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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2022.10.17 (Mon)

「ヒダリ」でも「ミギ」でも、同じです。

何の強権も持たない、無辜の一般人を、陰であれ陽にであれ、暴力的な手段で従わせ、
それでも屈しない者は、その命を奪うような手段でもって排除する、
このような輩は、はっきり言って「民衆の敵」「市民の敵」だ。
「ミギ」だろうが「ヒダリ」だろうが、だ。

 

だから、「ミギ」「ヒダリ」関係なく、
「極」が付く組織や連中が、私は大キライだ。

 

でも、ここへ来て、この国のなかで最も「保守」的な主張を しているのが『日本共産党』とは、なんたる皮肉だろうか(苦笑)

 

 

あ、もう一回、あらためて言っとく。

「男女平等」に すべきだから、「女系天皇」を認めるべき!

と主張する者たちへ。

 

それは、「日本ならではの伝統」じゃないよね?

じゃあ、おたくらの言う「伝統」って何のことよ?

 

「世界標準」や現代の理念さえも超えるのが、「伝統ゆえの重み」ってことなんでしょ?

だから、いかに理不尽だろうが時代錯誤だろうが、「リクツじゃないんだよ」で罷り通ってきたし、残すべき、となっていた。

 

なーにが日本特有の『天皇』『皇室』制度なのであって、「国王」「王室」じゃない、んだよ()

他国の「王室」と同様にすべき、と主張するのなら、『天皇』『皇室』なる形骸化した名称も やめるのがスジだろうよw

韓国人あたりが呼ぶように、『日王』『日本王室』とねww

もともと真似であって、日本特有・独特の『皇室』なるものなんて、どこにも ないんだから。

 

「伝統」ですらもないのに、おたくらが維持したいのは、いったい何だ?

それは、ずばり「血筋差別」「家柄差別」のみでしかないだろが。

 

血筋・家柄差別を有難がるってことは、
他の諸々の差別も、結局は なくせない、
なくせないのを恥じることもないってことだ。

 

そこには、「伝統」というキメのコトバすらも、もはや当てられなくなっている。

なーにが「男女平等」なのよ(大嗤)

 

ああ、あれか?

血筋・家柄差別こそが、日本の誇るべき「伝統」ってこと?()

 

 

だいいち、

『皇族』がた自身が、この地位や生活を疎んでいるのが現実だというでは ないか。

まさしく「人権侵害」ですねえw

 

しかしながら。

それでも、私は、
敢えて、憲法で縛っておかなければ ならない存在だ、
とは考えているわけ。

 

あの『竹田』ナンタラいう「もと『宮家』」「もと『皇族』」だいう人たちを見てたら、つくづく、そう思えるもの。

「ただの人」なんだなと。

だから、もちろん、「旧『宮家』男子復帰」も反対です。

 

 

そもそも、『皇室』行事、ナンタラの『儀』儀、儀、儀って言うけれど、その殆どは、担ぎ上げてもらって実権力の地位に返り咲いた『明治天皇』の時代にデッチアゲたものじゃないの?

身内で権力争いに明け暮れ、やがて、なりあがり武家にパトロンやってもらって四苦八苦していた長い長い あいだ、

どれだけの「儀式」というものが、この現代になっても行なわれているのと同様に実行できていたのだろうかね?甚だ怪しい、胡散臭い。

 

もしや、単なるデッチアゲの「儀式」に、いまだに莫大な税金つぎ込んでるのが実態じゃないの?

あげくの果てが、某宮家の『ロココ』趣味とか?()

 

 

まっ、さて、

「革命はイコールで暴力にならざるを得ない」という、よく知られた見解が本当ならば、その暴力を招く圧政こそが悲劇の もとなのだ、
ということを、私は、以前から指摘してきた。

このたびの、もと首相殺害事件も、その範疇で捉えられることに頷ける面は あろう。

 

 

そうして、「民主主義」は甚だ難しいという、その理由、原因が奈辺に あるのかは、結局のところ、国民各自の知性や教養に左右されるからだと。

要するに、政治のレベルは、民衆のレベルってことと同じだ。

 

そりゃ難しかろう。

大衆・国民各自の知性や教養を引き上げていくのは。

ただでさえ、論理性や議論が苦手な国民性だ。

 

なによりも、権力者、強権志向の それは、真っ先に、教育を支配したがる。

ていのイイ「よらしむべし、知らしむべからず」でね。

 

 

先日、安倍氏の「国葬」強行に際して、かつて『日本赤軍』のメンバーであったという足立某老人が、安倍氏を殺害に及んだ男を主人公に据えたという映画だか何だかを、やっつけ仕事みたく大急ぎで上映したとかいう記事を見かけて、私は、これは迷惑、
私らの世代から始まった「シラケ」感覚が、以降の世代にも、政治に関する無気力へと繋がってきた要因では ないかという見解を短く述べておいたが、

このたび、
同じく『日本赤軍』の、女性テロリストとして知られている、あの重信某老女が、どこぞの講演会に招かれ(これ自体も呆れるのだが、むろん、そりゃ自由なんだろう)
「本当の民主主義は何処?」てな、ご立派なことを のたまったそうだが、

この重信某、ほんとうに反省とか悔恨の念は あるのかいな?

いやにニヤニヤしながら出所してたみたいだけど。

こういう、やたらニヤニヤするって、『自民党=ジミンだっぴ党』の政治屋ならびに『日本会議』系のエセ保守やエセうよビジうよらに共通した特徴よね。

 

なかんづく「『自民党――ジミンだっぴ党』許すまじ」との思いを、年々、高めてきた私個人にとっても、

こうした凶悪な前科のある者らが、おつとめは果たしたんだから!と、なおも積極的に、わざわざ前面に出張ってきては、『自民党――ジミンだっぴ党』を、どないかせねば ならん!てな主張を尤もらしくも掲げられることは、むしろ逆効果になりそうで大迷惑なんだ。
そのことが、私が いちばん懸念していること。

 

それを払拭でき得るとしたら、今後の彼らの言動、行動しだいだがね。

どうも、並はずれた軽率と軽薄な印象、なまじなエネルギッシュさ、胡散臭さが先に立ってしまい、とうてい、信用する気には なれない。

 

案の定で、ああいう手合いと、わざと同一視したみたいな中傷コメントも多いよね、もちろん、圧倒的に「ウヨ」からの。

「手段を選ばず」な性質や本質が酷似しているのは、明らかに、ジミンだっぴ党や日本会議の構成員こそなのに。

そう言や、

重信某の父親というのは、まあ、なんと、もとが「右翼」だったそうなwやっぱ似てるんちゃうかあ?ww

 

なので、

いかに、言論、自己主張は自由とは言え、実際問題として、
ちっと おとなしく蟄居の真似事くらいは し
てもらえんものかいなというのが、私の本音。

 

 

あの時代、ちょうど大学生だった兄を持つ私は、まだ小学生だったのだが、

たしかに、あの頃の日本は、完膚なきまでに敗戦した国にしては、まだ元気だったというか、暑苦しいほどのエネルギーは多少なり残っていたように思うw

子ども心に、あの過激な暴力事件を起こしまくっていた連中の、むやみとエネルギッシュなわりに稚拙なリクツというか青臭いヘリクツというか、現実の彼らの姿の乖離の激しさに呆れ果てていた。

まあ、典型的な「若気の至り」でもあるんだろうし、

若くもない政治屋どもが、老獪というより狡猾、汚い手段を大いに用いて、裏でコソコソ、国民を裏切っているのも同列の罪だけど。

双方とも、自分棚上げ方式だけは堂に入ったもんだねえ

 

 

仲間内のリンチ殺人を犯しながら、やがて切羽詰まり、ついには官憲に降参したとき、プラカードを掲げて出てきた『連合赤軍』の滑稽さを思い出すわ。

そのプラカードには、「戦争反対」とかって書かれていたような()

 

【続く】

 

 

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