒ぎしてたでしょ。
あの作品の作者さんの意図と共通したものが あるように思う。
彼も、アメリカでだったか、日本人ならではの自分の内面性に苦悩して、みたいな解説されてたと憶えている。
その点で、「日本人離れしている」(?w)私は、そういうことに悩む感覚とかが非常に希薄と言うか、まず、ないに等しい。なので、激昂してみせる(ネト)ウヨらの感覚に対しても、もちろん、冷たい感想しか湧かないのだけど、
同時に、あの作品自体に対しても、「ふうーん」くらいにしか思えなかったわけ。
まあ、実際に、自国を遠く離れてみれば、ずっと国内に居る者には想像も つかない面が あるのだろうなとも思う。
家庭事情や病気などにより、私個人的に、社会情勢全般、特に政治分野の話題から遠ざかって久しい時期が あったんだけれども、
ふと見たら、なんかヘンだなあと思っちゃうような雰囲気が濃厚になっていて、それは、たとえばテレビなんかで、「日本を自画自賛」みたいな番組が花盛りであるといったことも その一つ、
私の若い頃は、『ここがヘンだよ日本人』とかっていう番組を見て、家族皆、大笑いしてたもんだがな。
当時は人気あったと思うよ、あの番組。
ま、『「日本すごい」教』とやらいうのを布教したのは、ほれ、例の『日本会議』と、そのシンパあたりでしょ(嗤)
『自民党』と安倍政権の面々と取り巻き連と『日本会議』さん江、
贈るコトバ。
「恥ずかしからずや?道を説く者」
2020.02.03 (Mon)
なぜ、こんなことになったのかと、そこが知りたくて、『ペシャワール会』の中村医師が殺害された事件についての見出しをズラッと眺めてみると、いずれも、まさに「美談合戦」の様相を呈しているのが一目瞭然で、殆どの記事は、読む前からゲップが出そうで、スルーしていた私。
ただ一つ、外国の有名メディアが、
中村氏は、現地での利権争いに巻き込まれていたのでは ないかという報道を出していたので、その感想だけ、当方のエントリーで触れておいた。すなわち、やっぱり、ここでも、日本のメディアは踏み込む力がないのかと。
ところで、
うちのブログを やってる先の業者さんが、内部システムのトラブル発生だとかで、なんと、1週間以上にもわたるアクセス不能、エントリーアップも全然できないなか、このエントリーの下書きを書き始めた前日、
現地民の新生児に、故 中村医師にちなんだ名前を与えた親御さんが、インターネットでは大量の称賛を得たのとウラハラに、攻撃的なコトバや恫喝にも晒されて、襲撃の危険を恐れた大家さんに追い出されてしまい、引っ越しを余儀なくされたという記事を読んだばかりだった。
あそこらへんの人の特徴的な、アイラインを ひいたみたいにクッキリした目にして、やはり愛らしいばかりの あかちゃんが微笑む姿を覗かせてもらい、ほっこりした気持ちと同時に、なんとも複雑な心境になっていたところ、やっと、
こういう記事が、国内で、やっと!出た。
『週刊プレイボーイ』ですぜw
私は、よっぽどの「ウヨ」臭とか「煽り」傾向まる出し、という評価を下すに至って、時間のムダと見離していないかぎりは、基本的に、どこのメディアだからとか拘らず、あくまでも一つひとつの記事内容で判断するので、ここの記事も、過去から何度か読ませてもらってきたけど。
これは、特に考えさせられる良記事ですよ。
『「中村哲さんはなぜ狙われたのか?」アフガニスタンの武装解除をしてきた紛争解決請負人・伊勢﨑賢治が語る事件の背景』
1/28(火) 6:10配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200128-01105890-playboyz-pol
まさに、「ミギ」からも「ヒダリ」からも、それぞれに つごうよく誤解されバッシングされてきた私は、伊勢崎賢治氏のコラムも、過去から幾つか読ませてもらっていて、自分自身の考察における参考にしていた お一人なのだが、こういう識者に教われる学生は幸運だなと思う。
有名大学のセンセイでも、ほんとうに、なんだ こりゃと呆れるような軽薄短小が多いみたいなのだから。
さて置き、
今回の記事、まさに、現地・現場において、しかも、政治や国際間の駆け引きが有形無形に作用する位置からの事情を知らない一般国民・市民には、想像が及ばない面での問題点を幾つも指摘しておられて、
ことに日本国内の大手紙、メディア各社は、自分たちのオモネリ度合い、こうした事件が勃発すると、たちまち、判で押したような通り一遍で浅薄な「美談合戦」に走る ありようを大いに恥じるべきだ。
総じて国民のレベルが低いから、踏み込んだ話よりも、お涙ちょうだい的美談のほうがウケ、視聴者獲得度が上がるからと、そういう姑息な理由に逃げるなよ。
さて、
~
政治からの「中立性」、少なくともそれを装うことは、NGOにとって保安上の鉄則のはず~
伊勢崎氏が指摘しておられることは、
つまり、これまでの日本政府が、タテマエとは言えど、まがりなりにしても大前提としてきたはずの「平和・友好的外交」の姿勢と同じだ。
これ、すなわち、最大の「防衛」戦略でも あったから。
外部の者には理解しかねる現地での複雑に入り組んだ事情で、いっそのこと、こうも言えるという、最も安全な「丸腰」というものは、国家という最高レベルにおいても同様で、そのような国を攻撃する側の国こそが、全世界からバッシングと制圧を受けるはずなのだ。
~
アフリカのシエラレオネでの国際NGO時代に、経験豊富なインド人の先輩同僚にキツく言われたのは、「活動国が政情不安になったら、外国人スタッフが退避し、事業を現地スタッフだけの遠隔操作モードに切り替えるのは、保身のためではない。
そういうときほど外国人は高価値ターゲット(High-Value Target)になり、現地スタッフと関係住民を巻き添えにする。結果、事業存続も危ぶまれる。決してヒーローになってはいけない(Don't be a Hero)」
~
(記事抜粋にあたり、部分的修正および強調は、当ブログ主による)
ところが、最近、近づいてくる次期大統領選にあたって、いろいろ焦りと思惑あるトランプさんが、イランの司令官を殺害したことに絡み、アメリカに協力している国々、米軍基地を置いている国にも、と、
まさに、当の われわれ日本人までがゾッとするような宣言をブチあげたでは ないか。
「持続可能性」の確保とは。
環境問題についても、すべての立場側に対して言えることだ。
“JICA”と言えば、近頃、当ブログでも、このエントリーで取りあげた。
~
長年、活動資金を寄付で賄ってきたペシャワール会も、最近はJICA(国際協力機構)の公的資金の援助を受け入れていたと聞きます。
公的資金が入っている以上、日本政府としては、中村さんを「邦人保護」しなければならなくなります。僕の時代もそうでしたが、現場の日本大使館には、そんなことできません。保護はおろか、大使館を一歩出るのにも東京の本省にギャーギャー言われるのですから。
だからアフガニスタン当局に対して、名誉市民にもなったことですし「中村さんに警護をつけるように」と要請しても不思議ではありません。ふたつの政府の事情の板挟みになり、中村さんは従来のスタイルを変えざるをえなかったのかもしれません。
いずれにせよ、中村さんの死を悼(いた)み、その遺志を引き継ぐのは大切ですが、それを「命を賭してアフガニスタンに尽くした日本人」という美談で終わらせるのではなく、なぜ殉職を防げなかったのかをしっかりと考える必要がある。後に続く人たちのために。
そうじゃないと、人道援助がまるで「特攻隊」のようなものになってしまいます。
悼みつつも、中村さんの殉職を教訓にしなければならないのです。
~
(記事抜粋にあたり、部分的強調は、当ブログ主による)
こちらの政府も省庁側も、現地や現場の事情を熟知している人の意見を真っ先に よく聞くべきだ。
しかし、ひとたび何か勃発して、「邦人保護」に手抜かりが あったのでは ないか等と責められるのを恐れ、それこそ「保身でギャーギャー」、
現実に ままあるだろう。
そこで、ここぞマスコミの踏み込み力を発揮してもらいたいものなのだが、
「だめだコリャ」!だもんなあ、政治屋やヒラメ官僚と同じく、
思い上がったエリート意識だけが肥大した、この国の「御用メディア」と「サラリーマン記者」。
一般人並みに無知でも表面だけは撫でておく、それで仕事は足れりの、要領だけ優等生ちゃんにはムリな要請なんだろうか。
そして、ここでも、「邦人保護」のタテマエが押してきて、
いわゆる「自己責任」論が顔を出すことになる。
2020.02.03 (Mon)
『鮨代を、「支持率」で払うメディアかな』の続き。
ところで、
これまでは、東浩紀さんという、お名前くらいしか、私は知らなかったんだけども、
先述したヤフゴミんの「ビッグ データで改善」説を、どうにか少しでも調べてみようかと思い、たまたま見かけた、このかたが、
「安倍政権は、個人的に嫌いだが、有権者の多くが支持した結果、選挙で3分の2の議席を得たのなら、自分は、その現実を受け入れる」
といった趣旨のことを述べておられた。
まあ、なんと言いますか、
あまりに平凡というか、現状のシステムでは当然としか言いようのない、ただただ無難でしかないことを おっしゃってるのね。
私なんかは、
「あほが選んだ結果なんか、むざむざ受け入れたくは ない!!」
というのが本音ですからなw
だって、巻き添えになっちゃうじゃんか。
そこを、じゃあ、どうすりゃいい?と悩んでるわけなんですわ。
それと、
東浩紀氏は、「支持できない政党に投票しろというのは逸脱」ということも おっしゃってるが、それどころか、現実には、
どうしても、なにやら「勝ち馬に乗りたい」ってんで、
べつに支持してきたわけでも なんでもないけど、とにかく最後は勝ちそうなほうへ ほうへと次から次にドドッと乗っかっておこうとするんだとさ。
そういう「脊髄反射」的な、習性みたいなことらしい、この国の民衆の大多数は。
「しっかり考えて」とか「支持」以前の問題なのよねえ。
「投票率が高いほど、『自民党』が議席数を伸ばす」という「ビッグ データの予測」のことも、東氏は挙げておられたが、
だったら、投票率は低いままのほうが良い、って言いたいのか?それも また「逸脱」だもんねえ。
ま、投票率が低かろうが、「白票」多数だろうが、いずれでも、自民党は有利だよってことを言いたいだけか?
ただ、ここで挙げておいた東氏の御意見は、何年も前のものらしいので、いまでも同じに考えておられるのかは分からない。
こちらは、このかたの追っかけを する気もヒマもないので、その後のことは分かりません。どうも、興味が持てないのだ。
それと、
(あくまで、この時点での)東氏は、「国民は自民党を圧倒的に支持している」と断定されているが、これは、いずれにせよ、正確でない、あまりに雑過ぎる言いかただと思う。
選挙投票締め切り時刻になるやならぬやでソレッとばかり、当確状況やら、与党議席数の確保ぶりをドンドン流し、そして、
シナリオどおりに決まると、今度は、
「圧勝」だー「大勝」だーと、国民に向けたスリコミ演出を、さっそく開始するのが、各メディアお約束の運びなんだけど、
なまじ、優勢・劣勢情況のことを逐一速報し、それを見て、
「むっ、やっぱり『自・公』与党が勝利か!」と、
そこで、急ぎ判断した一般有権者が、
「じゃあ、ここは敢えて(『維新』を別にした)野党側に、ほんの少しでも多くの議席を得させねば!」
とかって、「戦略的」に考えるかいな?
「勝ち馬に乗りたい」ばかりなんだという有権者のレベルでよ?
東氏も、結局のところ、
野党に投票するか、いっそのこと、投票に行くな、というのが「戦略」たり得る、
また、国民の良識などに期待するな、と喝破された点では、私も、ほぼ同様に考えてきた。
「あほ多数が選んだ結果なんかを受け入れて、巻き添えを喰らいたくは ない」
のだから、その意味では、もう寝ていてくれ!と言いたいくらいなのよ。
低すぎな投票率のほうは、ほぼ実現しかけていると言える、それと共に、
ひどく低い投票率ともなると、さすがに、選挙結果の重みなんぞ、殆ど誰もが認めなくなる可能性は あるが、
「白票」も当然あり得てよしと、社会全体に認知させるほど増大したとしても、こっちのほうは、どうしたって頭打ちの限界が見えてるでしょ。
これで国民全体の「雰囲気」が どう変化しようと、「コア支持層」およびガッチリ結ばっている利害関係だけで勝手に回せるかぎりは、シモジモ一般国民の思いなんぞ、視野にも入れてないという態度を通すだろう。
私は、わりと近い過去エントリーで、「(自民党支持者が主張してやまない)消極的支持では なく、むしろ、消極的不支持なのかも?」と、低すぎる投票率に絡めた考察を述べてある。
「ベター」の値打ちすら ないとき。どうすりゃいいのか。
あたま良いかたがたには、チエなりヒントを示していただきたいもんだ。しょうもない詭弁では なくて。
現状のままだと、根幹からマズイということは明らかになってきてるんだから。
たぶん、フザケ半分の「高みの見物」なんだろうかね、
あのテの「言論商売人」たちってのは。
2020.02.03 (Mon)
しかも、その鮨代は、税金w
ここで、ちょっと お知らせです。
当ブログ運営先の業者さんにおいて、何やら内部システムがトラブルを起こしたらしく(サーバーのノードが云々とか)、ここ10日間近くにわたるアクセス不能により、うちも全く更新できない状況になっていました。
まあ、ぼちぼち直してぇや、と思いつつ(苦笑)、
なんとか復旧できたようなので、『忍者』さん、ご苦労さんでした。
その間に、下書きだけ始めておいて、やっとアップできたエントリーが、
そして、ただ今、お目にかけてる
『鮨代を、「支持率」で払うメディアかな』
というしだいでござる。
個人的にも、いつまで続けられるのか全く不明な当ブログですが、ともあれ、今後とも よろしく~♡
さて。
「ベター」ですらない。「ベター」の値打ちも ない。
こんなとき、どうすりゃいいのか、どんだけ考えてみても、結論は出ない。
と言うのも、
「ギリギリ」でもない、ハッキリ言って、崖っぷちから、かなーり、足がハミ出してるというくらいの危険な譲歩でもって、本来なら、とうてい気に喰わない政党なり候補者、それは、私にとって、いちおう、『自民党』でない、「野党」の範疇に入ってるだけ、ということでしかないのだが、
それでも、
どうしようもない情況なので、心のなかで、
違うー!違うー!!
と叫びたいのを押し殺し、「ベター」のつもりになって投票してみたら、、、
当選しました。してしまいましたよ。
で、
案の定、
結局は『自民党』と同じような、そして安倍政権に ひたすら おもねるような行政を得意になって やってるわ。
「ベターを」なんて、それもマヤカシだったのだと思い知ったら、やっぱり、投票自体を放棄する、に傾いてしまう。
どうすりゃいいんだよ。
どう逆立ちしても、断じて投票したくない面々だけが並んでいたとき、
しかたなく、
「全員、イヤ!!」
と書いて放り込んできたことも あるよ(苦笑)「白票」ってか、無効票だね。
悪の親玉、暴力団さながらの『自民』は言うまでもないが、
そこへ へばりついて、もはやカラカラに干上がったまま なお へばりついてる、ん●のカ●の如き『公明』、
その下で、あからさまな上目遣いして、ご用うかがいにスタンバってる、もろ名前負けを恥とも思わぬ『維新』、
こうした党の候補者しか並んでなかったとき、
たちまち、目の前が暗くなり、めまいを起こしそうになったわ、つうの。
私は、候補者個人に肩入れして、投票先を決めるということは、ない。
だから、「タレント」なんかの知名度だけで投票する連中とは、根本から異人種。
基本的に支持し続けるだけの価値ありと見做せる対象が あれば、そのまま、すんなり行けば いいという話になるが、こちとら、いわゆる「無党派層」だ。それでも、
基本的には、あくまでも、どこの政党に所属しているのかを重視する。
なので、
「候補者個人は良いと思うけど、その所属政党が気に入らない」
ということで悩んだことは ない。
その組織の特性なり、普段からの主張や活動ぶりは、あるていど分かるのだからね。
まずは候補者自身が、どこを選び、そこに所属しているのか、
もし、そこに ふさわしくなかったのなら、いずれ、その人は出ていくんだし。
最近、「ヤフゴミん」の一人が、
「白票」にも意義とか価値は ありまーす!みたいに言ってて、それは、「ビッグ データ」によって、男女別やら年齢層やら分析することで、次回選挙の改善策に繋がるから、てなことを主張していた。
おおかた、これまた、どこかの誰かからの受け売りを、さも自分の見解みたく述べてるんだろうけど、
はて、
「ビッグ データ」によって、投票率など選挙に関する改善が図られ云々って、本当か?
そんなこと やってきてるというのは、私は知らないし、だいいち、これまでに、間違いなく何か改善された、ってこと あったっけ?
投票率は、まーすますダダ下がりしたけど。
仮に、20~30歳代の投票率がガクンと低く、60~70歳代が最も高いとなったら、じゃあ2、30歳代に前向きになってもらえるような政策・施策を実行します、ってなるか?
違うやろ。むしろ逆やろ。とうに分かってることやんか。
私も、ここ数年、「白票」のススメを頻りと繰り返す「ヤフゴミん」を見かけていたので、一見は尤もらしいような意見だけど、胡散臭い感じも するなあと思ってたら、
なるほど、白票すなわち、結局は与党『自民党』に有利なんだとさw
「ビッグ データで改善できるから~」というので「白票」のススメを やってたヤフゴミんは、「ネトウヨ」の定番たる「反韓」心情を、抑制しつつもプンプンにおわせてたし、たぶん、やはり与党『自・公』支持者と思しい。
こんなのが、いっちょまえに子持ちだというんだから、社会を劣化させる分子のバラマキみたいなもんだ。
いくら少子化が甚だ危惧されと言えど、聡明さとヴィジョンに欠けた、怪しい説を断言口調で触れ回るタチの悪い者には、どこぞのシュショー夫妻が そうであるように、せめても、子なしでいてくれたほうが望ましいというもの。
ちょうど、「下手の考え休むに似たり」で、あほが「シッカリ考えた」つもりになって投票するくらいなら、それこそ「寝ていてくれ」たほうが、よっぽどマシ、ってのと同じ。
学生さんなどの若い人たちが、選挙のとき、「何を基準に考えたら、、、」と、投票に あたって悩んでしまうんだそうだが、
広く情報に接して、特にインターネットでは、みずからの取捨選択能力が非常に大きく左右するのだから、いまのうちに鍛えておくことだ。
様々な現実に接し、観察し、疑問を持ち、大いに考えること。
「要領(だけ)良い子ちゃん」にならないで。
遠からず、自分自身で営む生活が始まるのよ。「何を基準に」って、厭でも直面する日が来る。
学校現場では、政治絡みとなると、思いきったことは しにくいという本音も あるそうで、それもそうかとすれば、やはり、個々の家庭あるいは生育環境も重要。
親御さんは、保護者の立場として、頭ごなしに抑えつける、あるいは放任のほうがラクかもしれないが、大概の人は、視野も世界も狭いという自覚に乏しく、へんにウヌボレてる。親である自分自身からして鍛え直さなくては ならない必要に迫られることだろう。
政・官・財に蔓延する「俗物」の分身を増やさないで、と言いたい。
私の若い頃は、ネットだ検索だ、って皆無。
私の場合は、小学生時代から読み始めた新聞を、社会人になってからは、職業上の必要もあったので、よりいっそう、時間を かけ、まさに舐めるように読んできたが、それでも なお、不十分なのは明白。
特に日本では、新聞と言えど素直に信用できないところも ままある。
いまだに、もの知らずな、浅薄な自分であることよと、われながらナサケなくなってしまうことが少なくない。
【続く】
2020.01.22 (Wed)
『「楽観性」とは』の続き。
ついでに、
トランプさんの いわく、「悲観的な予言者」云々について。
以前、キューバの故フィデル・カストロ氏のことを評し、かのゲバラでさえも心底から呆れるほど「徹底的に楽観的な人」だったということを、うちの過去エントリーで取り上げてある。先日のエントリーにも再掲している。
ゲバラについても、その並はずれた意志力と活動性には、幼い頃からの喘息を持病としていたため、服薬歴に、なにがしかヒントが あるのではと考察してある。
フィデル・カストロと、トランプさんの言う「楽観性」には根本的な違いが あるね。
その出発点の違いを考えてみよう。
楽観的なと言うか、楽観的で いられた人というのは、その共通性として、まず、猛烈にエネルギッシュ、それだけで恵まれている人が多いだろう。
なんせ「楽観的で いられた」んだから。
うちの親父なんかでも、それに近いタイプだった。
そのわりに、ちまちまとヘンなところで神経質だったけどw
まあ、暑苦しいタイプww
先天的な心臓の弱点が少し あったりは したが、浴びるほど大量の飲酒や喫煙が できるという、言わば「アディクト」に耐えられること自体、基本的には体力が あるからこそだろうと思う。いまの時代こそ珍しくもないが、かなりの長命だったし。
そんな親父の体質に似た面も あるはずの私なんか、無理。同様のことを したら、死んでしまうだろう。
もっとも、晩年の親父は、お酒は やめられなかったものの、禁煙だけは実行していたが、そこに至る前には、友人に勧められた「禁煙飴」というものを大量に しゃぶり過ぎて、体重が激増、
しかも、なかなか やめられないタバコと交互に口にしていたものだから、「あんたは、よっぽどシツコイ性分やな!!」と、母親に怒鳴られていた話を、過去に述べたかもしれない。
母親のほうだって、病気の問屋を自称していたわりに、食べることが大好きで、したがって、料理も苦にならない。自分で厨房に立つ割烹料理店を開いたくらいだ。
両親とも、いわゆる「精が付く」という食物を、ふんだんに、滞りなく摂取できる。
私は、それも、なかなか困難。
出産なども そうだが、いずれも、それらを こなす基礎的体力自体は備えているということだろう。
私の考えるに、基礎体力と持病とは必ずしも関係ないのかもしれないと思う。
両親とも、最後の最後は、自分最優先、それを遠慮しない。
そのために、利用できる者は利用することを憚らない。
彼らは、それを、自分は当然に持っている資格であるかのように思っていた。
家庭環境に恵まれなかったせいか、その他の面での有利さには自負心が強く、
それでも、なお心底に、「被害意識」が横たわっていたから、常に、「損を させられてなるものか!」と警戒し、防衛意識を強化し続けていた。子に対してさえもだ。
必ず、何かと引き換えに運ぼうとする。その自覚が ない。
ほんとうの、掛け値なき全き善意は、難しい、
そういう自覚が なかった。
親と子においては特に、最も密接な利害関係者なのだ。
「さても、まことに、成ること難し」だ。
「楽観的で いられた」からこそ、「哲学」から遠く、そんなものは不要とし、世俗の価値観などを、つゆ疑う必要もなく、どっぷりと従い、多くのことは、深く考えないで済ませられたのだろう。まあ、あくまで、多くの人々の場合は、だ。
まあ、「悲観的」ばっかりの男性も、魅力に乏しいかな?(苦笑)
かく言う私だって、いくつも背負ってきた重荷のなかで、せめて、障碍を背負わずに済んでいただけでも、こんなブログ、全然、やってなかったと思う(苦笑)
ずっと前にも言ったことだけど、
生来のほほん、ノンキさに輪を掛けて、中途半端な思考で満足し、軽佻浮薄・軽薄短小な人間のまま、年齢だけ重ねていたことだろう。
また、そのほうがラクだったには違いない。
自分自身の面前に差し迫ったことでなくても、真剣に考えることが できる、こういう人は稀有な人なのだ。
トランプさん、実際に、生き残れない人(それは、われわれも含めて全員なんだが)その個人にとっては、その時点で止まる、まぎれもなく「世界の終わり」なんですよ。
あくまで自分や自分の周辺だけは、このまま生き残れると、根拠なく固く信じているから、「終末」や「世界の終わり」なんか ない、というのは、
それは楽観性では なく、単なる幼児的ウヌボレです。
まあ、「自己愛性」に必然として伴うものでは あるけれど。それが なければ、誰も、子どもを産もうとは思わないだろうしw
たとえば、
原子力をコントロールしてみせるのだ!これが人類のチエなんだとリキんでみても、必要なことを「コスト カットしたったぜ!俺って有能だろ!どーだ!!」
とか鼻高々で言ってたら、
どっかーーーん!!!
…
あらゆる災害などによって、「断末魔」の果てに亡くなった人の、最後の思いを、生きて相変わらずメシ食ってナニ出してる者に分かろうか。
「断末魔のなかで死ぬ」ということが、どんな思いか。
そうなると知っていて、誰が、子を産みましたか?
知っていても、産みましたか?
当事者には、このうえなく残酷な質問だろうけどさ。
この前のエントリー内で、私は、こう言いました。
「自然界の(人間にとって)『不条理』『理不尽』と闘っては倒れ伏し、起き上がっては闘い、また倒れる、それを歴史としてきた『人間たる』の本来やむことなく、飽くなき希求からドンドン遠ざかり、そして、
手の施しようもなくなった「カオス」の濁りを眺めて、力なく立ちつくすだけ←いまココ。」
いまからでも行動しさえすれば、闘えば、こんな現状と先行きの不安を少しでも変えられる、改善できると信じられる、これこそが本当の「楽観性」。人間の歴史。
そのようにして、ヒト族の知性は発達・発展してきた。
グレタさん17歳になったのね。
遠い日、同じ年齢だった頃、
「環境に良くないよ?」と言うたびに、「うちだけ気にしてもムダ!」と、親に無視されていた私は、彼女の主張について、いまだに殆ど知らない。
頻りに批判するオトナたちが言うように、ただ極論だけを主張しているというのであれば、それは問題だろうけれども、
批判側のオトナたち自身も、これまた極論を主張しているのでは ないのかな?
なんと言っても、これから、まだまだ勉強を重ね、成長していく若い人だ。
とにもかくにも、弱冠16歳から、世界に飛び出した行動力、その怯みのなさに感心する。