2020.02.03 (Mon)
なぜ、こんなことになったのかと、そこが知りたくて、『ペシャワール会』の中村医師が殺害された事件についての見出しをズラッと眺めてみると、いずれも、まさに「美談合戦」の様相を呈しているのが一目瞭然で、殆どの記事は、読む前からゲップが出そうで、スルーしていた私。
ただ一つ、外国の有名メディアが、
中村氏は、現地での利権争いに巻き込まれていたのでは ないかという報道を出していたので、その感想だけ、当方のエントリーで触れておいた。すなわち、やっぱり、ここでも、日本のメディアは踏み込む力がないのかと。
ところで、
うちのブログを やってる先の業者さんが、内部システムのトラブル発生だとかで、なんと、1週間以上にもわたるアクセス不能、エントリーアップも全然できないなか、このエントリーの下書きを書き始めた前日、
現地民の新生児に、故 中村医師にちなんだ名前を与えた親御さんが、インターネットでは大量の称賛を得たのとウラハラに、攻撃的なコトバや恫喝にも晒されて、襲撃の危険を恐れた大家さんに追い出されてしまい、引っ越しを余儀なくされたという記事を読んだばかりだった。
あそこらへんの人の特徴的な、アイラインを ひいたみたいにクッキリした目にして、やはり愛らしいばかりの あかちゃんが微笑む姿を覗かせてもらい、ほっこりした気持ちと同時に、なんとも複雑な心境になっていたところ、やっと、
こういう記事が、国内で、やっと!出た。
『週刊プレイボーイ』ですぜw
私は、よっぽどの「ウヨ」臭とか「煽り」傾向まる出し、という評価を下すに至って、時間のムダと見離していないかぎりは、基本的に、どこのメディアだからとか拘らず、あくまでも一つひとつの記事内容で判断するので、ここの記事も、過去から何度か読ませてもらってきたけど。
これは、特に考えさせられる良記事ですよ。
『「中村哲さんはなぜ狙われたのか?」アフガニスタンの武装解除をしてきた紛争解決請負人・伊勢﨑賢治が語る事件の背景』
1/28(火) 6:10配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200128-01105890-playboyz-pol
まさに、「ミギ」からも「ヒダリ」からも、それぞれに つごうよく誤解されバッシングされてきた私は、伊勢崎賢治氏のコラムも、過去から幾つか読ませてもらっていて、自分自身の考察における参考にしていた お一人なのだが、こういう識者に教われる学生は幸運だなと思う。
有名大学のセンセイでも、ほんとうに、なんだ こりゃと呆れるような軽薄短小が多いみたいなのだから。
さて置き、
今回の記事、まさに、現地・現場において、しかも、政治や国際間の駆け引きが有形無形に作用する位置からの事情を知らない一般国民・市民には、想像が及ばない面での問題点を幾つも指摘しておられて、
ことに日本国内の大手紙、メディア各社は、自分たちのオモネリ度合い、こうした事件が勃発すると、たちまち、判で押したような通り一遍で浅薄な「美談合戦」に走る ありようを大いに恥じるべきだ。
総じて国民のレベルが低いから、踏み込んだ話よりも、お涙ちょうだい的美談のほうがウケ、視聴者獲得度が上がるからと、そういう姑息な理由に逃げるなよ。
さて、
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政治からの「中立性」、少なくともそれを装うことは、NGOにとって保安上の鉄則のはず~
伊勢崎氏が指摘しておられることは、
つまり、これまでの日本政府が、タテマエとは言えど、まがりなりにしても大前提としてきたはずの「平和・友好的外交」の姿勢と同じだ。
これ、すなわち、最大の「防衛」戦略でも あったから。
外部の者には理解しかねる現地での複雑に入り組んだ事情で、いっそのこと、こうも言えるという、最も安全な「丸腰」というものは、国家という最高レベルにおいても同様で、そのような国を攻撃する側の国こそが、全世界からバッシングと制圧を受けるはずなのだ。
~
アフリカのシエラレオネでの国際NGO時代に、経験豊富なインド人の先輩同僚にキツく言われたのは、「活動国が政情不安になったら、外国人スタッフが退避し、事業を現地スタッフだけの遠隔操作モードに切り替えるのは、保身のためではない。
そういうときほど外国人は高価値ターゲット(High-Value Target)になり、現地スタッフと関係住民を巻き添えにする。結果、事業存続も危ぶまれる。決してヒーローになってはいけない(Don't be a Hero)」
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(記事抜粋にあたり、部分的修正および強調は、当ブログ主による)
ところが、最近、近づいてくる次期大統領選にあたって、いろいろ焦りと思惑あるトランプさんが、イランの司令官を殺害したことに絡み、アメリカに協力している国々、米軍基地を置いている国にも、と、
まさに、当の われわれ日本人までがゾッとするような宣言をブチあげたでは ないか。
「持続可能性」の確保とは。
環境問題についても、すべての立場側に対して言えることだ。
“JICA”と言えば、近頃、当ブログでも、このエントリーで取りあげた。
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長年、活動資金を寄付で賄ってきたペシャワール会も、最近はJICA(国際協力機構)の公的資金の援助を受け入れていたと聞きます。
公的資金が入っている以上、日本政府としては、中村さんを「邦人保護」しなければならなくなります。僕の時代もそうでしたが、現場の日本大使館には、そんなことできません。保護はおろか、大使館を一歩出るのにも東京の本省にギャーギャー言われるのですから。
だからアフガニスタン当局に対して、名誉市民にもなったことですし「中村さんに警護をつけるように」と要請しても不思議ではありません。ふたつの政府の事情の板挟みになり、中村さんは従来のスタイルを変えざるをえなかったのかもしれません。
いずれにせよ、中村さんの死を悼(いた)み、その遺志を引き継ぐのは大切ですが、それを「命を賭してアフガニスタンに尽くした日本人」という美談で終わらせるのではなく、なぜ殉職を防げなかったのかをしっかりと考える必要がある。後に続く人たちのために。
そうじゃないと、人道援助がまるで「特攻隊」のようなものになってしまいます。
悼みつつも、中村さんの殉職を教訓にしなければならないのです。
~
(記事抜粋にあたり、部分的強調は、当ブログ主による)
こちらの政府も省庁側も、現地や現場の事情を熟知している人の意見を真っ先に よく聞くべきだ。
しかし、ひとたび何か勃発して、「邦人保護」に手抜かりが あったのでは ないか等と責められるのを恐れ、それこそ「保身でギャーギャー」、
現実に ままあるだろう。
そこで、ここぞマスコミの踏み込み力を発揮してもらいたいものなのだが、
「だめだコリャ」!だもんなあ、政治屋やヒラメ官僚と同じく、
思い上がったエリート意識だけが肥大した、この国の「御用メディア」と「サラリーマン記者」。
一般人並みに無知でも表面だけは撫でておく、それで仕事は足れりの、要領だけ優等生ちゃんにはムリな要請なんだろうか。
そして、ここでも、「邦人保護」のタテマエが押してきて、
いわゆる「自己責任」論が顔を出すことになる。