2022.11.07 (Mon)
『秋の深みに寄せて』の続き。
私は、以前から言ってきたように、美術鑑賞や、自分で描くことも好きなんだけど大好きなんだけれど、哀しいことに「ヘタの横好き」だという自覚は辛うじて あるからw先述の動画を視聴していて、ルソー本人も、自分の描き方に困難や問題が あるのを自覚していたのなら、きちんとした指導やアドバイスを受けてみようという考えは なかったのかいなと、そのへんは怪訝に思ったのだけども、
こういう人を、なぜか、堂々とアカデミックな場で、絵の教授に就けてしまうという、その流れのフシギさw
ルソー自身の、ある種の「強運」も あったのだろうが、
こういうところは、やっぱりフランスならでは、なのかな?と、
日本では、まあ、あり得ないだろうなとも思った。
でも、日本人は、どういうものか、昔から、ルソーの絵が好きらしい。
言われてみれば、私自身も、部屋に飾りたいほど好きとまではビミョウだけど?けっして、きらいじゃないわw
うま過ぎて、名声とどろき、名を残す。
ヘタ過ぎて、大笑いされ、名を残すw
つまりは、うまいとかヘタとかを超越した、独特の世界観に満ちている場合も あるわけでね。
これも、日本人が特に好む『印象派』。
フランス国内に おいて最初の展覧会で発表したとき、当時の専門家らの怒り心頭を誘い、くっそみそにコキおろされたっていう、定番の話が あるじゃん?それが真実、正確なところかどうなのかは、かなり怪しいらしいけど。
それは さて置き、
まあ、まじで怒りを誘うってことならば、それだけ、ある種の脅威を感じさせるからでも ある。
だからこそなのだろうけど、
その点、むしろ大笑いを誘う場合は、まあまあと、大目に見られ、許され、受け入れてもらいやすい、ってことなのか(苦笑)
じつはね、この動画の直前に、ヴェラスケス(なかなか渋い、いいオトコよねディエゴ)の『ラス メニーナス』についての解説を聞いた そのすぐあとだったので、
「遠近感覚の計算もバッチシのベラスケスとは どえらい違いやったんやなあルソーって、はははw」
と、私も大笑いしてたの。
たとえば、近代アメリカの画家であるサージェントあたり、私も特に好きな画家の一人なのだが、
その筆遣いを見たら すぐ分かるように、ヴェラスケスの影響を受けてる画家は、時代を超えて、世界的に多いだろう。
同じスペインの偉大なる先達として、かのゴヤも また、ヴェラスケスを大いにリスペクトしていたからこそ、自身も また同じく宮廷画家として、あの『ラス メニーナス』に比肩し得る作品を ものしようとし、やっぱ無理だ、かなわないと諦めた経緯が あったそうなんだけれど、これはねえ、描かれている対象の人物たちの、実際の風貌とか人物的魅力如何も影響してるんじゃないかと(苦笑)
あの可愛らしい、幼い王女と比べられたら、、、ね?(笑)
ちなみに、ヴェラスケスからゴヤに至るまで、百数十年も あいてるんだね。
まあ、現代人の私なんかから見たら、どちらにせよ大昔の、錚々たるの古典的な大家のイメージだから、そんなに年数あいてたの?と、少々意外だった。
さてさて、
作品とは別に、ルソーのようなタイプの人って、たまに、いや、けっこういるみたいね。まあ、もともと私自身も、他人事みたく、えらそうに言えるクチじゃないかもだがw要するに、「いい人なんだけど、独り善がりとか無神経」だったりというw
これが、わかりやすいようで、わかりにくいのよね。
単純なタイプの人なのかなあと思ったら、いやいや、けっこう複雑かも、いや、やっぱり、ひたすら単純なんだww
だからこそ、次に どう出てくるやら、けっこう、予測しにくいんだけれど、そのときが来てみたら、やっぱり、いつもどおりの単純さwww
ルソーに関しては、うちの過去エントリーで、少々触れたことが あったけど、
私が なんとなく想像していたのと、そう大きくはハズレてなかったみたい(苦笑)
ただ、ルソーの色彩センスは、これも独特のようでいて、さすがフランス人だなという感じ。
ルソーは、典型的なフランス人かつ男性ならではの「天然もの」(笑)
飛ぶ物が大好き、動く物、好きなもの、関心を持っているものは、とにかく真ん中に大きく大きく描きたい(笑)
反面、ヘンなところで拘って、こまかーく執拗なまでの描き方を せずに いられないw
(じつは、私が、若い頃に、小説の筆を折った理由の一つが、これww)
けど、苦手なところは、いっしょうけんめい隠すww
隠してるのがバレバレなのも気づかずにwww
実際、ルソーは、ごく若い頃に、犯罪を しでかしてるそうなのだが、こういうところも、単純な衝動性ゆえでは ないかな。
要するに、
あのピカソが羨ましがったというほど、おとなの男性というよりも、幼い男の子のまんまなんだ(笑)
だから、ある意味、どうにも憎めないんだろうね(笑)
で、
さすがに、ルソーよりは、私のほうが、もう ちょっとは、らしく描けるぞ?wとは言っても、
ヴェラスケスなどの偉大な画家は勿論どころじゃないが、
さりとて、ルソーのようにも、世界的高名な作品を残せるわけでは全然ない。
なぜなら、
天才でもなければ、天才すらブッ飛ばすような、ある種の突き抜け度も ない、ただの中途半端な「横好き」でしかないからだw
ただ単に好き、それだけ。
そこだけが、ルソーと私の、辛うじての共通点だろうww
どんな分野でも、特に芸術分野では、要は「スタイルが ある」か どうかが、大きな分かれ目だと思う。うまいとかヘタとかいうこと以上に大事な。
その人の作品でしか表現し得ないものが確かに ある。
つまり、余人を以って代えがたい、掛け替えが効かない、オンリーワンってことね。
ところで、うちの親父は、これも、以前のエントリーで話したと思うけど、
かのピカソが大キライでねw
さっきの先行エントリーでも述べた、正面顔と横顔を同時に描いた作品なんかを特に嫌っていて、
私が、乏しい知識でもって、
「あれはね、理論的な、実験的な作品で」云々と、せいいっぱい説明してみても、
親父は、
「なんか知らんが、おれは嫌いだ!」
の素朴な一言で却下w
そもそもピカソは、本来的に、ふつうに描いたら、それは それで、非常に技量の優れた具象画を多く残していることを知らないようだったし。
でもね、
ルソーのほうは、親父が、その存在を知ってたかどうかを、私は確かめたことは ないんだけど、
ルソーの絵を見たとしても、親父は、大嫌いだったピカソの絵を見たときのように、まじで怒ったりは しなかったんじゃないかなと思うw
もちろん、褒めもしないだろうけどww
親父自身、若い頃は、育った養家が貧しかったせいもあって、ふつうの黒鉛筆だけを用いて、モノクロ写真のような写実的な絵を描くのを、ささやかな趣味にしていた。
そんな親父がリスペクトする絵は、日本画は別格のものとして、西洋の絵画であっても、基本的に、バリバリ正統派な、端正な具象が一番。
好みの一例を挙げれば、『グレー』シリーズで知られた浅井 忠とか黒田清輝とか、そのあたり。
(ちなみに、『湖畔』のモデル女性は、うちの母親の若い頃の風貌と少し似ている。なので、複製画集をプレゼントしたことが ある)
あと、東山魁夷の作品も大好きで。
実の娘である私は、もともと、こういうタイプの子では あったんだけど↓(苦笑)
まあ、それでもね、少なくとも、ルソーよりは、もう ちょっと、マシな(?)絵を描けるんじゃないかとは思うわけよw
学校時分の美術の授業では、自分のアタマのなかのビジュアルを、紙の上に再現できるだけの技量が追いつかないもんだから、時々、
「なんだコリャ?」
と、先生やクラスメートたちから嘲笑されることも あったけれど(苦笑)
それと同じくらい、褒められることも あった。
たとえば、文学作品、詩の一場面の光景を、自分なりに想像して自由に描くとか、テキスタイルとして想定した図案とかは、おもしろがられたりした。技術としての陰影の つけかたも、美術教師に褒められたのよ。
【続く】