2022.12.14 (Wed)
まずは、
ますますモメてる岸田政権。
以前のエントリー↓
『岸田首相の至上ミッションは、「アベシ国葬」なのら~』
このとおりになりかねない雲行きよねえ(呆)
で、
外されて、くやしクヤシの高市さん。
「みんなで靖国ィ!」の高市さん。
『日本会議』の演芸会にて、イカガワシイ唄うたってたのをバラされて、地方議員である信者のバカうよに全責任を なすりつけ、大ヒンシュクを買ったばかりの高市さんは、なんとか浮上したいものと見えるがw
一言。
姐さん、ここぞと、イイほうへ回るなよぉイイほうへwww
おたくが、そもそも誰の、どこの手先なのかを、こちとらは知らんやろと思てたら大間違いやで
まあ、いずれにせよ、底の本音は、企業や富裕層を、増税ターゲットにするなー!ってとこじゃないのかしら。
あやつらのオツムのなかに、わたしら底辺庶民の生活のことなんかは、ろくに存在してないはずだもの。
尤もらしいキレイごと言ってたって、スケスケのミエミエです。
よけい寒いわぃ
政治の話もウンザリの極地ですが、ここで ちょっと話題を変えまして、
さて、
傷めると、よーく分かる。
腰というものが、どれだけ、われわれの からだを支えてくれていることかを。
「腰を定める」ことが できなくなると、たちまちにして、ふつうに立つことすら不可能に なってしまうのだ。
近頃ぶりかえしてしまった、私の腰痛。
最悪の状態だと、寝返りも できないのだが、寝返りしないと、もっとマズい。
もちろん、立つのも恐ろしい。
必死に立ち上がってみても、今度は、足が前に出せない。息が止まるほど痛いから。
転ぶのは最も恐ろしい。
これじゃ、トイレすら行けないよ。スリッパを履くだけでも激痛なのだ。
やっぱり、病院へ行くべきなんだろうかなあ。。。
でも、行ったからって、こういう場合は、根本的に治るわけじゃないだろうし、結局のところ、解決するだろうという気が全く しない。
てか、
ほんとうに痛い、苦しいうちは、一人で病院に行く準備や身じたくだけでも大変だ。
へたに触られたりするのも怖い。誰にも触られたくない。
だいいち、激痛の最中は、救急車に来てもらって、担架に乗せてもらうこと自体、恐ろしいのよ。
こういうときに、いつも思うのは、大地震やら火事が起きても、逃げられないよなあ、ってこと。
聴覚障碍の私は、たとえば旅行など行ったりしたときに一人で宿泊した場合は、従業員に事情をシッカリ分かっておいてもらわないと、もしも、火事など起きても、逃げ遅れるかもしれない。
ほとんどの人は、とっくに救急車を呼んでるであろう事態でも、ガマンしてガマンして、耐えてきた。他の病気でも、若い頃から何度も あった。
自分自身の苦痛は、自分にしか分からない。
市販薬も案の定で全く効かなかったが、
まっ、それでも、数日前に比べたら、少しマシにはなっているので、もう しばらくは様子見するしかないなあ
まあ、今後に備えて、家のなかと外用の2本、杖の購入も要検討かなぁとも考えちゃうけど、これじゃマジで年寄りっぽくなるし(気にしてられんけど)高価でなくて実用的かつデザインがオシャレなやつも あるのかしらなどと考えていたら、なんか泣けてくるわ。。。とほほ
せめて、栄養補給くらいは したいもんだけど(嘆)
ところで、
次は またまた『山田五郎 オトナの教養講座』関連から。
私の、『イタリア』という国の風景に対する印象は、実際に行ったことが ないので、特に、古い絵画などを観ていて、蓄積されてきたことなのだが、
国土として備えている、抜きん出た大自然の美しさとは別に、かつての繁栄と栄光を誇った証しのように遺されている壮麗な建築など人工物の豪奢・絢爛さの反面で、なんとなく うらぶれたような、ある種の「貧乏くさい」感じとが混然と同居しているような、そんな相反するものが一体になっている印象なのだ。そこが特に おもしろいと感じる。いい味出てるやんと。
いまでも、『ロミオとジュリエット』が現れそうだもんね。
山田五郎氏が、むかし、そのイタリアで体験したことの話を聞いていて、たとえば、街の そこかしこに並んでいる、かのベルニーニ作の彫刻に向かって、いわゆる「立ちション」に及んでいた酔っぱらいのオッサンを目撃し、
そんなことしてるから、おたくらは全部ダメにしてしまうと、イギリス人に、バカにされるんだよ、
(イギリス人は、研究や保全の分野に熱心であるそうな。)
というふうに忠告したという遣り取りが興味深かったのだけれど、
くだんのイタリアの酔っぱらいオジサンいわく、
「イギリス人には、こういうの つくれないだろ、われわれイタリア人は、なんぼでも つくれるんでね」
とかと言い返してきたというので、
ここで私が連想したのは、
スキャンダルや悪女のイメージが まとわりつくルクレツィア・ボルジアの逸話。
訂正:
確認してみたら、カテリーナ.スフォルツァと間違ってたようだ。
この人の おかあさんが、ルクレツィアという名前だったそうで、しかも、敵方というのは、ルクレツィア・ボルジアの兄であったことから、記憶が錯綜していた もよう。
というわけで、
ルクレツィア カテリーナが、激烈な権力争いの渦中に巻き込まれて、と言うか、自分から飛び込んでいったらしいが、突如、押し入ってきたと言うか捕えられてしまっていた敵方に、自分の子どもを奪われて脅されたとき、
「ふん!あかんぼうなんざ、この先なんぼでも産めらあ」
などと、
着衣の裾を、太腿も あらわに捲り上げ、(べらんめえ口調≒イタリア式巻き舌?で)昂然と啖呵を切ってのけたのだという。
私が高校生くらいのときに、永井路子氏の著作である『歴史をさわがせた女たち』というのを読んで、史実の正確さ如何は分からないながら、そのなかに登場した話の一つだったと記憶しているのだが、ある意味、恐れ入るやら感心するやら、こんなのが母親だったら、子どもは災難だよなとも思いつつ、大昔の、身分ある女性とは思えないほどの剛胆な ふるまいの描写だけが印象に残っており、それを思い出したわけ。
お若かった頃、『オーストリア』あたりに留学されていたという山田氏は、イタリアで遭遇した、くだんの酔っぱらいオジサンの言い放ったコトバに考え込み、美術館の学芸員勤務も志望の一つとして考えておられたそうなのに、美術館そのものについても、複雑な心境になってしまわれたそうなのだが、
でもね、
やはり、全く同じものを つくるのは、そもそも つくった本人ですら不可能に等しいでしょうからねえ。
時代につれて刻々の変化もするし。
「一回性」の重み、ということも あると思うのですわ。
日本人の多くは、酔っぱらいに対して甘いというか、無責任だけどね。
ちなみに、
山田五郎氏が編集者としての お仕事のなかで、事情が生じて描かれたという幾つかの挿絵は、まさに「楷書」的な丁寧な描写ぶりで、うちの親父が若い頃に描いていた絵と、かなり似ている感じ。
やはり独学で、黒鉛筆だけを用いて描いていた親父の絵は、モノクロ写真みたいに写実的だったけど。
その親父が大いに好んでいた東山魁夷。
東山画伯の作品が殊のほか大好きなくせに、
あるとき、ヘンなことを言って、嬉しげに笑っていた。
それは、
「東山魁夷って、軍隊時代の階級は、意外と低かったんだなあ!w」
と。
たしかに、親父は、二十歳に なるやならずして近衛将校となったエリート軍人だったのは事実だけど、
ほぼ唯一、最晩年まで残った趣味であった絵だけは、どう逆立ちしても、東山画伯に豪も勝てやしないというコンプレックスゆえだったのだろうか。
それにしても、いったい、なんの関係が あるんや?と、私は思った。
そういう、ヘンなマウントとる意味が、私にはサッパリわからんのよ(嗤)
なお付け足しですが、
美術館に行ったときの行動。
これに限らないかもしれないんだけど(博物館とか図書館とかも)、
私は、「あっ、これは」と、興味を持った対象なり作品なりを、とりあえず、横に取り分けておいて、ひととおりサーッと他を流していくということが できない傾向なのよ。
つい、まじまじ、しげしげと見詰めるために、真ん前でビタッと足を止めてしまう。自分の前に、人が立っていて鑑賞中なら、その人が去り、自分が、作品の いちばん前に立てるまで、ふだんならば およそ持ち合わせない粘り強さを発揮しつつ待つ。
しかも、時間さえ許せば、やっぱり、欲掻いて再度めぐりなおそうとするもんだから、ものすごい時間かけちゃう。
なので、友人とか連れと一緒に入場したのに、いつの間にか はぐれてしまったり、想定外に混んでいたときは、お互いを見失ったまま、ついに、それぞれ一人で帰宅した、なんてことも あった。
何よりも、連れを疲れさせてしまい、
「いつまで見てるんや」と、呆れてウンザリされちゃう。
そういうわけで、美術作品などを鑑賞する場合、一人でジックリまわるほうが気楽ですわ。
山田氏のような興味深い詳しい解説を していただける人の付き添いが あるなら、そりゃあメチャ楽しいだろうけどね。