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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2020.01.12 (Sun)

「忘れっぽい一般大衆」なんて、国のオエライやエリートが「記憶にございませーん」と、ひらきなおって見せるのとは違う、
ほんとうの単純な忘れっぽさなんだけど。。。

 

ところで、イラン。
自分とこの首都である『テヘラン』で出発して間もなく墜落した民間航空機が「誤射された」って、そんなバカな、と思い、「同機の技術的トラブルが原因」って発表は、もしかして、自分とこの血気盛んな軍が未熟ゆえに誤って撃墜したことを、「技術的トラブル」だったと言い逃れしてるんじゃあるまいな?と思ってたら、やっぱり、イラン側は主張を撤回したと。
イラン軍の「人的ミス」であり、故意でないことを強調したと。
なに眠たいこと言ってんだか。

軍隊ともあろう組織でだ、上官の指令も仰がずにブッ放した?

あほらしくも、とりあえず謝罪の意を表明するのはアッタリマエなのだが、虚しく、無意味にして えげつないだけの殺戮を引き起こした張本人は、今回、イランのみならず、トランプその人でもある。それを忘れるな。

 

私は、『共和党』のなかからトランプさんに反旗を翻す人が、今後、もっと出るのでは ないかと思うし、
ずっと前から言ってるように、「弾劾」も、なお、大いに ありうると思っている。たとえ、なんとか二期目に入ってからでも。

 

そもそも、「自分とこファースト」なんて、時代錯誤なのよ!!

 

それにしても、「ウクライナ」や「ボーイング」絡みだ。
何かと因果な話だなあ。

 

さて、

いま、また大騒ぎになってる「ゴーン事件」の発端は どこにあったのかという、そもそもを思い起こすと、

『ルノー』持ち株の比率についての、フランス政府の明らかな意向、そこに対するゴーンさん自身の姿勢の変遷に、西川さんとかいう前社長ら、経営上層の不審の念が あったとか報じられてたでしょ。

それだから、

ゴーンさん自身の、積み重ねてきた(かつ、経営陣も見逃してきた)公私混同ぶりを、ここぞ槍玉にあげて駆け込み訴えされちゃった、
みたいな経緯。

それを考えると、これまた「どっちも どっちじゃ」と言いたくなるんだけれど。。。

 

スケールの大小差は非常に大きいけど、うちの親なんかも基本的に、ゴーンさんに近いところのある性格だったのでw
周囲も、なんとなく黙って見逃してしまってたのだろうなという感じも理解できないでは ない(苦笑)

ああいうタイプの人ってね、善悪とか良心とか誠実とかは、自己つごうの次の次くらいでしかないの。

「最高の大義」たるは、自己保身や自己利益の確保にある、それが信念になってるから、自己主張の勢いは、そりゃあ、異常なほど激しいよ。

どこぞの首相も そうだけどw
周囲の人間関係を大事にしているように見えるのも、あくまで自分を守るためだから。

 

それで、曲がりなりにも、ヤリ手ゆえ結果を出し、ある程度の欲望を達してきていたら、ますます自惚れるしね。

逆に、ほぼ全く達成できなかったなら、今度は それを、周囲や世のなかを逆恨みし、被害意識や自己憐憫の下地にするwなんせ、本人だけは、ものすごいマメに努力してきたつもりだからさ。
しょせん歪んだ努力なんだけども。

始末が悪いったら ありゃしない。

 

こういうのって、恐らく、精神医学や心理学的にも、一種の「異常性格」の範疇だろうということは、私は、とっくに気づいていた。

でも、一般的には、なかなか、気づけないものなのよ、そこそこ「ふつうの」人には。ましてや、立場が弱い者となると、なおさら。

 

『自己愛性人格障害』者なんかも、意外と、権力層に喰い込んでることが多いという指摘が あるよね。なるほど、これじゃあ、世のなか、いつまでも問題だらけで、腐敗の一途になってしまうのは当然だな。

 

 

とんずらした祖国『レバノン』で早速、使用している家屋敷とかも、『日産』の資産だというのなら、サッサと取りあげなさいよと思うんだけど、

過去から ずっと、彼の家族が関わる細部に至るまで甚だしい公私混同ぶりが横行していた、それでも、飽くまで一企業の社内の経営陣が許容していたのであれば、それは それで、その範囲内で済んでいたのだろうけれど。

 

ああいうタイプの人が、「エア報酬」だからとアレコレ言い訳していても、いずれ、「エア」でなくする腹であったろうことは、誰が見ても察するところだしwただで済まないタイプだもんね、あの手合いはww

 

 

最初に、この騒ぎが発覚したおり、私も、当ブログ過去エントリーにて、実家の父親が経理専門だったし、「経営コンサルタント」でもあったことで、子ども時分から機会あるたびに、中小企業クラスとは言えど、経営の内幕を耳に挟むことは何度も あったという事例を挙げて述べておいた。

企業規模に関係ないんだよね、このテの公私混同って。

 

わが国の首長やエリートらだって、サンザンやらかしてるでしょw

見逃してきた国民側のレベルも、根本の問題に ならないはずが ないんだ。

 

もっとも、直接の経営陣と根本が違うのは、

野党やマスコミなどがシッカリ報じないと、無知のままで放っておかれるのが、「主権者」とは名ばかりの一般国民・庶民のカナシイところ。

この層は概ね何事も、深い経緯や事情に、もちろん疎い。

だから忘れっぽいうえ、関心も意識もドンドン薄れがち。

そこも、どうやって啓発し続けていくのかという問題が昔から大きい。

 

 

それから、

『ドコモ』代理店の社員が、来店した顧客についての事情を、甚だ軽率にも、上っ面の想像だけで決めつけて、このうえなくガラの悪い悪口を書いたメモを、なんたるヘマこいてか、当の客に渡してしまい、見られちゃったという、呆れかえる出来事の発覚。

仕事できねえ社員だのう()

もし、私だったらね、同じような憶測するにしても、「この顧客は、経済的余裕ありと思われる」とかナントカ、それくらいにしておくけどねw
それなら、当の客自身に見られちゃっても、そうまで気を悪くさせないで済んだろうに。

 

こういうことが、ためらいもなく、まかり通っていたのなら、すでに上から下まで、そういう気風の職場になってたと判断されても しかたない。

 

でさ、皆、憶えてないのかな?

ほんの数年前、ケータイの代理店あたりから「探偵」業者へ、個人情報が売り渡されてた事件が相次いでいたこと。

 

私自身もね、『産経』系サイトで旧ブログやってた頃、ある不快な出来事が起きたあとで、たちまちにして、なぜか、当時、使っていたケータイに、不審なメールがワンサと来て。

それも、当時のブログのエントリーで、私が述べた内容を匂わせるコトバを思わせぶりに並べてあった。

それで、結局は解約したものの、けっこうな費用を取られてしまった。

もう、頭にきて、
警察の「市民安全課」とかいう部署に通報したりしたけど、当時は、まだまだ、インターネット犯罪に関する対処法を、警察とても、ほとんど全く、手つかずのまま。

ただ、「個人情報」に繋がるようなことは、インターネットのなかで公開しないよう、極力、用心してください、と言われた。

すでに、例の「カルト連」という心当たりは あったので、
それを機に、ますます、連中に関する情報と証拠を集めにかかり、私の決心しだいで、どっちに転んでも、あの連中が窮地に陥るであろう目途を つけられる段階まで進めておいたということを、わりと近い過去エントリーでも言ってある。

おりよく、いわゆる「親告罪」とかでなくなったらしいしね。

なんせ、あの「カルト連」の一員は、まさに「探偵稼業」もやってると自己申告してたんだよw

 

ま、今回の『イラン』の「誤射」にせよ、『ドコモ』代理店のヘマにせよ、
こんにち、インターネット時代ならでは、逃げ切ることは できなかった、ということも言えそうだ。

 

 

ただ、先述した『ドコモ』代理店の今回のヘマ話を読んで、まあ、昔から、客商売には ありがちなのかもなと思った。と言うのは、

私が小学生のときに、『路傍の石』という、児童向け小説を、母親に勧められて読んだことが ある(『安寿と厨子王』または『山椒大夫』や、こちらは早々に忘却したw→『若きウェルテルの悩み』なんかも)

ひとたび手にしたら、何度も読み返す癖が あるせいもあってか、かなり傷んでしまった その本を いまでも、うちの本棚の奥に しまってある。

 

なぜ、ここで『路傍の石』を思い出したかというと、

関東圏の ある田舎町に住む主人公の吾一が、プライドばかり高い父親の繰り返す訴訟騒ぎのせいで、実家が傾き、貧乏になってしまい、担任が一目も二目も置く優等生なのに、進学の希望かなわず、逆に劣等生の幼なじみの親が経営する呉服屋へ、不本意を抱えつつ奉公させられる。

その一場面で、番頭さんだか丁稚の古株だかが、来店客を相手に調子よく、

「ご新造さま(=奥さま)、これくらいの色柄を お召しにならなくっちゃあ、あなた」とか何とか、

さんざオベンチャラを弄して、店の反物を売りつけようとする。

客も、その気になり、ベテラン店員は、吾一ら新米や下っ端の店員に、

「お召しのノジア~ン(を持ってこい)

と叫ぶ。

「お召し」とは、ここでは、和服用の生地の種類か何かを指すらしく、「ノジアン」というのは、「安の字」の意味、つまり安いやつを指すらしい。

 

そして、何も知らない客が帰ったあと、

「へっ、どうも、今の客は色キチで~」とか何とか、
ペロッと舌を出して、悪口を言いまくるってわけ。

このエピソードは、作者の実体験なのだそうな。

 

仕事中、街の通りで偶然に出会い、二言三言かわして、行方不明の父を探しに、東京へ向かうと打ち明けた吾一に、

「じゃあ、吾一ちゃん、達者でねえ」

大きな重い荷を、小さな背中に背負って、まともに前方を見ることもできない、これも、どこかの店へ、きつい奉公に出されている、吾一の幼なじみの一人は、顔を下に向けたまま、そう言って、またソロソロよろよろと歩きだす。

 

 

この『路傍の石』についても、だいぶ前の過去エントリーか旧ブログだかで述べたことが あったけれど、

いつ思い出しても、明治の昔の子どもたちの喜怒哀楽その切なさと共に、あらためて、社会の「経済的格差」の問題と理不尽を考えさせられる、不朽の名作の一つです。

学校の社会教育の一環として取りあげるのも良い題材と思う。

 

しかし、最近になって知ったには、この作品が発表された当時の官憲の検閲によって、作者は断筆へ向かわされたそうな。
なんだってんだ、まったくemoji

 

 

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