2018.02.09 (Fri)
このエントリーも、さっきアップしたエントリーよりも先に書きあげてあったものです。
これも また、関連性のある記事が出ているのを見かけて、部分加筆し、ここにアップします。
さて、
先日の大寒波の日、
自宅を出発して間もなく、通りかかった路上にて、ひときわ猛烈な冷風が吹きつけてきた。
すると、
そこに、この季節になると、よく見かける「鶺鴒」らしき小鳥が、今しも私が自転車で近づいているにも かかわらず、一ヵ所に留まったまま身動きもせず、まさにフリーズ状態になっておった。
ふつうは、警戒心の つよい小鳥ともなると、人が近寄る前に、バタバタ飛びすさるはずのところだが、
「ははあ、この冷たい一陣の強風で、私の自転車ごと横倒しに なりかねないほどだもの、セキレイちゃんも、羽を広げることも叶わず、小さな嘴を固く閉じたまま、吹き飛ばされていってしまわないよう、思わず、か細い脚を、うんと踏ん張っているんだね」
と察して、
「あら~、だいじょうぶ?」と、見おろし、小さな からだに、こちらの車輪を ぶつけないように注意しながら、くだんの、かたまったままの鶺鴒のギリギリ横を通り抜けた。
そこから少し離れた所にも、もう一羽の鶺鴒が居て、これは、私を避けるように、ちょいとだけ後ずさっていたけれど、
それでも、心配そうに小首を傾げながら、さっきの鶺鴒のほうを見つめていたのを見るに、この2羽はツガイなのかなあと思いつつ、
「自分の何倍何十倍もの大きなヒトが自転車で迫って来て、すぐ横を通り過ぎるとき、さぞ怖かったろう」
と思いつつ、ペダルを漕ぎ続けた。
この日は、やけに、鳥たちが集まっているのを見かけて、
鳩の一団のなかに一羽だけ混じった鶺鴒も居た。
「きょうは また、えらい風やんか」
「ご飯が飛んで行ってしまうわ~」
と、
びびりながら会話しているような風情だった(笑)
『雨と小鳥』
ちなみに(?)
うちの母親の腕には、生まれつき、蝙蝠の羽を思わせる形の小さなアザが あってねw
本人、それに愛着を感じていたのか、あたかも、自分のシンボルのように思ってたらしくて、
ある日、どこやらの店で見つけたわ、と言って、
蝙蝠の姿を形どった、その羽の上に、真珠を一粒あしらってある、銀の小ぶりなピン ブローチを購入してきて。
そのブローチは、母親の形見の一つとして、私の自宅で眠っている。
なぜか、「堕天使」のほうが美しく描かれてる。。。
「神」のほうが俗物そのものな容貌、醜いほどの冷たさを感じさせるのは、どうしたことか。
『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』に描かれた、墜落する美しいルシファー。【ウィキペディア】
2017.07.29 (Sat)
『制服のスカート短くさせない!「驚きの機能」学生服メーカー投入、カーブベルト…からのレインボーロック!』7/28(金) 7:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170727-00000008-withnews-sci
あら~、知らないうちに、学生服も、いろいろ進化してたんだぁ。考えてるねえ。
私らの時代は、ちょうど、端境期みたいなもんだったのだろうか、
スカート丈について言えば、中学時代から高校入学直後くらいまでは、不良っぽい女子は、そろって、ひきずりそうなほど長い丈にしてたわね。逆に、上着は短くして。
私も、そこまでは いかんかったけど、どっちかと言えば、スカート長めにしてたかな。わざわざ、裾を解いて、めいっぱい伸ばして。
でも、高校2年あたりからだったか?今度は、いきなり、超短いスカート丈にする子が増えてきてね。
やっぱり、腰のベルト部分を たくし上げたり、こっそりと、サスペンダーを使って(上着に隠れるので)調節してた。
まあ、私ら子どもの頃、そもそもがスカートっていえばミニスカート一辺倒世代だったからね。
私が通った小学校は、制服が なく(新設されたばかりの小学校で、PTA役員を長いことやってた うちの母親が、後年になって言ってたには、
保護者たちのあいだでも、「制服あるほうが、親としてはラク」という主張と、制服反対派と真っ二つに分かれたそうなんだけど、「小学生のうちは、やたら活発に動き回るし、制服だと、かえって不潔・不衛生にもなりやすい、それに、もっさりした制服を押しつけては、子どもの美的センス育成を妨げる」とか反論して、うちの母らの主張を通したらしい。)
6年間は私服だったから、卒業して、中学に進学して、初めて、制服になったんだけど、最初の頃は、それまで、ほぼ経験したことが なかった丈のスカートを持て余したものだったよ。
いまでも憶えてる。
下校前の掃除の時間になり、スカートの長さに、あらためて動きにくさを感じて辟易したこと。
でも、じきに慣れたわな。
男の子たちの坊主頭と、詰襟のほうが、もっと気の毒だった。
こう見えて(?)私は、ご近所でも評判の「制服美人」だったのじゃよw
特に夏季は、ピンタックが施された真っ白なブラウスに、細い紺色リボンを結ぶんだけど、なにしろ、あの頃の私は、それは それは、絵に描いたような清楚な少女だったからー!!wふふふww
高校生になってからは、スカート丈とかイジッたり、学生鞄をペッチャンコに加工とか、やってた やってた~私もwへへへww
振り返れば、けっこう?ナンパな女子高生であったw
あの頃、リップクリームと口紅を兼ねた製品が出てきていて、
授業終了後のホームルーム直前に、唇にヌリヌリし、髪を整えておいて、脱兎のごとく下校しようと、ぺったんこ鞄を抱えて身構えていた私、担任の先生に、
「※△さん、口が赤いですよ」
と指摘され、
「先生、口が赤いのはアタリマエですっ」
なんて口答えしたりとか。
そいで、正門で見張り番の先生たちの目を避け、禁止されてる裏門から逃げ出したり。
だけど、
私が通った高校は、地元では知られた「由緒ある お嬢さま学校」だよんw
たばこ吸ってたのバレただけで、そっこー退学になるもん。あ、私のことじゃないよ、違う違うww
私は!中学で!!タバコは卒業しましたので!!!(爆)
しかし、あたくし、「没落した、貧乏家庭の お嬢さま」ですからねw実は、高校入学時に、苦しい家計を思って、学校指定の冬のコートを、値段が高いから、買わなくていいよ、と、親に遠慮したの。
それが やっぱり、真冬の寒さに勝てなくて、手持ちのトレンチ風コートを着て登校したら、先生たちに叱られてね。
そうかと思えば、
定期的、かつ抜き打ちでやる「風紀検査」において、私の制服プチ改造を見逃すことなく、すわ!教育的指導をば発揮せん!!とて かかろうとした うるさ型のベテラン女教師、
そこへ、かねてから私に注目していた倫理社会担当の青年教師(当時の私には、オッサンに見えてたけどw)が、「そんなことくらいで~」とか何とか横から割り込むみたいに言ってきたのには驚きました。「先生が先生に、けんか売ってるー!?!」と。
なんとも言えない雰囲気になってたなあ、あれは。。。
まあ、あの学校は、下着のことまでも、こまかく指定してきましたわ。
夏場の制服の白ブラウスには、下着の色柄が透けないように特に注意せよ!とかって、わざわざの お達し。
それを また、忠実に、他の生徒たちを見咎めては、熱心にクソ真面目に忠告して回るのよ、優等生の、裕福な家庭育ちの令嬢たちが。
だいたい、冬季の学生服の生地に よく使われた「サージ」っての?
あれ、着ていて、中途半端な生地よね。冬場は寒い、夏場は暑い。
でね、ある年の冬のこと、誰が始めたのやら、突如として、制服のサージのスカートの下に、体育の授業で着る紺ジャージのボトムを穿き込んで、校内を闊歩する女子の一群れが出現してさ。
このままでは、いずれ、そのスタイルで、校外にも憚ることなく進出するであろうと思われた勢力が伸び始めるや否や、先生たちが大騒ぎしだしてね、男性教師を中心に、悲鳴のような声が。
「これはヒドイ!」「色気のないこと甚だしい!」
「あんたたちには、美意識というものがカケラもないの!?」
「いくらなんでも、みっともない!!やめなさい!!!」
で、
あっと言う間に、禁止の お達しが出た。
だって、寒いんだもん。。。という生徒たちの声は無視された。
そのとき、親しくしていたクラスメートが、ボソッと言った。
「ああいう、色気というものが微塵もない かっこうに限っては、先生らは大目に見てくれるんやろと、なんとなく思ってたわ。けど、それも違うんやなあ。。。」
と。
私も、そのへんの意外さが伴っていたという友の呟きには共感した。
と言うのも、中学のときに、遠足か何かのおり、制服の上着と、下は体育用ジャージを履いて来いという命令で、皆、こんな組み合わせ、カッコ悪ぅ~って嘆いてたもん。年頃の子に、なんてカッコ強制するのかと、今でも腹たつよ。教師の横暴。
ン十年前の学生時代を、あれこれ思い出した。いや~、こういう話題は盛り上がるね~(笑)
でもさ、もしも、バック トゥ ザJKなら、
制服やら鞄をシコシコ加工してるヒマに、もう少し、勉学のほうを励んで おけば よかったな~、とも思う(苦笑)ババアの後悔ですわww
メロディが着てる、こういうふうな制服だったら↓文句なく良いけどね。
2017.04.16 (Sun)
花冷え、花曇りの先日、朝から やけに、和服姿の女性たちが通って行くなあと思ったら、入学式だったんだ。
うちの近辺の幼稚園でも、和服で威儀を正した、若い おかあさんたちが出入りしていて、それで気づいた。
いやあ、昨今、お正月でも、和服姿を見かけることが激減しているなか、若い娘さんらしい振り袖姿の華やかさとは異なるが、シックな訪問着(?)姿も、風情が あって、よろしいねえ。
そういえば、うちにも、私が まだ20代か30歳になったばかりの頃、
いらん、必要ない、学校時分に誂えた京友禅の着物で じゅうぶんだと言ってるのに、無理やりみたいに、母親が誂えさせた紋付の色無地(?たぶん)が あったのを思い出した。
母親の教室の生徒さんが呉服店経営だったこともあってか、あまりにも強硬に勧めてくるので、広げられた生地見本のなかから、せめて、自分の気に入った色でと、しかし、このさきの年齢をも考え、もはや、いかにも娘っぽい色柄は避けたつもりだった。
やがて、仕上がった着物が届けられ、それを手にした母は、
「今度の着物は紋付やから、これで、大概の あらたまった席にも だいじょうぶやし、将来、あんたの子どもの入学式にも着ていけるでえ♪」
と、満足しきりのようすだったが、
私は、「何を、気の早い」と、ほとんど呆れっぱなしで、
そのうちに、予想外の病気を した結果、子どもは できない身となり、
「なーにが、子どもの入学式や?!」
と、自他ともに笑い話のネタと化す顛末になってしまった。
たしかに、たとえば結婚式ならば、もとは母のものであった、金糸銀糸の刺繍で表現された鳳凰の柄の帯なんか合わせると、ちょうどいいのだろうか。
私は、和装全般に関する知識が薄いのだが、
無地と言うか、実際は、こまかい地模様で、綸子と呼ばれる生地なのだろうが、遠目には、まったくの無地に見えるから、色だけはと、グリーン系の爽やかながら華やかさもある色を選んだのだったが、なにせ、艶々している生地だけに、今 見ると、ずいぶん、若々しい色を選んだものだと思う。
爽やかな緑と言えば、まさに、その始まりの季節で、名残りとばかりに、またぞろ、桜の木々の下へ立ってみれば、もはや、歯が、もとい、葉桜になりつつあった数日前。
おりしも強く吹く風に身を まかせて散りかけた花びらの代わりのように、見るからに やわやわとした薄緑が、顔を出し始めている。
思わず、美味そうな葉っぱやなあと呟いた。
桜餅や桜湯というものが あるのだから、サラダにして食べてしまうわけには いかないだろうか、それにしても美味そうなのだ。
あでやかな花々に勝るとも劣らぬ輝きを見せるのが、この時期の緑だ。
春の荘厳の光は、生まれたての葉っぱを祝福しているのだ。
しかし、ワタシらの世代には、自分が子どもの頃と比べて、明らかに気候の変動が あるのを実感している人が少なくないだろうと思うが、
この列島は、ただでさえ短い春の季節も縮めて、そのうち、過酷な夏と冬だけにするつもりだろうか、と恨めしく思えてくる昨今。
いにしえ人が詠んだという「春過ぎて夏」云々どころか、
春やり過ごし、いきなり夏が来にけらし、という感じである。
さて、昨日の夕方、いきなり雨になってしまい、干しなおしておいた洗濯物を取り込むとするか。(記16日午後3時30分)
あすは また、雨風が荒れるという予報だ。
2017.04.11 (Tue)
人出の多い場所での花見は、たぶん最初で最後だった、母との花見のおりを思い出させる。
あのときは、有名な造幣局での観桜で、
「本来なら、一般の人が入れる場所じゃないけど、好意で見せてくれてるんやね」と言うと、母は、「そうそう」と応じた。
「桜の場合、遠目には、薄いピンクよりも、いっそ、思いきって濃いめのほうが綺麗に見えるやろ」とか言いつつ、向こうから歩いて来る家族連れの親に抱かれている幼い子どもが、退屈そうにウトウトしているのを見て苦笑しながら、
こんな自分自身も小学生頃までは、たとえばチューリップなんかのほうが よっぽど好きで、絵に描く時は必ずのように加えたし、
それに比べて、桜の良さなんか分かってなかったなあと思い起こしていた。
爛漫の桜花の下を そぞろ歩いていて、私は、どうやら、もともとは、山桜の系統で純白の花が好みなのだけれど、
よく目にする類の桜とは異なり、そこでは、『鬱金桜』または『御衣黄』とか名付けられていただろうか、少し緑がかったようなのやクリーム色の花びらの桜が、特に私の気に入った。
さて今年は、珍しく、同じ場所での花見が2回になった。
最初の日は、よく晴れて、うっすら汗ばむほどの温かさだったが、まだ七、八分咲き手前くらいだった。
2回目の昨日は、ちょうど満開だったものの、雨こそ降らないでいてくれたけれど、どんより曇って、肌寒い風が、かなり強く吹き、いささか震えながらの花見になった。
この両日に、このような花見客を見かけることは なかったが、
私は若い頃から、桜の下のドンチャン騒ぎが、好きになれない。
そもそも、お酒を飲みたおしては、見苦しく騒ぐ輩の気からして知れないのだが、
そんな人間どもに われ関せずという風情で、静かに並んで立ちつくし、静かに咲き、静かに散っていく花の下で、よりによって、なんとも無粋なことよ、と、反感すら もよおしてしまうのだ。
まあ、はかないものの前で、殊更に浮かれ騒ぐ人間の心情に対しても、理解できぬではないのだけれど。
過去のブログ エントリーでも述べたように、
私には、桜ならではの、むかしから浮かぶ想像の光景が ある。
それは、
人の足が踏み入ることのない深山の、そのまた奥で、ひとり咲き誇っている一本の桜の大木だ。
もとより、煩い人間どものために咲くわけでない。
人間には知りようもなく、そこに住む草木や獣たちだけが、再び経巡ってきたことを察する。
人知れず、誰に愛でられもしないことを、桜は、無関心に、ただ ひっそりと爛漫に咲いている。
そうして、やがて、音もなく静かに、はらはら はらはらと、とめどなく散らしていく。
2017.04.02 (Sun)
私は、睡眠中や、目が覚めたときに、あたまのなかで音楽が鳴り響いていることが時々ある。
いろんな音楽だ。
大オーケストラが奏でる壮麗な交響曲だったり、
ロック、ポップ ミュージック、
世界的に よく知られた有名曲もあるし、
聴いたこともない、怖くなるほど神秘的な曲だったことも ある。
こないだの起床時は、この曲が流れていた。
Simon & Garfunkel“Bridge Over Troubled Water”