2019.02.07 (Thu)
新元号に「和」の字が人気?
やめときなはれw
『平成』で、名前負けの恐ろしさというものを実感しただろうにw
『昭和』だって、やっぱり、名前負けの面が大だったろww
次の元号に「和」の字なんぞ入れてしまったら、ただでさえ、再びのキナ臭さ漂う国内外情勢だ、ほんとうに、戦争が勃発しちゃうかもよ?
まあ「ネトウヨ」と、そのミコシを任じているていのアベシらは、そうなってほしいと願っているらしいがねww
子どもや孫に、「お国のためだ、死んで来い」などと、口が裂けても言いたくない、言えない人たちは、そんな事態に陥らないよう、シッカリがんばんなさい。
わたしゃ、子も孫も いないから、他人事みたいに言ってスマンけどね。
ところで、
この3日は『節分』ということで、半額になってた「恵方巻」を食しました。
思うに、私が子どもだった頃、もちろん、それはン十年も前の時代だが、「豆撒き」の季節行事は、一般家庭においても比較的に残っていたので、夜ともなると、じゃあ~始めるか、と、窓を開ければ、寒風に紛れて、ご近所の家々が建ち並ぶ向こうのほうから、
「鬼はぁ外ぉ」
「福はぁ内ぃ」
という掛け声が、途切れ途切れに聞こえてきたものだ。
大きな声で、戸外に向かい叫ぶのも、なんとは なしに気恥ずかしい感じが あるもので、
実家では、幼いうちは私が言わされていたが、その私自身も、お年頃に さしかかったあたりで、兄が在宅しているときは、もっぱら、兄に言わせていた。
こういったことも あるゆえに、特に都市部の密集した住宅街や集合住宅などで、にぎやかしく豆撒きや「鬼やらい」という風習が薄れていき、
かわって台頭してきたかのような、一般家庭における新しい風習が、
「恵方巻」
ということなのかもしれないと思う昨今。
もっとも、この風習自体は昔から、いわゆる花柳界にて行なわれてきたものだとは聞いているが、
なんせ、「歳の恵方」を向いたら、あとは黙りこくったまま、
黒々とした海苔に覆われた、太く長いソレを、ひたすらに咥えて食べきるべしというんでしょ?
「ひいきの旦那の訪れを、今夜も切に願いつつ。。。」
じつは、かなりキワドイ意味を持つものであるという(苦笑)
なので、
じゃあ、男性が、「恵方巻」を、って、どうなの??という疑問を、旧ブログで書いたことがw
近頃では、「恵方巻スイーツ」と称し、太く長いロールケーキ状のデザートなんかも出てきてるが、いくらなんでも、これを、ひたすら黙ったまま、イッキに食べきるのは、そうとうの甘党でなければムリだろと思う。
もっとも、買ったことは ある(笑)
友人・知人の誰かが言っていたかと憶えているのだが、
この、拍子を つけた掛け声を出すのが照れくさいからとて、
小声で、いたって普通に しゃべるときのように、「鬼は外、福は内」と、
あくまで淡々と言って済ませるとかいう人も いたが(もしかしたら、私自身だったか?笑)
ちょっと似た話で、
むかしの実家が特に親しくしていた隣家のオジサン、お正月の朝、うちへ出向いて来て、ひとしきり、あらたまった姿勢で、新年の挨拶の口上を述べるのが、なんだか照れくさいなあと おっしゃったところ、そこんちの娘さん(私は、おねえちゃんと呼んでた)が、
「ほんなら、玄関あけて一言だけ、『謹賀新年!』と言うて帰って来たら いい」
と答えたというので、皆でフキ出したことを思い出す。
来客:
「謹賀新年!」
あるじ:
「臥薪嘗胆!」m(_ _)m
…(笑)
まあ、いまどきは、「あけおめ」で済ませたりもするけどなw
ああ、そうだ、辻元さんの「外国人献金」発覚について少々。
以前、前原さんの辞任騒ぎにまでなったことは、記憶に古くないね。
それなのに、またぞろだそうな。
いずれも、元『民主党』で、現在、党の要職に就いていて、やっぱり在日韓国人から、というパターン。
実のところ、自民党支持者には、昔から、在日韓国人・朝鮮人も多いそうなので、
あれかねー、わざとかねえ?www
そうではないのなら、どんだけ学習能力ないんだろ、在日韓国・朝鮮人ってのは。。。(呆)
しかも、今回の献金者は、焼肉屋のオバちゃんでもなくて、
なんと、弁護士だってさw
まあ、弁護士と言えど、もの知らずも多いのは知ってるけどww
さて、半額でゲットした「恵方巻」を食しつつ、
「豆撒き」のこと、その掛け声のことを思い出していた。
胸のうちで唱えながら、おいしく いただきました、ええ、このように。
「あべは~外!!福は~内!!」
「あべは~外!!」
2019.01.21 (Mon)
の続き。
前振りが長くなったが、さて、
24年前。。。せいぜい数年前くらいに感じられる。
あれで震度7。。。
関西では概ね、大地震が起きる懸念は薄いという(根拠なき)印象だったのだが、去年の地震、また、台風は、非常に恐かったですね。
今後は、もっと高い震度で、かつ、回数も増えるというのだから、どうなることやら。
正直、子どもを持つことのない人生だったのが幸いであったような気すら してくるよ。
いや、マジに、大災害の多い所で、子どもを産む気になれるというのが、ちょっと理解し難いわ。。。
そもそもが、子どもを産むということ自体、人間にあるまじきほど脳天気な行為と言えなくもないんだろうけど。
阪神地域とは、ほんの隣りながらも、あの『阪神・淡路 大震災』で、大阪では、比較的に被害が大きかったのは、ごく一部の地域のみ。
辛うじて買い出しに来阪することが できた被災者たちが、梅田あたりの通常と変わらぬ賑わいに、まったくの別世界、と呆然のていであったほどだ。
しかし、あの大震災を経験していたからこそ、東北の甚大災害が起きたとき、遠い地域の他人事とは思えなかった面も ある。
私の周辺では、当時の勤務先の同僚が亡くなっている。まだ20歳代の若さだった。
この同僚は、居住していた周辺地域自体の被害度は低かったはずなんだが、一人暮らしの住まいであった室内に、将来の目標とか趣味としての方面での本を大量に置いていて、それが崩れ落ちたなかに埋もれるようにして亡くなっていたということだった。
1冊1冊は知れていても、書籍類とて、大量のものがイッキに崩れると、恐ろしいことになるんだなと、あらためて認識したものだ。
大阪のなかで、被害が大きいほうだったのは、豊中周辺が そうだったし、私も、初めて一人暮らしを開始したのが、あのあたりだったのだが、資金に乏しかったため、大型の家具などは、まだ殆ど揃えられなかったのが、ある意味、よかったのかもしれない。
うちも、比較的に大量の書籍類を保持しているクチだが、当時は、一つだけ運び込んでいたガラス扉付きの本棚に、全部を収めるのは後回しになっていて、ほとんどは、ダンボール箱のなかに入れたままだった。
じつは、当初、神戸方面へ引っ越すことも視野に入れていたんだ。なかでも岡本とか芦屋周辺とか、私が生まれた街に似た、閑静で落ち着いた雰囲気が好みなので。
でも、大阪のなかでも北部の、豊中に ごく近いあたりで気に入って決めてしまい、それから しばらくして、あの大地震。
もし、当初の希望どおり、阪神間に引っ越していたら、どうなっていたことか。
その瞬間のこと、まざまざと憶えてる。
たまたま、私は起きていた。
再び書き綴るのが、これもダルイので、一言。
入居した部屋は1階じゃないのに、ゴオ~という地鳴りのような音が、足の下から微かに聞こえ、青白い閃光が走った。
それと、あとから知ったのは、うちの親が、これも じつは、淡路島に移住しようかという話が、少し前に出ていたのだという。
そのことを初めて聞いた私が、「なんで また、べつに縁も ゆかりもない淡路島?」と問うと、父親自身も、
「そうなんだよ。なんで あのとき、淡路島に引っ越そうと思ったのか、今となったら、おれ自身、よく分からないんだよ。ただ、テレビ番組で、淡路島の特集やってたんだ。おかあさんと いっしょに、それ見てるうちに、なんだか、その気になりかけてたような」
と言っていた。
まったく、気分屋の両親だ。
子である私なんかは、どこに引っ越そうか、その理由なども、ある程度、はっきり意識していたというのに。
先述した同僚の話に戻る。
あの頃、私は、直接、出張先で仕事していて、長期間、帰社しなかったので、彼の経緯は全く知らないでいたのだが、
出張も一段落し、久しぶりに自社へ戻って来たら、なんとなく、違和感が あった。
さりとて、それを意識に上せることもないまま、上司に促されて、示された空席に座っていた。
この会社では皆、各地の出張先で仕事していることが多く、いつも同じ席に座っている社員は、ごく僅かなので、それ以外の者は、どこでも、空いてさえいたら、勝手に座って作業する。私も、そのとき、上司が、ここに座ったら いいよ~、と言われたので、そのとおりにしたのだが、
ほどなくして、違和感の原因が、かすかに分かったような気が した。
「そういえば、この席って、いつもは、あの男の子が座ってたのに」
きょうは休んでるか、出張に行ってるのかな?と、さして気にせず、割り振られた作業に とりかかっていた。
そのうちに、どこからともなく、線香の香りが濃厚に漂ってきた。
はて、夥しいビルが立ち並ぶビジネス街ど真ん中のオフィスの すぐ近くに、お寺とか あったかしら?と思いつつ、やはり、たいして気にもせず、作業を続けていた。
やがて、昼休みになり、同僚の女の子たちと共に、飲食店へ出向き、昼食を注文しているあいだに、事情を知ったのだった。
…
他の かたがたの話と共に、ある、娘さんを亡くした かたの話を、いまでも思い出すことが ある。
就寝中に、一緒に被災して、娘さんの上には、たしか、大きなタンスか何かの重い家具が のしかかり、おかあさんのほうも、同様に、上に何かが のしかかっていて、全く身動きが とれない状態。
暗闇のなか、娘さんの すすり泣きと、苦しがる訴えが聞こえてくる。
おかあさんは、なんとか正気を失わせまいと、救助が来るまで耐えるように励まし、叱咤するのだけれど、その すすり泣きが、徐々に弱まっていく。
だが、どうすることもできない。
やがて、おかあさんの必死の呼びかけに、ぱったりと、応えなくなった。
…
それから数年ほど経った頃、私は、このかたの話を、新聞で読む機会が あったわけだが、
当時の談話によると、
いまでも、親しくしていた知人などに、ついつい、亡くなった娘さんのことを話し出してしまうのだけれど、そうすると、その知人に、
「いつまで、そんな話を しているの!」
と、呆れたように言われてしまうんだそうな。
なんと無神経で、優しさや思いやりに乏しいのかと思ってしまった。
これほどの災いに酷く傷ついて、苦しみが癒えていない人を叱りとばすなんて。
私は、こういう人も苦手。ハッキリ言って、きらいだ。
せんぐり せんぐり話そうが、時間が許すかぎりは、あるいは、まとまった時間を つくってでも、とことん聞いてあげれば いいじゃないかと思うの。
私なら、そうする。
そして、自分も知る故人の思い出話や、私個人は、何らの宗教的なことに傾倒するものでは ないが、故人が、もしも、言いたいことが あるとしたら、大切な おかあさんを案じて、これからの平穏を望んでいるはずよと、そういった話で応じるだろう。
でも まあ、世のなか、いろんな思考回路や感覚の人が いるわけで。
悲しい、辛い話を聞かされると、自分まで落ち込んでしまうから迷惑だ、と思うタイプの人も いるだろう。
その知人のかたは、たぶん、終わってしまったことばかりを思い出さず、前向きになりなさいよ、という励ましのつもりだったんだろうと思う。
だけど。。。
あの おかあさんは、少しは元気を取り戻されているだろうか。
どうか、そうであってほしい。
うちの両親の祥月命日も、1月だ。
母親に比べて、年齢が ずっと上だった親父は、女房の あとに続くのに、そこから十数年ほども遅れたが、結局は二人とも同じ月の、似た数字の日が命日となった。いかにも腐れ縁のバカップルらしいわいw
ま、生きてるうちに縁切りしたかった私は、とくに何も する気ないんだけどw
2019.01.20 (Sun)
耳は障碍、眼は傷めてる、皮膚は弱い、もともと、嗅覚も鈍いとか、ま、要するに、いわゆる「五官」の ほぼ全てが、人並みじゃないと言えるかもしれない私w
子ども時分から、母親が不在だったり外出の多い人で、晩御飯用の米を焚いておくように言いつかることも たびたびだったので、言われたとおりに洗い、頃合を見計らって、火にかける(炊飯器を買い替えずに、ガスで炊いてたから)。そこまでは普通なんだけど、
ところが、
母親が帰宅し、玄関の戸を開くなり、大声を張りあげる。
「焦げ臭いでっ!!」
あ、また やっちゃった。。。
そして、必ずのように言われる。
「おまえは、こんだけ焦げ臭いのに、わからんのか!?」
と。
怒ってるというよりも、まじで呆れている母親。
母親のほうは、これまた異常なくらいに、嗅覚も聴覚も鋭い。
眼は弱点だったけど、五官に関しては、それだけ。
料理が得意だっただけに、味覚も鋭かった、というよりも、食い意地が張っていたw
いやあ、言われてみれば、そして、自室の戸を開けられてみれば、なるほど、家じゅう充満し始めている、ご飯が焦げている臭いに、さすがの私も気づく。
私は、何か他のことに集中していると特に、気づきにくいんですわ。
こう、ひたすら没頭してしまうのは、聴障者の特徴的一面でもあるらしいのだがね。
そういう状態のとき以外は、これは、小学校の1年生で、担任に指摘されたが、注意散漫であると。
もしくは、親父に言われたところの「昼行燈」の如くに、ぼーーーっとしている。
ぼーーー ⇔ 注意散漫 ⇔ 没頭 ⇔ ぼーーー ⇔ 注意散漫 ⇔ 没頭
こんな感じのサイクルだw
ところがね。
この、すばらしく鈍い嗅覚で、フシギなことが起きたこともある。
ちなみに、
カゼを ひいたら、鼻が鈍く、っていうのは よく聞く現象だけど、
私の場合は、カゼを ひくと、なぜか、逆に敏感になるw
まず、水道の水。
てきめんに、カルキ臭さが鼻につくようになる。
それによって、あ、カゼひいたな、と分かるくらい。
さて、旧のブログでは詳しく書いたことが あるんだけど、
以下に、そのフシギなエピソードを少々挙げてみよう。
実家で生活していた頃は、裏が、一軒だけ残ってた農家の田圃、
隣の おっさんが、家庭菜園や園芸に凝ってて、桃の木やら葡萄棚とか、所狭しと拵えてあって、そのせいか、ナメクジやら特大サイズの蜘蛛が、うちのなかにも たくさん這い回ったりして、すごく迷惑した。
うちの父親は、千葉の田舎育ちだし、大阪の街なか育ちの母も含めて、親らは、わりと平気なんだけど、ナメクジは厭だ、と顔を顰めていた。
私は、ナメクジなんか、ずっとマシだわと思えるくらい、あの特大の蜘蛛が怖ろしくて怖ろしくて、実家を離れた理由の一つが、これだった。
こうして、文字で書き記すだけでもゾッと厭な気分になるくらいだ。
でも、あれは、いわゆる「益虫」扱いされている面もあって、性質自体は、いたって おとなしいんだけどね。。。
なんせ、姿が悪すぎだ!w
おとなしいからこそ、ああいう姿なのかな?
性質だけなら、ちっこいハエ取りグモのほうが、よっぽど、気が強いもんねww
ちなみに、むかしの実家に居ついていたハエ取りグモくんは、洗面所の大きな鏡に向かって、「威嚇のポーズ」を とっては、悦に入るのがシュミだったww
それで、
チミ チミ、なにやってんの?と笑いながらチョッカイ出すと、
あっ侮辱したなあ!とばかりに、怒っているのが、その眼で分かるもん(笑)
人間でも言えそうだよね。
大柄な人が、見かけによらず、ぬぼ~と おとなしくて、
小柄な人のほうが、負けん気つよくて、攻撃的だったり(笑)
それは さて置き、
あるとき、夜遅く、おふろに入り、浴室を出て、自室へ戻る途中、台所を経由するんだけど、勝手口の近くを通りかかったら、何か臭いが する。
今までに経験したことのない臭い。。。
なまぐさい臭いだ。
んー?と思いつつ、そっちへ視線を向けると、一瞬、細長い尻尾が見えて、たちまち消えた。
小さな蛇の後ろ姿だった。
じつは、これ以前の数日前から、時々、何か なまぐさいなあ?と感じていたのだが、気のせいかなと、親にも言わないままだった。
思いがけず、その正体が知れたわけだが、もう夜中だし、いちおう、姿は消えたし、あしたにしようと、ひとまずは就寝した。
で、翌日。
ふだん、庭仕事を している最中、枯葉や芝のあいだに、白い色のテープの切れ端なんかを目にしたとたん、
「ぎゃああああー!!!」
と、
ご近所もビックリの、「絹も裂けない」オッサンの凄まじき悲鳴を あげる親父。
そう、田舎育ちのわりに、蛇だけはダメなんだ。
案の定で、昨夜、私が見た光景を告げると、ビビリまくり。
蹌踉として、出社していった。
そりゃ、私だって、苦手だよ。
田舎育ちじゃないし、そもそも、虫も爬虫類も、大の苦手。
エビやカニも食べられないくらい、グロテスクと感じてしまうんだもの。
それから、また数日。
あの小蛇は、もう、どこかへ出て行ったのかなと思っていたら、
帰宅した私は、以前から台所に据えてあった『ごきぶりホイホイ』に、頭と尾っぽの先だけが、それぞれ貼り付き、胴体部分は『ホイホイ』の外側を囲んだ状態のまま、身動きできずにいるところを見つけてしまった。
よく思い返すと、
『ホイホイ』の片方の入り口に、頭と尻尾どっちも貼り付いてたかも。
なので、
1ヵ所の入り口から、胴体部分がU形にハミ出ていたという かたちだったかも。
とにかく、生きてるのやら死んでるのやら、全く動かない。
あいにく、家族は出払っていて、家には私一人だけ。
どうしたものか、、、と困っているところへ、以前、隣家に住んでいた人の引っ越し先へ遊びに行っていた母親から電話。
さっそく、かくかくしかじかと事情を話し、そんなわけだから、なるべく早く帰宅してほしいと言うと、
そんなの、見たくないわぁ♪おかあさんだって怖いわぁ~♪
と、なんだか、似合わぬ ぶりっこ声を出して、てい良く、帰宅を拒む。
じゃあ どうすんのよ!と言うと、
(反対側の)隣りの おっちゃんに頼め、と のたまう。
隣り、ってのは、くだんの、家庭菜園や園芸に凝ってる おっちゃんとこね。
この おっちゃんが庭仕事してたら、時々、上からドサッと、ぶっとい「みーさん」が落っこちてくるんだって、と、うちの親らが笑っていたが、
少なくとも、親父は、笑ってる場合じゃなかった。
そう、この小蛇の出現した原因は、たぶん、隣が拵えてある葡萄棚だろう、と。
しかたないから、頼みましたよ。たまたま、おっちゃんが庭仕事してるのが見えたから、かくかくしかじかと。
もうね、再び繰り返して、この経緯を書くのも業腹なんですわ。
だから、ごく掻い摘んで言うけど、
やれ、
「○○ちゃん、蛇くらい始末できないと、嫁に行けんぞ」
とか。なんの関係が あるん?それって、と言いたいくらい、くだらん説教たれまくられてさ。
原因つくって、こうして隣家に迷惑かけまくってるアンタみたいなド田舎の育ちとはワケが違うんですわ、こちとら。
わたしゃ、大阪でなければ東京の高級住宅街以外は、ほとんど知らない都会っ子の(当時の)現代っ子でございますので。
しかもだ。
やおら、大きなハサミを持って来なさい、と命令してきた。
は?と思ったら、
『ホイホイ』を囲んでOの字形に固まっちゃった、かわいそうな小蛇ちゃんの胴体をブツ切りにする算段らしい(呆)
それだけは、と思いとどまらせて、
要は、『ホイホイ』ごと、外に出してくれたら いいんですわぁ、
と、必死こいて頼んで、やっとこさ、一件落着。
…どういう神経と思考回路なんだろうか。
頭と尾っぽの先だけが貼り付いてる。で、『ホイホイ』の外に出てる胴を切断して、何になる?無意味だろが。
あたま悪いというか、思考がズレてんだろうなあ。。。
あるいは、イヤガラセのつもりで、ハサミ持ってこいと言ったんだろうか。たぶん、それに違いないが、
まあ、手間のかかることだよ。
ホイホイごと、外に出す、たった これだけの頼みに、さんざ、勿体つけて、恩着せがましく。
ハッキリ言いますが、私は、こういう手合いも、きらいなタイプ。
冒頭に述べたように、「五官」というものを はじめとして、われながら甚だ鈍いにも かかわらず、私には、他にも幾つか、普段の自分からは、とうてい想像もできなかった奇妙な出来事の経験が ある。
続くエントリーでも、一例を記してみよう。
【続く】
2018.12.08 (Sat)
だいぶ前に、キッドが、車椅子生活になっているということは知ってたんだけど。。。
ショック。私のアイドルが、また ひとり。。。
『『スカイ ハイ』』
故 阿修羅 原との一戦も、じつに良かった
なんと言っても、あの瞬発力、軽やかなスピード感きわだつ試合ぶり、
とにかくカッコよかった!
おまけに、プロレスラーには珍しいほどの美男子。
中継アナウンサーは、
「(プロレスや試合に)関係ないかもしれませんが」と前置きして、
ほんとにハンサムですよねえ、とか「金髪が なびいております♪」とか言ってて(笑)
アイドル俳優なみのテレジェニック、フォトジェニックながら、真剣・真面目そのもののなかに、ファンのためのエンターテインとしての見せ場も よく心得ていたという感じ。
終始クールな表情を崩さないのに、華が あった。
キッドが引退するときの試合、私も、テレビで見てたんだけど、
試合終了した時点で、『新日本プロレス』か『全日本プロレス』側の選手やスタッフらが、わらわらとリングに上がってきて、キッドを胴上げしようとしたとき、彼は、一瞬、何事だ?とビックリしたようすだったけど、日本側の誰かが、しぐさで説明してあげて、それから、盛大に胴上げ、
それが済んだら、すかさず、プレゼントの箱を手渡していて、いつもクールなキッドも、さすがに このときばかりは、感動の面持ちが滲んでいたことを思い出す。
永遠の爆弾小僧、キッド、今こそ安らかに。Rest In Peace.
『聖母たちのララバイ』
2018.10.11 (Thu)
じゃなかったのぉ?
「泣きっ面に蜂」のほうが当たってるんじゃないか、近頃の日本列島。
※(再記)
きょうのエントリーは、数日前に下書きしてあったのを放置していて、今、アップしてます~(笑)
『『台風21号』』
しろうとには、人類が やってることの影響なのかどうか、本当のところが、よくは分からないけれど、
海水温が高いままというのが、今年、こんだけ大型台風連続発生してる原因なのだそうだが、それって、原発の温排水垂れ流しも影響してるんじゃあるまいなあ。『アマゾン』の密林破壊なんかも。
ともあれ、
先行した『21号』台風には、なんといっても、「風の恐ろしさ」というものを見せつけられた。
網入り窓ガラスの、あのバフバフぶりには恐れ入った。
ヒビくらい入っても しゃあないのかもしれんけど、
サッシごと、窓を持って行かれたら困るわ~と、ここんとこ、いつも思う。
その前に到来した地震と同様、大阪の住民にとっては、初めてじゃないかというほどの衝撃だったが、
不幸中の幸いなのか、『24号』チャーミーさんは、仏さんとかブッ倒していきはったけど、先輩のような恐怖までは与えずに去ってくれたようだ。あくまで、大阪の住民にとっては、だけども。
うちも、こないだの『21号』で、ベランダがメチャクチャ状態だったので、まずは、そこから掃除。
排水穴に貼り付いてる葉っぱ等を取り除き、引っ繰り返ったまま放置してあった網戸も含め、洗える所は洗い流して、とにかく、次の『24号』台風が来る前の、つかの間の晴れ間に少しでもと洗濯しておき、それを取り込んだあと、物干し棹も忘れないうちに、床に落とした。
昔、安価なので、とりあえず購入してあった、古い形式のシンプル素朴な懐中電灯を、これは普段からストックしてある電池を入れなおしてみて、まだ使えるかどうか確認しておいたし、
浴槽に常時、水を張りっぱなしというのも、ちょっと抵抗感が あるので、いよいよのタイミング前に、バケツに水をタップリ入れておいたりしたよ。
そう言ってる端から、もう、次の「お客さん」が来そうだとか
「来んれイイ」とかいう、、、いや、「婚礼」、いや「コンレイ」か。。。
「チャーミー」さんの場合は、高気圧ボーイに挟み撃ちされてるみたいな状況から、悶々としたあげく、日本列島に駆け上がって来たという感じだったみたいだが、
少女「コンレイ」の場合は、どうなるか。
今後、毎年のように、こういう心配でハラハラしなくちゃならないのだろうか。
自然界に怒ってみても、せんないことで。
分かっちゃいるのだけれど、気持ちの持って行き場が ないというか。
生まれてきた命が悪いのか。
生まれてきたことも「自己責任」なのか。
ただ、この地球自身の生命活動に沿って、太古、われわれは生まれて、進化し、淘汰も され、特にヒト族は、生き延びるために、他の生命たちに比べ、特異的に発展してきた。
ところが、人間が、ひとたび大それた試みを しようものなら、地球や自然界の生理に少しでも影響を強いようものなら、そのせいで、やがてのことに、その何倍とは きかないほど巨大な しっぺ返しに見舞われる。
人間にとって最も恐るべき大地震だって、「生きている」地球も「寝返り」するわけだし、洪水を起こすほどの大汗も かく。
そこに、悪意が あろうはずもない。ただ、人間にとっては致命的になるというだけ。
たとえ人に慣れたライオンなどの猛獣でも、ただフザケたり甘え噛みしてきただけで、われわれの側は致命傷を負う。しかし、彼らに、悪気というものは ない。
いや、そのへんの犬や猫でさえ、彼らが本気になったら、人は大ケガする。
地球や、この自然界も同じことだ。
人間ですら、何かの小動物を飼育していて、自分の足もとでチョコマカしていることに気づかず、小さなペットを、うっかり圧迫したとかケガさせたという経験を した人も、なかには いるだろう。
ところで、
現時点の仮説では、われわれが生きている この宇宙は、われわれにとっては、「気が遠くなる」以上に、これからも まだまだ、長く存続できるらしいのだが、
それでも、終わりは来るもので、最終的には、収拾が つかないくらいに膨れあがるだけ膨れあがって終わるんだそうな。
その頃、人類は、どうなっているだろう。
すでに誰も いなくなってるかもしれないけれど、どのみち、「母なる地球」を脱出してみたところで、この宇宙からは出ることが できないはず。
それこそ、「ブラック ホール」と呼ぶトンネル穴を、
われわれが、実際、その母の胎内トンネルを抜けて出てきた如く、
次の、あるいは別の宇宙に、あるか なきかの、ちっぽけな「粒」となって放り出されるようなことでもないかぎり。
一粒の麦、もし死なずば。。。?
爆死したなら、宇宙が始まる??w
もう要らんけどなあww
ヒト以外も全て含めた われわれの生命は、
リサイクル世界のなかで循環している。
「大宇宙」も また、「リサイクル世界」か。
『理論と根拠』
…
明けきらぬ早朝、
ゴミ出しに出たら、うちの玄関先から、ずっと遠くまで見渡せる街の道路沿いに立ち並ぶ街灯の光が、やけにピカピカして見えたよ。
風の強さが、まだ少し残ってる。。。
そこだけが、繭で拵えた寝袋みたいな雲の、そのなかに隠れて居る月の、淡い光が滲み出ている。
その周囲の空から空へ ぐるっと視線を めぐらして眺めると、普段よりも多くの星々が見えた。いつも以上にキラキラ瞬いている。
あの風雨に吹き飛ばされて、大気が澄んでいるんだなと思った。
これから秋の季節が始まることを感じさせる、冷涼な水を満たしたような空気だった。
…と思いきや、
その後、夏がUターンしてきたかのような日々となったのであった。
私の愛する春と秋を思いっきり縮小してくれて、
すごく暑い、
すごく寒い、
どちらかしか なくなっていきそうな、この国の気候に備えてか、例年以上に、よう鍛えてくれはった。よう鍛えてくれはった。
暑いよぅ、風が怖いよぅ、寒いよぅ、地震が来るよぅ、、、
どないせえっちゅうねん(困惑)
“Sara“