2019.08.24 (Sat)
『【続・続】「料理嫌い」の言い分つれづれ』の続き。
ま、最後はボヤキで締めくくっちゃうけどw
料理という一連の行為には、買い物から始めて、最後の かたづけまでを含め得るわけで、
私自身も、あれこれ考えたすえに購入してきた食材の下処理、特に冬場の水で洗うのは、指先が痛くなるほど かじかむのが辛い。
極度の貧血だった頃は特に。
そういったことを抜きにできるなら、単純に、調理自体のみであるなら、それほどの時間を要せずに済む方法を とれば、苦にはならないようにすることも可能だけれど、
台所が狭いという状況も、料理に とりかかるのが おっくうになりがちな原因として、たしかに、無視できない大きな要因だと思う。
切っていった野菜などの置き場にも難儀するようではね。
だから、なおのこと、事前の段取りとシミュレーションを やっておかないとならないわけ。
「セルフ ネグレクト」すれすれの、うつのアタマで やれることじゃないよ(苦笑)
一人暮らしの場合、じゅうぶんに広い台所を持っている人は、日本では珍しいほうだろうし、
食材も余してしまいがちだろうし(私自身は、好き嫌い激しいながら、意地でも、食べ物を残しませんがね。あくまでも自分が食べることが可能だと、すでに知っている、分かっている食材についての努力だけど。飽きた余ったなどの理由で捨てることは、ほぼ全く、ない。)
とかく、スペースに余裕が全く なく、狭すぎるという、日本特有と言えそうな居住上の縛りは、家事全般についての不利さに繋がってくると実感する。
特に調理は、体力も気力もないと、どんどん、おっくうになってしまう。
生活費のなかでも、逼迫してくると、真っ先に削減してしまいがちなのも食費だし、
疲労しているときほど、むしろ、食事は大事なんだけれど、かえって、真っ先に なおざりにしてしまいがちになる。
そして、ますます、健康状態がダウンする。
かつて、実家を出て、一人暮らしを開始してからは、慢性の睡眠不足を堪えつつ、お弁当を拵えて出勤していたのだが、
普通は「こんなの あり得ねえわ!」と言われてしまいそうなほど、つましい食材を、これまた手抜きしまくりで。そんな程度のものでも、がまんしていた病気が進行するにつれ、不眠症も、いよいよ悪化していって、ずっと続けていくことは できなくなった。
1秒でも横になっていたい、そんな状態では、料理や弁当づくりどころじゃない。
暴力を振るい、無責任だった親のために、いっしょうけんめい尽くしたとて、自分は、親と同じように高齢になり、弱った状態に陥ったとしても、誰にも何も頼めやしない。
自分ら自身の親の老後の世話は知らん顔していた うちの親だが、
ほんと、いいほうに回れたよなあ。。。
「因果応報」って、なにがあー?と思っちゃう。
世のなか、
まずまずの家庭環境で育っていても、平気で他人を巻き込んだ理不尽な凶悪犯罪を しでかし、親きょうだいの人生までも破壊する子だって いるのに。
つくづく思うわよ。
障碍のために合わない職種の仕事を終えてから、心身ともに疲れきった からだを押し、
母親が亡くなったあとの親父のため、どうかすると「フラッシュバック」を起こしかねない嫌悪感を堪えて、買い物と、好きでもない料理づくりに、実家へ通った頃の日々を思い出すと、
もう一回、ああいう生活に戻れと命じられても、二度と できないわ~。カンベンしておくれやす。
おしまい。
2019.08.24 (Sat)
『【続】「料理嫌い」の言い分つれづれ』の続き。
ただ、
これまたフシギなことに、
私は、要領が悪いわりに、大きな失敗は殆ど したことが ないのだ。
少なくとも、
食べられないほどにマズイとか「げろマズ」級の失敗は ない。
調理に とりかかる前、ある程度、レシピ確認とともにシミュレーションしておく、それを怠ったり、うっかり忘れたりしていて、作業途中に、順序良く いかなかったりすると、思わず、
「バカ!バカ!あたしのバカ~!!」
と、自分で自分のアタマを どつきたくなるw
それでなくても、うちの台所は狭いので。段取りを考えてから始めないと、収拾つかなくなる恐れが高い。
ところが、
もたもた、チンタラやってるわりに、できあがったものは、それなりで、
味として、けっしてマズくは ないのよ。
ちゃんと切っておいたはずの人参が、ぶら~んと繋がっていて、苦笑まじりに叱られたことは あるけどww
むかし、ある年の大晦日、
椎茸を煮ているあいだ、台所の掃除を同時進行させようとしてウッカリと、椎茸の鍋に、埃を混入させてしまった。
これでは食べる気になれないが、量も あるし、
いまさら捨てるのも もったいないと考えあぐねたすえに、いったん全部の椎茸を取り出し、鍋のなかも洗い、あらためて煮なおした。
それを、「年越し蕎麦」や「おせち」の具にするため、実家へ運んだら、
舌が肥えて、味にヤカマシイ母親が一口、
「うん、美味しい!!」
と叫んだ。
思うに、二度にわたって煮含めたためだろうか。「ケガの功名」かな?
そのあと、
今度は親父が つまんでみて、口をモグモグさせつつ、何を言うやら、
「ナマか?」( ・◇・)?
と のたまったので、「さも美味そうにパクつきながら、『ナマか』は ないやろがー!!」
と、アタマに来たw
母親は、なぜか、ニヤニヤしておった。
このように、ふだんは、食べることと調理に熱意ある母親だったのだが、
世間のコメントにも圧倒的なように、「つくってもらうほうが断然おいしい、毎日の義務となったら、厭気が充満してくる」という本音に窺えるとおりなのか、
たしかに、私が つくったものは、ちょっとでも批判できる余地ありと思えば、チクチク言い、あるいは、
横から口出ししていた自分のアドバイスが的確だったから上手く行ったのだ!と恩に着せつつも、
とにかく、ふだんに増した大喰いと化し、バクバク食べまくっていたw
これらにつれて思い出すのは、
若い頃からオツムの軽い、ハデっちい、家で料理なんか一切やったこともなかった叔母が、家庭を持つといった切っ掛けで、あるいは、
お世話になった人のために拵える料理が、いざ、やってみたらば、それなりに美味い出来だった、ということの意外性だ。
あれほど、「食べる人」専門、料理づくりを厭う人だったのに。。。
典型的な「やれば できる」ってやつなのだろうか。
もっとも、うちの母親は、
「あいつは、お米とぐときも、やれ、マニキュアが傷むとか言って、しゃもじ使って とぎよるわ、横着者が」
と罵っていたけれど、
その妹である叔母が、あるとき、こう言った。
「あんたの おかあさん(=私の母親)は、子どもの時分から、料理担当だったの。掃除はメンドくさがって、やりたがらないから、それは、私が担当してた」
なるほど!
母方の実祖母は、乳飲み子を残したまま、若くして亡くなったということもあるし、
だから、「苦手」と言うよりも、幼いうちから姉妹間で、自分のほうが得意とするところに従い、受け持ちが自然と決まっていき、
結果、インテリアにも凝る叔母のとこは、室内が常に小綺麗に整えられているのか、と思った。
いっぽうで、
うちの母親は、時々、親父が癇癪を起こすくらい、そして、私もイラ~ッとくるくらいに、家のなかをゴチャゴチャさせてしまうタイプだった。
やっぱり、親父とは異なるタイプの『発達障碍』の傾向なのかね。
出しっぱなし、放りっぱなし、開けっ放しの三拍子。
外出したあとの母親の部屋なんか見たらば、どろぼうが荒らしていったか?!と思えるほどの乱雑さ。
もともと、気が短いせいもあって、気持ちが外へ外へ向かってるときは、「立つ鳥」ならぬ、あとを振り返ることもしないで、ひたすら濁しまくって出て行く。
「散らかってるほうが落ち着く!」
と、ひらきなおった本人は言うのだが、
それでも、気の張る来客が ある場合などには、さすがにミエっぱりだけ あってか、それなりにキレイに かたづけることは できるんだけど、
ふだんは、もう、ほったらかし。
あらためて料理のことに話を戻すと、
調理師の免状を持っているという、近所のオバサンは、私が幼い頃から虐待されていたのを知らないはずもないのに、
うちの母が亡くなったあと、
おとうさんの世話に専念してあげなさいよ、などと、
口やかましく干渉がましいことを言ってきたけど、
このオバサンが、うちの親父のためにと、マメに拵えて運んできてくれる料理が、ことごとく、
「気持ちは有難いんだが、なぜかマズイんだよなあ。。。?」
親父は困惑していた。
旧ブログか過去エントリーでも綴ったけど、
これも子ども時分に、本来は伯母である養母が病没し、それ以後、養父の食事を用意するため、学校から帰れば、遊びや宿題どころでなく、
昔の田舎のこととて、品揃え乏しい店々を急ぎ買い物に回り、入手した豆腐やら魚やら、子どもの手で辛うじて ととのえた せっかくの食卓を、その拙さに怒った義理父に、しょっちゅう、ひっくりかえされたと、
思い出しては恨みを込めつつ話していた親父を筆頭に、
私の周辺では、まず、「調理に慣れている」「料理が得意」なほうの男性が多いのだが、
うちの親父のように、そういう家庭事情で否応もなく慣れていたというケースも あれば、あるいは、単に料理が好きなので、苦にならないだけという男性まで、その年齢層も学歴も職歴も生活背景も様々。
メンドクサがりの私は、「つくる人」である彼らに、「食べる人」を やらせてもらうことも多かった。
親父なんかは、私の母親が亡くなって、まだ元気だったうちは、かぼちゃの煮つけなんかチャチャッとつくって、
ヘルパーさんにも、味付けが上手ですと褒められていたし、
ビンボボ娘の私は、それを、タッパーに詰めて、持ち帰ったりした(笑)
【続く】
2019.08.24 (Sat)
『「料理嫌い」の言い分つれづれ』の続き。
ちなみに、
母親は、口に合うとなったら、がぜん、器ごと、自分のほうへズズズィっと引き寄せる癖が あったw
「わたしは病弱だから」
というのを理由にしていたが、
親父のほうは逆で、
自分一人だけ食べるのは、なんとなく、気が引けるのか、
晩酌しながら つまんでいた刺身を、横に座り込んだ猫が、穴の あくほど凝視してくるのを見ると、息が詰まるかのように、うぐぐ、、、と、ヘンな、あえぐような呻きかたを して、しかたなく、猫にも一切れ、また一切れと、大事な刺身を渋々、与えていた(笑)
猫のほうは、もらった刺身の一切れ一切れを、些かも味わっているようすとて なく、ただちに呑み込み、ただちに次の一切れを期待して待ち構えるのみw
なんだろうなあ、、、
「世話焼き」を自任していた母親は、兄弟姉妹が多いなかでの長女、
酒乱の親父は、養家先の一人息子として育った、という違いは あるんだけど。
心理的にオモシロいなと思う。
ちなみに私は、犬や猫が欲しがっていても、わりと平気で無視できる。
それは、自分の食事よりも先に、犬や猫たちの食事をシッカリ済ませていてこそだが。
それ以降に欲しがるのは、あくまでも「おやつ」「間食」「おねだり」に過ぎないから、むやみには与えない。
あんまり欲しがると、部屋から追い出し、入って来れないようにするのだが、そうすると、猫は拗ねるわ拗ねるわ(苦笑)
また、私がフシギと親に似なかった大きな点の一つが、
いわゆる「精が付く」とされるような食材は、生まれつき弱い おなかを、かえって こわしてしまい、あとあとまで影響が長引くこと。
動物性のものに限っては、いろんな側面(=見ため、食感、その他)からも、好き嫌いは多いのだが、
植物性のものならば、ほぼ100パーセント、食べる。
ただ、以前は、タマネギなどは、火を通さずナマのままであれば、一口も食べられなかった。タマネギそのものは大好きなのだが。。。
このように、どうしても、体質に合わないものも少なくない。
何でも食べろ!と強制すると、命にかかわる場合も あるのだ。
もともと、食べることに対する欲求が あまり つよくない子どもだったことも、親に似なかった。
そのせいか、夏場の夕食などは、ご飯の炊ける匂いが漂ってきただけでゲンナリしてしまい、よく、夕飯は いらない、と言って、叱られたりしていた。
出産予定日を大幅に過ぎてから、大変な難産で生まれたせいなのか、たしかに、平均よりも妙に大柄な子どものくせに、いつもダルく、虚弱。
いまでも、夏の暑さには殊のほか弱いので、昨今の暑熱の異様な高まりには、心臓の調子まで狂ってきそう。
なんせ、あたしゃ、冬生まれだからね溶けちゃう(笑)
なんだかんだ言っても、
食べることに欲求が つよい人は、その分、エネルギッシュである。
うちの母親も、生まれつき病気が多いというのが、にわかには信じられないくらい、活動的だった。
真夏の昼食などには、よく、「冷やし中華」や「そうめん」を用意してくれたが、母の場合、自分自身の欲求で、「冷やし中華」には「錦糸卵」などの具材を盛りだくさん、「そうめん」なら そうめんで、それだけを用意するのは、本人自身がガマンならなかったようで、必ずと言っていいほど、これまた盛りだくさんに各種の天ぷらなども添えることを厭わなかった。
冷房の届かない台所で(「届かない」というよりも、換気の必要から、冷気が勿体ないと、台所の出入口を閉めておくので)、火を使う作業後、つくるだけ つくった、せっかくの麺類なのに、自分が食べるのは あとまわし、まずは汗を流さねばと、シャワーを浴びに走っていた。
もともとは低体温で、汗を かきにくい体質のはずなのに、真夏の調理というものは、それくらい大変だということが察せられたものだ。
で、
つくった本人も、やっとこさ、食べ終わったら、やれやれ、一件落着!とばかり、ひたすらゴロゴロし始めるので、あとの洗い物などは、ほぼ私が一手に引き受けていた。
見かねた親父が やろうとすると、
「ほっといてよ!!」
と、母親は激怒するんだわ、これが。
幼い時分から、掃除や洗い物などは勿論、親の靴磨きに至るまで、料理は ともかく、それ以外の家事全般、母親の体調を気遣って、私が手伝うことが多かったので、たまに、それを見た近所の人などが、うちの母親に向かって、
「あんたとこの○○ちゃん、よーく仕込んであるなあ~」
と、ほとほと感心していた(笑)
母親に言わせれば、
「それくらいのことして、バチは当たらん」
と、それだけ。
要するに、ほぼ「女中」「下女」あつかいなのだ。
まさに『白雪姫』か『シンデレラ』かw
ところが、トイレ掃除だけは、むかしから、なぜか親父が毎回やってた(笑)
母親も、これについては、黙って やってもらってた。
ついでに、
母親の足の爪切りも、親父が やってあげてた(笑)ので、その理由を聞くと、はなはだ おデブだった母親の腹が つかえてw自分では、足の先に、爪切りが届かないからだそうな。それで、
しょうがなく、親父が代わりに、プチプチ切ってやるのだが、
母親には、それでも なお不満が あり、
「おとうさん、最後の仕上げに、いちおうヤスリかけてくれることは くれるんやけど、5本の指を同時にグワッと握って、イッキにヤスリかける、フリしてるだけやんか」
と、文句を言っていた(苦笑)
それから察するに、
狭いトイレ内の掃除も、母親の体型では、困難が あったためだろうかと思う。
むかし、親父の顧客の一人である、さる中小企業の社長さんが、帳簿を見てもらうため、心尽くしの手土産を手に、うちへ訪ねて来られることが時々あったのだが、そのおりも、用件が済んでから、しばしの雑談を楽しんでおられた。
親父が、話の流れのなかで、トイレ掃除やら朝の布団の かたづけまで、自分が やっとりますわい、と、おのれの女房を横目に、イヤミたらしく、自慢たらしく言ったところ、いつも温厚な社長さんは即座に、
「なにを おっしゃる!ワシかて、それくらいのことは やっとりま。まして、奥さんが、からだ良くないんやから、アタリマエだっしゃろ」
と、うちの親父を諌められた。
昭和の時代、すでに老齢に入っていた男性が、ですよ。
しかも、大阪のなかでも、かなり古臭い気風の残る地域の。
ちなみに、この社長さんは、昔(戦後すぐあたりかな?)、まだ とても貧しかった若い頃、大阪の最南部から大阪市内までの道のりを、大八車か何かに商売もの積んで押しながら、毎日てくてくてくてく歩き通したというほどの凄まじい根性の持ち主だった。体力も凄いわね。
なお ちなみに、
私のほうは、中学生頃まで、自分の耳そうじを、兄にやってもらっていたwもちろん、兄の膝枕でww
「耳かき屋」の男性バージョンかwww
それを見た親父が呆れて、どっちが兄で妹なんだか、と苦笑していたが、
兄のほうもヘンな凝り性でw綿棒なんて市販のシャレたものは うちには ないから、薬箱の常備品だった脱脂綿を ちぎって湿らせ、マッチ棒の先端に巻き付けて、最後の仕上げは、それで丁寧に拭ってオシマイとしていた(笑)
さて、話を戻すと、
むかしの先輩格の同僚と、料理についての話題になったとき、
その同僚の甥っ子が小学生の頃、嫁いだ姉らとともに、実家に訪ねてきたおり、お寿司か何かの出前を注文し、そこで「お吸い物」くらいは つくらないと いかんかな、と強迫的に思い立ち、がんばって拵えた それを、
くだんの小学生の甥っ子に ただ一言、
「…まずい!」
と断定されてしまったんだそうな。
その話を聞いた私は、苦笑しつつ、さも ありなんか、と内心で思った。
というのは、彼女、仕事が できない人だったから。
そして、
文字どおり、「強迫」的な性格だった。
もちろん、クソが付くほど真面目なわけよ。
もう一人いた先輩格の同僚も、それに輪を かけてと言うくらいに、もっと甚だしく、仕事が できない人だった。
毎日、なかなか豪華な お弁当を持参してくる。
くだんの、まずい お吸い物を拵えた同僚が、ある日の昼休み、
「その お弁当は、いつも自分で つくってるんですか?」
と聞いてみたら、おかあさんがつくって、持たせてくれる、とのことだったと言うので、私は、
「そりゃーそうでしょう」
と、やっぱり思った。
本人が、自分で つくれるわけないし、その気もゼロでしょうよ、と。
ぜったいに そうだ、とまで言う気は ないが、
と言うのも、
私自身、料理するのが酷くメンドウになってしまうのは、
体力と気力の問題に加えて、
およそ「段取り」とか「要領」というものがマズイ、という自覚が あるからなのだ。
くだんの同僚たちについても、こんな私以上に「要領の悪さ」が甚だしかったゆえである。
【続く】
2019.08.24 (Sat)
去年だったか一昨年だったか、ずーっと前、「みわよしこ」さんというかたのコラムで、極限まで食費を切り詰めている女性が、『生活保護』受給しつつ、将来的に脱却へ向けた、何かの資格を目指していて、そのために毎日、継続してカレーばかり拵えて食べているといった話を紹介しておられた。そのかたは、自分は毎日でも飽きないほどの好物なので、苦には ならないということだったが、さぞかし、部屋じゅうにカレーの匂いが しみついてるんじゃなかろうかと思ったのを憶えている。
カレーは私も好きだけれど、こうも年がら年じゅうでは、さすがに飽きるだろうし、塩分に注意しながら、お味噌汁も良いんじゃないかなと思う。
カレーに負けないくらい、いろんな具を幅広く利用できて、意外なほどのバリエーションを展開できるから。
お味噌汁の具が盛りだくさんであれば、それこそ「一汁」のみで、かなりの栄養が確保できるんじゃないかと。
とは言え、
私自身は、味噌と具材を買ってきて拵えるのさえもダルイしまつ(苦笑)
こう暑いと、特にね。火を使うのが、もう厭。
母親が生前、夏場に よく拵えてくれた、「冷たい味噌汁」(単に冷めたのでは なく、最初から それとして つくったもの)が、私の好物の一つで、きゅうりや茗荷などが たっぷり入り、ちょっぴり酸味が あるので、爽やかな風味で、食欲のないときでも、これだけは、口に できた。
なんでも、どこかの郷土料理をヒントにアレンジしたと言っていたレシピを、母親が元気なうちに聞き出してメモしておいたので、あれを つくろうかなと思っていた。
さて、
実家に居た頃、まだ若く、料理の経験も浅かった私が、あるとき、思い立って、「もやし」を用いた調理の途中、
読んでおいた雑誌のレシピに忠実に従おうと、「ヒゲ根」というやつを、いっしょうけんめいに処理しようと かかっていたら、台所を覗きに来た母親に、「おまえはアホか」と言われた。
「もやしのヒゲなんか、そのままでエエんや!誰がクソ真面目に、そんなアホなことやれ言うんかいな」
と。
だから、
雑誌の、「料理研究家」とかいう肩書きの人ですがな、
「ひげ根を取るべし」と言ったのは。
だいたい、何ごとであっても、「初心者」というものは生真面目に とりかかろうとするもので、料理に関しても、例外では ないのだろう。
とは言え、
母親が、東京の親戚の家に稼ぎに出て長期不在だったり、その資金を元手に、帰ってきた後も、お店を一人で経営したり、あげくは交通事故で長期入院、
専業主婦時代は専業主婦時代で、PTA活動や趣味に のめり込み、
どっちにしろ不在が多い母親だったので、小学低学年の頃には、流し台やガス代の前に、丈の低いスツール椅子を置き、その硬い座面の上に立って、洗い物や簡単な料理を我流で始めてた私。
プレーン オムレツなんか、いまの私よりも上手に つくってたw
その当時だって、料理が好きと思うこともなく、いま必要だからという感覚のみだった。
いまでも、うっすら憶えてるのは、インスタント ラーメンを、初めて、自分で つくってみたこと。
たしか、まだ小学生にもなってたかどうかという年齢。幼稚園児だったかも。
なぜか、外袋に同封されてるはずの調味スープの小袋が見当たらなかったので、スープなしのラーメンになった、それを、親父が大喜びして食べてくれたんだけどw
小学校も高学年となれば、遅くなって帰宅する母親の分まで拵えて、とりあえず仏壇に上げておいたものを、大学近くの下宿から帰省していた、大喰らいの兄が、夜中にコッソリ食っちまったのを知って、怒り心頭になったこともあった(苦笑)
ある日などは、近所の幼なじみが、いつものように遊びに来たとき、たまたま、おやつ代わりにササッと つくってあげたハム サンドに味を しめ、それからは、うちに来るたび、「ねえ~、あのサンドイッチ~」と上目遣いして ねだるもんだから、閉口してしまったり。
あれから何十年。。。
長い病気や、うつ病にも罹患して、ふつうに料理するにも、そうとう奮起しないとならなくなった私は、もう、ムリしたくない。
私がムリしないと困る者たちも いなくなったし。
一週間も前の記事だけど、
『『料理が苦痛だ』の本多理恵子さんに教わる「やめて」ラクになる5つのこと』8/17(土) 21:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190817-00195131-lettucec-life
この記事を読んで真っ先に、
「もやしのヒゲ根」
の一件を思い出したわけ。
それと、
わりと最近に、無料の動画配信で観た、『トースト』っていう、料理や家事にまつわるイギリスの映画も思い出した。なかなかユニークで良かったよ。
かねてから高く評価してきた女優も出演していて、ますますの演技派に なってたし。
当該記事のコメント欄は、自分のダンナや男性一般に対する、女性たちの積もった不満が多いみたいだ。
一人で生活するには圧倒的に困難な社会システムだった昔と比べれば、こんにち、格段に便利な方法が揃ってきてるんだから、それでさえ、何かにつけ大変なことも多い、そこは、各人の性分・各家庭のスタイルに合うように、できるだけ利用していけば いいじゃないかなと、個人的には単純に思ってるけど。
私自身、病気をガマンしながらの会社勤めの頃は、帰宅したら、顔さえ洗わず、ベッドに倒れ込んでた。
で、あっと言う間に夜が明けて、またぞろバタバタと出勤していく。。。
たしかにね、
仕事と家事や子育て、どちらのほうがストレス?というよりも、
両立させていて、それほどのストレスも ないという人は、それは、
自分の適性に合った仕事に就けているからで、
意義を感じ、自分の望む目的に合致した生活が できている、そういう人の場合は、
それほど疲れないものだ、
と、これは、うちの母親の喝破であった。
しかり、
合わないこと、不本意なのを厭々やってると、何であっても、それは大いにストレスのタネだ。
料理に直結していることでは ないけれど、
スーパーマーケットに行って、購入したものを袋に詰めているとき、私の前で同様の作業している、ご夫婦と思しき二人連れを ふと見るともなしに見ると、奥さんだけが、せかせかと、袋に詰めていて、ダンナさんは、少し後方でボケーッと、所在なさげに突っ立っている。
なんとなく、眉間にシワ寄せイライラしている感じの奥さんの作業が終わるのを、ただ ひたすらに待っているのを、よく見かける。
ほとんどは、60歳代以上と見受ける高齢者だ。
そんな光景を見るたび、私だったら、かりに「専業主婦」の身であっても、「ちょっと!詰めるの手伝って」と言うだろうけどな、と思う。
まあ、食材の詰めかたの基本も分かってないようなダンナだと、自分でサッサとやってしまうほうが早いのかもだけど。
また、
むかしの同僚で、新婚だった女性が、仕事を終えて買い物し、帰宅して、料理、食事を済ませたあと、ついつい、疲れた ようすを見せると、すかさず、
「しんどいんやったら やめとけーや!」
と、年下のダンナから叱声が飛んでくるので、
あわてて、
「ううん!しんどくないよ!!」
とシャッキリ背中を伸ばして言い返すのだという、
そんなケナゲな話を聞いた私は内心で、
「おのれの甲斐性が足らんから、こうして、身重のヨメさんを働かしとるんやんかい!くそ生意気に年下がエラソーな」
と、他人事ながら、怒鳴りつけたくなったw
自分の夫だったら、そのとおり怒鳴ってるかもw
その同僚とこは、自分の実家も結婚相手の家も、バリバリ『創価学会』員。まあ、関係ないんだろうけどな?(嗤)
うちの実家では、母親のほうは、家事は総じて好きでないようだったが、料理だけは、まあマメにやってたほうだし、上手でもあった。でなければ、我流の飲食店を一人で切り盛りできるはずもない。
それだけに、料理の腕前については絶大の自信を持って当然としていたが、
同時に、
「おいしいか?」
と聞かれて、
「まあまあ」
と答えようもんなら、
「それは、おいしくないという意味か?」
と凄むのであるw
ただ、
料理好きな人には多いと見受けるし、母自身もそうだったのは、
「食い意地が張ってる」
というくらい、食べること大好きだったからこそ、料理も、苦にならないということだったようだ。
したがって、
うちの母親も、「家族のため」というよりは、自分が食べたいから、ということが真っ先に きていた。
母親が、自分自身のためでないのなら、とたんに、かなりイイカゲンになる傾向が あるのは実感してた。
親父なんかは、ある日の朝ごはんが、
「人参だけ!千切りにしたやつを皿いっぱい出してきてそれだけ!!ワシぁ馬か!?」
とプンプン怒ってたこともあるw
私なんか、朝ごはん無しも しょっちゅうだったww
まあ、食欲も なかったりしたんだけど。
【続く】
2019.07.15 (Mon)
いつのだったかな、ずーっと前のエントリーで書いたけど、
子どもの頃の私は(じつは、いまでもw)ボタンを押す、という行為が好きで好きで(笑)、
しまいには、自室の出入口である引き戸の真横の柱に、マジック ペンで、丸い印を黒々と描き、わざわざ、そこを、指で押すと同時に「ブー」と言いながら、引き戸を開けていたことが ある。
この思い出を、同僚の男の子に話したら、大笑いされたものだ(苦笑)
ボタン押したさのあまりに(ビョーキかな?w)ご近所の家の門や玄関先のインターホンを押して逃げていたこともある。
いわゆる「ピンポン ダッシュ」ってやつだ(苦笑)
子どもの頃のことなんで、もう時効だろう、
ご近所の かたがた、許してくだせえw
で、
こないだ、家庭用電化製品(エアコン)の事故についての記事を読んでたら、古い「扇風機」についてのコメントも散見されたので、思い出したのは、やっぱり、「ボタン」のこと(笑)
むかし、まだ学校時分の頃、もう中学生になってたかな、
当時、新しく購入して置いていた扇風機は、強風・弱風・微風・停止といった切り替えのためのボタンが幾つか、台座の前面に並んでいたのだが、各ボタンごとに、濃い青から薄い水色といったように少しずつ、色調を変えてあり、その形状というのが、細長いもので、なんとなく、オルガンかピアノの鍵盤めいて見えてきたものだから、親の眼を盗んで、その、並んでいる細長いボタンを、まさにオルガンかピアノの鍵盤を叩くように、次々と素早く押していって遊んでいた。
扇風機も、さぞかし、落ち着かない気分だったろうw
子どもは、何を するやらな(笑)
でも、壊れもせず、やっぱり、昭和時代の家庭用電気機器は、じょうぶで長持ちだったなあ、と思う製品の一つである。
(ついでに、兄が、誰も いないと思ったのか、ズボンとパンツを降ろして、剥き出した お尻に、扇風機の強風を当てているところを、たまたま、私に見られて、「キャーッ」と叫んでいたことも思い出したw)
かねてより、ノート パソコンの耐用年数が短いわりに、価格が高いままなことにムカッパラを立ててきた私だがw
やはり、シンプルな物ほど長持ちする傾向で、複雑な精密系は、長くは持たない、ということなのか。
目下、できるだけ、やっすいノート パソコンを探し求めております。
思えば、初めて、自宅用のパソコンを購入したとき、
「フフフ、これからは、誰に遠慮もなく、思いっきし、ボタンを叩きまくれるわけだ」
とホクホクしていたのにw
いまでは、キーボードを叩いていると、肩凝りやら、うちのパソコン自体の不調やらで、むしろイライラしてくるしまつ。
やっぱり、「ピンポン ダッシュ」していた あの頃の、あの昭和のボタンの感触が快く、最もスバラシかったw