2022.10.30 (Sun)
『【続】「人類の進歩と調和」は どこ行った?w』の続き。
国民を納得させる、それをスッ飛ばし、怠って、国の根幹を支えている民衆の怒りを押さえ込むことが できなくなったら、はたして、そのときには どうなるか。
少し考えたら分かるはずだろ。
世界の歴史では、ついには「暴力革命」を招いていたパターン。
ところが、「カタギ」の庶民は武器の類を持たぬ この国で、オボッチャマやオジョウチャンたちが、時にも あらずして、ファッションで「暴力革命」を起こそうと暴れまくったわりには、これまた、時にも あらぬに、相変わらず おとなしい国民大衆が、隣りの国々が過去に経験してきたような屈辱の事態をも、従容と受け入れるのだろう。
白井さんは、大学で教えていらっしゃるので、学生たちに、アンケートのようなことを実施したところ、
「『平成』時代は、まあ、良い時代だった」、便利で~、みたいな答えに呆れてしまったというふうな感想を述べておられたが、
そこは、いまどきの若い人たちって、みょうに「ものわかりのいい、良い子ちゃん」が増えたなあと、私も、前々から言ってたことと関連するのでは ないかと思う。
ある意味、昔からの日本人の好みである「謙虚さ」と相俟って、将来の明るくない予想を思えば、この いまは まだしも、という感覚も あるのだろう。
かく言う私自身、インターネットだのパソコンだの全く、夢にも出て来ない時代の生活を知ってるわけだけど、そりゃ、障碍者や弱者の立場を嘲笑い、叩きのめそうとせんばかりのコメントが溢れかえり、安倍政権時から、ますます酷くなったネットのコメント欄や
(『ヤフーコメント』は、いまや筆頭格だもんね。何を考えてか、最近に なって、今度は、携帯電話の番号をとか言い始めたが、そんなこと云々するよりも、まずは、社会的悪影響しかない、そのコメント欄を廃止しろや!と、先日も申し入れておきましたw)、
それを助長せんとするかのような『自民党=ジミンだっぴ統一売国党』議員の言動や、各メディアの論調には、まさに絶望の気分に陥ること多々だったが、
たしかに、それでも、便利な面は ある。
特に、聴障者である私にとって、電話代わりのメールや、自力で調べられる検索機能は、なお万全とは言い難いものの、なくなると困るくらいの必要性は生じている。
もっとも、パソコンが購入できて、使えるかぎりでの話だけどね。
ある面、「便利は不便」なのだが、その逆は ないw
社会が どうで こうでと言う前に、私の場合、自分の生育環境と障碍のことが壁になり、何かと思い悩むことが多かったから、募る辛さや、怒り以上の不安、なさけなさを、そのたびに、むしろ、自分自身で なんとか抑え込もうとする心理からか(でないと、自暴自棄になってしまうか自殺しかない)、子ども時分や学生時分には、世のなか、自分よりも、もっと重い障碍を背負って、また、もっと辛い環境のなかでも、苦労しながら生き抜いている人たちも いるのだ、それなのに、自分は、なんて弱いのかと、泣きながら、われと わが身に言い聞かせていた。
もちろん、身勝手な親の言うことを、真に受けていたのでね。
いまの自分が振り返ってみれば、
なるほど、小学校1・2年生のときに担任だったベテランの女性教師が鋭く見抜いたとおりだった。
自己主張できないくらい素直すぎて問題だったんだなあ(苦笑)
まあ、ね、
人生とか生活って、辛さが大部分であれば あるからこそ、自分なりに、ちょっとした楽しみを見い出して、つど、気分転換しながらの、ささやかな部分で、どうにか生きのびていられるようなもんかもね(苦笑)
それすら できなくなったら、そりゃ大変だもの。
『キリスト』教が基本の影響もあるのかなと思うのだが、自殺は罪という感覚が あるという。昔は、埋葬するのも、自殺者の場合は、それ以外の死者の墓地とは厳しく別にされたと聞いたことが ある。
キリスト教の考えかたとして、自分の生活や人生を肯定し、大いに誇るような言動は、単なる自慢では なく、すなわち、このような生を与え、生かしてくれる神の恩恵をこそ称賛することに繋がると、そういう考えかたであるようだ。
その点、日本人は、手前のことを自慢しやがってと、昔から白眼視する傾向が あるので、ことさら謙遜しておくほうが無難では あるだろうが、キリスト教徒とは逆に、自殺や自死に対する罪悪感は薄いほうゆえ、かの「切腹」などという行為も、むしろ、あっぱれと称賛されるほどのことだった。
『アメリカ』にせよ、ヨーロッパの各国にせよ、もしかしたら、精神的にも、ある意味では、日本より厳しい面が あるのでは ないかなとも、私は思っている。
まず、黙っていて「わかってください」は通らないというし、外国から眺めているぶんには、一見ゴージャスで優雅なように見えて、意外と不衛生だったり、治安の問題でもケタ違いな面も ある。
それでも、日本を出て、気に入った国で生活できている人たちの表情や態度を見れば、実際は、現地にての思わぬ苦労や、いろんな不満は あると言いつつ、なんだかんだ元気で明るく誇らしく、生活を楽しんでいるようす、もとが同じ日本人とは思えないほどの前向き強気で、大らかにも見えるのだ。
むしろ、そういうタフなくらいの姿勢でないと、生き抜くことが できないのかもしれないと。人種差別も、日本以上に大っぴらなのは よく聞くし。そのたびにヘコんでいたら、そりゃ、やっていけないよね。
日本にいるときとは異なるのだろう、自己主張と割り切りがハッキリしている傾向なのは、アメリカやヨーロッパ各国で長年にわたり生活している日本人たちに共通しているようだと見受ける。
要は、自分の選択と、来た道を、基本的に納得できてるか否かなのだろう。
そこに納得が ないと、被害者意識を捨てられず、いつまでもグチを言いたくなるし(それでも、グチは、言いたいなら言ってしまうほうが いいと、私は思うよ。ただし、きちんと分析・検証のうえでが望ましい。そこを、無理に良い子ぶって、ひたすらガマンして抑え込むのは、かえって良くない)、
それだけなら ともかく、
お門違いのネタミ僻みを起こし、自分よりも弱そうな者を、陰湿に痛めつけようとする。
その段階も過ぎると、どういうことが起きるか考えなさいよと、私は常々、権力の座についている者に対して言い続けてきた。
これも、以前から指摘してるんだけど、
いわゆる「守りに入る」ってやつ?てか、現状維持ってか、まじで余裕が なくなってくると、とりあえずフリーズするのよね。日本って、まさに「今ココ」状態なんだろうと思う。しかも、すでに長年だ。
で、フリーズしたままだと、確実にやられてしまう、そこまでも追い詰められたら、暴発する。
もちろん、おせじにも良いことじゃないし、野蛮な時代の人類じゃない、はずなんだから、そこのところ、時代錯誤や暴発で破壊みたいな悲惨な事態は避けたいわよね。でなきゃ、人類史を営々と重ね続けてきた甲斐もないというもんだ。
それと、
さも、「あなたのため」とか「あなたのことを思って」とかいうフリして言うコトバも態度も、けっこう見抜かれるもんなのよ。すぐは分からなくても、いずれはバレます。
そして、このような言動に対して、まともに言い返すのも、けっこう難しいものだから、かなりの不審を積みあげてしまったあとの異議申し立ても、もはや、ケンカ腰になりがちだったり、ケンカそのもので終わってしまったことも、私自身、何度か経験した。このへんは、日本人の国民性かもね。
ン十年前、私が20歳代の頃から、義務教育の段階で、いわゆる「ディベート」というものを授業に取り入れることが望ましいという提言は よく見かけたのだが、いまも取り入れてないのかね?自分に子どもが ないため、実際、どうなっているのか分かりにくい。
安倍政権は、なんだ「道徳」「愛国心」とやらを大事に、と、力を入れてきたそうだけど、
まったく、どの口が言うとんのや?
だわな(嗤)
腹の目的ミエミエだよ(大嗤)
「支配組」と「被支配組」の分断、格差拡大。
いまだに続けているし、止めようともせず、受け入れ続けている、それが、この国の状態で、すでに長い。
最後に、
良記事を紹介しておこう。
『弁護士ドットコム』さんのも、いつだったかな、ずいぶん前、たしか安倍政権時の記事で、なに言ってんだとムカッとくるような論調の記事を目にして以来、『アエラ』と同じく、ほぼ、読まなくなっていたんだけれどw
これは、久々に良記事だと思う。
『なぜ専門職の図書館司書が非正規なのに、異動繰り返す「素人」が正規職員なのか 官製ワーキングプアの構図』
弁護士ドットコムニュース 2022/10/29 09:57
ただし、
「非正規公務員」に関する問題は、これも私が20歳代の頃から聞こえていたのよ。
だから、当該記事で指摘されてるよりも、もっと ずっと早くからだ。
当時の同僚で、前職は、市役所で事務系のパートだかアルバイトしていたという女性だったが、彼女の言ってたには、
「わたしらアルバイトやパート職員に、力がいるとか、めんどくさい仕事は全部おしつけて、正規職員たちはノンビリお茶してたよ」
と。
本人の言ってる感じでは、パートやアルバイトで勤務すること自体には不満が あるわけじゃなかったみたい。彼女も、当時は、いわゆる主婦で、まだ小学校低学年の娘が いる生活だから、正規でフルタイム勤務は、つごうが合わなかったのだろうと思う。
いまは、よりいっそう「多様化」しているのだから、個々のニーズを、よく勘案して、柔軟な制度づくりを推進していかなくては ならない。
そのためには、一般人の個の力は弱い。
私自身、非正規の専門職で、長年、苦労したよ。
じつは、学生時代、うちの母親は、まさに「図書館司書」資格を取れ!と、頻りに言っていたの。
当時は私も若くて、自覚に乏しい世間知らずだから、かなり、その気になっていたものの、これも、いま振り返ると、高校時代から始まっていた腰痛の持病や(書籍を扱う仕事は、意外と重労働が伴う)、こんにち明らかになった問題を考えると、ならなくて よかったなと思うわ。
てか、
聴覚障碍の娘に向かってだよ、母親である おのれが原因であったことも隠しとおし、障碍は、おまえの「星」が悪いのだ、おまえの努力不足なのだ、努力すれば、どうとでもなるんだから、よりによって「速記者」の学校へ行け!と、こうだもの。
かなりトシくってから、自分の稼ぎで、別のことを勉強し直したけども。
あの魔女みたいな母親の言うことを真に受けて、遠回りの甚だしかったことよ。
けっして、良い結果どころか、最悪の結果を招くことにしかならないんだと、このトシになって、つくづく思うわ。
親は、子のためを思って言うんだなんて、嘘だな、と。
ましてや、「壺」宗教モドキや『日本会議』と結託している政治屋の施策を支えんものと、『ヤフーコメント』欄で、まことしやかに、「議員や公務員の人数も報酬も大幅削減すべき」とか「小さな政府を!」と叫ぶ投稿者ね。
『ジミンだっぴ統一売国党』議員の不祥事発覚のたびに、
「与・野党議員とも」
と、押し広げ、押しなべてしか言わないwこやつらが、何を企み、どこの息が かかってるのか、もう いいかげん、分かるでしょ。遅ればせながらも、気づこうよね。
たとえば「障碍者福祉」や『生活保護』制度なども同様のことで、いまのところ無縁で済んでいる、これからも自分自身は そうだと信じて疑わないゆえ無知なままノホホンとしてる国民・大衆に、実情や実態、事実、真実を よく知らしめること。
個の声は、どんなに悲痛でも、あえなく黙殺されるだけなんだから。
やはり、勉強と連帯は必要なのです。