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Updated   
2022.08.03 (Wed)

「そんな小さいモノemojiで、彼女を満足させられるんですか?emoji

ってな、

胡散臭くも無礼きわまるタイトルを付した迷惑メールが、
毎日毎日、いくつも届くんですわ。

もちろん、なかみの本文を確認したことは ないが、

どうやら、『ED』系とか、その方面のサプリの宣伝と思しい。

 

大きな おせわぢゃー!!emojiわたしを誰だと思ってんだあ!emojiemoji

ナニが小さい?結構じゃないかよ()

小さくてモノタリナがるのは、むしろ、女のほうがガバガバ(ry)

などとemojiはしたなくも毒づきながら、
それらの迷惑メールをイッキに処理するのだが、

と、

ここまで書いたとたんに、ネット ニュース閲覧画面にまで、さっそく出てくる、『ED』系サプリの宣伝広告。

あいかわらず鬱陶しいのう()emoji

 

さて、今回のエントリーは、いわゆる「カミング アウト」になってしまうのかなー?

いや、これまでにも、隠すことなく、あけっぴろげに言ってきたと思う。
私には、へんな「罪悪感」なんて全然ないから。

 

私はですね、恋愛対象について、性別のことは どうでもイイので、
いわゆる「バイ」なのだろうとは思う。

でも、男女の別に関係なく、いろんなタイプに、恋愛感情を抱いたことが あるからと言って、とくに惚れっぽいわけでもない。むしろ逆かな。異性である男性に対する「間口」は、相対的にグッと狭いのは確かだし。

これって、そんなに少数派なのか?
ほとんどの人だって、相手が異性で ありさえすれば誰でもイイってことじゃないだろうし。

てか、

最近、もしかすると、自分は「トランス」なんたらいうのに該当するんじゃなかろうかと思い当たったんだけど、と言うのも、

同性を相手に、恋愛感情として好きになった場合には、なんか、『闇の左手』じゃないけども、相手によって変化する面が、大なり小なり あるようだから。
この現象は、どういうわけか、異性(男性)に対しては、ほとんど起きないようなのだ。

まず、一つには、私が幼い子どもの頃から、男性のみならず、女性にも、ずばり性的に利用された、そういう出来事よりも、

暴力を振るう癖のある父親が大キライだったので、その分、マザコンになったことのほうが大きく影響したのだろうかとも思うのだが、そのせいか、

同性相手と比較して、むしろ、恋愛感情が起きにくくなってしまった男性一般よりも、女性に対してのほうが、些かなりと「間口」が広くなる傾向なので、その分だけ、私自身の「指向」や態度も、つど、多少いろいろ変化するわけ。

「いろいろ変化する面」というのは、あとで、だんだん、大まかに述べるけれど、さておき、

かつての同僚のなかに、そうとうの美青年が いて、過去エントリーでも書いたことあると思うんだけど、ほれ、その美青年が幼少の頃、隣家のオッサンに、性的な行為を されていたのに、おかあさんは、そのことを全く知らず、引っ越すとき、そのオッサンに、「うちの息子を可愛がっていただいて」云々と、あたま下げて挨拶した、って話(苦笑)

この、年下の美青年と二人で組んで、出張先の一室に閉じこもり、取引先からの依頼に もとづく仕事を していた時期が あるのだが、

うちとけてきたら、趣味やプライベートの話もするし、クールな外見からは意外に、ユーモラスで気さくな青年で、母子家庭の苦労も あったり、とある名門大学に入学する前の、ほんの1、2ヵ月間だけ集中して受験勉強したら、みごと合格したのに、たった1ヵ月で(1週間だったかな?)自主退学したとか、なんかブッとんでるけど、基本的には頭脳優秀なうえ、芸術家肌で、なんせ、美青年だからね、
わたしゃ、ついつい、

「ハンサムですねえ!カッコイイですねえ!「タイプですぅ~

などと、ロコツに言いまくってたの()悪い癖です、はいw
ヘンなところで、親父に似たのかなあ?(苦笑)

でね、

ギターemoji担当でバンド活動も やってるという、その美青年は、時に、歌まで歌って聞かせてくれたり、楽しませてくれたけど、
ついに、あるとき、急にマジな顔になって言われちゃった。

「他の男の人たちにも、同じこと言いまくってるんじゃないですか?」

と。

「いや!emojiそんなこと しないですよぉ~!まじで言ってるんですよおemojiホントですってばぁ~emoji
と、いっしょうけんめい、取り繕ってみたんだけどね。。。emoji

ちっ、バレちゃったか、とほほ。emoji

 

ま、その話は ともかく、

特に、恋愛感情として好きになった同性については、まあ、間口が広がる分だけ、いろんなタイプが好きなんだわwゲヘヘemojiいや、うふふemoji

じつは、
多くの男性がヨダレを垂らすであろうような、色っぽさ滲み出る、可愛くもセクシーな「いい女」も含まれていて、これ、女性の場合に、私が好むタイプの一つなんですがねw

こういう場合、私は、ずばり「男の眼」で、その女性を見てる。

それを自覚するようになった。

とにかく、目が釘付けになってしまう(苦笑)

ほら、男性が、好みの女性を見るとき、無意識に よく やるように、幼い子どもが、興味や関心を ひかれた対象を、穴の あくほど見詰めるように。

もちろん、一般的な、異性のみ恋愛対象でアタリマエとして生きてきた女性は、最初は怪訝な目で、こちらを見る。

「なによ?ケンカ売ってるのかしらemoji」という感じの困惑した表情で。

不審がられてるのは重々分かってるんだけど、目が離せなくなるのよ、ごめんね(苦笑)ウフッemoji

こういうとき、相手の女性の態度も二手に分かれる。

私の視線を逃れんとして、避けようとする女性と、

逆に、

これは外国で育った女性だったのだけど、もの問いたげに、まっすぐに見つめ返してくるから、結局、お互いに見つめ合ってしまうという、傍の者から見ても、さぞやアヤシく思えるであろうシチュエーションに至ることも あったw

 

あるいは、相手の女性によっては、私側が女っぽく受け身になってしまうことも ある。まあ、外見だけ見たら、そういうタイプだと思われやすいんだけどね、男女両方から。

要するに、なんかコロコロ変わるのw柔軟性が高いのね、アタシってww

 

で、まあ、いずれにせよ、ハッキリ恋愛感情だと自覚しているからって、私は、わざわざ、居ずまいを正し、真剣に告ったりは、しません。

だって、必要ないんだもん。

この気持ちを分かってもらいたく、もう辛くって悶々と、なんてことも全く ないし。

これは男性か女性かに関係なく、相対してたら、いちいち言わなくても、なんとなく分かること多いでしょ。

えっ、違うかな?

あ、そうか、私がロコツだからか??()

 

とくに女の子どうしだと、気安いことも あって、単に仲が良いだけでも、ほとんど恋人みたいにイチャイチャすることも多いよね。

その延長みたいに、そういうフインキに もっていくのは難しくなかった、私はねwなので、学生時分から、キスくらいは してたよ()

「バレンタイン」には、ラヴ レターとチョコ もらってたしw

それでも、

相手は、もともとは一般的な異性愛指向の女の子だし、男性から見ても、とても可愛いタイプだから、ボーイフレンドも いた、恋愛結婚するのも早かった。

なのに、

その子が知らない、私が親しくしていた、(恋愛感情なしの)別の友人のことを話題にすると、たちまち、キゲンが悪くなる。

なにをスネてムクレてるんだか?と、そのことを、うちの母親に話したら、

「それは、ヤキモチや!」

と、ズバリ指摘されたことも あった(苦笑)

 

ま、このように、

異性愛か否かの指向なんてのは、
けっこう誰しもが、わりと曖昧で、あやういものなんでしょう。
私には、経験上、実感が あるし。

 

じつは、うちの母親も、ごく若かった頃、アルバイト先で知り合った女性に、恋愛感情を持たれたことが あったと話していた。

うちの親らも、けっこう複雑でね、

昔の育ちだから、いちおう、同性愛などは背徳的で、おぞましきタブーという、当時の世間一般の価値観は基本としては堅持していた。

だけどもね、

自分自身のこととなると、意外や、それほどの抵抗感は なかったみたいなの。

だから、うちの親らも、言ってしまえば、「バイ」の予備軍みたいなもんだわね。本人自身の自覚は薄くても。

 

娘の私が、もしも、同性を、伴侶として紹介したとしても、積極的に賛成とまでは いかないにしても、最終的に、わりとスンナリ受け入れてくれたのでは ないかなと思える。

やっぱり、最後の決め手は、性別よりも、相手の人がら如何や真面目さ、誠実さだからね、そんなところがスコッと欠けているような与太男を連れてくるよりは、女性どうしでも、そのほうが だんぜんマシだわな。「家の跡取りが」「孫の顔が」とかじゃなく、子ども本人の気持ちと幸せを第一に願う親ならね。

 

 

うちの親父なんか、「近衛将校」として軍隊に所属していた二十歳過ぎくらいのときに終戦になったからね、
今で言う「サイン帳」みたいなノートを、同じ連隊の「戦友」たちと別れるときに交換した、それを、私も見たことが あるんだけど、

真っ赤な色のペンで描いたキス マークに、「お別れのチュウ」などと書き添えてあったw

 

聞けば、

若かった頃の親父は、髭も なかなか生えてこないから、顎に青インクを塗たくって、なんとか、りっぱな髭が生えてくるように願っていたと言うんだけれど、

軍人仲間には、

「『おまえの肌は、女みたいに白くて滑らかでキレイだなあ』などと言われたもんだ!」と、

高齢になっても、おりに触れては、妻子に向かって自慢していたよw

 

「泣く子も黙る」陸軍の内部で、そのようなことが、、、うぬ!

なんたる軟弱な帝国陸軍軍人であるか!きさまら、ケシカランぞ!!w

 

あっ、そうそう、

親父が、入浴後に(しかも、けっこう長風呂w)、真っ先にすることはね、

ヨメ(私の母親)のドレッサーの所に来て、そこに並べられている、女性用の化粧水やら乳液やら美容クリームで、丁寧に、ぺたぺたと、お肌の手入れw

男性用のは、効き目が薄いような気が するんだってさww何の効き目だよwww

 

ハンド クリームなんか、娘の私が使ってるのよりも、ずっと高価で高級なやつを、自分専用に常備しててw勝手に使われると怒るww

 

【続く】

 

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Updated   
2022.07.09 (Sat)

私の夏は、過去から、いちだんと男化する季節でありました。

 

ファッションも、てきめんに「ヒッピー」化するとともに、

夏季の洗面・浴室に欠かせない身の回り品も、まずはシャンプーから。

昔からの定番商品である『トニック シャンプー』というのに変えちゃったりw

 

こないだは、コンビニへ急ぎの用足しついでに、これも、夏には欠かせない身の回り品の一つとなった、ボディ用汗ふきシートってやつ、それの大判タイプを見つけ、おお、これは良いね♪と思って、レジに持ってく途中、気が ついたら、男性用だったw

でも、まあイイと思ってwそのまま購入し、家で使ってみたところ、ぐっと大判だし、しっかり厚手だし、ガッツあるクール感と共に、シトラス系の香りも大いに気に入ったので、また買うつもりで~すww

 

だいたいさ、(日本の)女性用は、洋服ひとつ とっても、大概そうなんだけど、

平均から見れば、かなり身長が高いほうに入る(小学生のうちに、160cmを優に超えていた)私にとっては、ありとあらゆるものが、ちと寸足らずだったり、低すぎだったり、なのよ。

若い頃は、

「ふん、日本人の、特に女性は、まだまだ、おチビちゃんが多いからよねぇ」

などと、ついヒネクレた気分になったりしたもんだけど、

洋服もね、ほとんどの場合、身ごろ等は合っていても、丈は許容範囲でも、袖丈が足りない傾向。

われながら、

「腕だけ長い体型なのかよ?emojiemoji

と、思ったりしたけどw

 

冬季に重宝するニットの手袋などは、指先から早々と生地が薄くなってくるんだけど、若い頃は、買い替えるのを惜しみ、指先が破れた手袋を、できるだけ、ポケットに手を突っ込んでいるようにしながら、一冬を使用し続けたなんてことも よく あった。

 

いまでも、長袖は少し苦手で、すぐに、たくしあげたくなるし、

冬季には、長袖の上に長袖、そのまた上に長袖のコートなんて服装だと、それだけで、なで肩の凝りが酷くなる。

なので、シャツとかカーディガンなどの類は特に、女性が着ても、あまり違和感ないデザインであれば、いまでも、男性用のほうを好んで着ている。ほんとは、可愛いの大好きなんだけどね(苦笑)

 

余談だけど、

学校を出たばかりの若い頃、当時も、髪が長かった私が、アルバイト先の同僚に言われたのは、

その同僚は、私の肩の高さにも届くか どうかというほど小柄な女性なのだけど、その人たちと しゃべっていたときに、

「満員電車のなかで、前に立ってる人の髪の先が、ちょうど、わたしの鼻先に来て、痒いわクシャミ出るわで、腹が立った」と(苦笑)

当時も、背中まで垂らした髪に、リボンやら可愛いヘア アクセサリーを付けまくってた私に、

「昔の仕事で使い余したから、もらって」と、

色とりどりの各種リボンが、いっぱいに詰められた箱をプレゼントしてくれた、母親くらいの年齢の、優しい同僚も いた。

 

あれから、はや、幾年月、、、だw

苦節ン十年を経て、ババァになっても未練がましくwいまだ大事に保管してある、大量の各種アクセサリーや夢いっぱいな可愛らしいリボンなどを、誰か、もらってくれませんかの?

わても、もう、いつまで、こうして生きておれるやら。。。ww

 

こういうときは、さすがに、娘でも いたらなあ、、、と思っちゃうの。

自分が、この者に譲り伝えたいと思える存在が いるのは、幸せなことですわね。

誰であれ、この人に譲りたい、これを伝え残したいと思える存在が いてくれるというのはね。

 

で、

髪が長いまま垂らしていると、いろいろなトラブルやアクシデントが起きやすい。

一時期、モデル レッスンのスクールに通っていたことも あるんだけど(かなーり、トシくってからでしたが!w)、そこのヘア・メイクの講師に、髪が長すぎるのも短すぎるのも、どっちも、基本的に、モデルにはNGです!と、言われたことも あった。いろんなコンセプトに おける撮影やショウのテーマに合わせた、臨機応変なアレンジなどが やりにくいからとかいう理由だったと憶えている。

 

まあ平凡な職業に おいてもね、たとえば、20代の頃、仕事中の移動で、けっこう混んでいた電車のなかに立っていて、目的の駅が近づいたので降りようとしたら、誰かが、うしろから、私の髪を引っ張ってる。
驚いて振り向いたら、
そばに立っていた、サラリーマンらしき男性の背広のボタンに、いつの間にか、私の髪が巻きついちゃってたんだ。

電車は、降車すべき駅に到着し、ドアも開いた。

見知らぬ男性の背広のボタンに巻きついてる自分の髪を、必死に ほどいて、すみません!ごめんなさい!と、平謝りしつつ、間一髪、駅に降り立つのに間に合い、先に降りて、ハラハラしつつ見守っていた同僚たちともども、大いにホッとしたことが あった。

 

(美容室に行くのをケチってw)、髪が、腰や お尻に届くくらい、長く伸ばしていることが多い私は、ふだんは、おだんごシニョンにするか、「中国人かなー?w」と言われるみたいな、背中で1本の三つ編みにしてたりするんだけど、

これも同じく20代の頃、駅ビルのなかを歩いていたら突然、後ろから、垂らしていた1本三つ編みを、グイッと引っ張られたことが あった。

ビックリして振り向くと、
「犯人」は、近くには見当たらなくて、すでにスタコラと、少し離れた前方のほうに逃げており、なぜか、そこに立ち止まって、ランドセルしょった半ズボンの男の子が、興味シンシンの ようすで、こちらを見ていたので、私は、

「こらぁー!emojiと、
その小学生らしき男児のほうに、こぶし突き上げて怒鳴ったんだけどw

そのとき一緒に居て、一部始終を見ていた同僚が大笑いしながら、

「あの男の子、あんたの長い三つ編みを、付け毛か どうか、引っ張って試そうと したみたいwせやから、ちょっと離れた所まで逃げて、こっちを観察してたやろww」
「あんたが、ゲンコツemoji突き上げて、ごらぁ~!emojiって叫んだとたんに、ピューーーemojiと逃げていったなあwww」

と、爆笑していた。(苦笑)

 

 

話題、変わります。

先日、いくつか見かけた記事に、

池の鯉が集団で円状に泳ぐ現象、という内容のものが あった。

それを見た人の、いろいろな感想などが述べられていたが、

読んで、思い出したのは、
むかしの実家の庭に、ちょっとした池が あり、その池で、金魚を何匹か飼っていたこと。

池には、噴水が出るようにも してあり、
特に夏場の暑い日は、時おり、水を吹き上げさせ、それを眺めつつ、涼を取るというような ひとときも あったのだけれど、

あるとき、小学生だった私は、噴水を出している あいだに限って、金魚たちが、噴水の周りを回るように泳ぎ始めることに気づいた。

しかも、
噴水の口から迸り出た水が、池の水面にパシャパシャと、滴(しずく)に なって落ちてくる、その ちょうど真下を狙うかのようにして
グルグルと、全員で輪になって泳ぎ回るのだ。

そして、いつにも増して、元気が良い。なんだか楽しそうなのである。

 

どうやら、吹き上がった水の滴が間断なく降ってきて、水面に当たる、その感触を楽しんでいるように見えた。

 

 

手を叩けば寄って来て、
水の上から、そっと、指を差し入れたら、餌と間違えるのか、おちょぼ口を精いっぱい とんがらせて、頻りに つっついてくる。

それは餌じゃないんだと分かっても、なおも、入れ替わり立ち替わり、みんなで、指先を つっつきに来る。

 

藤の花穂、睡蓮の花影で、追いかけっこしたり、まどろんだりしていた金魚たち。

 

「フロリダ」

【続】「芸術」って?やれやれw追加だよww

 

 

読んだ記事は、鯉の話であるし、噴水とも関係ないようなので、むかしの実家の金魚たちと同列に語るのは違うのかもしれないが、

ふだんは静まっている池の水面が、突如として降ってくる滴によって、ちょっとした衝撃波のような現象が絶え間なく起きるわけだから、それを体感して楽しんでいたように思える。

あの小さな金魚たちにも、われわれと同様に、ささやかな気分転換の娯楽が あったということでしょうか。

 

 

Updated   
2021.04.04 (Sun)

まずは、芋虫と蝶の話から。これは、懺悔である。

このエントリーも、ずいぶん前に下書きしたまま放置していた。

もはや春となり、話の内容に ふさわしい季節だ。

 

さて、私は、爬虫類とか甲殻類、また、およそ「虫」と付く類の生物が、大の苦手。

それなのに、

小学生のとき、理科の授業の一環だったかと、ぼんやり憶えているのだが、

春先の或る日に、校外の近所にある畑へ(当時は、まだまだ田舎の雰囲気だった地域で、田畑や原っぱが多く残っていた)、担任教師に率いられ、クラスあるいは学年全員で繰り出し、

そこ ここに植わっている農作物の葉っぱなどに とり付いている、小さな芋虫を観察し、また採取して、校内へ戻ってきたことが あった。

 

そのおりに、あらかじめ用意しておいた適当な容器のなかに、キャベツの葉などの餌を敷いて置き、蝶の幼虫である芋虫を飼う方法を教わったのだということも、うっすら憶えているのだが、

先述したように、大の「虫」嫌いの私、

別の日の授業中だったか、やはり、芋虫の実物「サンプル」として、担任教諭が、クラスじゅうに見せて回り、触れたい子は触れてもいたので、私も、なんとなく、かつ、思い切って、手を伸ばし、そっと触れてみた瞬間、ほぼ反射的に、小さく叫んでしまい、担任の女教師に たしなめられた事も あった。

それなのに、だ。

 

何の気まぐれでか、
採取した芋虫の一匹のみを、持参してきた容器に入れて、自宅へ連れ帰り、そのまま、飼育を開始したのである。

緑色した、小さな、おとなしい芋虫だった。

 

 

最初のうちは、まあ、真面目に世話を していたと思う。

しかし、もとより苦手な対象だったはずで、興味が薄いのである。

幾らか日数が過ぎてからは、芋虫の餌にするための葉っぱを新しくしてやることを怠けるようになった。

 

そういう状態で、しばらくのあいだ、全く放置してあったのだが、

春も深まった、ある日のこと。

室内の窓際のカーテンの襞に、小ぶりな白い蝶が一匹、静かに息を つくように留まっているのを見つけた。

 

 

窓の隙間からでも入り込んできたのだろうかと、最初は思ったのだけれど、

ふと思い出したのは、放置したままの芋虫のことである。

 

急いで、ようすを確かめようと、容器の蓋を外しにかかったが、

その容器というのは、

もとは、たぶん、海苔などの乾いた食品が納まっていたのであろう茶筒型の、わりに大きさと厚みのある半透明プラスチック製で、とは言っても、内部は全く見えない材質なので、もちろん、外からは、なかを見通せない。

その芋虫のための空気を通すよう、あらかじめ、小さな穴を開けておいた蓋を取り、じかに覗き込まないかぎりは。

 

蓋を開けてみると、案の定で、とうに古くなったキャベツの葉の臭気などがプンと漂ってきた。

 

ほんの数枚の萎びた葉っぱを上から眺めただけでは、居るはずの芋虫の姿は見えない。

 

恐る恐る、葉を めくってみたが、見つからない。

すべての葉を裏返し、
しまいには、全部を取りのけて、狭い容器の底まで確認したのだが、

芋虫は消えていた。

 

 

この事実を確認し、なんとも説明の つかない、怪訝な思いに耽っているあいだに、私に見つかってからも、小さく羽を揺らして、それでも まだ、カーテンに留まっていた白い蝶は、いつの間にか、こちらも、姿を消していた。

 

 

薄情な私を許しておくれ。

汚れなき白き、小さな無垢な蝶よ。


 

∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
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次は、カゼと嗅覚のこと。

カゼひくと、鼻が鈍く、ってのは、世間で よく言われるよね。

ところが、その逆の現象が ある。


鼻が、よく利いてるところを みると、さては、カゼぎみだな?とw


これ、私自身のことなんだけど、


長年、自分でもフシギに思っていて、あるとき、ふと思い出し、私以外にも、同じような経験してる人は いるのかなぁと検索してみたら、

全く同様の事例は見つからなかったけれど、ただ一件だけ、

「体調が悪いからこそ、鋭敏になるのでは ないか?」

という説を掲げているブログさんが あった。

ん、なるほどと思いました しだい。


このリクツで いくとですな、
長年、体調最悪だった頃に、いわゆる「金縛り」現象などに頻々と見舞われていたと同時に、「予知夢」の類までも増加していたことの理由が説明できるように思える。

 

あらためて ことわっておくけど、

私は、聴覚障碍のことは別次元のこととして除いても、恥ずかしながら、いわゆる五官というもの全般が鈍いほうのタチであるw


視力だけは、小学生時分までは、両眼とも1・5くらいを保持していたのだが、中学生になってからは、「仮性近視」になっていることを、専門医から告げられた。

おおかた、本を読むときの姿勢が悪かったのだ、といったことを、親らに指摘されたが、その親ら自身、もともとから乱視だったり、目が弱かったり。なので、

早晩、子である私の眼にも、何らかの遺伝的影響は現れるのが必然だったに せよ、

たしかに、視力が低いというのは、なってみれば、甚だ鬱陶しいもので ある。


しっかり見ようとしても、どうにも見きれない、


さりとて、あまりに近くに、おのが眼を近づけると、かえって、雨滴しとどと流れて滲み ぼやけるフロントガラスの状態となり、

近づいても、もちろん遠くても、ピントが合いにくい、この もどかしさ。

 

諦めて、「見ぬもの清し」という現象を受け入れ、実感せざるを得ないことでも ある。

 

聴覚の場合も そうなのだが、必要性に迫られて自覚しないかぎり、もう他人事のように ひらきなおっているしかないようなことでは ある。


 
私の場合、嗅覚が、これまた甚だ鈍いときている。

ところが、、、なのだ。


このあたりに まつわる話を、過去エントリーで述べたことが あった。

ご興味を感じられた向きは、読んでみてくだされな。

『阪神・淡路 大震災』を めぐって

【続】『阪神・淡路 大震災』を めぐって


 

Updated   
2020.08.10 (Mon)

母は食べたいものを食べる。の続き。

 

ちなみに、

うちの母親は、腹違いまで含めると、けっこうな人数になる姉妹兄弟のテッペンに君臨する「大長姉」として育った。

かたや、

親父のほうはと言うと、たいへん裕福だった生家から、千葉の片田舎の貧乏な伯母の家に連れ去られて、その跡取りの一人っ子として生育したのだが、

自分の好物を前にするとき、親父は、何故か、必ず、傍に居る者らに、「おまえも一緒に食わんか?」と尋ねてくる。

娘の私なんかは、先述したように、親らとは、好物の種類が かなり異なるので、「いらん」と断るのだが、一回二回ことわったくらいでは納得せず、3、4回ほども執拗に確認してくる。そのうえで、

「なんだ、こんな美味いものをな」

と憐れむように首を振り振り、そして安心したように、やっと、食べ始める。

 

あるときなどは、
その当時、飼っていた子猫emojiが、晩酌のアテに並べられた刺身を食べてる最中の親父の口もとと箸の往復を、穴のあくほどemojiemoji見詰める。
「うっ」と詰まったような、妙な呻き声を洩らしながら、親父は自分の刺身を一切れ、猫に与えてやる。やるが早いか、これまた電光石火の勢いで、子猫はゴクンと呑み込んでしまう。

そして また、もとの体勢に戻り、さっきと同じように、親父の口もとと箸の往復を凝視し始める。

猫が好きなほうでない親父は再び「うっ」と呻き、今しがた、箸のあいだに挟んだばかりの刺身を、またも与えてやるのだが、
子猫ときたら、刺身を呑み込むスピードが、あまりにも素早すぎる。

「こらーemojiもうちょっと味わってから呑み込まんかい!あんたは、さっき、ご飯をタラフク食べたばっかりやろ」

と、怒鳴りつける私w

 

結局は、母親に促され、諦めない猫を、部屋の外へ締め出すことになるんだけど。

 

私はね、人間さまよりも先に、飼っている犬や猫の食事を最優先で済ませておくから、今度は、こっちが食べてるときに、猫が凝視してこようが なんだろうが平気なのw

人間用のものを、少しは分けてあげてるのに、いつまでも聞き分けないで、行儀の悪いことを したら、自分の子どもを叱るかのように、大音声で どやしつけますww
さすがの母親も、「あんた、猫に そない怒っても」と、呆れるほど()

 

 

大学生だった、大喰らいの兄なんか、親が不在の日に、自分が代わりに作ってやった犬emojiの ご飯を、そのまま自分で食っちゃったからなw

「ん!!これはウマいわー。犬に食わせるのは惜しい♪」ってww

冷や御飯を ゆるめて、ちくわを投入しただけの餌www

わんこカワイソウにemoji(苦笑)

 

 

なので、

こういったことどもを思い出すたびに、私は、少しく引っ掛かるものを感じるのである。

何人もの弟妹を抱え、亡母の代わりを任じる「大長女」だった うちの母親が、自分の好物を独り占めにする癖を堂々と憚りもせぬ。

かたや、

跡取り息子として請われ、連れ去られた養家の一人っ子で育った親父は、それが自分の好物であるほど、周囲に気を遣い、と言うよりも、

「俺の好物が食えんのか?emoji

という、ほとんど恫喝の勢いで訊ねまわり、猫の視線にも怯えて、呻きを洩らす。

 

いったい、どういう心理なのかと。

だって、こんな成育歴なら、ふつうは、うちの両親とは真逆の態度になるだろう、というイメージじゃない?

 

 

で、まあ、話を戻すと、

私の周辺の男性たちは、それぞれ、性格から成育歴から全く異なるのに、料理好きという共通点が あるので、「食べる人」を任じてきた私。
嫌いというほどでは ないのだが、得意でもない、ハッキリ苦手な作業である料理を、ましてや、自宅の狭いキッチンなら尚更のこと、甚だ、めんどくさい。

それでも、

私とは嗜好が異なる親らのために、慣れぬ包丁を振るい、鍋釜を揺すって、並べあげた料理を つついている親らの ようすを眺めてから、疲れた足を引きずり引きずり、自宅マンションへ帰りつく。

途中で買った、コンビニのサンドイッチを頬張りながら、持ち帰り仕事に とりかかる。

 

そんな日々のなかで、母親は、入退院を繰り返していき、とうとう最後となった入院中、うちの親らの知り合いだと言う、私のほうは、顔も知らない、全く記憶にもなかった、近所に住んでるらしい老齢の女性から、

「あんた!おとうさんの世話してあげてるの?えらい痩せてきはったやんか!食事くらい、つくってあげなさいよemoji

と、いきなり叱りつけられたことも あった。

 

んなこと言われたってですな、

私も早朝から夕刻まで仕事、それを終えたら、その足で、母親の病室へ駆けつけ、なるべく、看護婦さんたちを煩わせないようにするため、食事介助やらマッサージやら清拭やらを済ませ、疲れ果てて帰宅したら、コンビニめし食べつつ、ウトウトしながらの持ち帰り仕事だよ。

毎日が、睡眠時間2時間。
しかも、こっちも虚弱にして病み上がりの身だわ。

 

 

いや、しかし、どうりで、

ある日、実家に用事で立ち寄ったとき、親父が得意そうに、かつ苦笑しながら、

「どうだ!こんだけ!」

と見せてきた台所の生ごみ1週間分は、最小サイズのコンビニ袋一つに おさまってたなあ。

 

それでもね、

母亡きあと、今度は、親父ひとりのための食事づくりに通いましたがな。もちろん、本人の嗜好に合わせて。

 

幼い頃から、暴言・暴力ふるわれてきた、隠れ「アル中」の親父のためにね。

 

子ども心にも、ずーっと恐れてきた将来の予感。
その忌まわしい予感どおりの生活になってしまったなあと、
どれだけ なさけない思いに沈んだことか。

 

いつの間にか、

何の役にも立ったことがなかった腹違いの きょうだいのみならず、

親父を担当していたヘルパーさんから、近所の煩いオバハンらにまで、私の悪口を言い散らしていた親父。

 

私の苦悩は、誰も知らない。
(↑聖書か聖歌だかに、こういうコトバが出てくるらしいw)

 

その頃になると、親父のほうも、進行していた『パーキンソン病』や何やらで、椅子から立ち上がるのも座るのも一苦労の状態になっていた。

私は、もともと苦手な料理を、やっと済ませてから、食堂に来るようにと、親父を呼び出す声にも、ついイライラが滲んでくるのを抑えられない。

 

大皿に盛りつけた、牛肉の細切り入り炒め物を、高齢になっても変わらず、肉類も大いに好んだ親父は、持病のせいで震える箸を、四苦八苦のていで摘まみ、摘まんではポロポロこぼしつつ、「うん、美味い」と呟く。

その向かい側で、かつては、母親がノッシと座っていた椅子に腰掛け、親父のようすを見守りつつ、テーブル下の床に落とした おかずや御飯のカケラを拾っては、それを そのまま口に運ぼうとするのを たしなめながら、すっかり空腹の自分も、どれ、と箸を伸ばそうとして、思わずギョッとした。

 

親父が、今しも、牛肉の一片に向けて箸を伸ばそうとしていた私のほうを、険しい顔で睨んでいたから。

 

いまだに、あっけにとられた気分のままだ。

実は、すでに認知症も始まっているということを、主治医から聞いていたので、その影響も あったんだろうか?

 

 

というわけで、

誰でもない、自分自身が選んだ伴侶や、望んで産んだ子どものための食事づくりでしょ。

なにを、そこまで、悲劇のヒロインになって、、、と言いたくなるのはグッと抑えて、

こうアドバイスしましょう。

 

きょうの、今の、自分自身が食べたいものを作りゃあイイんです。

 

 

ご亭主や子どもの好みに合わない場合は、まあ、これなら、文句までは言わずに食べてくれるだろうものを、それぞれに一品、買うなりして加えておけば いいでしょう。

 

たまには、家族全員の好物である献立にすることくらい可能でしょうし。

そして、

子どもたちが小学高学年にもなったら、初歩レベルの家事と、自分の身のまわりのことは基本的に自分で できるように育てましょうよ。

 

「よく仕込んであるなあ~」と感心されるほど、家事の手伝いに積極的だった(やらないと、母親も激怒するのでw)私自身、小学低学年の頃には、そのようになっていたわ。

 

【続く】

 

 

Updated   
2020.08.10 (Mon)

こないだ、どっかの「奥さま向け記事」みたいなとこで読んだには、

家庭を持つ女性が、いまだに負担を大きく担いやすい家事のなかでも、特に、毎日の食事づくりが苦痛と悩んでいる人が多いという内容。

 

うん、

私自身は、「主婦」だったとかじゃないけれど、

実家の親らの病気が深刻度を増し始めてからは、その日の親の希望する献立を確認しておいて、勤務先の仕事を終えたあと、食材を買いまわり、それから実家へ直行して、料理にとりかかっていた。

 

うちの母親は、実母を、小学2年生の年齢のときに亡くしており、

そのせいか、これまで何度かは触れたとおり、その前後から、弟妹たちのために担当していたという料理が得意だったので、すべて自己流で、和食店を経営していた時期も あった。

せっかく、お得意さんたちが多く通って来てくれるようになったあたりで、タクシーどうしの交通事故に巻き込まれ、長く入院しなければ ならないハメになり、最終的には、店を売って、手離したのだが、この事故による入院治療中に、『C型肝炎』というやつを もらってしまったようで、このため、後年になっても、ずっと、通院生活を続けなければ ならなかった。

 

そんな情況に在った ある日のこと、
偶然、母が小学校時分の級友だった人と、病院内で再会し、先方も同じく、型は異なるが肝炎だということで、しばし、話し込んだという。

先方の女性は、そうとうに気分も塞いでしまっていたようで、彼女の親の代から経営してきた老舗喫茶店も、すでに たたんでしまったと言い、うちの母親も また、経営していた店の経緯もあり、それを めぐっての苦労話や、お互いの これまでと現在の生活のなかでの体調のこと、特に食事のことなどに話が及んだそうなのだが、

相手は、自分で料理するのもシンドイときなんか、どうしてる?と聞くので、うちの母親は、しんどいときは、そりゃ、店屋物を頼むことも多いよ、などと応じたが、相手は なお、

「けど、店屋物かて、続いてくると飽きてしまえへん?」

とボヤクので、母親は、すかさず、

「せやから、自分でも時々は作るんやんか」

と答えたという。

 

実際、うちの母親って、おすしが大・大・大好物だったので()、それは もう、「江戸前」式の、新鮮な魚介を用いたものは勿論、大阪では昔から好む人の多い、『バッテラ』(+うどんセットね 笑)も大好物、とにかく海産物の類と「すし」と名の付くものは毎日でも飽きないというくらいだった。

まだ元気だった頃は、来客もないのに、自分一人が食べる寿司の出前を、ほぼ毎日のように取っていたのである。

 

私が実家で生活していた頃なんか、その日も、昼時となったので、なじみの寿司屋から出前を頼もうと言い出し、苦手なネタが多い私が食べられないものは、母親が喜んで、ひとつ残らず食べてしまうのが決まっているので、とりあえずの「盛り合わせ」などを注文し、届けられたのを見てみたら、非常に珍しいことに、小ぶりながら鮑をネタに握ったのが、2個ほど加わっていた。

 

特に貝類を好んだ母は、鮑には殊のほか、目が ない。

意外さに驚きつつ、相好を崩して、まずは、その鮑の握りを真っ先に口にしてから、間髪を入れぬ勢いで、すぐさま、同じ寿司屋へ電話を入れた。

思いがけぬ大好物のネタを入れてくれていたサービスへの感謝を店主に伝えようと、、、んなわけないよ、もちろん。

 

高級ネタであるらしい鮑の握り そのものを注文したのでは、お代が高くなっちゃうから、要するに、先ほどと同様、「盛り合わせ」を追加で頼めば、その桶に再び、いとしい鮑が、と狙ったわけなのだったが、柳の下にナントヤラで、残念ながら、もくろみはアッサリと外れて、いつもの内容の「盛り合わせ」に戻っており、可愛い鮑の姿が、どこにも見えない。それを確認した母親は、

「ああ、やっぱり、、、そうは いかん かったなぁ~」emoji

と、肩を落とし、哀しそうに照れていたw

 

二回目に倒れてからは、親父に付き添われて、リハビリを兼ねた散歩に出たら、通りすがりの回転ずし店を目ざとく見つけ、そこへ通うことも始めた。それくらい、一番の好物だった、おすし。

それでも、自分自身で和食店経営の時代が あるだけに、もともと、いわゆる「口が肥えて」いるうえ、料理が得意なだけあって、質や味には、常から厳しい。

 

体調が良くないときには尚更、ごく簡単にでも、みずから調理しようという執念を持ち、あたかも「食べて治している」ようなところが あった。

そんな母親も、最後の入院に至る前後は、以前の調子で食べることが できなくなっていった。それと同時に、どんどん弱っていった。

私は、実家に居た頃から、母親を見ていて、「おかあさんのようなタイプは、食べられなくなったら おしまいやね」と指摘していたが、そのとおりになった。

 

 

私はね、そんな親に似ず、料理苦手(苦笑)

好きなものを食べることは、もちろん楽しいことの一つだけど、母親ほどの食い意地は張ってないし、好き嫌いのみならず、体質に合わないために食べられない食材も多いほうだから、親らの気に入る食事づくりとなると、こんなメンドクサがりの私でも、かなり、気を遣いました。

 

最初の頃は、きちんと切っておいたつもりの人参を、お箸で摘まみ上げたら、ぞろぞろ一列に連なってきたので、「これは何や!emoji」と、テーブル越しに、呆れ顔で睨まれたりしたもんですw

でもね、

段取りの悪い、嗅覚も味覚も、生まれつき鈍いほうの、いたって大雑把な腕しか持たない私だけれど、どういうわけか、最終的に、味付けだけは、失敗と言うべきほどの失敗を したことは ないのだ。目分量でもね。

なので、食べられないほどの失敗を してしまう人が理解できないくらい。

つまり、

ちんたらモタモタあたふたの果て、やっと、それらしく出来あがった、
どれ、だいじょうぶかなあ?と、ひとくち運んでみたら、
「うん、まあ、うまいこといったやんか」と、辛うじての及第点。

 

でもさ、疲れるのよ、そりゃあ。

だいたい、私自身が食べたいと思って作ってるのと違うんだからね。

 

うちの両親とも、なかなかエネルギッシュだった原因なのだろうか、殊のほか、魚介類に目がなく、その他にも経験してきた様々な美味いものを よく知っているし、特に母親は「病気の問屋」を自負していたわりには、
いや、だからこそというので、まあ「美食家」であり「健啖家」だった。

 

最初は、些か疑わしそうな眼つきで、私が並べた料理を眺め渡し、おもむろに、お箸を取りあげ、気難しげな表情で味見にかかる。と、

「うん!これは美味しくできてる!」

と言うが早いか、次の瞬間、
皆で取り分けるための大鉢ごと、食卓の真ん中からズィ―っと、自分のほうへ引き寄せていき、自分の目の前に据え置いたが最後、親父も私も、手が出せなくなるのである。

あとは、母親が独り占めw

 

負けじとガンバって、こちらから腕と箸を伸ばし、せめて ひとくち、と思う前に、もう あらかた、食べられてしまう。

母親は、食べるスピードも異様に早いのだ。

だが、見ている分には、決してガッついてるでもなく、いたって ゆったりと食べ進めているようにしか見えないのだが、フシギなことには、なぜか、こちらが、ああ、、、と言う間に、食べ終えてしまっている。

 

また、
母親は、食事しようと入った店で、注文したものが すみやかに運ばれて来ないと、刻々、キゲンが悪くなっていく。

しゃれたレストランで、フルコースなんぞを頼んだひにゃ、差し向かいに座った私は、ハラハラするはめになる。

料理の運びや給仕の段取りが少しでもモタつくと、まず、ピキッと、眉間にシワが寄り、2度3度モタつきが続くと、その店の悪口をブツブツ口走り始めることすら あるからだ。

まあ、店側の手腕にも問題あるなと思えても、急いで運んでくるウェイター・ウェイトレスさんの、なんとも言えない焦った表情を見るにつけ、私も、せっかくの料理を味わうどころでない。

 

もう一つ、うちの母親の致命的な悪癖は。

自分が食べ終わって満足したら、すぐさま立ち上がり、支払いを済ませて即、店内から去ろうとするのである。

私は、食べるのが人並みより遅いわけでは ないが、早いわけでもないので、殆どの場合、母親のほうは、とうに食べ終えている。そして、まだ終えていない私にイライラし始めているのが伝わってくる。ついには、バッと立ち上がったと同時に、「まだか?行くで!」とピシャリ言い捨て、フォークやスプーンを握ったままの こちらを置き去りにする勢いで、本当に、後ろも振り返らず、さっさと出て行ってしまうのだ。

 

【続く】