2022.12.12 (Mon)
ひょっとすると、私が政治やったほうが、だいぶマシちゃうか?と、
かなりマジで思えるようになった近年。
最近も、例の『(旧)統一教会』によって巻きあげられていた巨額の資金が、あちこちマネーロンダリングを経て、『北朝鮮』に流し込まれていたということが、『ペンタゴン』の情報資料から発覚したとか報じられていたが、まあ、私も以前から薄々そんなところじゃないかと感じていたことを、過去エントリーで指摘していることもあって、まさに、それほどには驚かなくなってしまっているのだが、
ここで、あらためて呆れ果てつつ思い出したのは、
安倍政権のときに、やたら増えだした北朝鮮からの「ミサイル」が発射されたら、頭かかえて即うずくまれ!という指令。
みなさん、お忘れでしょうか?
「戦前・戦中に戻すべき」と信じる『日本会議』系や、それを後ろ盾としていた安倍氏らが、なんとも嬉しそうに、タイコを叩き鳴らさんばかりに、われわれ一般国民を嗾けていたこと。
あれを、なんともナサケナイことよと、安倍氏と その政権、それに盲目的に従っている人々を、つよく批判した一部の識者なども見られたが、あの号令に、おとなしく従い、あたかも「戦時訓練」を素直に実行していた地方民たちも いたよねw
まさかだろうけど、あの人たち、いまでも実行しとるんかの??
さて、国内に限らず、国外を眺めてみても、たった一人の突出したバカが のさばってきて、大多数のアホの頭上に攀じ登り、手に入れた権力を暴発させては、くっっっだらないことに、貴重な資源や人命を、延々、湯水のごとく費やすことになる。
最近のニュースで、出産費用の援助一時金とかの額を8万円だか上げることにした、ということだったが、これについても、やっぱり、ぶうぶう言う声が聞こえてくる。
まあ、私自身も以前から指摘しているように、いまどきの日本社会で、子どもの二人や三人を儲けられるということ自体、それなりに安定した家計で、あるていどの余裕が見込めるからこそだろうというのは、一部を除いて、概ね当たっているはずだ。
もっと余裕が ない層は、そもそも、結婚にも至れないでいるというのだから、たしかに、出産費用をナンボ上積みしたところで、深刻な「少子化」問題の解決には程遠い、と言うよりも、はなはだズレている。
つまり、根本の解決には、とうてい、なり得ないわけだが、
ここで、再び、比較する対象を間違えていると言うか、アタマが悪すぎと言うか、判断を根本から誤っていることの典型的愚衆の声が、「非課税世帯」への5万円給付と並べて批判している連中の あいだから聞こえてくるわけである。
昨今の、ほぼ全ての面での値上げにより、ただでさえ、食費や光熱費を削りに削ってきている世帯に対して、数万円程度の給付金は、それこそ「焼け石の水」に等しい。
これとても、根本の問題解決になり得ないことは同じなのだが、
やはり、出産援助金額を上げることと同列に並べて批判するのは大いに間違ってるよ。
出産当事者たち自身がボヤいているように、出産時よりも、その先が長いのだということを考えてもらいたいという意見も尤もな話だし、
光熱費や食費さえも大幅に削減しなければ ならないほどに、ふつうのレベルの生活が逼迫している層が増えてしまってることの深刻な問題も、いずれにせよ、根本的なところを見て、有効策を打っていかなければ ならないことは同じなのだが、
それでも、さしあたっての喫緊度は大きく異なるからだ。
もう一人くらいは産めそうだ、なんとか育てられそうだと踏んでいるからこそ、子を儲けることを実行できる人たちと、
あすの光熱費や食費に窮している人たちの生活喫緊度が同じなわけが ない。
そういうところを履き違えて、ブーブー言う手合いの相変わらず多いことよ。
いまだに、せいぜい2、3割の『自民党=本名:だっぴ統一壺売国党』の積極的支持者(その内訳は、多くが『日本会議』シンパと(旧)『統一教会』信者)連中の したいようにさせていて、何も分からないアホのまま、選挙にすら行こうとしない、大多数の有権者。
終わってるやろ。
ちなみに、今度は『毎日新聞』が やり始めたな。
どこぞの大きな有名神社が、障碍者の仕事を用意して云々とかいう。
自身も障碍を抱えている私は、先日も指摘しておいたように、そういうキレイごとの裏の、『日本会議』『神社本庁・神社庁』などの思惑を察しているから、こんな記事には一切、鼻も引っ掛けない。
「はずされて」怒っているという高市アネゴさんも そうだが、
「防衛費」のための増税ね。
これ、安倍政権のブチアゲだったなら、高市さんも大いに擁護・賛同したんじゃないのかしら?(嗤)
あ、それと、宮台氏が襲撃された事件。
ぜったいに、犯人を見つけだしてもらわなければ ならないんだけれど、いまのところ、進展が ないということらしい。
私も、一報を聞いたときは驚き、かつ、ハラハラしたが、辛うじて、致命的なことは免れたのが、せめてもの幸いだった。その おかげも あってか、えらく早々の退院と(まあ、たとえば全身麻酔で開腹手術したとしても、だいたい1週間で退院させられた経験は、私自身にも あるけれど)、お仕事再開の宣言会見に臨まれていたのを拝見し、この際、もう少し ゆっくり養生されたほうが いいんじゃないのぉ?と、これは これで、またハラハラしたが、
いや、しかし、
例えはヘンかもしれないが、
要するに、いわゆるレイプ被害と同じことなんだよね。
こういう類の犯罪被害に遭った人には、それを機に、それまでと明らかに異なることは、可能なかぎり、しないほうが よくて、できるだけ、もとの通常生活に戻っていくことが、メンタルの面でも望ましいそうだから。
「負けへんでー!!」というファイトのコトアゲは、むしろ大事なのかもと考えなおした しだい。
ただ、入院中の食事のことについても、宮台氏は少々不満の旨を洩らしておられたが、それを聞いたときだけは、私は思わず、「ぜいたく言うんじゃありませんよ!」とムッと来たw
私自身も入院生活を一度ならず体験してるけど、出された食事についてだけは、ガッカリしたり不満に思ったことは、せいぜい一度くらいしかない。
それは、過去エントリーでも述べたことが あったと思うけど、
初めて入院した二十歳代のときで、
一晩じゅう断末魔の苦しみに のたうち、息絶え絶えの ていで、何度も親に訴えて、やっと、未明になってから、救急車を呼んでくれたときの経緯だけど、
(ちなみに、あの頃でも、時間帯を慮ってか、住宅街のなかでは、サイレンを止めてたようだったよ。広い道路に出てから鳴らし始めていた。)
このときの、毎度の、うちの親のエゴ パターンだか何なのだか知らんけど、対処が冷酷で後手後手だったゆえ、たまたま宿直に当たっておられた院長先生が、極太の注射をソッコー、私の太腿の つけ根に打ったあと、「連れて来るのが もう少し遅かったら、死んでたよ!」と、うちの親を厳しく叱ったということだった。
その直後から、これまた痛いうえ恥ずかしい検査が相次ぎ、ここでは、出血の酷さに驚いた医師が二人がかりながら、処置に手こずり、看護婦さんを、モタモタするな!と叱りつけていたのもウッスラ憶えているのだが、
病室のベッドに おさまった その日は、ひたすら点滴に次ぐ点滴、また点滴で、やっと、食事の膳が運ばれてきたのは、夕食のとき。
さすがに、地獄さながらの苦痛は、緊急治療と多量の点滴の おかげによって薄れていたのと、数日前からの食事不能で、少し空腹感は覚えていたので、目の前に運ばれてきた食膳の お椀が三つ並んでいるのを見て、いそいそと箸を取り、食事に とりかかった。
何十年たっても、いまだに忘れもせんわ、
最初に、中くらいの大きさの椀の蓋を あけてみたら、それは、薄味の お吸い物だったのだが、驚いたことに、具はナシ。
次に、いちばん大きい椀の蓋を あけたら、それは、米粒一つも見当たらない、うす~い薄~い「おも湯」であった。
もしや もしやと思いつつ、最後に、いちばん小さな椀の蓋を取ってみたら、オレンジ ジュースか何かの飲み物だった。
結局、三つの椀の蓋を取り終わってみて、あらためてビックリしたのは、見事に、すべてが汁物だったこと。まあ、要するに流動食そのものってことね。
固形物のカケラだに入っていなかったことにガックリと うなだれたものだったが、その おかげも あってか、翌日から徐々に再開された固形物の食事は、たいへん たいへん、おいしかったw
そして、病院の窓から見下ろせる「天ぷら・うどん・蕎麦」の看板が掲げられている店の屋根を、せつなく見つめる日々となった(苦笑)
ほんとうは良くないだろうけど、退院した直後に、くだんの店に駆け込みましたわw
あとね、30歳代のときにも、手術の必要が生じて入院したけど、
そのときも、食事について何らかの不満を感じることは なかった。
もっとも、好き嫌いと言うか、ふだんの食生活で食べない、食べられないものが けっこう多いタチなので、それは ともかくとして、単に おいしくないだのと不満に思うことは なかった。
いったい、どんな貧しい食生活だったんだ?と言われちゃいそうだけどさw
うちの親も、特に母親の世代は、いわゆる「欠食児童」世代だが、それでも、祖父は裕福だったので、同世代の子どもたちよりは ずっと恵まれた食生活だったせいか、口が奢っているというのか、食べる物については特にワガママだった母親。
そのくせ、しょっちゅう、せっかくの食材を廃棄したり、つくった食べ物を腐らせたりしていたよ。
だいたいね、
専門スキルを持ちながらも、この御時世、パソコンや非正規、派遣労働が普及したことで、障碍持ちの私なんか、働けど働けど状態だったからね、食費を節約するために、実家から、簡単な糠床セットを送ってもらい、おサイフのなかが寂しくなってくること必定の、お給料振り込み前に備えて、ぬか漬けだけは拵えてたけど。
あとは、お茶づけか、炊いたばかりなら、白ご飯に塩やマヨネーズだけ かけて済ませることも しょっちゅうでしたわ。
そんな自活を始めたあとも、たまに『難波』や『梅田』で待ち合わせて、デパートで買物に つきあったりすると、最後は必ず、デパ地下のグルメ食品コーナーに立ち寄り、高価なものを買い込む母親を、横目で眺めていた私です。
で、
最晩年の母親は、あれだけのグルメ・健啖家だったのが、普通の食事も いっさい、できなくなっていった。
こんな私が、ほぼ唯一と言えるほど、誰に憚ることなく堂々と宣言できるのは、食べる物を粗末にすることだけは なかったことかな。
まあ、溜まったストレスや何やかやで、ついつい食べ過ぎることは よく あったけど、
食べもせずに腐らせて廃棄するようなことだけは、重々自戒してきた。
もし、うっかりと、そんなことが起きてしまったときは、自分で自分を思いっきり罵倒し、どつき倒したくなるくらいの自己嫌悪だ。
これは、お酒を好まないことと同様に、およそ、親や身内に似なかったことの一つなのだが、ま、典型的な「反面教師」ってことだろうか。
最近は、通常の買物にすらも出向きにくいので、食材のムダどころか、あたりまえに食べるべきものが尽きてしまい、泣きたくなることも増えた(嘆)
なかなか、痛みが解消しない腰と相談しながらなので、いろいろ渋滞を起こしている このごろの私の暮らし。
従来にも増してキツイ冬になりそうだわ(泣)