2024.04.24 (Wed)
みなしゃん、おゲンキれすかー(ヘラヘラ)
早くも、暑い感じですなあ。早すぎるわな。
寒いのも厭だが、暑いのも困る。
いやぁ、もう すでに回復しては いるのだが、先日、しばらく おさまっていた腰痛ぶり返しで、ニッチもサッチもの四苦八苦、またぞろ、1分間に数ミリしか動けないという ありさまで、ブログ更新なんぞする気も起きやせんでした。当然、他の用事たまりまくり。
思い起こせば、ここまで酷い痛みに初めて陥ったのは、一昨年あたりからだったろうか、
『微小粒子状物質(Particulate Matter2・5)』
経験したことのない痛みだと、これ、いつかは治ってくれるんだろうか?(泣)という猛烈な不安に苛まれ、まじ泣けてきたもんだけど、泣いたって どんならん。
それでも、1週間くらい経ったら、酷い痛みは軽減していき、なんとか、ほぼ通常どおりに動けるようになった体験を踏まえて、今回は、同様の痛みのなかでも、少しだけ冷静に分析して構えることが できたかなと思う。
専門医あたりの説としては、痛くてもガマンして動くべきとか解説してる記事を幾つか見かけたけれど、
私の場合は、がまんして動けるどころじゃないので、ひたすら安静だ。
はっきり言って、ほぼ寝たきりに近いよ。
もっとも、寝っぱなしというのも、かえって良くないのは理解できるし、実感として、寝つづけるのも苦しいものが ある。
恐らく、うちのベッドのマットレスなどの、たしか、購入時20歳代からという長年に渡り過ぎた使用で、そこも問題なのだろうが、もともと、寝相が良い(?)ほうとは言え、腰痛のときは、なおさら、寝返りが しにくい。
したがって、長時間、同じ体勢で寝つづけがちなせいで、これを変えるときも、激痛に見舞われることになるのを覚悟で、自分を叱咤し、できるだけ、体勢を変える努力を しなければ ならん。
いずれにせよ、飲まず食わずでも、一定の時間が経てば、トイレにだけは行かないわけに いかないので、冷や汗を掻きながら呻きつつ起き上がり、冷や汗を掻きながら呻きつつ、1分間に数ミリの歩みを進める。
やっぱ、杖が必要かと思うところなのだが、杖が あったところで、1分間に数ミリの動きは変えられないだろう。
要は、腰と、痛む側の足には、重心を かけることが、ほぼ全く できないので、その間、ぜったいに、どこかしらに掴まっておれるよう、この家具の次は、あの壁、その次は柱等々と、からだを支えてくれる中継地点を探しつつになる。
重心を かけたときのみならず、痛む側の足は、室内の段差部分などで瞬間的に だらんと垂らした状態のときにも激痛だから、特にシッカリと つかむ必要が ある。
いくら、寝るのが大好きな性分とは言えど、おのずと限界は あるもんで、少しだけ座っていられるかなという気を起こし、少しでも、水分補給し、食べておかないと、とは思い、しばらくのあいだ、机に向かってみても、椅子に座っていること自体で、ますます、足腰に違和感や痛みが増してきて、食欲も ない。
そんなわけで、ほんの短時間でも、すぐに疲労し、今度は、起きているのが辛くなる。
常に、どこかに苦痛が ある状態だと、気力・体力の消耗が激しい。
で、再び、椅子から立ちあがるのも、ベッドに横たわるのも、激痛との闘いだ。
そんななかでも、われと わが身を観察し、今後、このような事態に陥るのを防ぐには、ということを考えるに、
やはり、根本的、直接的な原因は、高校時代に痛めたことが思い当たる。
体育の授業後などに、腰がと言うよりも、太腿の あたりに、ヘンな痺れが起こることに気づいては いたのだが、深刻に考えも せず、誰に相談することもないまま、専門学校時代に入ると、たちまちにして、通学時間の長さと、駅で上り下りする階段の長さなどが倍増したせいか、腰椎の一部に激しい痛みが起きることが頻々となった。
さすがに、異常が起きているらしいことにハッキリ気づきは したものの、若かった おかげも あってか、しばらくしたら、ある程度の痛みは、なんとなく、ひいていったのでウヤムヤ、
やがて、社会人になり就職、仕事という生活に入ると、ますます過酷な通勤途上に痛みが起こることが頻繁になっていった。
これまでには、何度か診察を受けては いるのだが、どの医者も、なんだか歯切れが悪く、明確なことは言わないと言うか、ぶっちゃけ、分からない、らしかった。
近年になって、どこかのウェブ記事を読んだところ、
実は、専門医とは言っても、この方面の診察を明確に下すのは、難しいのだそうな。
それで、もう、私は、医者に頼ることは諦めて、自分なりに下している『椎間板ヘルニア』という見立て及び、自分なりの対処法を探り当てることに基本方針を変えた。
幾つかの市販薬も試しては みたが、ほぼ全く、効果なし。
まずは、痛いのをガマンしても動けというのは、ご法度。
医者や専門家に何を説かれようと、ある程度、痛みが おさまるまでは、1週間だろうが2週間だろうが、ほぼ絶対安静だ。今回は、10日ほども要した。
とは言っても、
最低限の水分補給とトイレの必要はセットで必ず めぐってくるのだから、実際は、一日のうち何度か起床せざるを得ない。
うちは私ひとりなのだから、誰にも何も頼めない。
いや、
むしろ、めんどうみてやらないといけない、アテにしてくる家族だの同居人が いないほうが、ある意味、気ラクだ。
誰かしらが傍らにいるのも鬱陶しい。
1分間に数ミリしか動けないことで、気を遣うのもマッピラだ。
同じ痛みを体験した者どうしにしか分からないだろうし、
こういう事態のときは、医者ですら、役立たずだろうと思う。
いや、
診察とか触診で、指一本すら触れてもらいたくない。
この痛みは、まさに、孤独な痛みで、
まさに、「リーヴ ミー アローン」の痛みなのだ。
まあ、どんな痛みや苦しみも、結局、孤独なものでは あるけれど。
そんなわけで、
比較的軽い痛みのときは、一日二日ていど安静にしていれば、なんとか復帰できるけれど、
ひどい痛みの場合には、そうとうの長丁場になることを覚悟しておき、最低限の飲食物や日用品、衛生用品などの必需品を、ふだんの買物時に可能なかぎり足しておくようにする。
それと、
これは、若い頃からの問題の一つなのだが、
やはり、栄養不足。
自活を始めてからというもの、常に つきまとう問題だったが、
近年は特に、栄養が不足しがちなことを自覚していないでは なかったものの、つい、削りがちなのが食費という現実。
一人暮らしを始めて、ほどなくして、婦人科系の病気になってしまっていることも無視していて、甘く考えていたら、そのうちに、どんどん深刻化していき、
昨今は、生理用ナプキンを無料で利用できる社会運動みたいな報道を見かけるけれど、
私の場合、あの当時で、いちばん厚手の(「特に重い日用」とか「夜用」とかの)高価なものを毎日、昼夜を問わず使っていてさえ、ものの30分もたなくなっていった。
なので、ナプキン代が喰い込んで、ますます、食費を削るハメに。
やがて、
一ヵ月のうちの3週間は生理中、しかも連日が重い、そんな極限状態で何年も耐えていたもんだから、極度の貧血状態。
それでも、鉄分補給しなきゃ~と、鉄分入りの牛乳とか、ほうれん草を買ったりしていたが、
そんなもんで間に合うレベルじゃなかったのに、いま振り返ると、ずいぶん涙ぐましいことだったなあと思う。
シロウトが気休めで購入したものなんぞ、実際には、気休め以下でしかなく、後年、内科医に処方された鉄剤も そうだったが、眼科で処方された目薬も同様で、効き目が違うなんてもんじゃない。まさに、「食品」と「治療薬」の違い。
もともと虚弱なのに、ナプキン代のために、非正規ゆえ、乏しい食費を削る。
仕事を休んで病院に行くのも躊躇われ、
フラフラしながら、気つけのために荒塩を舐めてから通勤というメッチャクチャな生活を続けたあげく、最後は入院と手術。
娘の悲惨な生活は われ関せず、毎日が寿司などのゴチソウざんまいで、人生を謳歌中だった、さすがの母親も、
初めて、こう言ったものだ。
「おまえが、そこまでガマンづよいとは、、、」
と。
ええ、わたしゃ、実家に戻ることだけは、死んでも厭だったからね。
【続く】