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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2022.11.15 (Tue)

『サクマ式ドロップス』を製造していた会社が、来年早々に廃業予定、というニュースが出ていた。

この缶入りドロップには、私個人的にも、幼き日の想い出が ある。

幼なじみらと、缶から一粒ずつ取り出したドロップの、何色が出てくるか「おみくじ」感覚で予想したり、互いに好きな色を取り合いになったり、

表面に まぶされている粉が取れて、それぞれの味の果物などの色が透き通るように光るのが見たくて、いったんは口のなかに放り込んだのを、わざわざ、手のひらに出して確認してみたり(汚いねw)

小学校に入学して初めての遠足の おやつに、母親が買ってきてくれたのが、この缶入り『サクマ式ドロップス』だった。

母親は、

「おかあさんが子どもの頃から あったんやで」

と、言っていた。

私らの世代では、日常的な菓子ひとつを とっても、種類豊富になっていたので、小学校も高学年くらいになると、このドロップスは、あまりにも定番イメージゆえ、他の様々な菓子のほうに目が行くようになって、いつしか疎遠になっていったのだが、それでも、あらためて聞けば懐かしいし、容器もドロップ自体も、なかなかオシャレなものだったなと思う。

いまのうちに、一缶だけ買っておこうかという気を起こしたものの、すでに、オークション サイトあたりでは、信じ難いほどの高値で出品されているそうで、いまどきらしい現象では あるのだろうけれど、いささか呆れてしまった。

 

さて、

野坂昭如氏の原作である『火垂るの墓』は、私は、たしか小学高学年か中学生頃に、あるマンガ家さんによって描かれたものを読んでおり、男性のマンガ家さんの手によるためか、なかなか迫力ある緻密な画風も手伝って、その凄惨な描写に大ショックを受けて以来、こんにちでは『ジブリ』アニメによって知られているという当該作品を、決して見ないし、野坂氏の原作そのものも読む気になれないでいる。最初に読んだマンガから受けた影響が強烈で、滂沱の涙どころか、まじで、ご飯が喉を通らなくなるだろうことが分かっているから。
それでも、あの時代の実際を体験したことがない者にとって、たいへんな勉強になったと思う。

 

戦時には、身内や親戚でさえも、どのような態度になるものか、
このへんのことは、とある(お名前は失念しているが、知名度のある人だった)女性の おかあさんが、戦時中も欠かさず書いて残されていたという日記のなかにも、同じような情況が述べられていて、
戦時の人心は、ほんとうに、いやらしくて、利己的で、殺伐とした世相になったことを嘆いていた くだりが あったそうだ。

 

 

話題を替えて、

ところで、

最近の当ブログで紹介した、美術方面を解説する動画にて、今度は、モローをテーマにしている回を視聴した。モローも、私の好みの画家の一人なので、彼の個人的な面でのエピソードも、少しは読んだりしていたのだが、あまり踏み込んだものでは なかったので、モローと、特に、その母親の関係性について、有名な『エディプス コンプレックス』という説も引き合いに出し、いろいろと解説されている内容に、へえ~と驚きも したが、

支配的な親に、特に経済面で君臨され、それでいて、子に依存し、子のほうも否応なく「共依存」的な立場に引きずり込まれるという情況は、私自身も経験してきている。その最大要因が、私の場合、あきらかに障碍ゆえであり、しかも、障碍を負う原因を つくったのは、ことも あろうに、親たち自身だったのだが、両人とも無自覚か無自覚を装っていたふしは ある。

私自身が、なかなか、そのあたりのことに気づけないままで、トシくってしまったわけだが、

たしかに、異性どうしである息子の母親というものは、娘の母親とは、多少の違いが あるのかもしれない。

たいへんな美青年の母親であった、むかしの隣家のオバさんを通しても感じたことが あったし(じつは、息子の嫁にと、私を望んでいたらしいオバさんは、私と しゃべっているときに、ふと、『息子の嫁に対しては、やっぱり、ヤキモチを焼くもんなのよ!』というふうなことを、真面目な顔で言い切ったことが あったのを思い出した)
また、私の母親と兄は、血の繋がりは ないのだが、母親は、私なんかよりも、義理の兄のほうを、何かにつけて拘って、そして必死だった。

もしかしたら、母親にとって、実の娘、どういうわけか、似ても似つかぬ異質な娘よりも、ダブル不倫でスッタモンダの あげくに ひっついた男の面影を宿す、若い分身、という感覚のほうが大きかったのかもしれない。

 

ただ、私は、かのフロイトの理論は、あまり、と言うか、少なくとも、全体的に信用は しない。

20歳頃だったと思うが、フロイトの著作を読んでみた当初から、かなり偏った考察だなと思って以来、こんにちになっても、その違和感は消えていない。

 

「なんと言っても義理だからこそ、親の責任というものを果たさなければ ならない。あんたは実の子だから、気楽に無責任にしておれるんよ」

などと言い放っていた、うちの母親。

 

そんなバカな言い分が あるかい!!emoji

と、いまの私なら、一刀両断に処すのだがw

 

くだんの、興味深い美術解説に対して言っておきたいことが ある、それは、

息子にとってであれ娘にとってであれ、

母親というものは、人生最初に出会い、終生に わたって つきまとう、「ファム ファタール」であるということ。

大多数の人にとっての母親は、

男女の別なく、われわれが しがみついて生きる大地の法則、この世の第一聖典、犯すべからざる女神、逆らい難き魔女なのである。

 

そう、
この世で最も、しまつ悪い存在なのよ、母親という、およそ「産み落とす者」はねww

『キリスト』教の説話に おいて、罪深き存在と決めつけられているのも、しかたない、ような気もするwww

 

キリスト教もさぁ、マリアは、イエスは、性欲や性交なんぞには無関係で産み、生まれてきたから尊いのだということにしておきたいのなら、
今回アメリカに おける「中間選挙」で、争点の一つになったという「人工妊娠中絶(堕胎)」を禁止するどころか、

いやらしい、恥ずべき性欲やら、醜い計算やらを めぐらして産むくらいなら、むしろ「人工妊娠中絶(堕胎)」を晴れて大いに認めるほうが、お説に かなうと言えるんじゃないの?wどうよ?原理的キリスト教徒さんや『共和党』の人たちww

あるいは、
人工的な出生方法を奨励し、発展させ、いずれは、性欲も性交も一切ナシ!そういう出生方法でしか認めないということにしていくとかさwww

 

日本なんか、この先、子どもが生まれなくなり過ぎて、人工的出生方法に頼るしか なくなりそうだもんね、『皇室』とか、すでに。

「自然に まかせて」いたら、「やんごと ある」になってしまいそう(苦笑)

 

【続く】

 

 

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