2025.01.18 (Sat)
【旧ブログの記録から抜粋】
バンドエイド 2009年08月09日
おっはよー、と軽く あいさつを済ませて、ドサッと席に ついた。
ああ、また きょうも押せ押せ仕事で一日終わるのかよ、と始業前からウンザリ。
近頃、夜遅く帰宅すると、夥しい無言の留守電がパンパンだ。
誰が そんなこと してるかは わかってる。
言いたいことが あるんなら、ハッキリ言えば いいだろうに。
締切の厳しい業界ってストレス溜まる。
朝から寝不足の鬱々渋々とした気分で、業務に とりかかる準備を始めると、となりの席の同僚たちが、話しかけてきた。
きょう、本社 事務所のほうから「助っ人」が、少し遅れて、ここへ来るとのこと。そりゃよかった。
それから一時間くらい してからかな、助っ人は来た。
どことなく不マジメな雰囲気の、それでいて、眼の あたりなどに なんとなく陰りが感じられるような、生意気と優柔とが、ツッパリと繊細が同居しているような、まだ20代後半の若い男だった。これまでに、本社のほうでは何度か顔を あわせた記憶は ある。
さて、溜め息を つきたくなるような気分で、とは言っても、始めてみれば、いつの間にか仕事に没頭しては いたらしい、ふと、となりから突っつかれて、目の前に差し出されてきた紙を見ると、
なんだか『うる星やつら』の「ラムちゃん」みたいな女の子の、ボイ~ンぼい~んな、おっぱい まる出しハダカのイラストが、脚おっぴろげてるとこやら、いろんな角度で、みっしりと描かれてあった。
なんやのコレ、誰が描いたん?と聞くと、「助っ人」男が、なんと仕事中にシコシコ描いておったものだと言うではないか。
私は思わずムッと して、
「この忙しい時に、仕事中に、こんなヤラシイ絵を描いとったんかいな」
と咎めた。
助っ人(の はずの)男は、悪びれるようすもなく、ニヘラ~とした締まらん顔をしている。しかも、そのイラストが、クロウトはだしに うまいと きているので、私は、ますますムッと してしまった。
仕事中に、しかも、女性に両脇を挟まれながら、こっ、このような、、、!
それにしても、見るからに、すけべいな絵だ。
その日は もう、終業時刻が近づいていたのだけど、連日のごとく当然の雰囲気での残業も そろそろ終えるかという頃合いになってからだったか、「助っ人」(の はず)男が、何かの ひょうしに、指を切ったという。見ると、少し血が出ていたので、私は自分のバッグから、常備携帯していた絆創膏を とり出し、その男の、ケガした部分の指に巻きつけてやった。
えっちなイラストを描いた男は、礼を言うでもなく、のほほ~んとした顔つきで、絆創膏を巻いてもらった指先を顔の高さに持ち上げて、しばし眺めている。
帰宅途中、別の同僚の女性と二人だけになったとき、私は、さっきのイラスト落書きのことを蒸し返し、「助っ人」(だったはず)男の文句を言った。同僚は、
「あいつ、もともと漫画家志望でさあ、ああいう やつやねん、しゃあないわ」
と、おうようなことを言った。
それから、どれくらいの月日が たっていただろうか、
先日、このブログで、美青年と二人っきりで楽しく お仕事していた日々のことを回想して書いたが、その終盤に さしかかった頃に、あの、阪神大震災が起きたのだった。
私は、その頃、大阪では比較的大きな被害が出た地域である『北摂』方面に住んでいたのだが、そこに引っ越す前は、実は、『神戸』方面とか『夙川』、『芦屋川』、『岡本』あたりの、もろ阪神間も選択の視野に入れていたので、危ないところだった。他人事ではなかった。
そして、久しぶりに本社事務所に出勤した ある朝のことだった。
その職場では基本的に、一人ひとり固定してデスクが決められていないので、私は、まずは適当に あいている所に着席しようとした。
すると、上司が
「あ、おはよう、ここに座んなさいよ、ここ、あいてるから」
と、上司本人の すぐ横の席に つくよう私を促した。
そうですか、と素直に従って座り、ぼちぼちと仕事を開始したのだが、そういえば、この席は、例の「助っ人」(だった)すけべいイラスト男が、ふだん定席にしていたのではなかったっけ、きょうは姿が見えないが、出張かな?
あとから ふり返ると、ちらっとであっても、こういうふうに思ったこと自体が奇妙なことだった。
だって私は、そのイラスト男に、特に関心などは全く持っていなかったのだから。
これまで、本社で姿を見かけないことなど、他の同僚でも しょっちゅうあることで、誰に対しても、いちいち そのように気にかけたことは ない。
席についてから ほどなくして、私は、ある匂いに気づいた。
お線香の匂いだ。
窓をあけてあるせいか、どこから流れてきてるのか、かなり濃厚に匂っている。
この近くに、お寺か何かが あったかしら?それとも、法事を営んでいる家でも あるんだろうか、と漠然と思いつつ、やがて昼食の時間になった。
外で食事を とるという者どうし誘い合わせて、近くの飲食店に向かった。
どれにしようかなとメニューを見ながら、何気なく、
そういえば、きょう、あの男の子いないね、出張?と、いっしょに出て来た同僚に尋ねた。
これ自体も ふしぎなことで、それまで私は、そういうことを聞いたりしたことがなかった。
「あいつ?死んだよ」
かつて、帰宅途中に二人だけになったとき、私の文句を聞いて、くだんのイラスト男を庇うようなことを言った同僚が、ごくごく ありふれたことを話すような口調で、ぽんと言った。
ぽんと言ったので、私は、視線を落としていたメニューから思わず目を上げ、きょとんと同僚を見つめた。
「え?なんて?」
「だっから。死んだよ、あいつ」
まだキョトンとしている私に呆れたのか、苦笑のような表情を浮かべた同僚は、仕方なく説明してやるか、といった調子で追加した。
「こないだの地震でさ」
「うそでしょ」
「なんで~?」
「だって、あんたの顔、笑ってるやん」
「このカオは、、、いや、ほんまの話やねんで」
「うそやろ。そんな笑い顔で、冗談みたいに、、、」
泣くつもりもなかったはずの私の両眼から、滂沱の涙が落ち始めた。
注文の品を運んで来たウェイトレスは、私たちをオロオロと戸惑った表情で見下ろしながら、そそくさとカレーライスの皿やコーヒーのグラスやらを並べて去って行った。
私の涙は、自分の意志とは何の関係もないかのように流れ続けていた。
スプーンを握ったまま、声もなく泣き続けていた。
先ほどまでの薄い苦笑の表情も消え失せ、同僚たちは、うつむいて黙々とカレーを口に押し込んでいた。
その日の帰宅時、ひと足先に社を出る私の あとを追いかけるように出入り口まで来たのは、昼食時にイラスト男の死を知らせた同僚だった。
「あしたから、しばらく また別々の出張先になるんやね」と、湿り気を帯びた声で言った。ふだん、いたって無愛想と言っていいくらいに冷めた その雰囲気が、私には正直あまり好もしくなかった彼女は、なぜか泣きだしそうな甘えた表情で私を見つめてきた。
また すぐに再会するはずだったゆえの軽い あいさつを かわした私たちは、それ以来、会うことはなかった。
別の同僚が、イラスト男の死の顛末を話してくれた。それによれば、
社長か上司だったかが、連絡が途絶えたまま出勤してこない彼の母親から、息子の ようすを見に行ってやってほしいとの要望が あり、急遽、住まっていたアパートへと駆けつけると、
漫画など大量の本や雑誌に埋もれた状態で、こと切れていたらしい。
大阪は、それほど甚大な被害が なかったはずなので、原因は、背の高い本棚が倒れでも したせいか、と考えられる。
そのとき同行していたという同僚に、
「じゃ、見ちゃった?その現場を」と私が思わず尋ねると、ふだん けたたましいくらいの陽気な声で笑い転げるくせのある同僚は、黙ったまま辛そうな表情でコクリと頷いた。
母に電話して、ごく掻い摘んで その話をした最中にも、タオルで拭わねばならないほど泣いたが、これは、昼食時に同僚から初めて知らされたときの涙とは違ったものだった。
それにしても、どうして、こうまで泣けるかなと、自分でも訝しく思っていて、かつて仕事の終わりぎわに、「助っ人」くんがエッチな絵を描き散らしていたことを知った私が、眉を顰めて咎めたことが引っかかっていることに気づいた。
「だからな、人には やさしくするのやで…」
母に言われた。
とっくの むかしに、私の記憶の彼方でボヤケてしまってるはずの彼の顔なのに、
「こんなヤラシイもん描いて、、、仕事中に!」
私に詰られたときの
ケガした指に巻かれた絆創膏を透かし見るかのように顔の前に持ち上げ眺めていたときの
その顔は、無表情のような、そうでは ないような、うっすら微笑していたような
なぜか、いまだに忘れたことが ない。