2020.02.13 (Thu)
謙虚さを失った日本人なんて、最も似合わぬ姿だ。
トントン上手く行ってると、どうしても、うぬぼれ心が頭を もたげてくる。
ますます上手く行ってると、ますます、うぬぼれる。
うぬぼれてウヌボレて、うぬぼれ沼にドップリ浸かってる人は、やがて、大失敗する日が来る。
それで「自業自得」、ということで終わってくれりゃあ、話は単純、スッキリ明快でいいんだけれど。
往々にして、罪なき者や立場の弱い者を巻き添えにしてしまい、そこに全てを押しつけたままトンズラすることも多々あるから、未来永劫、深い恨みを買うことになるのだよ。人間の歴史の最も重大な面だ。
『韓国映画「パラサイト」、作品賞など4冠 アカデミー賞』
2/10(月) 11:19配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200210-00000007-asahi-movi
まあ、日本からインタビューしに行って、せっかくだから、日本に絡めた質問をと思うのも理解できるよ。
で、『カズ・ヒロ(辻 一弘)』さんというかたが おっしゃったことは、私にも かなり共感できるような気は した。と言うのも、
以前も述べたように、私自身、国外に出たいという気持ちを、10代の頃から持っていたから。
やはり、人間関係の問題は大きくて、私なんかは、まず、親からして厭だったしw
言ってしまえば、
日本の社会全体の雰囲気とか、日本人の気質や国民性みたいなところにも、少なからぬ違和感が、ずっと あった。
逆に、
周囲の人たちにしてみれば、私に対して、それこそ違和感を持っていたことだろうけれど。
社会人になって、職場に入ったら、ますます違和感。
障碍者としても、生きづらいなあという実感は拭えないままだし。なまじ、「中途半端」だからかもだけど。
なんせ、障害者どうしでも「ムラ」つくってるしまつだもんw
とは言えど、
日本以外の、どの国でも、似たり寄ったりな面は多かれ少なかれ あるだろう。そのへんは、アメリカ人と結婚し、向こうで長年、在住している人の日常の話を聞いても分かることだった。
しょせん、同じ人間なのだからね、良くも悪くも。
それに、
アメリカやフランスに留学したりで長期間を過ごした日本人が、ついにはノイローゼになって帰ってきたという事例は、昔から多いらしい。
ある有名なパフォーマーの女性も、同じような情況で、アメリカから日本へ帰国した経緯を、どこかのインタビューで答えていたのを、旧ブログか過去エントリーにて紹介したことを憶えているけど、
その彼女の話によると、とにかく、自己主張とか自己アピールが猛烈に凄いんだってさ、向こうの人たちは。10代の若い女の子でも。
気圧されるんだろうなあ。
ごく若い人でも、たとえ表面だけであっても、とにかく、おとなっぽい。
しかも、表現力が豊かだわね。
アジアのなかでも、お隣の中国や、日本人と共通したところのある気質の朝鮮半島の人々と比べてさえも、日本人は突出して地味だし。
一言で言うと、まさに「ひらたい」w
映画の俳優さんとか見てても、比べると一目瞭然なくらい、殆どの日本人は、どうにも「小粒」感が あるんだよね。これ、先月のエントリー『幻想小説』でも少し触れた。
『カズ・ヒロ』さんというかたは、日本人としての姓をも捨てたらしいと窺えるようなのだが、出生届を怠った親を持つ私は、この点も共感してしまうところ。子ども時分から ずっと、親の姓を捨て去りたくて たまらなかったものだ。
日本独特のと評される戸籍制度も、要するに、あくまで役所が、市民を管理し易いからだそうな。
だから、役所のミスで誤字のままでも、変更を認めたがらないし、ましてや、本人の意向のみで姓名変更なんて、まず絶対に認めない。
公教育の場でも、敢えて「小粒」揃いに育ててるというのか、
そのほうが、親でも先生でもオカミでも、扱い易い、管理・支配し易いからだろうけど。
その おかげか、
大多数の日本人は、いかにも「優等生」と言うか「良い子ちゃん」の雰囲気で、ほんとうに、お勉強が、そこそこ、できる(だけの)小学生か中学生みたいw
この傾向は、近年、ますます深まっている感じが ある。
いつ頃からか、「おこちゃま文化」と言われるようになって久しいようだし、実際、子どもっぽいの好きだよねw
大昔の日本人は、「渋好み」だったと思うんだけどなあ。。。
芸術作品でも工芸品の類でも、洗練されたものが あったと思うんだが。
現代は、たとえば、「皇室」の若い世代の女性たちを見ても、何だかオバサンみたいな、ダサくて退屈なカッコさせられてるよね。判で押したみたいに画一的な。
まあ、あくまでも公的な場ではということなんだろうか、「オーソドックス」第一にのつもりなんだろうけど。
おカネだけは、庶民からしたら、目の玉とび出るほど、かかってるんだろうけどさ。
ほんとうに、年々、センス悪くなってる感じ。
うちの母親は、日本でオリンピックやるというと、
「これまた、いつもの、赤いブレザーwよっぽど好きやねんなww」
と笑ってた。
今夏に予定のオリンピック(&パラリンピック)で用いられるユニフォームも、一見しただけで、
「うわ、これまたダサい」
と思った。誰がデザインしたのか知らんけど。。。選んだ者が悪いわな。
だいたい、すったもんだの末のエンブレムも、みょうに細かくてダサいなと思ってた。色もジミ~だし。
極めつけは、あの、日傘として考案されたやつ
(ええ、そう、『笠地蔵』みたいなやつねw外国人から「クレイジ~!!」と呆れられてたやつよww)
も思い出して、心底、げんなりした。
あれを初めて見たとき、一瞬、目の前が暗くなったわwww
はずかちい~~~
日本の恥~~~
お~んお~~ん
…
腹立ってきた。
先に挙げた記事の話題に戻る。
ただね、
『カズ・ヒロ』さんの回答を読んでみると、「日本人」であること、「日本国籍」というものが、逆に、たいへん重く感じておられたゆえにこそ、ということかなと思えた。
その意味では、
ほら、例の『表現の不自由展・その後』で、たとえば、「昭和天皇の写真を燃したー!!」って、(ネト)ウヨらがギャーギャーギャースカ大騒ぎしてたでしょ。
あの作品の作者さんの意図と共通したものが あるように思う。
彼も、アメリカでだったか、日本人ならではの自分の内面性に苦悩して、みたいな解説されてたと憶えている。
その点で、「日本人離れしている」(?w)私は、そういうことに悩む感覚とかが非常に希薄と言うか、まず、ないに等しい。なので、激昂してみせる(ネト)ウヨらの感覚に対しても、もちろん、冷たい感想しか湧かないのだけど、
同時に、あの作品自体に対しても、「ふうーん」くらいにしか思えなかったわけ。
まあ、実際に、自国を遠く離れてみれば、ずっと国内に居る者には想像も つかない面が あるのだろうなとも思う。
家庭事情や病気などにより、私個人的に、社会情勢全般、特に政治分野の話題から遠ざかって久しい時期が あったんだけれども、
ふと見たら、なんかヘンだなあと思っちゃうような雰囲気が濃厚になっていて、それは、たとえばテレビなんかで、「日本を自画自賛」みたいな番組が花盛りであるといったことも その一つ、
私の若い頃は、『ここがヘンだよ日本人』とかっていう番組を見て、家族皆、大笑いしてたもんだがな。
当時は人気あったと思うよ、あの番組。
ま、『「日本すごい」教』とやらいうのを布教したのは、ほれ、例の『日本会議』と、そのシンパあたりでしょ(嗤)
『自民党』と安倍政権の面々と取り巻き連と『日本会議』さん江、
贈るコトバ。
「恥ずかしからずや?道を説く者」