2020.01.20 (Mon)
『まさしく「暴力団国家」」』の続き。
戦後政界史上でもダントツの弱者叩きと庶民イジメを繰り返し、その一方で、公私混同、自己利益誘導を憚らない、腐れ安倍政権を高く支持している、「屠殺屋・肉屋を支持する豚」的、ありえないマゾ国民からは、
現政権の政策や施策の多くに対して「反対」「納得できない」という尤もなパーセンテージが高いのに、しかも同時に、「政権支持率」も高いなんて支離滅裂な結果が出る。
いやいや、待てよ?
「ダブル バインド」これを向けている、その先の対象は、
ひょっとして安倍政権か!?
納得できない、信頼できないよ⇔でも支持しているよ。
なに?これ
永遠のグルグル。
「支離滅裂なパーセンテージ」を弾き出した、それが本当の掛け値なしの事実であるなら、
すでに指摘されてきたように、大手紙や各メディアの調査方法の裏側で何らか小細工している、否、けっして、そうではないのであれば、
これは もう、
日本の多くの国民・一般有権者は、いまや、キテレツ国の、オツム分裂症国民になってしまったとしか思われぬ。
こうなったら、政治屋やヒラメ官僚を信じられないことなんかよりも、もっとずっと悲しく、恐ろしいことだ。
私は早くから危惧し、日本国民の「感情鈍麻」傾向の深刻化を指摘してきたが、
いずれ、そのうち、恐ろしい結果を招くに違いない。
かつて、「クレイジー!」「精神年齢12、3歳!」とか言われてきただけあってwもともと、あまり論理的とは言い難い国民性だしね。
しかも、大多数は、やっぱり無知、不勉強だもの。
直感、直観力が生まれもって鋭敏なら ともかく、凡庸者が不勉強のままでは、見識も磨かれないのは当然だ。
現政権のA―Aコンビとかアベシ!ひでぶ!コンビを見ていたら、ついには甚だしい了見違いへと結び付いているほどの彼らの酷さは明らかなのだが、
この不見識、不勉強度合というものは、他の少なからぬ政治家や専門家に対してさえも言えるようで。
ただ、専門家のほうは昔から、「専門バカ」とも称えられてきたしwある面で偏った、または特異な脳みそだからこそ、その道ひとすじに進まざるを得なかったと言えそうな事例も少なくないのだろうw
全ての段取りを逐一、自分でやるしかない、しがない庶民層は、ナリワイや野暮用に追われ、高い見識を磨く余裕も時間も乏しいのだから、何らかの方法で特別に選ばれた者に、皆で出し合った高報酬を与えて託すのだけれど、
結局は、見識の低い者が選び出す者は、やはり、レベルが低い、という哀しさエンドレス。
ところで、
『明治維新』前後あたりの時代だったか、私は未読なので、詳しく知らないが、ある白人女性が残した有名な旅行記が ある。
当時の日本へ訪れ、各地を旅行するにあたり、雑用一切その他を頼むための一人の若者を雇っていたそうで、その若者のことを忌憚なく評している くだりが あるらしい。
この日本人青年が、外見は甚だしく愚鈍なように見えながら、なかなか どうして、抜け目なく、チャンスと思えば変わり身早く、堂々とピンハネも辞さずw狡猾でさえある性格のことがズバリ指摘されているそうな。
そして、
外国人とくに白人に対して屈折しているのか、底意地悪い面もあるが、それでいて、要所要所で こまかく気が回り、意外と親切でもあり、見かけによらず、仕事そのものは誠実に こなし、優秀だったそうな。
ただただ、うちら「お人よし」だから~と、のんきにウヌボレて、智恵もなければ理念も哲学もない、まぬけなだけの今どき日本国民は、実のところは相変わらず、「クリーンさ」よりも、と言うか、クリーンさなんて信じられないゆえにか、むしろ、恋しき田沼の「濁り」こそを好み、不道徳だろうが悪辣だろうが何だろうが、
公正や正義などよりも、横車を押す「インドラ」みたく、まずは強力であることを評価する。ここだけは、昔ながらに保ち続けた本音の国民性なのだろうか。
トイレ掃除じゃあるまいしw材質が根こそぎ台無しになってしまおうとも、ひたすら強力に効くー!ことだけを望んでいるかのようだww
自然界の「不条理」「理不尽」と闘っては倒れ伏し、起き上がっては闘い、また倒れる、それを歴史としてきた「人間たる」の本来やむことなく、飽くなき希求からドンドン遠ざかり、
そして、
手の施しようもなくなった「カオス」の濁りを眺めて、力なく立ちつくすだけ←いまココ。
実際、現政権で、甘い甘い汁を堪能してきた特定層・既得権層は勿論、これから、遅ればせの自分だって多少は、と期待して支持してきた「コア支持層」は いて、それがホンの何割かに過ぎない。
これ以外は、変化を恐がってビビる者、いまどきは若者層にこそ多いようで、溜息が出るなあ(苦笑)
しかし まあ、若い者こそは、意外と、やみくもに恐れる側面が大きいものだったりする。何ら得てもいないうちから、失うであろうと、先走って恐れていたりするもんだ。
過去エントリーの どこかで触れたけれど、私の周辺でも、「どうせ」とか「言ってもムダ」とかハナから諦め口調で言う若い人も いる。
何か事情とかハンデとか背負っているわけでもないのに、若いうちから何を そんなに恐れているのかなあと思ったけど。
哲学なき、骨なき、小粒揃いに磨いた良い子ちゃんを量産する、長年の培養教育の成果かね。
歴史的に見ても、日常生活の道具、制度、思想、何もかも、ほぼ全てが借りもの、ほんとうのオリジナル性を持たないような国民。
「日本人」というものは、「単一」どころか、いわゆる「民族」でさえ なく、
ご存じ『縄文系・弥生系』、この列島に広く居住していた先住民、
前『天皇』さんも認めておられたように『朝鮮』民族由来の血筋が入ってるどころか、もそもそも『皇室』自体からして、海の向こうの半島だか大陸から やって来て、先住者を どうこうしておいて居座ったのが発端という説もあり、
その渡来した朝鮮半島系民族はと言うと、もっと古い頃から、地続きだけに、中国大陸の人々との混血が頻繁だったらしい。
そのうえで、『アメリカ』ならぬ「人種・民族の坩堝」状態は、太古の日本列島において、すでに実現していたのだろう。
四方を海に隔てられているからこそ、あちこちから、この列島の上に、様々なものが集まり集められ、それは、あまりに遠い昔なので、ふだんは、われわれ自身も忘れているけれど。
ならば、
アメリカの「坩堝」は、イノベーション的発生を多く産み出してきているのに、その先駆者も先駆者であるはずの大先輩たる日本人は、なぜ、、、と思ったりもするんだけど、なんせ遠い遠~い、遠すぎる昔だからなんでしょうかね。
そして、
「古い家」ほど、女の子ばかり生まれるようになり(それが基本だからw)、やがて、
子ども自体が生まれなくなって、途絶えていく。自然の摂理である。
不自然なほど、ずっと一本で続いてきているように思えるのは、どこかで細工して、そう見せているだけ。
そして、
現代の日本は、そう見せている状態を今後も続けるために、なんとかして、どこか弄らねば ならぬと侃々諤々喧々囂々。
『沖縄』については、近い歴史上、もとは他国だったことがハッキリ分かるが、いまでは、沖縄県民として、日本人のうちに入ってる。でも、同じ「民族」とかではないよね。そういうことだ。
単一でも民族でもない、
「日本人」とは、「そういうことにしておく」というカタチ、言わば、お約束の名称。
義務教育レベルにも届かないような麻生さんらの知識・教養のなさは、いまさら どーでもいいし、やめられない症状みたいだから、勝手に失言たれ流してなさい、てなもんだが、
国民の顔に泥を塗るごとき軽率・軽薄発言の かずかずには、まじでムカついてきたけれど、一言だけ再び。
いいかげんに引退しなはれ、老害。
それだけよ。
大卒アタリマエ、院卒めずらしくない、これだけ高学歴社会となりながら、相変わらずの低知性に現れている、その自覚もない。
悪しき「要領の良さ」だけ、こじんまりと回ってる。
ウヌボレ屋は、失敗する。それも、
一番大事な、肝心なところで大失敗する。
その大失敗は、次代へ、そのまた次代へ、連綿と影響していく。