2020.01.22 (Wed)
『「楽観性」とは』の続き。
ついでに、
トランプさんの いわく、「悲観的な予言者」云々について。
以前、キューバの故フィデル・カストロ氏のことを評し、かのゲバラでさえも心底から呆れるほど「徹底的に楽観的な人」だったということを、うちの過去エントリーで取り上げてある。先日のエントリーにも再掲している。
ゲバラについても、その並はずれた意志力と活動性には、幼い頃からの喘息を持病としていたため、服薬歴に、なにがしかヒントが あるのではと考察してある。
フィデル・カストロと、トランプさんの言う「楽観性」には根本的な違いが あるね。
その出発点の違いを考えてみよう。
楽観的なと言うか、楽観的で いられた人というのは、その共通性として、まず、猛烈にエネルギッシュ、それだけで恵まれている人が多いだろう。
なんせ「楽観的で いられた」んだから。
うちの親父なんかでも、それに近いタイプだった。
そのわりに、ちまちまとヘンなところで神経質だったけどw
まあ、暑苦しいタイプww
先天的な心臓の弱点が少し あったりは したが、浴びるほど大量の飲酒や喫煙が できるという、言わば「アディクト」に耐えられること自体、基本的には体力が あるからこそだろうと思う。いまの時代こそ珍しくもないが、かなりの長命だったし。
そんな親父の体質に似た面も あるはずの私なんか、無理。同様のことを したら、死んでしまうだろう。
もっとも、晩年の親父は、お酒は やめられなかったものの、禁煙だけは実行していたが、そこに至る前には、友人に勧められた「禁煙飴」というものを大量に しゃぶり過ぎて、体重が激増、
しかも、なかなか やめられないタバコと交互に口にしていたものだから、「あんたは、よっぽどシツコイ性分やな!!」と、母親に怒鳴られていた話を、過去に述べたかもしれない。
母親のほうだって、病気の問屋を自称していたわりに、食べることが大好きで、したがって、料理も苦にならない。自分で厨房に立つ割烹料理店を開いたくらいだ。
両親とも、いわゆる「精が付く」という食物を、ふんだんに、滞りなく摂取できる。
私は、それも、なかなか困難。
出産なども そうだが、いずれも、それらを こなす基礎的体力自体は備えているということだろう。
私の考えるに、基礎体力と持病とは必ずしも関係ないのかもしれないと思う。
両親とも、最後の最後は、自分最優先、それを遠慮しない。
そのために、利用できる者は利用することを憚らない。
彼らは、それを、自分は当然に持っている資格であるかのように思っていた。
家庭環境に恵まれなかったせいか、その他の面での有利さには自負心が強く、
それでも、なお心底に、「被害意識」が横たわっていたから、常に、「損を させられてなるものか!」と警戒し、防衛意識を強化し続けていた。子に対してさえもだ。
必ず、何かと引き換えに運ぼうとする。その自覚が ない。
ほんとうの、掛け値なき全き善意は、難しい、
そういう自覚が なかった。
親と子においては特に、最も密接な利害関係者なのだ。
「さても、まことに、成ること難し」だ。
「楽観的で いられた」からこそ、「哲学」から遠く、そんなものは不要とし、世俗の価値観などを、つゆ疑う必要もなく、どっぷりと従い、多くのことは、深く考えないで済ませられたのだろう。まあ、あくまで、多くの人々の場合は、だ。
まあ、「悲観的」ばっかりの男性も、魅力に乏しいかな?(苦笑)
かく言う私だって、いくつも背負ってきた重荷のなかで、せめて、障碍を背負わずに済んでいただけでも、こんなブログ、全然、やってなかったと思う(苦笑)
ずっと前にも言ったことだけど、
生来のほほん、ノンキさに輪を掛けて、中途半端な思考で満足し、軽佻浮薄・軽薄短小な人間のまま、年齢だけ重ねていたことだろう。
また、そのほうがラクだったには違いない。
自分自身の面前に差し迫ったことでなくても、真剣に考えることが できる、こういう人は稀有な人なのだ。
トランプさん、実際に、生き残れない人(それは、われわれも含めて全員なんだが)その個人にとっては、その時点で止まる、まぎれもなく「世界の終わり」なんですよ。
あくまで自分や自分の周辺だけは、このまま生き残れると、根拠なく固く信じているから、「終末」や「世界の終わり」なんか ない、というのは、
それは楽観性では なく、単なる幼児的ウヌボレです。
まあ、「自己愛性」に必然として伴うものでは あるけれど。それが なければ、誰も、子どもを産もうとは思わないだろうしw
たとえば、
原子力をコントロールしてみせるのだ!これが人類のチエなんだとリキんでみても、必要なことを「コスト カットしたったぜ!俺って有能だろ!どーだ!!」
とか鼻高々で言ってたら、
どっかーーーん!!!
…
あらゆる災害などによって、「断末魔」の果てに亡くなった人の、最後の思いを、生きて相変わらずメシ食ってナニ出してる者に分かろうか。
「断末魔のなかで死ぬ」ということが、どんな思いか。
そうなると知っていて、誰が、子を産みましたか?
知っていても、産みましたか?
当事者には、このうえなく残酷な質問だろうけどさ。
この前のエントリー内で、私は、こう言いました。
「自然界の(人間にとって)『不条理』『理不尽』と闘っては倒れ伏し、起き上がっては闘い、また倒れる、それを歴史としてきた『人間たる』の本来やむことなく、飽くなき希求からドンドン遠ざかり、そして、
手の施しようもなくなった「カオス」の濁りを眺めて、力なく立ちつくすだけ←いまココ。」
いまからでも行動しさえすれば、闘えば、こんな現状と先行きの不安を少しでも変えられる、改善できると信じられる、これこそが本当の「楽観性」。人間の歴史。
そのようにして、ヒト族の知性は発達・発展してきた。
グレタさん17歳になったのね。
遠い日、同じ年齢だった頃、
「環境に良くないよ?」と言うたびに、「うちだけ気にしてもムダ!」と、親に無視されていた私は、彼女の主張について、いまだに殆ど知らない。
頻りに批判するオトナたちが言うように、ただ極論だけを主張しているというのであれば、それは問題だろうけれども、
批判側のオトナたち自身も、これまた極論を主張しているのでは ないのかな?
なんと言っても、これから、まだまだ勉強を重ね、成長していく若い人だ。
とにもかくにも、弱冠16歳から、世界に飛び出した行動力、その怯みのなさに感心する。