2024.05.01 (Wed)
いわゆる『ララ物資(Licensed Agencies for Relief in Asia)』ってのが あるじゃないですか。
そう、
敗戦して間もない日本の、餓えと栄養失調などに苦しむ児童・生徒のためにと、戦勝国・占領国そして宗主国となった『アメリカ』が、思いやりをもって、送ってくれたという『ララ物資』。
私も、実家で生活していた若い頃、生前の母親が、おりに触れて、自分の子ども時代を回顧して話す内容のなかで、何度か言及していたことを憶えているのだが、母親は、とにかく、有難がっていた。
「さすがアメリカや。豪華な、美味しい食べ物が、たくさん届いてなあ、みんな大喜びしたもんだ」と。
でも、あれって、
アメリカ国内で余っていた家畜の餌だったという説も あるんだってねw
うちの母親が元気で生きていた頃に、この話を知ったら、どんな顔したことやらww
『学校給食の歴史と背景』
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私はね、例のトウモロコシ押し売りされた話のことを思い出して、よけいにムカついたw
このトウモロコシの件は、実のところ、手続き上の、ちょっとしたカラクリみたいなことが あって、トランプが、単純に喜び勇んで披露してみせただけのことで、実際には、日本側が買い取るには至っていなかった、という言い訳めいた話も知らないでは ないよ。
だが、
そういう話を、平伏して受け入れること自体が、大間違いだと言ってるんだ。舐められる原因だと。
『アメリカ』に媚びに媚び、それで、自分たちの私利私欲政権が続いていきさえするのならと、
あの原発事故から間もない当時、甘利氏が言い放ったというとおり、
「日本なんか、どうなってもイイんだ」
とて、朝鮮カルトの『統一教会』とでも結託する。
それが、『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』の正体だ。もはや隠しようもなくミエミエとなった。
ところで、
これも「ヤフゴミ捨て場」で見かけた投稿からなんだけど、
いわく「為政者の統治行為上の違法行為を訴追する事は実は論争がある」
ってやつね。
いかにも、学ありげな口調のコメントだったけど。
それって、ちょうど、いま、トランプ絡みで指摘されてるところみたいよね。
でね。
私は、それは「ヘリクツ」の範疇なんじゃないかと思ってる。
なぜかと言うと、
その「統治行為上の」云々という指摘の根幹理由に、
「民主主義」及び「三権分立」(どや!)
という大前提が あるからなんだけれど、
しかし、
民主主義であろうが なかろうが、という以上に、
むしろ、
民主主義とは言えない、ずばり独裁体制、専制国家に おいてこそ、
言うところの「為政者の統治行為上の違法行為を訴追」しないことが堂々と罷り通ってる現実が あるわけよね。
それどころか、
訴追されそうな恐れのある「違法行為」そのものを、為政者、統治権力者についてのみは、完全に取っ払い、あり得ないことにも しちゃうわけで。
そもそも、引っ掛かってくるルール自体が存在しない状態にしてあるんだったら、「違法行為」もクソもないわけでね。
『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』も、よく持ち出してくる言い分と手法よねw
だったら、「民主主義」だから!という大前提に、何ほどの意味が あるのだろうか。
おまけに、
「三権分立」ってのも、この日本に おいても、ほんとうには機能しているわけじゃない。
従来から、『不逮捕特権』や『免責特権』やらというものを、不要と見做している私はね、
弱い者いじめ大好き、私利私欲まる出しの『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』ベッタリ、しかも、世間知らずなオボッチャマ・おじょうちゃん裁判官らに、エラソーに人を裁く資格なんか あるのかいなと、はなはだ疑わしく思っとります、ええ。
私は常々言ってきたけれど、
民主主義において、また「法治主義」ってやつもだが、まさに、主役たる国民大衆の圧倒的多数が、あるていど高い知性を持ち得ていないと、さっぱり機能しないことになる、と。
それが、「肉屋を支持する家畜」ともなりうる民主主義であり、また法治主義というものなのだ。
情報収集、意欲的な勉強、取捨選択に際しては、相応の知性が必要となるわけだし、
それらの前段階に おいて、積極的な関心かつ持続が必要となるのも当然だ。
こういった基本をスットバシても通用し得るとしたら、よほどの直感力が備わった少数者だけです。
ほとんどの者は、そんな直感力もないからには、地道に勉強しかない。
偏らないことに留意しつつ取捨選択力を培う努力に励むしかない。
同じく「ヤフゴミ捨て場」で、
ヒトラーが やったことは正しかったのじゃないかという気が してくるなどと言ってる者も いたようだが、
はっきり言っておく。
大間違いですよ。
なにバカなこと言っとるか。
それと、
ユダヤ人が被った痛みがわかれば、他者に対して、ヒトラーからされたことを真似してやってはいけないことくらいわかりそうなものだ、
と言っている投稿者も いたが、
これは、まあ、妥当なこととして、ほとんどの人が同意するところだろうね。
しかしながら、
われわれ一般人の日常生活レベルのなかに おいても、たとえば、昔から知られている事例として、いわゆる「嫁姑」の争いね。
たいがいは、「わたしだって、嫁入りしたばかりの若い頃、姑や小姑にイビラレたんだから」ってな姑側の言い分は よく知られていたようだけれど、
これは、親子間でも、あるいは先輩・後輩とか古参・新入りの事例にも当てはまる場合が あるだろう。
最近のエントリーで、例の『北朝鮮』の「王朝」モドキが、昔の『皇室』の真似に過ぎないということを、再び指摘したところだけど、
そこが、人間心理の始末の悪い現れなの。
人間の多くは、えてして、自分が やったことよりも、やられたことのほうを重く、鮮明に記憶する。
もちろん、皆が皆、同様な性質・性格とは限らないので、少数派では あっても、あまりに酷い目に遭ったからこそ、幼い子どもには ありがちなように、何か分からないが、おおかた自分自身が、何かの悪要因や原因を生み出してしまっているから、こんな目に遭うんじゃないのかと、なんとなく思えてしまい、そこから、不必要なまでに、自責の念に囚われる向きも ある。
ただし、このような人ならではの陥穽も あるだろう。
「この自分だって耐えて耐え抜いてきたんだから、だからアンタも」
という、筋違いの、たいがいは無意識の押しつけだ。
心底くやしい、惨め、屈辱、どうすることも かなわない、そういった思いが激しいほど、それと同じくらいか、それ以上のことを、みずからが、何かしらの対象に向けて発露・発散しないかぎり、ずーっと抱え続けて、ずーっと屈折し続けていくことになる。
それを薄れさせ、あるいは正当化を欲して、かつては、自分を凌駕し、踏み躙り、辱めた相手をソックリと真似し、それ以上の蹂躙を実行することとなる。
そこで初めて、
自分は、もう弱くない、自分を踏み躙り、痛めつけた相手よりも強くなれたのだ、という自己満足と錯覚に浸れる。
領土でも何でも、
これは自分のものだ!という意識が強烈な者ほど、ただ不当に奪われたのだという被害意識も強烈なことになる。
なぜか、これまた男性に多いよねw
【続く】