2020.02.24 (Mon)
「北欧のエリンガ」
と言うべきじゃないかなぁ?とは思うんだけれど、
「エリンガ」自体、いまだに、あまり知られていないようだから、しかたないみたい?
ハマースホイだって、日本では、わりと最近だもんね、一般にも知られるようになったのは。
『ハマスホイはなぜ室内画を描いたのか? 19世紀デンマークの時代背景から読み解く』 2/22(土) 7:54配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200222-00000002-btecho-cul
私自身、エリンガのほうを、ずっと先に知っていたんだけど、
大好きな画家や、その作品は数多あるなかで、
エリンガの、この『読書する婦人』という室内画については、単なる好みを超えた、別格の感覚が、どうしても湧いてくる。
と言うのは、
この絵を知る少し前に、予知夢で出会っていたから。
「予知夢」だなんて、ふだんは、およそオカルトだのスピリチュアルだのを嬉しがる手合いを、隠すことなく軽侮してしまう傾向を自認している私に似つかわしくないはずだろうが、
実際に、時おり、「予知」とでも言うしかない現象が、わが身に起きるんだから、しょうがない。
まだまだ、人類には未知の領域が あるんだわなあ、ってとこで受け入れざるを得ない。
ただし、
絵に関する「予知夢」を見るときは独特。
作品としての絵そのものの形で見るのでは なくて、絵のなかの風景なり光景なりに、私自身が入り込んでいて、まさに現実の世界として、そこを歩いたり眺めたりしている、そういう状態で見る。
なので、
「予知夢」のなかで入り込んでいた絵を、ふつうに「作品」としての形状で、あらためて見るたびに、なんとも表現しにくい感慨が湧くわけ。
あのとき味わった空気、光、音、
それらが、まざまざと よみがえってきて、一種、懐かしいような感覚さえ覚える。
こういう感じの予知夢を見る人は、私の他にもいるんじゃないかしら。
ま、
この話は、すでに、旧ブログか過去エントリーで、わりと詳しく述べたことが あるから、再び長々と述べなおす気には なれない。このへんで。
Elinga(Dutch,1623-ca.1682)Woman Reading
Hammershøi(Danish,1864-1916)Woman Reading in the Sunlight, Strandgade 30(1900)