2023.06.24 (Sat)
「不倫」とピローケース(枕カバー)、
なーんて、意味深なタイトルを付けちゃったけど、べつに、関連は ありません(笑)
不倫と言えば、またぞろ、芸能界の、ある女性のことで騒いでいるようだけど、次から次へと、この話題に言及・参戦する人が、あちらこちらで増えてきて、話題の当人たちを責めるにせよ擁護するにせよ、相変わらず、くだらないことに夢中になるもんだわと、呆れている。
不倫だからって、誰にも迷惑かかってない!とかいう主張については、身内が実行していた私には、実際そうだとは思えないし、
ただ、
くだらんことに夢中になれるもんだよなあ、
よっぽど下世話な話題が好きで、ヒマなんだなあ、
もしか、いわゆる「炎上商法」なのか?としか思えない。
この御時世、われわれ庶民国民にとって、喫緊の問題がメジロ押しだというのに、やっぱり、政治問題なんかから、われわれの眼を逸らせようとしてるんかね?マスコミや芸能人らは。
まあ、あくまで私個人的には、かの女優(でしたかね?w)に関しては、そのデビュー当時から、どこが「美少女」なんだか、あまり よくわからなかったし、なんか、印象としては、これも また、不倫で知られた「石■」何とか言う俳優さんを、若い女性に変えたら、こんな感じの(なんとなく間のびした)容貌かなと思っていて、
彼女が結婚したときも、「キャンドル」どうたらいうのが不可解で、
モテモテだというわりには、わけのワカラン相手と ひっつくんだなあ~と思ったっきり。
きょうまで離婚せずにきたというのがビックリだわと思ったくらい。
最近、
これも、何の需要が あるんだか、サッパリわからないうちの一人、
「そなた不倫」で、議員を辞めざるを得なくなった、そのヨメさんの、これまた、もと議員が、「そなた不倫」を一度ならず やらかした夫を、それでも尊敬していると のたまったのだそうで、
やーっぱり、
私が常々指摘してきたように、「相手のレベルは自分のレベル」「夫婦は吊り合ってるから夫婦」というのは当たってるよなあと思った。
で、
これまでに何度か述べてきたけれど、私の親は、「ダブル不倫」のデキ再婚ですが、
「誰にも迷惑かけてない」説に対しては、
それは違うと思うよ、ひらきなおっちゃいかんと指摘しておきます。
私の母親の先夫との あいだに生まれた姉は、これまた生育環境劣悪だったせいか、やはり、自分の親らを恨んでいたし、母親については、私の父親の存在を知った幼児期、
「おかあさんが、知らない男の人と、、、」
と、幼心にショックだったらしい。
まあ、私自身の、両親に対する拭いきれない不快のことは、おりに触れて述べてきているので、ここでは端折るが、これだけは言っておこう。
そりゃ、
婚姻制度にしても、それに歯向かうことになる「不倫」にしても、所詮、人間の拵えたルールや価値観によるものでしかないわね。
うちの母親から聞かされていたには、親父と出会ったときから、
「この男から逃げることは できないと思った」
てなことを言ってたけど、
親父とのゴリ押しデキ再婚を実行した理由が、私を、
「父なしっ子」にしないため、おまえのためだった、
なんてのは、ていのイイ嘘っぱちで、要は、おのれの欲望だけ。
あのバカップルは、ひっついた理由を、終生、互いのせいだと押しつけ合っていたもんだ。
頼んでも いやしないのに、こっちへ持ってくんなや!
大迷惑だわ、バカップルというのは。
でさ、
オモシロイことに、
その、バリバリ「W不倫」の当事者であった、うちの両親よ。
他人の不倫や不貞は、ケシカラン!と、憤るんだよ(爆)
母方の叔母や従兄弟も、離婚や不倫の経験者なんだけど、
それらについても、ケシカラン!!と怒ってたわ(嗤)
親父に至っては、
私が幼い頃に拾って、長年にわたり飼っていた雌の犬が、どういうわけだか、オバアチャンになっても、オスからモテモテで、最後と思しかった子犬を出産後も、ストーカーみたく通ってくるオスを受け入れてた!と いうのが理由で、なぜか激怒していた(嗤)
そうして、
学校に行っている あいだだったか、私が不在のときに、
激昂した親父は、このオバアチャン犬を閉じ込める前に、激しく殴ったり蹴ったりしたせいで、ほどなくして、犬は死んでしまった。
このときの前後の状況も、旧ブログか過去エントリーでは述べたかなと思うのだけど、いまは、詳細は端折っておく。
ここでは省くけど、
うちの犬には犬にとっての、せつない理由が あったんだと、私は理解している。誰にも言ってないけど。
ちょうど その頃、
従兄の家から、子犬を もらい受けて、家のなかで飼ってたんだよね。
…
ただただ、うちの犬が哀れだ。
幼児の私に駆け寄ってきて、そのまま、飼うことに決めた、真っ白な犬。。。
許しておくれ。
親父に対しては、このことも、大きな嫌悪と憤りの一つになっている。
実は、後年になって、母親から聞いたのだが、
私とは異なり、親にシッカリ似たのか、意地の悪い性格の義姉が、私の不在の あいだに、この犬を、自分が、どこかにコッソリ置き去りにしてやるから、犬が勝手に出て行ったことにしようよと、親らに、つよく提案したらしいのだが、小犬は、遠くに置き去りに されても、自力で戻ってきたらしい。
んで、
叔母なんかは、自分自身が、結婚した年下の相手に浮気され、地獄の沙汰の大騒ぎしながら離婚したけど、その後は、自分も不倫w
要するにね、エゴイストなんです。
自己チュウの特徴なんですよ、
何ごとも「自分棚上げ」方式をシャアシャアと やってのけるのは。
しかも、その原因や理由も、常に、他責。
それも、弱い立場の子どもとかね。「おまえのためにガマンしたんだ」とか。
ま、芸能界ってとこは、そりゃ勿論、いろんなタイプの人が いるとしても、たいがい、大昔から、「枕営業」だの「クスリ」だの、乱れてることで知られてるのは事実なので、一般家庭の娘なんかは、水商売に入るのと同様に、親から猛反対されたって話、ふつうに、よく聞くでしょ。うちの母親も、スカウトされたとき、そうだったと聞いてる。
なので、芸能界の人間だからって、あまり ひらきなおらずに、つとめて真面目に誠実に、良識的を心がけるくらいで、ちょうどイイんやないの?w
しょせん、カネカネカネ、オモテの顔とウラの顔は、政治屋や悪徳商売人と似たり寄ったりだろうと思われてるし、
麻薬を摂取した理由を、「音感を鋭くするため」なんて言い訳してたことも あったでしょ。
「その程度の音楽的才能や音感しか持ってないのなら、もう やめとけ」と思いましたがね、私は。
しょうもない話題を続けるのもゲンナリするので、「枕カバー」のことをw最後に少し。
私ね、若い頃に、外国製の高級品を扱っているカタログ通信販売で、枕カバー、つまりピロケースってのも買ったことが あるんだけど、凝った刺繍やレースやフリルを施してあるとかが気に入って、あるとき、ドイツ製のを購入した。
それは、裏側をボタンで、きちんと留めて使うタイプのものだから、枕のサイズが合ってないと使用できない。さいわい、自分の枕と合っているサイズだったので、長いこと愛用したのだけど(いまでも、整理タンスに入れてある)、
ところが、
私なんかの何倍も高級志向で、外国製とりわけ欧・米の製品を、日常の あらゆる面で、こよなく愛用して やまなかった叔母からの お下がりのピロケースを使いだしたら、以後、そればかりを用いるようになった。
アメリカ製のピロケースって、単に、シンプルな袋状に縫ってあるだけで、手持ちの枕を、そのなかにズボッと入れるだけ。
紐で結ぶとかボタンなどの留め具いっさいナシ。
多少はサイズが合ってなくても、布が部分的に余った所は、大まかに折り込めば済むので、取り替えるのがラク。
しかも、洗って干すときに、シワを伸ばすように心がけて干しておけば、意外と、アイロンがけも不要。
合理的そのもの。
造りが単純シンプルな かわりに、生地は じょうぶ、色柄はアメリカらしく、鮮やかだったり、華やかだったり。
たちまち、日本製の枕カバーなんか、とっくに論外、
気に入っていたドイツ製も、いつの間にやら、タンス行き。
もっぱら、袋ズボッのアメリカ製を愛用するようになった。
ドイツ製のを愛用していた20歳代の頃の私は、アイロンかけも、がんばってたなあ。
アイロンかけ以外のことも、いま振り返れば、掃除、洗濯、料理、メイクやマニキュア・ペディキュア等々、やっぱり、若い分だけ、体力・気力が、現在とは比較にならないなあと、しみじみ実感。
やがて、通勤用のブラウスなんかも、ノーアイロンの製品を求めるようになり、ハンカチも、アイロン不要にするため、タオル地のものばかりになったw
部屋が狭いのに、家具や物が多いので、アイロン台を広げるのも厭なのよww
もう少しスペースに余裕が あれば、もっとマメに、、、やるかな?www
で、ピロケースね。
まったく使わなくなりました。
いつしか、バスタオルを巻くだけになった。
アメリカ製のピロケースさえも、タンスに入れたままでーすw
年々、ズボラ度が深刻になっていってまww
ご参考になったかしら?(何の??)www
2023.06.14 (Wed)
『「連綿」とは。「徳を積む」とは。』の続き。
こないだ、用事が あって訪ねた人の住まいが団地なんだけど、そこの お宅の お向かいさんが、玄関の前の薄暗いスペースに、小さな水槽を置いて、そのなかで、『アメリカ緑亀(ミシシッピ アカミミ)』とかいう種類と思しき亀を1匹だけ飼っている。
けっこう大きくなっているような亀なので、「陸場」とかいう部分も ない、あの水槽のサイズでは、ちょっと かわいそうじゃないのかなと、いつも思っていた。
その亀は、たいがいは、ほとんど身動きもせずに、じーっとしているところしか見たことが ないのだが、
私は、その亀さんを見るたびに、さぞタイクツだろうなあ、飼い主は、餌だけは与えているようだけど、日光浴や水替え、時々はベランダなどの広い所へ放して、自由に運動させてやってるんだろうかと、少し心配になったりしていたのだが、
こないだは、めずらしく、動きが激しかった。しかし、なんだか もがいているみたい。
ますます心配になって、しばし見つめているうちに、亀さんは、水槽の正面ガラスの端に、顔の半分を押しつけたまま、いつものようにジッとしてしまった。
狭い所から出たいんだろうなあと、後ろ髪を引かれる思いで、仕方なく立ち去ったけれど、
いつになく激しく もがいて もがいて、
そのまま、絶望して固まってしまったみたいな姿だった。
さて、
日本の場合、国土の狭さとかも関係しているからというよりは、都会、特に『東京』に集中し過ぎているのが第一の原因なんだろうけど、
仮に、地方の地主クラスで、裕福な農家などであるとして、家屋や敷地の面積自体は大きくても、
または、田舎のじゃなくて、都会で豪邸クラスを構えているにしても、
だいたいのところ、ほんもののゴージャスさというものには ほど遠く、精いっぱいの贅沢ぶりを見せつけて いても、こまかいところで、気を利かせているとしても、やっぱり、なんとなく中途半端なんだなぁ。美意識もセンスも。
ケタ外れなスケールの豪華さや豊かさは、日本では富裕層に入る層であってさえも、多くの場合、どこかニセモノっぽく安っぽく、見せかけだけの、無理に背伸びした豊かさやショボさが拭いきれない、中途半端。
で、
あるサイトでは、ああいった危険すら伴う荒唐無稽レベルの狭小物件だけでなく、ついには、アメリカあたりの、文字どおりの「マンション」や豪邸といったところも紹介していたので、そっちも見てみて、やっぱり「レベチ」ってことなんだなあと、日本の庶民である私は、思わず、深い溜息が出た。
フランスの、いわゆるアパルトマンにしても、一般人が賃貸で入居するクラスの狭い物件でさえ、日本の それよりは、ずっと広く、室内の何につけても、ほんものの優美さが備わっているように見受ける。
とは言え、
アメリカだろうがヨーロッパだろうが、古い絵画に描かれているものを見れば分かるが、昔の農民、庶民の暮らしぶりの、どんなに貧しく、つましかったことか、そういう時代を経てきているのである。
まあ、日本は、何ごとも、いまだに、西洋の表面だけを見て、真似事を やってるに過ぎないのが実態だからなあ。
じつは、生前の叔母は、かつて、1ヵ月の家賃100万円のマンションに入居していた時期が あります。
まず、バルコニーと言うのか占有テラスと言うのかが非常に広い特長が ある物件だったようだが、
それでも、現代アメリカで1ヵ月の家賃が70万円くらいのマンションほどの豪華さも なかったと思う。
んで、
やがて、精神に異常を来した叔母は、そのテラスから、突然、大事にしていた鉢植えなどを次々に階下に投げ落とし、駐車していた住民たちの『ベンツ』など、高級な外車をボコボコにして、警察沙汰になりました。
その後始末に、うちの両親が急いで出向いたおり、叔母を引き取って引っ越させるため準備している最中、異常なほど荷物が多かったせいか(私も、叔母が亡くなったときに、叔母の家の後始末しに行って、疲れはてて倒れそうになった)、高級な物件などに一切の縁がなかった親父は、さすがに疲れてウッカリしたのだろうか、慣れない室内に、洒落たインテリアとして設けられていたガラスの衝立みたいな所に、頭を突っ込んでしまい、あやうく、大ケガするところだったらしい。
ゴージャスな住居を見た視聴者の投稿のなかには、
「どれだけの徳を積めば、こんな家に住んで生活できるのか」
みたいなコメントが あって、
わたしゃ、
「をいをい、徳じゃなくてカネを積むんだよ!」
と、思わず苦笑しましたわいwww
まっ、母親の腹中にいた胎児のときの、窒息死寸前の酷い状態が記憶なき記憶となっていて、無意識のトラウマにまでなってしまっているらしい私にとって、狭すぎる空間で暮らすのは、息が詰まりそうで苦手だから、いくらビンボボでも、あまりな狭小はムリです。
しかも、叔母に似たのか、やっぱり、荷物も多いのよw本とか、母親や叔母の形見も加わってねww
そろそろ、「終活」に取りかかるべきなのだろう、とは思っているのだが。。。
かれこれ30年以上前になろうか、
当時、私は、一人暮らしだった叔母が入院することになったというので、その身辺の世話と、留守番を引き受けるために、数ヵ月ほど、叔母宅に滞在したことが あった。
実は、その機会に、できれば、『東京』で転職をと目論んでいたことも あって、それを想定して、ほんとうのところは、子どもの頃の思い出も ある『石神井公園』近辺とか希望してたんだけどさぁ、
当時の叔母が住んでいた地域からも わりと近い『新百合ヶ丘』の新築物件が建設中なのを見かけたときに、周囲に聞いてみたらば、多分、そこはワンルームになる予定で、家賃は、だいたい8万円かららしい、とのことだった。
30年以上前くらいの話ですよ?
東京都心にも通いやすい、新築の物件とは言え、たかがワンルームで10万近くも するのか、、、と思って、たまげました。
いまだったら、10万円を軽く超えるんだろうか。
新百合で これなら、石神井公園あたりなら、もっと ずっと高いわな。
私自身が、以前に入居していたマンションは、クローゼットは通常の2倍の広さ、キッチンは独立スペース、洗面台は、いわゆる「シャンプー ドレッサー」、急行停車駅から徒歩5分くらいの距離で、いちおう目抜き通り商店街の なか、という立地の良さも あって、『関西国際空港』にもスムーズに行きやすいせいか、CA(キャビン アテンダント)さんたちが多く入居していたという話を、過去エントリーでも述べたことが あったと思うけど、
それでも、3階の角部屋だった私の部屋の家賃は、6万円前後だったかなあ、もう、かれこれ10年くらい前のことで、ウロ覚えだが。
たかが(と言ったら、住民に失礼だろうけど)『新百合』の、ワンルームで10万近くの家賃。もう一度言うけど、かれこれ30年以上前の話です。
またまた話は変わって、
先日、やっとこさ、エアコンの そうじを済ませたんだけど。
いままで、ずっと、エアコンの「シロッコ ファン」部分のカビの凄まじさに辟易してきたから、この問題を少しでも軽くしたいと思い、検索してみたら、冷房を使用したあとは、最低30分くらい「送風」にしておくとよい、という記事を幾つか見かけたので、自分なりに考えて、30分というのを最低1時間に延ばして実行し続けてきたものの、今年も やっぱりな結果でしたわ。
それでも、いまのエアコンは、設置してもらって5年目くらいだから、まだ幾分かマシだったものの、踏み台を何回昇り降りしたやら、またぞろ、腰が痛くなった。。。
多くのニュース記事などで見かける内容は、一様に、ほぼ「フィルターそうじ」のことだけを言って、カビのことは殆ど、あるいは全く触れないよね。
うちは、フィルターは、マメに掃除しなくても、そんなに汚れない。
フィルターよりも、問題は、カビ。
シロッコ ファンの前にあるルーバー部分だけでも安全に取り外せたら、ファンのカビ除去がグッと やりやすくなるだろうと思うんだけどもな。。。
この点を、メーカー側は、頑として改善しない!ように見える。
ただ、うちのエアコンの型が、わりと古いということもあるんだろうけど、無理に外して、もしも壊してしまったら、賃貸なんだから、大変なことになる。なので、ほんとうに「できる範囲」のみ。なので、毎回、中途半端でモヤモヤ。。。
で、
いちおう、清掃終了後、まずは送風から開始したら、取り切れなかったカビが飛んでくるわ。あわわ
…
こないだ、買い物帰りに、停めておいた自転車を引っぱり出そうとしていたら、下校途中らしき、見知らぬ小学2年生くらいの男児が、何やら話しかけてきて、同時に、小ぶりな花を一輪、差し出してきた。
たまたま、道端に転がってたのを拾ったのか、それとも、よその家の庭先から引っこ抜いたのか、わからないけれど、その一輪の花について、いっしょうけんめいに説明しているみたいな感じで、男児が話している内容は、聴障の私には聞き取れなかったし、差し出してくれているのに、首を振って、受け取らなかったけれど、そのかわり、にっこり笑って頷いたら、なおも何か呟くように話しながら、やがて去って行った。
その男の子は、自分の手にしているピンク色の小さな花を、とても綺麗で かわいいと思っているようすだった。
2023.01.13 (Fri)
きょうも、山田五郎さんの『オトナの教養講座』を拝見しようとして、これは「公認 切り抜き」ということらしいのだが、よく知らないけど、つまり、完全版では ないようなので、私は、ふだん、こちらのほうは ほとんど見ないのだけれども、例のルソーが挙がってきていたので(笑)飽きも せずにwまたぞろ覗いていた。そして、またワハハと笑っていたww
その次も同じく「公認 切り抜き」として、かのミレーの『晩鐘』を取りあげていたので、あ、これはと視聴したのだが、スタッフの人などが、なんとなく「恐い絵」という印象を持たれていたというので、そう言えば、この絵について、何年前にか、うちの過去エントリーで「解説」wしたことが あったっけと思い出し、探してみたら、やっぱり あった。
というわけで、
私自身は、恐いとかいうより、なんかフシギなという第一印象を、子どもの頃は持っていた。
それもそうで、
当時は、まだ、幼稚園に入っていたか どうかくらいの幼い年齢だから、クリスチャン家庭では ないのだし、「晩鐘」などと難しいコトバも『キリスト教』の何たるかも一切、知りやしない。
ただ、絵から鐘の音が聞こえてくるわけじゃないので、登場人物たちが、神さまなどを表現した崇拝対象が近辺に見受けられない、広い畑のような所に立ったまま俯いて、何やら お祈りしているようであるのは察せられても、いったい何に向かって祈っているのだろうか?と、怪訝に思っただけ。
ちなみに、
過去エントリーのなかで、「うちの母親が、私にデタラメを教えた」というのは、
「土の神さまに祈っているんや」
という答えだったw
それでも、やはり、ある種のフシギさとともに、もちろん、このコトバ自体も全く知らなかったけれど、おとなになって振り返ると、言うなれば、まさに「敬虔」なるものを、幼心に、なんとなく感じ取っていたのだと思う。
けれど、
「恐い」とか、またはダリが言っていたという「トラウマ」級の極端な感想も、夕暮れ時の全体の暗さと相俟って、ある意味で共感できるわけで、
それは、私が挙げた過去エントリー内で指摘しておいたように、この絵には、性や生殖のシンボルが満ちており、生まれ落ちて、営々労苦と引き換えの僅かな作物を得て、そして死ぬという、人間の一生を一枚の画布のなかに見事に端的に凝縮した作品であり、
見様によっては、なるほど、死んだ あかんぼうを今しがた埋葬した若い農民の夫婦が、自分たちの嬰児の亡きがらを埋めたばかりの地面に向かって、頭を垂れて祈っているように見えなくもないわけだ?(苦笑)
ついでだけど、
先述の『晩鐘』についてのエントリーを探していたら、なぜだか、いっしょに挙がってきた過去エントリー、これもアプしておきます。
安倍氏亡きあと、初めて、こうして読み返してみたら、なんとも言えないものが ありますわ。。。
2023.01.10 (Tue)
どうにか こうにか明けまして、
はや、『鏡開き』の日とやらが近づきました。
なんか今年は、お天気じたいは、(こちら大阪は)まずまずの穏かな感じでは あったけれど、周辺の街の ようすなどを見てみても、ますます、「お正月らしさ」が薄まったなあ~ってのが全体の実感。
「景気」とかは勿論のこと、まだまだ「コロナ」の問題もね、やっぱり影響してないはずが ないわねと。
いわゆる欧米圏に おいては、もちろんのこと『グレゴリオ暦/太陽暦』に則ってきており、大事な『クリスマス』こそは華やか、かつ厳かに過ごすものと聞いているけれど、ひるがえって新年に関しては、わりとアッサリめ、だとも聞く。なので、日本の伝統とは およそ逆のようでは あるが、それでも、私が子どもの頃までは、やはり煌びやかなムードが伴ってくるクリスマスは、言わば「お正月の前祝い」みたいな感覚なので あり、新年を迎えた厳粛さの重みのほうが、ずっと上まわっていたものなのだが、大多数の日本人は、キリスト教徒でないのに、近年は、いよいよ、欧米圏の流儀に近くなってきたのかなという感じが している。
まあね、ここ近年、私は毎年のように言ってるかもしれないんだけど、わが国でも「本当の お正月」は、『旧暦』『太陰暦(陰暦)/太陰太陽暦』ならば、今年は今月22日に当たるそうですからね。
ま、『お鏡餅』やら『注連飾り』やら何やらは、ごく限られた期間内にしか入手できないのだから、いちおう用意しておきたい向きならば、泣いても笑っても売っているあいだに買い整えるしか しょうがないんで。
それこそ『歳神』さまなる おかたが、音もなく やってくる頃には、とっくに「お鏡」も何も、どこへやらだ。
「はて?われが鎮座する場は いずこにや??」
と、戸惑っておられるやも(笑)
ともあれ、
年頭に当たって、まずは、兎のように軽やかに跳びはねられる腰になりたい、という、わらわの切なる願い(笑)
痛くて動けないんじゃ、ほんとに何も できませんもの。
世間の動静に関心を向けるのも、ブログ更新するのも、ますますメンドクサくなっちゃう。
さてさて、今年の初・大笑いは、やっぱり、これがダントツでした。
『山田五郎 オトナの教養講座』。(笑)
このたびは『徳川家光』の巻。
【卯年・新春開運祈願】
「守株待兎」などという故事由来の難しいコトバは、また、それを踏まえたという『待ちぼうけ』なる歌のことも知らないでいた私だけれど、くだんの兎の絵の画像は、以前、どこかで見かけた記憶が あり、見た瞬間、「目が点(・_・)」になったことを自分で覚えており、しかも、
それが、徳川三代将軍・家光の手になる作であると知って、なおさらに驚いたことも憶えているのだが、
『ぴよぴよ鳳凰』(←ナイス ネーミング!!)に至っては、あのルソーについての解説時と同じく、「涙とともに大笑い」せずには いられなかった(苦笑)
うちの母親の形見の一つで、鳳凰柄の、格式高い帯が あるんだけど、こっちのほうが、家光氏のものより、よっぽど、それらしくて重厚で格調高い出来だけど(笑)
でも、いろんなグッズになってるよね、家光氏の『ぴよぴよ鳳凰』大人気だw
生まれた時代が現代なら、大したアーティストじゃん!ww
いやあ、あのルソーよりもブッとんだセンスのアーティスト、それも将軍さまが、わが国の歴史上に存在したんだぁ。。。感動いたしましたw
ルソーも、みょうなハショリかたと、反面の、異様な細かさを指摘されてるけど、
家光氏の場合も、もともとは、目玉も細かく描写しようと試みたものの(これは けっこう難しいだろうと思うわ)、なかなか上手く いかないから、短気を起こして、真っ黒まん丸に塗りつぶしただけなのかも?
細かく描き過ぎる傾向のために、若い頃、小説の筆を折ったということを、過去エントリーで ちょっとだけ触れたけど、絵のほうでも同様なことが あり、「見えたまんま」が昂じて、ひとたび細かく描きだすと、やめられない止まらない、歯止めが利かず、とことんまで細かくなっていき、
あるときは、学校の美術の授業で、手の部分だけ描くデッサンの課題で、一本のシワを描き込んだとたん、そこから たちまち、見えるかぎりの細かいシワを1本1本描き足していった果てに、
「なんやコレ?おばあさんの手ェかい?」
と、クラスじゅうから嗤われたこともある。
それにしても、当代随一と謳われた『狩野探幽』が直々に指導しておりながらコレかぁ?という些かの疑問は私も湧いたけど、
キョーレツな個性は、天下の名匠、名師匠と言えど、コントロールしきれるものでは ないのだなあ、、、ともww
たしかに、余白の取りかたも、「思いきった」と言うよりは、バランスが、なんか異様なのよね(苦笑)
ただ、この余白には、本来、文章つまり「画賛」というものを書き込めるようにとの目的が あったとか、そういう指摘も あるようだ。でも、結局、誰も、何も書き込まなかったw
それと、
やっぱり、全体からすると、対象自体を小さめに描いてるわよね。
意外と自覚あったんじゃないの?(苦笑)
恐れ多くも指導する相手が相手だから、さすがの狩野探幽も、「勘気に触れる」とかを恐れて言いにくかったのでは?という推察も あろうが、
これは、私の母親が、ある芸事(邦楽関係)の教室を運営していたことから、ちょくちょく聞いていた話なんだけれど、
どう指導してみても、どうにもならない生徒というのは、たまに いるもので、そういう場合、教える側のほうが疲弊してしまい、
「ああ、まあー、それくらいでエエやろ」
と、お茶を濁してしまいがちなものらしい。
うちの母親なんかは、いわゆる「絶対音感」を誇っていたが、それでも、どうにも音程がオカシイ人を教えていると、適当なところで割り切って、「まあまあ、それくらいで」と おさめないことには、だんだん引きずられて、自分までがオカシくなってくるからとボヤイていた。
で、
山田五郎氏も、家光描く動物たちの眼が、まさしく「虚無の眼」「ブラックホールの」云々とか、最終的に、家光氏の多少異常なパーソナリティに対する疑念をも述べるに至り、、、
(あっ、あの『春日の局』か!「上さま!お胤あそばせ!!」とて、キビシく詰め寄っていたwそのせいで、家光氏は、ガチの男色に走ったとかっちゅう?ちょっと違うか。)
私は思わず、
「『皆さまの御多幸と御健勝を祈って』『新春に相応しい めでたい絵を』って、全然ちがうんやないの?それ」
と、ツッコミ入れたくなりつつ、いささか唖然としてしまいました(爆)
【続く】
2022.12.31 (Sat)
目下、私がハマっている最中の汀 夏子さん彼女の過去のステージ記録動画で、お得意の「男っぽい」とか凛々しくとかとは違って、時々、可愛くコミカルに踊っているシーンを見ていると、ジュリエッタ・マシーナが演じた『道』のヒロイン、ジェルソミーナを思い出した。
近頃、こちらにもハマっているということで、すでに何度か取りあげている『山田五郎 オトナの教養講座』ですが、
このシリーズを見ていて何度か痛感したのは、やはり、特に戦争とか、それを引き起こす原因になるような権力者や思想の登場とかが あると、それらの都合しだいで、たちまちにして、芸術は弾圧か利用、どちらかの対象とされ、隠さなければ ならない、さもなくば滅される対象へと陥ってしまう、それが実際のところなんだということと、
もう一つは、
私自身も多かれ少なかれ好んできた作品を遺した画家たちのなかに、その作品の美しさ、すばらしさからは想像も できないような、男としてはサイテーじゃないの!?!と言いたくなるような御仁がチラホラいること。
知りたくなかったわ。。。けっこうショックよ。
ルソーくらいなら、まあ笑えるんだけどねえw
で、ちょっとショックを受けたうちの一人がカンディンスキーなんだけど、私は、初めて見た子ども時分から、わりと好きだった、とは言え、限られた作品しか知らないできたのだが、少なくとも、ピカソ大っキライだった親父のように、「わけのワカラン絵を描くなー!!」と、まじで立腹するような、いわゆる抽象画ぎらいでは ない。
ただし、具象であれ抽象であれ、どうやら、色遣いにも、かなり左右される面が あるようで、何を描いたのやらサッパリわからないとしても、色調のハーモニーのようなものが心地良ければ、それでオッケーみたいな感じ。
なので、もちろん、全体に陰気臭いような、ばっちい色遣いの作品だと、やっぱり、好きには なれないことが多い。
んで、
『オトナの教養講座』のなかで、山田氏が指摘しておられたのが、カンディンスキーは、「プチ スピリチュアル」だったとかいうこと。
それ聞いて、
「ええっ?そういうのってスピリチュアルなの?じゃあ、わたしも そうだってことか??」
と、
わりとスピリチュアルぎらいを自認してると言うか、正確には、オカルトとかスピリチュアル大好きな人の軽薄さがキライなくらいなんだけどw
われながら驚いたのは、
過去エントリー『「天才」と呼ばれたいチミに。』で述べたように、私も、音色と色彩が結び付く傾向は、子どもの頃から自覚が あって、
と言っても、他の人たちも普通に そうだと、なんとなく思っていたし。
だってさ、「黄色い声」なんていう定番の表現が昔から あるじゃんか。
ガーシュウインの『ラプソディ イン ブルー』を初めて聴いたときは、「ブルース」の「ブルー」という意味なんだそうだが、まさに青いイナヅマが、頭のなかを走ったし。
『エクソシスト』っていう、有名なオカルト映画が あるでしょ。
あのテーマ曲の『チューブラーベルズ』を聴いたときは、銀色の金属の小さなパーツが たくさん、それぞれに光をキラキラ反射させながらクルクル回転していて、それが だんだん集まって、シンクロしながら大きな回転体になっていくイメージが、頭のなかに浮かんだ。
それだけじゃなく、数字と色のイメージが結び付く傾向も あった。
子ども時分、絵というか、マンガも大好きだから、読むのは勿論、自分でもマンガ家気分で描いたりしたけど(見つかると、またマンガなんぞを!と、親に激怒されて、殴られたりした)、その一つが、登場人物全員の顔が数字という、、、
いま振り返ると、かなりシュールだなあと、われながら思うんだけどw
自分では、それぞれの数字そのもので、登場人物各自の容貌の特徴から内面性などに至る、キャラクター全体を表現してるつもりだったのよ。
たしか、小学生で、まだ低学年の頃だったと思うけど、
幼なじみに、その力作を読ませたら、読み始めた幼なじみが、ほどなくして、コトバも発さず、顔を上げ、ただ たまげていた、と言うよりも呆れていたのを憶えているww
でも、たしかに、現在の自分よりも、子どもの頃のほうが、もっと強く感じられていたようには思う。
それにしても、
そんなに珍しいとか才能だとかって、たいそうなもんかしらねえ?
この狭い頭蓋骨の空間のなかで繋がってるんだから、どこかの部分で刺激を受けたら、いっしょに連動しちゃう部分が あっても、それほどにはフシギと思えないんだけどなあ。
旧ブログで、また、過去エントリーの どこかでも紹介した話だけど、戦時中、飢餓状態に晒されていた日本の兵士が、炊きたての白い御飯を、脳裡に思い浮かべた瞬間、なぜかアソコが勃起しちゃったって現象。
大きな自然災害のあとで、植物の実が、例年よりも多く ついた現象とか、そういう話も聞いたことが あるけど、どこか共通したものが察せられる。
それと、
全く異なる人種や民族、遠い国どうしの言語なのに、たとえば、「甘い」とか「辛い」という感覚を表わしているように思える単語の発音に おいて、かなり共通した感覚が あるようだという実験のようすを、テレビの番組で見たことも憶えているのだが、
世界各国で、女性に かかわる単語には「М」系の発音を含む単語が多い傾向という共通性も見受けられるように思う。
MacDonald-Wright“Scherzo Form”(1973)
あと、同じく『オトナの教養講座』から。
なぜか、日本のニュース記事では、それほど詳細を解説しているものは目にしなかったため、私も、そこまで知らなかったのだが、
『ジャスト ストップ オイル』とかいう、有名な美術作品を襲撃する活動で話題になっている連中のことだ。
この集団を支援しているというのが、世界的にも知られているほどの大富豪(石油会社など)の子女たちだという話だったんだけど、
ここで私が連想したのは、
『共産主義』思想や、とりわけ『キューバ』革命を主導した者たちが、本来なら、それを忌避し、滅しようと動くべき側の はずの一員で あり、原住民を搾取して、財を築いた裕福層の子息たちであったということの、一見チグハグな感じの歴史だ。
やはり、生活に余裕あるからこそ、高等教育、教養、技量を身に つけられるゆえの、思想や知性を培えるゆえの、新たな、先端的活動の実行力なのだろうけれども、
くだんの、美術作品襲撃活動と、それを裏から支援しているという富豪の子女ともなれば、これも さぞかし名門のとか有名どころの最高学府を出ているのだろうと思しきわりには、えらく浅いというか、
はっきり言ってバカっぽいような。
なぜなんだろう?
なぜ、こんなことしか考えつかない、できないのか。
飢えを知ることもなく、潤沢な生活を謳歌していられる連中よ。
オマエさんたちの襲撃活動で得意げに手にしている、缶スープその他にしたって、そうとうのエネルギーを費やして製造されているはずだろう。
まあ、私としては一言で済む。すなわち、
ヘリクツは いいから、とにかく、食べ物を粗末にするな!
それだけだ。
この冬は、例年にない厳しい寒さなのに、暖房費の高騰も心配のタネで、うちも、先日のエントリーで触れたように、12月に入っても、なかなか、暖房を入れる気になれずだった。
直近の長期予報によると、大阪では全体的に晴天と平年並みの気温の日が多いそうで、時々は猛烈な寒波が来るものの、比較的短期間で済みそうだということなので、本当に そうならば助かるなあと、少しホッとした。でも、豪雪地帯の住民は、例年にも増してキツイ状況、ましてや、生活苦で、暖房も ままならない世帯などは、のりきれるのだろうかと、他人ながら、気にかかっている。
それや これやも あるからだろうか、
近年は、ますます実感しているように、日本では従来、最も大きな節目であったはずの「お正月」らしい厳粛さ、独特の清新さというものが、私の子ども時分と比べて、ずいぶん希薄になったもんだなあと思う。
そのくせ、
『キリスト教』の信者でもないのに、『クリスマス』は勿論のこと、近年では『ハロウィーン』てなものを歓んで、やっさもっさと、大集団で押し合い へし合いの大騒ぎらしい。
これだけ、娯楽の類に事欠かない現代でも、若造というものは、要も ないのに、集団で押し合い へし合いになるのが、よくよく大好きなんだなあと、大昔の『歌垣』なる風習を思い浮かべつつ、あらためて呆れるw
私は若い頃から、人ごみが大キライだったけど。
私自身、若い頃は、「桃割れ」髪を結ってもらうために、共に美容室へ赴き、和服の着付けを やってくれた母を亡くし、後年、父も亡くなってからは、季節の行事に拘って、うるさく言う者が いないもんだから、いよいよ本当にマイペース、気分しだいとなった。
父親が元気だった頃は、亡母の代わりに、大みそかは、「年越し蕎麦」まで拵えに、気の重さを叱咤して、実家へ通った自分が、はるか遠く、まぼろしのような気が してくる。
あああ、ほんとうに、めんどくさかったw
この反動は、予想以上に大きく長く、尾を引いているww
暖房費が恐くて、寒さに震えて過ごしていると、腰の痛みにも影響するしで、年末なのに、とうとう、基本の家事すらロクすっぽ できないままに終わってしまったが、きのう一昨日あたりは、やっとかめ、玄関の掃除だけ、軽く済ませておいた。
ま、そんな こんなで、個人的には、例年以上に、なんとも さえない年の瀬となっちまいましたが、
皆さまに おかれましては、よい お年を お迎えくださいませ。
〽ほ~た~るの ひ~か~り、わ~か~れゆぅ~う~く~♪
年が明けて、チョーめんどくさがりな私の気が向く そのときまで、しばしのサラバでございます(笑)
ではでは