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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2020.02.03 (Mon)

大阪憎し!在日韓国・朝鮮人憎し!のイメージ濃厚な『産経』シンブンwが、またまた大阪の悪口を、多数雇ってるらしい在日の記者さん使って書いとるのかと思って覗いてみた記事が ありましたがww

「がーん」と同じくでw「冷コ」は死語?という話題だった。

 

うちのブログでも、新年の二日に、「冷コ」のことをホンの少し話題にしたエントリー『「幻想小説」』をアップしたけど、

そうね、「昔ながらの喫茶店」というやつが減ってるという実感は あるな。

 

落ち着いた雰囲気、椅子も ゆったり、食事系も美味しい、そんな喫茶店、私は今でも好きですわ。しっかり分煙されてたら、もう上出来。

大阪の喫茶店名物とも言えよう「ミックス ジュース」「ミックス サンド」また「スパゲッティ ナポリタン」にせよ、どこか家庭的な温もりが ありつつ、やっぱりプロの味で、ほんとうに、いつも美味しいね。

 

喫茶店って、私の若い頃、たしかに、会社の「会議室」代わりに利用したり、場合によっては面接のときに使ったりもしたもんです。
なかには、個室を備えている老舗も あるそうな。

近場で、マスターと馴染みだったら、いや、そうでなくても、かなり長居していても、大らかに「放置」してくれたりね。

もっとも、学生街の、とかじゃなく、貧乏学生でもなければ、客のほうも、ある程度の時間が経過したら、自分から追加のメニューを頼んだりするけど。

 

 

これは もう、だいぶ前のことになったけど、過去エントリーにも書いたか、『難波』駅前から『心斎橋』へ続くエリアに あった『平野屋』さんが なくなってたのは、まじでショックだった。
あの、すばらしい「コーヒー ババロア」は、もう食べられないの?emoji
と、泣きたくなったくらい(苦笑)

あとには、何やら いまどきのチェーン システムの食べ物屋が開店していて、風情も何も なくなり、腹立たしくさえ あった。

 

『平野屋』は、若い頃、映画鑑賞や買い物帰りなんかで通りかかったら、母親あるいは友人と、時々利用してたんだけど、ここって、どこか独特の内装と雰囲気で、そうとう古い喫茶店だったようで、うちの母親が娘時代にも、友人たちと、よく入ったと言ってた。

 

 

むかしの同僚の男の子が、学生時代に、友人たちと行きつけの喫茶店へ入るたび、テーブルに備え付けの、お店オリジナルの灰皿なんかを、皆で、制服のポケットなどに隠して盗みまくり、しまいには出禁になったと言ってた、真面目なんだか不良なんだか判然としなかった あの美青年、いまではスッカリおっさんになってるだろう、どうしてるやらw

 

 

父親違いの姉が幼稚園の頃、母親と別れ、自分の父親のもとへ去ってから、向こうの家で、すでに同棲を始めていたという内縁の後妻が嘆いたらしいんだけど、

自動販売機なんかのジュースを買って飲ませようとしたら、姉は、

「ちゃんと お店に入って、椅子に座ってからじゃないと、お行儀わるいもん!」

と言い張ったそうな()うちの母親が、さも自慢そうに言ってた定番話の一つ。

 

最近、「タピオカ」というものが大ブームになって、それと共に、ゴミ処理の問題が酷くなったと指摘されてるのは私も知っているけど、

ハイティーンくらいの頃、テレビが、都会か観光地での繁華な街の通りを映し出したとき、茶の間で一緒に眺めていた両親が、

「今どきの者は、憚りもせずに歩きながら飲み食いして、行儀の悪い」

と苦々しい顔で批判した。

親父なんかは、

「こういう風潮はな、戦後に乗り込んできたアメ公の影響なんだ」

と吐き捨てるように言っていた。

 

親父は、やっぱりテレビなんかで、リスが木の実を両手で持ち、ちょこんと座って食べている光景を見ると、たちまち相好を崩し、「行儀が良いな」と褒めちぎっていたw

蛙なども可愛いと思う理由は、「きちんと座って、行儀が良いから」だとさww

自分自身を振り返ってみろやと言いたいがwww

まあ、世間の おとうさん族に多いらしい、パンツいっちょうで、家のなかウロウロとか、おならコキまくったりとかは、ぜったいにしない人で、行儀そのものは、まあまあだったけど。
酒乱じゃねえ。一切が台無しだわねえemoji

 

 

むかし、うちの母親が子ども時分の同級生と、通院先でバッタリ会ったら、喫茶店の経営ってのは、「モーニング」やら いろいろサービスしてるけど、利益を出すのが大変なのよとボヤいてたそうだ。その人は、実家の お店を継いでたのだが、そろそろトシだし、病気になっちゃったから、たたむつもりとか言ってたらしい。

昨今は、うちの居住地域でも、最寄りの駅前などに、まだ何店か辛うじて残ってるけど、逆に、市の中心部の駅前に行くと、せっかく洒落た構えの洋菓子・喫茶の お店が、数年前に潰れてたし、私が幼い頃から何度か入ったことのある、ここいらでは老舗の喫茶店が、先日、なくなってたのを見て、ちょいショックだった。この数年で、目につくことが増えたよ。

 

 

さて、「冷コ」の話でした。

私も、二十歳ごろまでは、このコトバ、知らないままだった。

それって、たしかに、いわゆる「バブル時代」の頃では あったけれど。

しかしながら、わたしゃ、兼好法師の おっしゃった、「奥ゆかしい」部類の人間でしてなw

ほとんどの場合、「最先端」的な物事については全般、疎いことが多いんですわ。

むしろ、こういうふうにしたら良いのになあと、かねて思ってたら、数年も遅れて商品化されたものが世間で出回ってきたりとかいうことは あっても。

 

代表的なのは、パソコンを、家庭で使うため購入したのが、世間さまよりも10年は遅れ、インターネットのアレコレにも、ほぼ無知、「複アカ」だの「なんたらチャンネル」って、それは なんですか?状態。
それまでは、会社の仕事くらいでしか触ったことが なかったので。

だから、あの「カルト連」の悪行には、最初キョトンとしてて、事情が分かり始めた頃には唖然呆然だったわけ。

 

さてさて、

あれは、やっぱり二十歳の頃。

母親の知り合いが経営してた喫茶店でアルバイトしてたときに、初めて、お客さんの注文を取りに行って、

「冷コ」

と言われ、は?となったもんでした。

 

そう、あの頃、バリバリ若者だった私だって、「冷コ」の意味を知らなかった。

家では、そういう類の流行コトバは使わないし、聞いたことすらなかった。そういう実例も あるんですよ。

初めて耳にしたときは、業務用のコトバなのかなあ?という印象。

「冷コ」だけじゃない、たしか、「アイミティ」なんてのも あったかと。リスカじゃなくてw「レスカ」てのも。

もちろん、よりいっそう、はあ??ですわ。

 

私は聴障だから、まーた聞き間違えたかな()と思ったんだけど、
常連らしき お客さんが、

「ああ~、この子、意味を知らないんやぁ」

と、お連れさんに、苦笑しながら言って、私のほうに向きなおり、本来の正確な名称を説明してくれました。

 

ふしぎなことに、「ホット」というと、自動的にコーヒー(熱い)のことになるよね。

けっして、「ホットコ」や「ホッコ」でもない。
「冷コ」に対して「あつコ」にもならない()

 

 

『スタバ』や『マクド』『ミスド』といった所も、私は、これまで、十本の指で数えきれる回数しか入ったことないと思う。

最新式で、いわゆる「セルフ サービス」の店なんかだと、どちらかと言えば、いまだに慣れないもんだから、うかうか一人きりで入って、初めてだから、店内システムの説明を、店員さんが早口で言ってくれても、聞こえなくて何度も聞き返すハメになったことが あり、以来、連れが いないときは、あまり、足が向かない。なので、いまいち慣れないまま。

 

『スタバ』がブームらしいことは、なんとなく聞いていて、初めて入ったのは、これも、かれこれ20年前だったか。
叔母が亡くなった、あとの始末に、大阪から東京方面へ何度か出向き、やっとこさ、きょうで最後の日となり、叔母のパトロンだった おじさまが、前夜も、和食の お店で、松茸フルコースなどを奢ってくださったのに続き、

「いよいよ、これが最後ですから、どこかで休憩しましょうよ」

と おっしゃったので、私は、通りすがりの『スタバ』を見て、あっさり、ここにしますぅと言った。

入ってみたら、圧倒的に若い人で満員。やっと、二人で座れる席について、私は、ふうん、と、店内を見回していたら、おじさまは、私を見つめ、

「あなたの叔母さんは、こういう店には入りませんでしたよ」

と、哀しそうな顔して おっしゃるのよ。落ち着けなかったのね。

どうやら、最後の最後まで、「きちんとした」和食の お店あたりに入りたかったらしい。

それから、ほどなく、おじさまとも、今生の お別れとなりました。

 

ご病気のことは、いちおう知ってたけど、あんなに あっけなく亡くなられるとは予想してなかったので、成城の お屋敷に預けっぱなしになっている、有名画家の絵を返してもらう手立てが なくなってしまった。

離れの茶室などに過去から何度も空き巣が入ったらしいので、あの絵も、もう やられてるかもしれない。とほほ。。。

帰れ~、きみ、『馬上の恋人』、われのもとへ~♪

 

ま、こういうことが あるから、有名画家の作品が、杳として行方不明になったり、長い時を経て、とんだ所から発見されたりすることが あるんだなあと思う このごろ。

 

 

なつかしの喫茶店、「冷コ」…

罪のない話題の一つとして、しかも、期せずして社会情勢をも織り込みつつ、誰でも気軽に参加できて盛り上がりやすい話題ですね。

 

「喫茶店と言えば」の定番メニューに挙げられるうちの一つが、クリーム ソーダ。

ユーミンの歌に、『ドルフィン』という名の喫茶店いや、レストランだっけ、ソーダのことが出てくるよね。あ、ソーダ水だな。

…アイス クリーム、プリーズ!()

透明な緑色とバニラ アイスの黄みがかった白がキレイな取り合わせだなあと、子ども心に思ったもんでした。

まずはアイス クリームを一匙すくい、できるだけ濁さないようにソーダを飲み、しているうちに、どうしても、柔らかく淡いパステル グリーンに変化していく。貨物船が通っても、見えなくなるw

 

もうン十年前になったが、『小田急』から『江ノ電』と乗り継いで『鎌倉』に向かっているとき、ふと、『天気雨』の歌詞が浮かんできたのを憶えている。

ユーミンさんがデビューした頃って、私まだ子どもだったので、知らないまま20歳代になってから初めて聴いた。それまでは洋楽方面にドップリで、日本人の楽曲には殆ど関心が なかったので。

 

では、喫茶店にちなんだ懐メロを どうぞ。

松任谷由実『海を見ていた午後』

 

石川ひとみ『まちぶせ』
 

 

ガロ『学生街の喫茶店』

~あのときの歌は聞こえない。人の姿も変わったよ~

 

  

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