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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2025.06.04 (Wed)

薔薇の精の続き

 

私は、もともと、能や雅楽も大好きで、とりわけ『蘭陵王』とか、憧れてきたのですが、

踊るのなら、こっち方面なら辛うじて可能?とかチラッと思いつつwやっぱ無理っぽいなとww

まあ、あの、蹲踞したり、すっくと立ち上ったりを繰り返すわけだからね、なんせ、腰が()

ちょっと「ラジオ体操だいいち~!」てな掛け声が聞こえてきそうでも あるw

たとえば『太極拳』の動きにも似ているように感じるし、やはり、そもそも、他の日本の伝統舞踊の動き方とは、根本的に方向性が異質と思える面は確かに あると思う。

 

ただ、まぁ、どこの国でも、およそ舞踊というと、大概は、ここぞと派手に、また軽快に、あるいは思いっきり激しく踊ることが殆どのパターンのようであるし、日本古来の踊りにも、もちろん、同様の派手さや激しさを込めて踊るものも あるわけだけどね。多くは庶民的な賑々しい祭りなどの場合。

 

けれど、『上方舞』『地唄舞』となると、そもそもが、料亭なんかの、まさに「お座敷」で、料理の膳を前に、一献傾けている客の前で踊るわけなのだろうから、そりゃあ、飛んだり跳ねたりは憚られるというもんでしょう。畳も傷むしw

うちの母親なんてさ、ステージ狭しと足を踏み鳴らし、たっぷりしたスカートを盛大に翻しの『スペイン』舞踊とか「フラメンコ」を鑑賞しながら、すぐ傍のテーブルで飲食している観光客らの ようすを、テレビ番組の一場面で見たとたん、

「料理がホコリかぶるわ!」

と、呆れていたが(苦笑)

 

ま、そんなわけで、私は、たまに、日本古来の伝統芸能なども鑑賞するのだけれど、

『陵王』などを動画で鑑賞していたら、そういうところのコメント欄にても、結局、このような傾向なんだよなあと、あらためて、つくづくゲンナリしたのは、

やれ、

「日本の深い伝統ッ!」「日本人であるなら、神社の神聖さを、ちゃんと、わかっているはずッ!理解できるはずッ!」「日本という国を、もっと もっと知らなくてはッ!」

等々と、鼻息も荒げに一席ぶっていた ていの、どこぞのオバハンw

 

ほんとうに、エセ付き「うよ」やらネトウヨの、「半可通」レベルにも届いてやしない、ただの感情むき出しの知ったかぶったグセには呆れてしまう。

 

しょせんは自分も知らないのだから、せめて、知らないということを知り、おとなしく黙ってりゃいいものを、

どうしても、いっちょまえに、大上段から演説したいのなら、その前にゃ、最低限、基本的なところくらいは、ちっと確認してからにすれば いいだろうに、それすら しようともせず、勘違い演説を披露している光景が多々、見受けられる。

 

いわゆる「ミギ」系の手合いって、よろず、こういう頑なな思い込みのまま、勉強する気もないまま、せめて確認の労を取る気もサラサラなく、見てるほうが、思わず、小っ恥ずかしくなるような演説をブチたがるのよねえ。

「日本人ならではの!謙虚さ!奥ゆかしさ!」

そんなもの、どこ行っちゃったのよ~?()

 

その点では、、いわゆる「ヒダリ」系はね、良くも悪くも理屈っぽいだけに、そこまでトンチキやワケわかめな演説をブチあげたがる人を見かけることは、比較的に少ないw

 

だから、私は、「ミギ」系とか「ウヨク」のほうが、もっとキライなのですww

 

で、

さすがに、少しは知っているらしい人が、関西弁で、やんわりと、そのウヨおばはんの勘違い思い違いを注意していたようだけれど、

この、やんわりと、というような態度が また、いわゆる「ウヨ」系の連中を甘やかしている結果になっていると思う。

本人らのためにも、日本人全体のためにも、よくない。

 

 

私は、もう、長らく「毒親」だの「おカルト連」だのといった、性根が邪まな連中と戦ってきて、

「それは違う」

と、いちいち親切に言ってあげる気も失せてしまっているので、「ヤフごみ捨て場」の仲間入りは勿論のこと、『ユーチューブ』などのコメント欄にも、一切、かかわらないのだが、

(日本を)知らなくてはっ!」

などと、
鼻の穴おっぴろげて口走っている くだんの、どこぞのオバハンみたいな、あまりにもエラソーな、しかも、根本的に無知なままの、間違ったことをトクトクと吹聴したままで永久トンズラを決め込んでいる手合いには、

「をいをい、いちばん、何も知らない、わかってないのは、当の おたく自身でんがな」

と、ピシゃリ指摘し、容赦なく せせら嗤ってやりたいけどもなw



なんせ、知らないのだからね、知らないことを知らないと、素直に認める、もう少し謙虚でいる、それどころか、まったく無知のままで、反省も改善も する気が なく、世間さまに向かって、ただ ただエッラソーに一席ぶってるのだからねえ。

 

日本語を多少は理解できる外国人も閲覧してるわけだし、

現に、『陵王』の動画のコメント欄には、中国人なのだろう、

「自国では忘れられてしまった古(いにしえ)の雅楽が、現代の日本に残されていた」

というふうに感激しているコメントが幾つか見られた。

 

考えてもみなはれ。

ああいうコメント欄で、肝心の日本人自身が、最も無知であるということを大々的に さらしてるわけですからね。とんだ赤っ恥やないかいな。

 

【続く】

 

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Updated   
2025.01.18 (Sat)

旧ブログの記録から抜粋

バンドエイド   20090809

 

おっはよー、と軽く あいさつを済ませて、ドサッと席に ついた。
ああ、また きょうも押せ押せ仕事で一日終わるのかよ、と始業前からウンザリ。
近頃、夜遅く帰宅すると、夥しい無言の留守電がパンパンだ。
誰が そんなこと してるかは わかってる。
言いたいことが あるんなら、ハッキリ言えば いいだろうに。
締切の厳しい業界ってストレス溜まる。

朝から寝不足の鬱々渋々とした気分で、業務に とりかかる準備を始めると、となりの席の同僚たちが、話しかけてきた。
きょう、本社 事務所のほうから「助っ人」が、少し遅れて、ここへ来るとのこと。そりゃよかった。
それから一時間くらい してからかな、助っ人は来た。
どことなく不マジメな雰囲気の、それでいて、眼の あたりなどに なんとなく陰りが感じられるような、生意気と優柔とが、ツッパリと繊細が同居しているような、まだ20代後半の若い男だった。これまでに、本社のほうでは何度か顔を あわせた記憶は ある。

さて、溜め息を つきたくなるような気分で、とは言っても、始めてみれば、いつの間にか仕事に没頭しては いたらしい、ふと、となりから突っつかれて、目の前に差し出されてきた紙を見ると、
なんだか『うる星やつら』の「ラムちゃん」みたいな女の子の、ボイ~ンぼい~んな、おっぱい まる出しハダカのイラストが、脚おっぴろげてるとこやら、いろんな角度で、みっしりと描かれてあった。

なんやのコレ、誰が描いたん?と聞くと、「助っ人」男が、なんと仕事中にシコシコ描いておったものだと言うではないか。
私は思わずムッと して、
「この忙しい時に、仕事中に、こんなヤラシイ絵を描いとったんかいな」
と咎めた。
助っ人(の はずの)男は、悪びれるようすもなく、ニヘラ~とした締まらん顔をしている。しかも、そのイラストが、クロウトはだしに うまいと きているので、私は、ますますムッと してしまった。
仕事中に、しかも、女性に両脇を挟まれながら、こっ、このような、、、!

それにしても、見るからに、すけべいな絵だ。

その日は もう、終業時刻が近づいていたのだけど、連日のごとく当然の雰囲気での残業も そろそろ終えるかという頃合いになってからだったか、「助っ人」(の はず)男が、何かの ひょうしに、指を切ったという。見ると、少し血が出ていたので、私は自分のバッグから、常備携帯していた絆創膏を とり出し、その男の、ケガした部分の指に巻きつけてやった。
えっちなイラストを描いた男は、礼を言うでもなく、のほほ~んとした顔つきで、絆創膏を巻いてもらった指先を顔の高さに持ち上げて、しばし眺めている。

帰宅途中、別の同僚の女性と二人だけになったとき、私は、さっきのイラスト落書きのことを蒸し返し、「助っ人」(だったはず)男の文句を言った。同僚は、
「あいつ、もともと漫画家志望でさあ、ああいう やつやねん、しゃあないわ」
と、お
うようなことを言った。

それから、どれくらいの月日が たっていただろうか、
先日、このブログで、美青年と二人っきりで楽しく お仕事していた日々のことを回想して書いたが、その終盤に さしかかった頃に、あの、阪神大震災が起きたのだった。
私は、その頃、大阪では比較的大きな被害が出た地域である『北摂』方面に住んでいたのだが、そこに引っ越す前は、実は、『神戸』方面とか『夙川』、『芦屋川』、『岡本』あたりの、もろ阪神間も選択の視野に入れていたので、危ないところだった。他人事ではなかった。

そして、久しぶりに本社事務所に出勤した ある朝のことだった。
その職場では基本的に、一人ひとり固定してデスクが決められていないので、私は、まずは適当に あいている所に着席しようとした。
すると、上司が
「あ、おはよう、ここに座んなさいよ、ここ、あいてるから」
と、上司本人の すぐ横の席に つくよう私を促した。
そうですか、と素直に従って座り、ぼちぼちと仕事を開始したのだが、そういえば、この席は、例の「助っ人」(だった)すけべいイラスト男が、ふだん定席にしていたのではなかったっけ、きょうは姿が見えないが、出張かな?
あとから ふり返ると、ちらっとであっても、こういうふうに思ったこと自体が奇妙なことだった。
だって私は、そのイラスト男に、特に関心などは全く持っていなかったのだから。
これまで、本社で姿を見かけないことなど、他の同僚でも しょっちゅうあることで、誰に対しても、いちいち そのように気にかけたことは ない。

席についてから ほどなくして、私は、ある匂いに気づいた。
お線香の匂いだ。
窓をあけてあるせいか、どこから流れてきてるのか、かなり濃厚に匂っている。
この近くに、お寺か何かが あったかしら?それとも、法事を営んでいる家でも あるんだろうか、と漠然と思いつつ、やがて昼食の時間になった。
外で食事を とるという者どうし誘い合わせて、近くの飲食店に向かった。
どれにしようかなとメニューを見ながら、何気なく、
そういえば、きょう、あの男の子いないね、出張?と、いっしょに出て来た同僚に尋ねた。
これ自体も ふしぎなことで、それまで私は、そういうことを聞いたりしたことがなかった。

「あいつ?死んだよ」

かつて、帰宅途中に二人だけになったとき、私の文句を聞いて、くだんのイラスト男を庇うようなことを言った同僚が、ごくごく ありふれたことを話すような口調で、ぽんと言った。
ぽんと言ったので、私は、視線を落としていたメニューから思わず目を上げ、きょとんと同僚を見つめた。
「え?なんて?」
「だっから。死んだよ、あいつ」

まだキョトンとしている私に呆れたのか、苦笑のような表情を浮かべた同僚は、仕方なく説明してやるか、といった調子で追加した。
「こないだの地震でさ」
「うそでしょ」
「なんで~?」
「だって、あんたの顔、笑ってるやん」
「このカオは、、、いや、ほんまの話やねんで」
「うそやろ。そんな笑い顔で、冗談みたいに、、、」

泣くつもりもなかったはずの私の両眼から、滂沱の涙が落ち始めた。
注文の品を運んで来たウェイトレスは、私たちをオロオロと戸惑った表情で見下ろしながら、そそくさとカレーライスの皿やコーヒーのグラスやらを並べて去って行った。
私の涙は、自分の意志とは何の関係もないかのように流れ続けていた。
スプーンを握ったまま、声もなく泣き続けていた。
先ほどまでの薄い苦笑の表情も消え失せ、同僚たちは、うつむいて黙々とカレーを口に押し込んでいた。

その日の帰宅時、ひと足先に社を出る私の あとを追いかけるように出入り口まで来たのは、昼食時にイラスト男の死を知らせた同僚だった。
「あしたから、しばらく また別々の出張先になるんやね」と、湿り気を帯びた声で言った。ふだん、いたって無愛想と言っていいくらいに冷めた その雰囲気が、私には正直あまり好もしくなかった彼女は、なぜか泣きだしそうな甘えた表情で私を見つめてきた。

また すぐに再会するはずだったゆえの軽い あいさつを かわした私たちは、それ以来、会うことはなかった。

別の同僚が、イラスト男の死の顛末を話してくれた。それによれば、
社長か上司だったかが、連絡が途絶えたまま出勤してこない彼の母親から、息子の ようすを見に行ってやってほしいとの要望が あり、急遽、住まっていたアパートへと駆けつけると、
漫画など大量の本や雑誌に埋もれた状態で、こと切れていたらしい。
大阪は、それほど甚大な被害が なかったはずなので、原因は、背の高い本棚が倒れでも したせいか、と考えられる。
そのとき同行していたという同僚に、
「じゃ、見ちゃった?その現場を」と私が思わず尋ねると、ふだん けたたましいくらいの陽気な声で笑い転げるくせのある同僚は、黙ったまま辛そうな表情でコクリと頷いた。

母に電話して、ごく掻い摘んで その話をした最中にも、タオルで拭わねばならないほど泣いたが、これは、昼食時に同僚から初めて知らされたときの涙とは違ったものだった。
それにしても、どうして、こうまで泣けるかなと、自分でも訝しく思っていて、かつて仕事の終わりぎわに、「助っ人」くんがエッチな絵を描き散らしていたことを知った私が、眉を顰めて咎めたことが引っかかっていることに気づいた。
「だからな、人には やさしくするのやで
母に言われた。


とっくの むかしに、私の記憶の彼方でボヤケてしまってるはずの彼の顔なのに、

「こんなヤラシイもん描いて、、、仕事中に!」
私に詰られたときの
ケガした指に巻かれた絆創膏を透かし見るかのように顔の前に持ち上げ眺めていたときの
その顔は、無表情のような、そうでは ないような、うっすら微笑していたような

なぜか、いまだに忘れたことが ない。

 

 

Updated   
2024.04.24 (Wed)

みなしゃん、おゲンキれすかー(ヘラヘラ)

 

早くも、暑い感じですなあ。早すぎるわな。

寒いのも厭だが、暑いのも困る。

 

いやぁ、もう すでに回復しては いるのだが、先日、しばらく おさまっていた腰痛ぶり返しで、ニッチもサッチもの四苦八苦、またぞろ、1分間に数ミリしか動けないという ありさまで、ブログ更新なんぞする気も起きやせんでした。当然、他の用事たまりまくり。

 

思い起こせば、ここまで酷い痛みに初めて陥ったのは、一昨年あたりからだったろうか、

微小粒子状物質(Particulate Matter2・5)

最近の私の日常と所感の一部

 

経験したことのない痛みだと、これ、いつかは治ってくれるんだろうか?()という猛烈な不安に苛まれ、まじ泣けてきたもんだけど、泣いたって どんならん。

 

それでも、1週間くらい経ったら、酷い痛みは軽減していき、なんとか、ほぼ通常どおりに動けるようになった体験を踏まえて、今回は、同様の痛みのなかでも、少しだけ冷静に分析して構えることが できたかなと思う。

 

専門医あたりの説としては、痛くてもガマンして動くべきとか解説してる記事を幾つか見かけたけれど、

私の場合は、がまんして動けるどころじゃないので、ひたすら安静だ。

はっきり言って、ほぼ寝たきりに近いよ。

もっとも、寝っぱなしというのも、かえって良くないのは理解できるし、実感として、寝つづけるのも苦しいものが ある。

 

恐らく、うちのベッドのマットレスなどの、たしか、購入時20歳代からという長年に渡り過ぎた使用で、そこも問題なのだろうが、もともと、寝相が良い()ほうとは言え、腰痛のときは、なおさら、寝返りが しにくい。

したがって、長時間、同じ体勢で寝つづけがちなせいで、これを変えるときも、激痛に見舞われることになるのを覚悟で、自分を叱咤し、できるだけ、体勢を変える努力を しなければ ならん。

 

いずれにせよ、飲まず食わずでも、一定の時間が経てば、トイレにだけは行かないわけに いかないので、冷や汗を掻きながら呻きつつ起き上がり、冷や汗を掻きながら呻きつつ、1分間に数ミリの歩みを進める。

やっぱ、杖が必要かと思うところなのだが、杖が あったところで、1分間に数ミリの動きは変えられないだろう。

要は、腰と、痛む側の足には、重心を かけることが、ほぼ全く できないので、その間、ぜったいに、どこかしらに掴まっておれるよう、この家具の次は、あの壁、その次は柱等々と、からだを支えてくれる中継地点を探しつつになる。

重心を かけたときのみならず、痛む側の足は、室内の段差部分などで瞬間的に だらんと垂らした状態のときにも激痛だから、特にシッカリと つかむ必要が ある。

 

いくら、寝るのが大好きな性分とは言えど、おのずと限界は あるもんで、少しだけ座っていられるかなという気を起こし、少しでも、水分補給し、食べておかないと、とは思い、しばらくのあいだ、机に向かってみても、椅子に座っていること自体で、ますます、足腰に違和感や痛みが増してきて、食欲も ない。

 

そんなわけで、ほんの短時間でも、すぐに疲労し、今度は、起きているのが辛くなる。

常に、どこかに苦痛が ある状態だと、気力・体力の消耗が激しい。

 

で、再び、椅子から立ちあがるのも、ベッドに横たわるのも、激痛との闘いだ。

そんななかでも、われと わが身を観察し、今後、このような事態に陥るのを防ぐには、ということを考えるに、

やはり、根本的、直接的な原因は、高校時代に痛めたことが思い当たる。
体育の授業後などに、腰がと言うよりも、太腿の あたりに、ヘンな痺れが起こることに気づいては いたのだが、深刻に考えも せず、誰に相談することもないまま、専門学校時代に入ると、たちまちにして、通学時間の長さと、駅で上り下りする階段の長さなどが倍増したせいか、腰椎の一部に激しい痛みが起きることが頻々となった。
さすがに、異常が起きているらしいことにハッキリ気づきは したものの、若かった おかげも あってか、しばらくしたら、ある程度の痛みは、なんとなく、ひいていったのでウヤムヤ、

やがて、社会人になり就職、仕事という生活に入ると、ますます過酷な通勤途上に痛みが起こることが頻繁になっていった。

 

これまでには、何度か診察を受けては いるのだが、どの医者も、なんだか歯切れが悪く、明確なことは言わないと言うか、ぶっちゃけ、分からない、らしかった。

 

近年になって、どこかのウェブ記事を読んだところ、

実は、専門医とは言っても、この方面の診察を明確に下すのは、難しいのだそうな。

それで、もう、私は、医者に頼ることは諦めて、自分なりに下している『椎間板ヘルニア』という見立て及び、自分なりの対処法を探り当てることに基本方針を変えた。

 

幾つかの市販薬も試しては みたが、ほぼ全く、効果なし。

 

まずは、痛いのをガマンしても動けというのは、ご法度。

医者や専門家に何を説かれようと、ある程度、痛みが おさまるまでは、1週間だろうが2週間だろうが、ほぼ絶対安静だ。今回は、10日ほども要した。

 

とは言っても、
最低限の水分補給とトイレの必要はセットで必ず めぐってくるのだから、実際は、一日のうち何度か起床せざるを得ない。

 

うちは私ひとりなのだから、誰にも何も頼めない。

いや、

むしろ、めんどうみてやらないといけない、アテにしてくる家族だの同居人が いないほうが、ある意味、気ラクだ。

誰かしらが傍らにいるのも鬱陶しい。

1分間に数ミリしか動けないことで、気を遣うのもマッピラだ。

 

同じ痛みを体験した者どうしにしか分からないだろうし、

こういう事態のときは、医者ですら、役立たずだろうと思う。

いや、

診察とか触診で、指一本すら触れてもらいたくない。

最近の私の日常の一部と、各所感。

 

この痛みは、まさに、孤独な痛みで、

まさに、「リーヴ ミー アローン」の痛みなのだ。

 

まあ、どんな痛みや苦しみも、結局、孤独なものでは あるけれど。

 

そんなわけで、

比較的軽い痛みのときは、一日二日ていど安静にしていれば、なんとか復帰できるけれど、

ひどい痛みの場合には、そうとうの長丁場になることを覚悟しておき、最低限の飲食物や日用品、衛生用品などの必需品を、ふだんの買物時に可能なかぎり足しておくようにする。

 

それと、

これは、若い頃からの問題の一つなのだが、

やはり、栄養不足。

自活を始めてからというもの、常に つきまとう問題だったが、
近年は特に、栄養が不足しがちなことを自覚していないでは なかったものの、つい、削りがちなのが食費という現実。

 

一人暮らしを始めて、ほどなくして、婦人科系の病気になってしまっていることも無視していて、甘く考えていたら、そのうちに、どんどん深刻化していき、

昨今は、生理用ナプキンを無料で利用できる社会運動みたいな報道を見かけるけれど、

私の場合、あの当時で、いちばん厚手の(「特に重い日用」とか「夜用」とかの)高価なものを毎日、昼夜を問わず使っていてさえ、ものの30分もたなくなっていった。

なので、ナプキン代が喰い込んで、ますます、食費を削るハメに。

 

やがて、

一ヵ月のうちの3週間は生理中、しかも連日が重い、そんな極限状態で何年も耐えていたもんだから、極度の貧血状態。

それでも、鉄分補給しなきゃ~と、鉄分入りの牛乳とか、ほうれん草を買ったりしていたが、
そんなもんで間に合うレベルじゃなかったのに、いま振り返ると、ずいぶん涙ぐましいことだったなあと思う。

シロウトが気休めで購入したものなんぞ、実際には、気休め以下でしかなく、後年、内科医に処方された鉄剤も そうだったが、眼科で処方された目薬も同様で、効き目が違うなんてもんじゃない。まさに、「食品」と「治療薬」の違い。

 

もともと虚弱なのに、ナプキン代のために、非正規ゆえ、乏しい食費を削る。

仕事を休んで病院に行くのも躊躇われ、
フラフラしながら、気つけのために荒塩を舐めてから通勤というメッチャクチャな生活を続けたあげく、最後は入院と手術。

 

 

娘の悲惨な生活は われ関せず、毎日が寿司などのゴチソウざんまいで、人生を謳歌中だった、さすがの母親も、

初めて、こう言ったものだ。

「おまえが、そこまでガマンづよいとは、、、」

と。

ええ、わたしゃ、実家に戻ることだけは、死んでも厭だったからね。

 

【続く】

 

 

Updated   
2024.01.04 (Thu)

明けて新年、、、

「おめでとう ございます」

と言ってしまっていいのやら。。。

躊躇い。。。
 

私は、この元旦にも、

「冥途の旅の一里塚」emoji

という、かの一休の狂歌を思い出したりしていて、

ふと、

「このところ、地震騒ぎは おさまってるよなあ?」

と、なんとは なしに思っていたらば、
ニュースを目にして唖然。emoji

なんと!元日に大地震が。。。emojiemoji

聞けば、もう数年前から、不穏な動きは続いていたらしい。

 

しかも、

『羽田』空港から被災地へ緊急救援物資を輸送するはずだったという『海保』機が、はなはだ不審にして悲惨な死傷事故まで起こしたという幾重もの悲劇。

 

この震災が なかったら、ブログの更新も、もっと、あと回しにする つもりだったんだけど、

家族そろってノンビリと「高級すき焼き」など つついている場合じゃなくなった首相の岸田さんも当然だが、

あの「あべポチ」軍団の一員にして、ひときわケッタイな存在の一人でもある知事を戴いてる『石川』県も、殊のほか激しい被害ということだが、だいじょうぶなのかね。emoji

食料等を含めた物資の輸送・調達が滞っているそうだが、まあ、案の定ってところか。

 

報道の初期段階では、被災規模も津波の状況も死傷者数なども、だいたいにせよ、数値などは不明確に決まっとるのに、

ネット上は相変わらずで、

「津波も死者数も大したことないんだから、騒ぐなよ」

などと、デカい口を叩くコメント投稿者が散見された。

バカもんどもが。emoji

「震度7」だよ。

そりゃ、「大した被害でない」わけが なかろうよ。

あの『阪神・淡路大震災』を上回ってるそうだもの。

そのうえ、
さっそく「今だけカネだけ自分だけ」を地で行くデマまでが、ここぞと飛び交ってるそうな。emojiemoji

 

しかし まあ、

毎年恒例「お手振りの儀」とでもいうのか知らんけど、
ご尊顔も さだかには見え難い頭上から、
例によって『日本会議』配布なのだろうかwいつもの『日の丸』小旗パタパタさせて悦んでるシモジモを見下ろす『皇室』ドールたち整列の儀、というのか知らんけどw

寒いなかを、わざわざ、こんなの見に行って、なにがオモシロいのやら、さっぱり理解できないわと、いつものように思っていたところ、今回は、さすがに中止となったのだそうで、なんか、いまの『天皇家』『皇室』は、こういう、中止になるという事態が、ちと多いような感じもする。べつに構わんけどね全然ww

 

それでも、『皇室』アゲアゲ作戦の第一人者を、どこぞのメディアどもと相争う『アエラ』あたりがw「愛子さまの赤い振り袖」云々という見出しを掲げているのを見かけて、この ご時勢に、庶民国民の神経逆撫でするような記事を、またぞろデカデカと出しとるなあwドッチラケじゃんかwwと、せせら嗤っていたのだが、

それにしてもだ。

こういう自然災害が起きるたび、以前から言及してきたように、つくづくと思うのである。

「祈って下さ」ろうが何だろうが、

『神社』『仏閣』その他ありとあらゆる宗教関係の施設も信者たちも諸共に、その時が来たら容赦なくバッタバッタと叩きのめされ、

『正月』だ『クリスマス』だ祝祭日だと浮かれようが、

ただ今も、これを めぐってドンパチやってる国外の「領土」争いも、一切合切、お構いなし。

 

そりゃそうだとも。

人間どもが勝手に拵え、やたら拘り、むやみと有難がってるだけなのだから。

 

われらが地球にしてみりゃ、

「ん~なんかムズムズする。。。」

とて、ちょいと寝返りしてみただけなんだもの。

 

地球さまの寝返りだろうが、猛獣の遊びの一掻きだろうが、

そのたびに、
「ああっ、命だけは
と、
むせび泣くしかない人間は、せめても発達させまくってきた脳みそを、常日頃ウヌボレまくって、おおかた悪いことにおいて活躍させてきた。

いや、

自分だけは、自分とこだけは良かれと、
少しでも楽にトクにと、せつなく思っては きても、

しょせん、ろくなことにならない、哀れな人間たちです。

 

大地が ぱっくり割れようが、頭上を火の玉ブンブンしてようが、

きょうも繁殖し、子を産み散らしております、「獣に まさるところなし」の、空なる、哀しい人間たち。

そんななかで、何を どうしようとも、すでに「やんごとある」方向へ、とめどなく流れ流れていくのも、やんぬるかなというものw

 

 

さて、

今年の抱負(?)その他の雑感

【続】今年の抱負(?)その他の雑感

 

聞くところによると、

今年の元日は、「一粒万倍日」たら「天赦日」たらいう、「最強の吉日」だったそうじゃあ~りませんか。(-_-;)

 

私さぁ、長年、使い古したサイフemojiの口が、いよいよシッカリと閉まらなくなってきたんで、いいかげん、新しいのを買うべきだなあと思って、しかし、それなりに良い品だと、なにも「ブランド」じゃなくても、けっこう高価だったりするじゃないですか、おサイフって。

で、せっかくなら、購入する前にと、珍しくも、いちおう「お日柄」ってのを確認してみたりしたのw

いわゆる「験担ぎ」ですよねえ。「気休め」に過ぎないが。

 

「祈る」ことだって、そうなんだもの。つまりは「気休め」。

 

うちの母親なんかも、わりと、「お日柄」やら そういうのを気にするタイプの人だったけどさ、

でも、もう なんか、どーでもいいんだという気が してきた。。。emoji

 

 

Updated   
2023.12.30 (Sat)

子どもの頃、
うちの親は、いつも、私の誕生日と『クリスマス』とを一緒くたに していたw

まあ、およそプレゼントなんてものは、まず ないことだったし、ケーキも、一つで済ませたかったのだろうww

 

クリスマス シーズンともなると、ケーキ!emojiケーキ!emojiと、その話題で持ち切りの感じになってしまうので、久しく忘れていた場面を、ふと思い出した しだい。

 

腹違いの兄が大学生、私が小学生だった頃の話。

ある日の夕方から晩にかけて、大学近くの下宿先から、兄がフラッと帰宅した。

手には、小ぶりの箱を抱えていて、いかにも それらしいプリント柄、
ひと目で分かったとおりの、クリスマス ケーキを、おみやげに買ってきたのだと言う。

たまたま、その日は、両親とも不在で、家には、私一人だった。

さっそく、二人分の皿とフォークを用意し、

兄から受け取った箱を、いそいそと開けてみたら、

半分ほどが、みごとに ひしゃげていた。

どうやら、道中の どこかで、うっかり落としたか、ぶつけたか したらしい。

 

兄は、ほんとうにオッチョコチョイだったので、

あるときは、
私に与えようと、かわいらしい色柄ばかりのノートを何冊か、まとめ買いして持ち帰ってくれたのだが、そのときも、あいにくの雨上がりの道の どこかで落っことしたらしく、なかには、泥を少し かぶってしまったものも あって、使えなさそうなものも混じっていた。

 

これは、いつぞや、何年か前の過去エントリーでも述べたように、

東京の叔母宅から、不用品とされて、とは言え、かなり高価なものや、新品に近いものも平気で混じっていたりするので、とりあえず、うちの家へ運び込まれていた品々のなかに、むかしのレコードも何枚も入っていて、そのなかから、一聴き惚れした私の宝物になっていたのが、かの『アニマルズ』のアルバム。
これを、貸せ!貸せ!と言って聞かず、とうとう無理やりのように、自分の下宿へ持って帰って、しばらく経って、やっと返してくれたかと思いきや、
なんと!emojiemoji
大切な大切なレコード盤が部分的に欠けているのを発見。emoji

私は、目の前が暗くなるほどのショックemojiで泣きそうになったが、
どうやら、そのときも、どこかで落っことしたものらしい。

 

当時の隣家のオバさんは、「わざと やったんちゃう?emoji」と、少し意地悪そうな表情で言ったものだが、

これも腹違いの、底意地の悪い姉なら大いに ありえたけれど、
あのオッチョコチョイな兄のことだから、やっぱり、悪気なく落っことしたのかもしれないと思う。

 

後日、
兄なりの詫びのつもりらしかったが、別のレコードを、私にと持って来てくれたものの、
べつだん興味もない日本人アーティストというのかシンガーソング ライターのレコードなんぞ もらったところで、『アニマルズ』の何十分の一にも届きや しない。私にとっては。

 

あの欠けてしまったレコード盤は、たしか『オデオン』という古いレーベルから出ていて、珍しい、半透明っぽい赤い色の貴重なレコード盤なので、言わば「マニア垂涎の」というべき1枚らしいのだが、とうの昔に廃盤となっているから、いまでも、思い出せば、どうしても腹が立つ。
だいたい、私自身は、いやがる相手に無理させてまで、何かを取りあげたり、自分が持ち去ったりすることは、基本的に、したことが ない。

 

 

で、

クリスマス ケーキの話。

実際に、最近、宅配の高級クリスマス ケーキが、冷凍管理の失敗なのか手抜きなのか、そこへ加えて、何らかの衝撃も あったと見受けざるをえない、ひどく崩れた状態で届けられた、という騒ぎになっているとの新聞記事も見かけたが、

なんせ落っことしたからなあ;emojiと、当の兄自身も恐る恐るで覗き込んだ小ぶりなケーキは案の定、半分は完全に ひしゃげてしまっていた。

それを見て、

兄も私も、「あ~あ、、、emoji」と、溜息を ついたけれど、

しかし、近場の洋菓子店で買ってきたばかりなのだし、

やはり、まずは、味に変わりの あるはずもないとて、

きれいなままの部分と、ひしゃげた部分と、半分ずつを分け合い、

両親とも出払ってるし、ホールケーキとは言え、小さめだし、

肩を並べて、おいしいやん(^^♪と、二人でスッカリと たいらげてしまいましたわ()


あ、いましがた思い出したので追加。
母親が、思いがけぬ交通事故で長期入院していたあいだに、『クリスマス』の日が来た。
下校後に、電車に乗り、市内の中心部にある病院へ、1日置きくらいの頻度で見舞いに行っていたのだが、やっと、だいぶ良くなったあたりからは、たまに、病院から目抜き通りの商店街へ短時間の買物に行ったりすることも可能になったので、きょうはクリスマスだしと、母親と二人で、駅前の洋菓子店まで歩いて行くと、いかにも回復途上らしく、どこか弱々しい雰囲気になっていた母親が、どういう風の吹き回しか、特に ねだったわけでもないのに、クリスマス ケーキを買ってくれた。それも、小ぶりながら、綺麗にデコレーションされたホールケーキだったのだが、
母親は、
「これは、あんた一人で食べるんやで。兄ちゃんらには内緒に、隠して食べや」
と、ささやいた。

それで、素直な私はwこっそりと食べてしまおうとしたところを、姉や兄に目敏く見つけられ、さっそく姉からチクられたらしい親父も加わってきて、3人から猛烈に怒られたww
(おぼろな記憶で、その後、別に買ってきたケーキを3人だけ食べ、私はハブられたっけwww)

入院にせよ、離婚のための資金稼ぎで東京に行っていたにせよ、とにかく母親が不在だったあいだは、親父と、腹違いの姉らに、ひどく虐められたことも多々。

まあ、ふだんは忘れてるけど。

おそらく、母親にも言い分が あったのだろうと思う。
たとえば、親父の実家から送られてきた菓子類などは、いつも、私の分だけが なかったり、
そのときのように、母親が入院中、小学生の私は、夕食もロクに与えられないので、自分で用意した お茶漬けで済ませていたと知ったときは、20歳代にもなっている姉が おりながら!と、怒っていたことも憶えている。
私自身は、お茶づけしか食べてなくても、特には何も思わなかったし、
会社勤めしていた姉も、帰宅後に、義理の妹の夕食を拵えてやるのもメンドクサかったんだろう。

私の母親自身、腹違いの弟妹を含めた兄弟姉妹全員の世話を、早逝した実母の代わりに やってきた実績の人だから、同様に腹違いである義理の姉の、妹に対する冷淡さ横着さが許せなかったのかもしれないが。

ま、いろいろと、そんなことも あったなあ。

 

私の現在の自宅は、以前にも述べたように、特に玄関先からの眺望が抜けていて、比較的高い位置から眺められる大空も、ぐるり見渡せるので、自宅を出るたびに、なんとなく、空のようすを確認するのだが、
先日のクリスマスの夜にも、ちょっと外へ出たとき、すぐに目についた、ひときわ光っている星(たぶん『宵の明星』)を見ながら、このような日には特に思い起こすことが あった。

やっとの思いで、最初の一人暮らしを始めた頃、やはり、ゴミ出しか何かで、外へ出て、当時の住まいだったマンション内の広い敷地を歩きながら、ふと、目に入ってきた星が、ひときわの光を放っているのを眺めながら、しばし、なんとなく思い浮かべていた。

それは、「イエスの孤独」ということについてだった。

そういうことを、久しぶりに思い出していた。

あの夜に見た光は、いまの私が立っている場所に、この地上に、いつ届いたろうか。emoji

(ちなみの追記:科学としての話では、『金星』だったと仮定したならば、おおよそ10分以内ということらしい)

あれから数十年を経ても、その星は相変わらず、他の星に抜きん出た光を放ち続けている。
emoji

 

 

さて、いよいよ、2023年も、あと1日を残すのみとなりました。

近年は、毎年、大晦日だ お正月だという感慨も薄くなり続けているのを実感するものの、

まあ、定番どおりの ご挨拶で締めくくるとしましょう。

皆さま、良い お年を お迎えくださいませ。

では また、明けて新年、
あたくしの気まぐれの気が向いたとき、ぼちぼち、お目にかかりましょう()emoji