2020.04.04 (Sat)
『トイレを めぐる お話w』の続き。
たしかに、私自身は、トイレットペーパーを始め、ティッシュペーパーも、全体の使用量が、おそらく平均よりも かなり多めだろう、とは自覚あるけど。
昔の、とある有名な学者さんだったかの奥さんが、ダンナに固く申し渡されていたことには、
女は、排泄後に使う紙をケチるなよ、
ってことだったそうな。そりゃ尤もだと思う。
だって、生理も あるし、女性の場合は特に、身体的条件から、排泄後の始末を念入りにする必要が高いと思うのだが。
そうでないと、女性ならではの身体構成上、病気になるかもよ?
ちなみに、わたしゃ、毎日は入っておりませんw
全体に、体臭などが、生まれつき、ごく弱いことも あって、タカくくってる面も あるんだけど(苦笑)
私も、うつ病になってから、入浴が できない傾向に陥ってしまったりしたのよ。
若い頃は、周囲の全員から、「あんた、えらく神経質だねえ~潔癖症?」と言われるほどだったのだが。
心理的なものも絡んでるよね、たぶんに。
むかし、サーフィンが趣味で、いろんな国々を放浪してた男に、フィリピンとかへ私を連れて行ってやりたいけど、現地に着いたら、たぶん、
いや~!不潔ー!!って言って嫌がるだろうなあとマジで言われた。
まあ、たしかにね、気温が高いうえに、水事情が良くないときたら、正直なところ、虚弱な私なんかは恐らく、行ったとたんに、何かの病気になるかもという気は する。。。
いまでも、カンボジアの『アンコール トム』などに住み着いている猿たちの動画を時たま見てるんだけど、
東南アジア一帯の人の衛生観念を疑ってしまう場面は多い。ハッキリ言ってしまうけど。
特に子猿を、盥の おふろに入れるところなんか見たら、いつも思う。
なぜ、ウンチで汚れてた おしりを洗ったあとの溜め水で、最後に頭と顔を洗ってやるのか?と。
液体ソープを、子猿の からだに、じかに振りかけて、そのままゴシゴシやってるのも良くないし、いくら水事情がと言っても、すすぎは きちんと してやれや。
頭と顔を、おしりを擦ったあとの汚水で洗うな~!!
と、毎度イライラしてしまう(苦笑)
やることの順序や段取りがオカシイんだ。
そのくせ、洗い終えたあと、ベビーパウダーだの、わけわからんクリームみたいのを、べったり塗りつけてやったり。なかには、そのせいか、皮膚炎みたいな症状を起こしてる子猿も いた。こういうことを やる飼い主の場合は特に、本来ならばエネルギッシュで猛烈に活発なはずの子猿が、総じて、元気なく、おとなしい傾向。
それ以前にも大問題なのは、
たとえば『アンコール トム』の敷地内で猿たちが生息している森の中までもバイク等が、けっこうスピード出して入り込んでくるから、しょっちゅう、猿たちが大ケガしたり死んでる。
そのうえ、罠で捕まえて、連れ去ってるとかも。
生後間なしに、母猿から無理やり引き離してるとか、その際、母猿を殺してるとか。
そいで、幼い子猿をオモチャにして、youtubeでアップして小遣い稼ぎしてると。
私も、近頃は、あのテの動画は避けるようになった。
国際的な動物愛護の機関とか あるけど、どこも問題視しないのかな?
若い頃に読んだ雑誌だったと思うが、
ある日本女性が、フランス人の女性と、あちらのトイレに併設されている「ビデ」というものを めぐって対話した内容について載せていた。
日本国内では、まず、お目にかからないので、殆どの日本人は、いまでも、ヨーロッパで一般的な、本格的「ビデ」というものの使いかたを実際に知らなくて普通だし、使ってみたら、どんな感じなのかも分からないだろう。
その話のなかで、フランスの一般家庭では、排泄後の局部を、「ビデ」で洗った後は、紙でなく、タオルハンカチみたいなもので軽く拭く、
要は、洗浄したあとの肌の水気だけを拭うわけだろうけど、
だから、トイレ内に、小さなタオルが何枚も積まれているのは、そのためなんだ、
と、日本女性が納得したところ、
今度はフランス女性が、日本では、どうやってるの?と尋ねてきたので、
日本には、フランス式にビデというものを使う習慣が一般には ないので、紙で、
「拭く」(または、「ぬぐう」)というフランス語が思い出せなく、代わりの単語で代用しようと、
う~ん?「擦る」?と表現してしまい、
そのフランス女性から即座に、
「擦る?それは汚いです」
と言われてしまったんだと。
そりゃそうでしょう。
ぬぐう、のではなくて、擦るって言ったら、上下ないし左右に動かしてゴシゴシってことなんだから。意味内容が異なるもん。
でもさ、
あちら式のビデも、使用方法によっては、けっこう不衛生だと思う。
特に、水を溜めてから使う やりかたは。そういう方法の場合は、ビデの内部自体も常に清潔に保っておかないとね。
フランス人は、現代でも、入浴を あまり しないらしいから、ビデ使って、足なんかも洗ってしまうそうだ。
私なんか、顔を洗うときも、洗面器の溜め水だけで仕上げるの、抵抗感あるよ。
ところで、うちの親が存命だった頃、
私は、暮れの大掃除を手伝いに、実家へ帰って、トイレ掃除にも とりかかったんだけど、
まずは便器内部をチェックしようと、便座を持ち上げて見たら、洗浄用の温水が噴き出してくる『ウォシュレット』のノズルの先端あたりに、母親か親父のか知らないが、うんちのカケラが引っ掛かってたw
こういうことが あるからね、
まあ、自宅には、そんなシャレたものは、いまだに ないけど、私は、このテの付加機能は、基本的に信用してないし、ましてや、よそでは使わない。
ヘタに使用すると、いろんな面で、かえって不衛生だと思う。
おまけに、
便座を温かくしておく便利機能も、冬場は良いけど、うちの親らは、真夏でも通電しっぱなし。
敢えて、そうしてるんじゃないよ、単に忘れてるんだw
私の親らの世代は、そのまた親の世代にアタリマエだった生活スタイルに帰りたいとは全くサラサラ思わなかったにせよ、
いまどきの便利な最新式機能を、よくよく理解したうえで使いこなせるところにまでは及んでいない傾向だったと思う。
まあ、いまの若い世代だって、それほどの差はないのだけど。
一般に普及し始めた「二層式洗濯機」の脱水機能を初めて使って、取り出した洗濯物を、わざわざ私に見せに来て、
「ほら!もう ほとんど乾いてるみたいやろ♪」
とハシャいでいた母親。
冷房を使うようになってからは、以前のように、扇風機だけで過ごす夏には戻れなくなった、暑がりの親父。
私が、
「コンピューターって、0か1かだけで判断する仕組みなんだってよ」
と言うと、
「なんだとぉ?!」
と、まるで怒ったように叫んだ親父。
旧軍時代には、エリート青年将校として、当時の先端的スパイ技術にも携わった経験を持つ親父は、なぜか、とても、とても悔しそうだった。
最晩年の親父は、さすがに、年相応に各種の持病を抱えて、心臓のペースメーカーも入ってたし、それ以上に、
「病気の問屋」を地で行く、特に『C型肝炎』から肝硬変へ移行中だった母親なんか、今度のウィルスには、あっさり くっつかれたであろう恐れが高いので、
まあ、今は、あの親らが存命でない分、自分の身の心配だけしていたらいいので、そこのところは気楽になった。┐(-_-)┌
いま現在は、各国とも、あらゆる既存薬の名を出して、これが効きそう、あれが効きそうと、試行錯誤を目まぐるしく やってるようだけど、
いろいろに変異するみたいとか、体内から完全に追い出すことも難しいようなので残存し易いという性質のウイルスらしいから、第二第三と何度かは、世界全体で ぶり返しの波が起きそうな予感もするのは、当初からだった。
それと、
易感染性と、ひとたび感染後の自覚的症状が現れたら、そこからイッキに重篤化するスピードが凄いようだね。
ま、要は、ワクチンなり治療薬が成立しないうちは、どんならんわなぁ。
そこまで来て初めて、従来のインフルエンザ等とも比べることが できよう。
先進各国のなかで一番どんくさいのか知らんが、
なにごとにつけても、なぜか、半周遅れ、一周遅れになりがちな日本は、ようやっと、世界的にも下火になり始めたかというときになって、
まだまだ日本では「新型コロナ」蔓延したまま、
あるいは、
またぞろ感染爆発してる、なんて事態になったりして。
そこに至って、検査実施数と感染実数の把握を極端なまでに抑えつけて隠蔽していたことのツケがあらわになるかもな。
2020.02.03 (Mon)
『「冷コ」――季節外れの想ひ出あちこち』の続きです。
「俺のコーヒーが飲めんのくぁ?!」
と、スゴむ人も いないだろうけどねw
と言うのは、
昨年だったか一昨年だったかの春ごろ、
という記事を読んだことが あった。
ここも また寝かせてあったと言うか、ほぼ忘れてたエントリーなんだけど。
う~ん。
単に形式的儀礼でしかないんだから、ここは飲もうが飲むまいが、とは言えど、せっかく出されて、勧められたものに全く、手を つけないのも、マナー違反になるんじゃないかな?
私は、この場合、マナー云々よりも、捨てることのほうが、気になってしまう。。。
たしか、お醤油なんかを匙に一杯ほども流したら、これを浄化するためには、浴槽に幾杯もの水が必要になるとか何かで読んだことが あるので。
もうさ、
コーヒー、紅茶、ココアにコーラ、はたまた、お水、白湯、煎茶、焙じ茶、ウーロンもアルよ~
っと、
いっそのこと、「メニュー」を用意して、「どれになさいます~?」と選択してもらったら良いのでは?(笑)
…
って、喫茶店かい?!w
と思った。
ただ、私も、職場の来客応対時、コーヒー、お茶、どっちも、持病や服薬の つごうで、飲めなくなっちゃってねー、と、申し訳なさそうに言った人を実際、知ってるし。
そう言えば、職場の同僚男性のなかに、チョコレート(てか、甘い物)が大の苦手で、『バレンタイン デー』で もらった義理チョコを、いつも持て余してしまうので、という人も いた。
いちばん無難そうな日本茶でさえも、やっぱり好みとか あるし、緑茶は、気分が悪くなってしまうという人も いる。
いろんなケースが あるんだよね。。。
これは趣味・趣向の世界だけど、「お濃茶」を いただくときは、事前に、「懐石」つって、軽く食事を済ませておかないと、それこそ、胃が痛くなるとか聞くわね。
私自身も、20歳代までは、もっぱら紅茶党だった。
そもそも、小学生のうちは、コーヒーは、まだ早いと、飲ませてもらえなかったから、興味も なかった。
高校生になって以降あたりかな、実家の親が、突如として「サイフォン式」コーヒーに凝りだしてから、だんだんと、コーヒー党になっていったんだけど、それ以来、自宅では基本的に、ドリップのレギュラーしか飲まない、と言うか、もう飲めない。インスタントは、たいてい、飲む気が しない。たまに飲んだら、昔よりは、だいぶ美味しくなったとは思うけど。
コーヒーと言うか、ミルクたっぷりのコーヒー党だった うちの親父なんかは、
「焙じ茶は薬臭いみたいな匂いがキライだ」
と言ってた。紅茶もキライだったようだ。
親父は、「酒乱」「アル中」になってしまったほどの酒好きだったが、
しかし、お酒だったら何でもイイというわけで なく、
ビール以外は、洋酒類を好まず、もっぱら日本酒または焼酎。ウイスキーやワインの類は敬遠していた。
ある年の暮れ、私が、退社後に買って帰ったチーズ ケーキを、さっそく、晩酌のアテにして、舌鼓を打ちながら日本酒を飲み始めた。
それを見て、ええっ?親父、マジかよ??と思ったことが ある。
過去エントリーでも書いたけど、
この親父、ご飯に牛乳かけて食べてたのを目撃して、
気でも違ったか!?と、小学生だった私は やっぱりビックリ仰天、わが目を疑ったくらいだ。
親父は千葉の田舎育ちだったので、近所に牧場みたいな所が あって、時々、ヤギさんの お乳を飲ませてもらってたらしい。その味が、よっぽど忘れられないのかw
「ほんとうは、牛乳よりも、ヤギの乳のほうが好きなんだあ」
と言ってた。
「ミルク好きの酒好き」なのよ。
洋酒なら ともかく、もっぱら日本酒だもんね、すげえヘンなの~と思ったけど。
母親のほうは、逆に、病気の影響からか、いつしか、コーヒーを受けつけなくなり、
『フォション』だの『フォートナム&メイソン』といった、外国の有名メーカーのなかでも「アール グレイ」「ベルガモット」といった、ストレート向き風味のものばかりを好むようになっていた。
もっと昔は、『トワイニング』ね。
母方の祖父は、若い頃、「モボ」と呼ばれるようなオシャレ男子で、
カフェ文化と言うのか、必ず、日に一度は老舗の喫茶店でコーヒー ブレイクを楽しむ習慣を持つ人だったんだけど、
ある日、祖父宅へ行ったとき、台所を覗いた うちの母親が、
「あっ、おとうさん!『トワイニング』の「黒」なんか置いてあるやん」
と言うと、祖父は、
「うむ、そのメーカーなら、「黒」(『プリンス ウェールズ』)が美味い」
と答えていたのを憶えている。
ここのは、私が子どもの頃、日本国内の一般家庭に広く知られるようになり、私自身も受験生時代なんかは、深夜のティーブレイクとして、あの青い缶入りの『クイーン マリー』ご愛顧でした(笑)
やっぱりミルク ティーにすることが多いので、『アッサム』や『ニルギリ』も特に好みです。
しかし、本当にコーヒー好きの人は、あの特有の香りが漂ってきただけで、一種の「ハイ状態」に近くなるようだ。
とある お宅に訪問したとき、
話し込んでいる最中、頃合を見はからったように、ご家族のかたが、コーヒーを出してくださったんだけど、ああ、ここの あるじ、コーヒーが大好きなんだ、と察せられた。
なぜかというと、あるじ自身が、運ばれて来たコーヒーを前に、いちだんと「ハイ」な状態になったのが明らかに窺えたから(笑)
ちなみに、私も、紅茶ならば、香りが良いものであれば、ストレートで楽しんで飲めるけど、
コーヒーとなると、たまに、体調が良くないときは、あの香りを嗅いだだけで、気分が悪くなることもある。
なので、
「きょうも元気だ、御飯が美味い」の「御飯」を入れ替えて、
「きょうも元気だ、コーヒーが美味い」で、ほんとに通用する。
「アメリカン」と称した、みょうに薄いやつも、げろマズで飲めないや~と思うし、
ブラック コーヒー自体を、そもそも一切、受けつけないので、ミルクまたはクリームなしのコーヒーは、私にとっては ありえない飲み物。
紅茶でもコーヒーでも、ミルクたっぷり派。
お砂糖はナシで、お願いします~。
2020.02.03 (Mon)
大阪憎し!在日韓国・朝鮮人憎し!のイメージ濃厚な『産経』シンブンwが、またまた大阪の悪口を、多数雇ってるらしい在日の記者さん使って書いとるのかと思って覗いてみた記事が ありましたがww
「がーん」と同じくでw「冷コ」は死語?という話題だった。
うちのブログでも、新年の二日に、「冷コ」のことをホンの少し話題にしたエントリー『「幻想小説」』をアップしたけど、
そうね、「昔ながらの喫茶店」というやつが減ってるという実感は あるな。
落ち着いた雰囲気、椅子も ゆったり、食事系も美味しい、そんな喫茶店、私は今でも好きですわ。しっかり分煙されてたら、もう上出来。
大阪の喫茶店名物とも言えよう「ミックス ジュース」「ミックス サンド」また「スパゲッティ ナポリタン」にせよ、どこか家庭的な温もりが ありつつ、やっぱりプロの味で、ほんとうに、いつも美味しいね。
喫茶店って、私の若い頃、たしかに、会社の「会議室」代わりに利用したり、場合によっては面接のときに使ったりもしたもんです。
なかには、個室を備えている老舗も あるそうな。
近場で、マスターと馴染みだったら、いや、そうでなくても、かなり長居していても、大らかに「放置」してくれたりね。
もっとも、学生街の、とかじゃなく、貧乏学生でもなければ、客のほうも、ある程度の時間が経過したら、自分から追加のメニューを頼んだりするけど。
これは もう、だいぶ前のことになったけど、過去エントリーにも書いたか、『難波』駅前から『心斎橋』へ続くエリアに あった『平野屋』さんが なくなってたのは、まじでショックだった。
あの、すばらしい「コーヒー ババロア」は、もう食べられないの?
と、泣きたくなったくらい(苦笑)
あとには、何やら いまどきのチェーン システムの食べ物屋が開店していて、風情も何も なくなり、腹立たしくさえ あった。
『平野屋』は、若い頃、映画鑑賞や買い物帰りなんかで通りかかったら、母親あるいは友人と、時々利用してたんだけど、ここって、どこか独特の内装と雰囲気で、そうとう古い喫茶店だったようで、うちの母親が娘時代にも、友人たちと、よく入ったと言ってた。
むかしの同僚の男の子が、学生時代に、友人たちと行きつけの喫茶店へ入るたび、テーブルに備え付けの、お店オリジナルの灰皿なんかを、皆で、制服のポケットなどに隠して盗みまくり、しまいには出禁になったと言ってた、真面目なんだか不良なんだか判然としなかった あの美青年、いまではスッカリおっさんになってるだろう、どうしてるやらw
父親違いの姉が幼稚園の頃、母親と別れ、自分の父親のもとへ去ってから、向こうの家で、すでに同棲を始めていたという内縁の後妻が嘆いたらしいんだけど、
自動販売機なんかのジュースを買って飲ませようとしたら、姉は、
「ちゃんと お店に入って、椅子に座ってからじゃないと、お行儀わるいもん!」
と言い張ったそうな(笑)うちの母親が、さも自慢そうに言ってた定番話の一つ。
最近、「タピオカ」というものが大ブームになって、それと共に、ゴミ処理の問題が酷くなったと指摘されてるのは私も知っているけど、
ハイティーンくらいの頃、テレビが、都会か観光地での繁華な街の通りを映し出したとき、茶の間で一緒に眺めていた両親が、
「今どきの者は、憚りもせずに歩きながら飲み食いして、行儀の悪い」
と苦々しい顔で批判した。
親父なんかは、
「こういう風潮はな、戦後に乗り込んできたアメ公の影響なんだ」
と吐き捨てるように言っていた。
親父は、やっぱりテレビなんかで、リスが木の実を両手で持ち、ちょこんと座って食べている光景を見ると、たちまち相好を崩し、「行儀が良いな」と褒めちぎっていたw
蛙なども可愛いと思う理由は、「きちんと座って、行儀が良いから」だとさww
自分自身を振り返ってみろやと言いたいがwww
まあ、世間の おとうさん族に多いらしい、パンツいっちょうで、家のなかウロウロとか、おならコキまくったりとかは、ぜったいにしない人で、行儀そのものは、まあまあだったけど。
酒乱じゃねえ。一切が台無しだわねえ
むかし、うちの母親が子ども時分の同級生と、通院先でバッタリ会ったら、喫茶店の経営ってのは、「モーニング」やら いろいろサービスしてるけど、利益を出すのが大変なのよとボヤいてたそうだ。その人は、実家の お店を継いでたのだが、そろそろトシだし、病気になっちゃったから、たたむつもりとか言ってたらしい。
昨今は、うちの居住地域でも、最寄りの駅前などに、まだ何店か辛うじて残ってるけど、逆に、市の中心部の駅前に行くと、せっかく洒落た構えの洋菓子・喫茶の お店が、数年前に潰れてたし、私が幼い頃から何度か入ったことのある、ここいらでは老舗の喫茶店が、先日、なくなってたのを見て、ちょいショックだった。この数年で、目につくことが増えたよ。
さて、「冷コ」の話でした。
私も、二十歳ごろまでは、このコトバ、知らないままだった。
それって、たしかに、いわゆる「バブル時代」の頃では あったけれど。
しかしながら、わたしゃ、兼好法師の おっしゃった、「奥ゆかしい」部類の人間でしてなw
ほとんどの場合、「最先端」的な物事については全般、疎いことが多いんですわ。
むしろ、こういうふうにしたら良いのになあと、かねて思ってたら、数年も遅れて商品化されたものが世間で出回ってきたりとかいうことは あっても。
代表的なのは、パソコンを、家庭で使うため購入したのが、世間さまよりも10年は遅れ、インターネットのアレコレにも、ほぼ無知、「複アカ」だの「なんたらチャンネル」って、それは なんですか?状態。
それまでは、会社の仕事くらいでしか触ったことが なかったので。
だから、あの「カルト連」の悪行には、最初キョトンとしてて、事情が分かり始めた頃には唖然呆然だったわけ。
さてさて、
あれは、やっぱり二十歳の頃。
母親の知り合いが経営してた喫茶店でアルバイトしてたときに、初めて、お客さんの注文を取りに行って、
「冷コ」
と言われ、は?となったもんでした。
そう、あの頃、バリバリ若者だった私だって、「冷コ」の意味を知らなかった。
家では、そういう類の流行コトバは使わないし、聞いたことすらなかった。そういう実例も あるんですよ。
初めて耳にしたときは、業務用のコトバなのかなあ?という印象。
「冷コ」だけじゃない、たしか、「アイミティ」なんてのも あったかと。リスカじゃなくてw「レスカ」てのも。
もちろん、よりいっそう、はあ??ですわ。
私は聴障だから、まーた聞き間違えたかな(汗)と思ったんだけど、
常連らしき お客さんが、
「ああ~、この子、意味を知らないんやぁ」
と、お連れさんに、苦笑しながら言って、私のほうに向きなおり、本来の正確な名称を説明してくれました。
ふしぎなことに、「ホット」というと、自動的にコーヒー(熱い)のことになるよね。
けっして、「ホットコ」や「ホッコ」でもない。
「冷コ」に対して「あつコ」にもならない(笑)
『スタバ』や『マクド』『ミスド』といった所も、私は、これまで、十本の指で数えきれる回数しか入ったことないと思う。
最新式で、いわゆる「セルフ サービス」の店なんかだと、どちらかと言えば、いまだに慣れないもんだから、うかうか一人きりで入って、初めてだから、店内システムの説明を、店員さんが早口で言ってくれても、聞こえなくて何度も聞き返すハメになったことが あり、以来、連れが いないときは、あまり、足が向かない。なので、いまいち慣れないまま。
『スタバ』がブームらしいことは、なんとなく聞いていて、初めて入ったのは、これも、かれこれ20年前だったか。
叔母が亡くなった、あとの始末に、大阪から東京方面へ何度か出向き、やっとこさ、きょうで最後の日となり、叔母のパトロンだった おじさまが、前夜も、和食の お店で、松茸フルコースなどを奢ってくださったのに続き、
「いよいよ、これが最後ですから、どこかで休憩しましょうよ」
と おっしゃったので、私は、通りすがりの『スタバ』を見て、あっさり、ここにしますぅと言った。
入ってみたら、圧倒的に若い人で満員。やっと、二人で座れる席について、私は、ふうん、と、店内を見回していたら、おじさまは、私を見つめ、
「あなたの叔母さんは、こういう店には入りませんでしたよ」
と、哀しそうな顔して おっしゃるのよ。落ち着けなかったのね。
どうやら、最後の最後まで、「きちんとした」和食の お店あたりに入りたかったらしい。
それから、ほどなく、おじさまとも、今生の お別れとなりました。
ご病気のことは、いちおう知ってたけど、あんなに あっけなく亡くなられるとは予想してなかったので、成城の お屋敷に預けっぱなしになっている、有名画家の絵を返してもらう手立てが なくなってしまった。
離れの茶室などに過去から何度も空き巣が入ったらしいので、あの絵も、もう やられてるかもしれない。とほほ。。。
帰れ~、きみ、『馬上の恋人』、われのもとへ~♪
ま、こういうことが あるから、有名画家の作品が、杳として行方不明になったり、長い時を経て、とんだ所から発見されたりすることが あるんだなあと思う このごろ。
なつかしの喫茶店、「冷コ」…
罪のない話題の一つとして、しかも、期せずして社会情勢をも織り込みつつ、誰でも気軽に参加できて盛り上がりやすい話題ですね。
「喫茶店と言えば」の定番メニューに挙げられるうちの一つが、クリーム ソーダ。
ユーミンの歌に、『ドルフィン』という名の喫茶店いや、レストランだっけ、ソーダのことが出てくるよね。あ、ソーダ水だな。
…アイス クリーム、プリーズ!(笑)
透明な緑色とバニラ アイスの黄みがかった白がキレイな取り合わせだなあと、子ども心に思ったもんでした。
まずはアイス クリームを一匙すくい、できるだけ濁さないようにソーダを飲み、しているうちに、どうしても、柔らかく淡いパステル グリーンに変化していく。貨物船が通っても、見えなくなるw
もうン十年前になったが、『小田急』から『江ノ電』と乗り継いで『鎌倉』に向かっているとき、ふと、『天気雨』の歌詞が浮かんできたのを憶えている。
ユーミンさんがデビューした頃って、私まだ子どもだったので、知らないまま20歳代になってから初めて聴いた。それまでは洋楽方面にドップリで、日本人の楽曲には殆ど関心が なかったので。
では、喫茶店にちなんだ懐メロを どうぞ。
松任谷由実『海を見ていた午後』
石川ひとみ『まちぶせ』
ガロ『学生街の喫茶店』
~あのときの歌は聞こえない。人の姿も変わったよ~
2019.12.01 (Sun)
『ナツヘノ トビラを、ピートが探し回る季節に』の続き。
今夏の ある日は、カンカン照りの下、外出途中の道にて、乳母車のなかで寝転んでる あかちゃんが見るからに へばって、のびてしまってるのを見かけ、あらら、と思ったけれど、
その乳母車を押している、若い おかあさんも、かわいそうなくらい、暑さでヘトヘトという ようすで、とぼとぼ歩いていた。
そうこう言ってる間に、この夏も終わった。
これからは、それこそピートみたいに「夏の扉」を探し回りたくなるような寒さに震える季節の訪れが巡ってくるんだ、、、
と思っていたら、
台風の影響なのか、急に、真夏並みの暑さが何度も ぶり返したり。
今年は、関東圏なかんづく千葉県内で広範囲の停電などを伴う甚大な被害だったが、
いやあ、雨も恐ろしいが、風も凶器。。。
去年の夏は、過去に思い当たる例が ないほど、大阪では大きな地震が6月に起き、9月は強烈な台風に直撃されたので、
「去年みたいに、窓を持ってかれそうなほどの台風襲来は、カンベンしてくだせえ、おねげえでごぜえますだ(-人-)」
とヒヤヒヤしてた。
それが辛うじて無事で済んだだけでも有難いところだが、
なんか こう、
今年の夏ってのは全体に、首を傾げたくなるような、みょうな感じが しませんかね?
もっとも、
私が子ども時分と比べると、ここ数年来の気候が、あきらかに、急激に変わってきているのは たしかだと思えるんだけれども。。。
まず、雨の降りかたが変わったな。
『梅雨』の時季の降りかたのみならず、
私が子どもの頃は、夏のあいだ、夕刻になると、「スコール」みたいな雨がザーッと、時には雷を伴って、ひとしきり降ったあとはサッと上がり、
その おかげで、夜間は少し涼しくなる。翌朝も、その余韻が残ってるから、早いうちは比較的涼しい。
だから、『夏休みの友』や絵日記とか宿題は、町内会の健康体操に参加して、スタンプもらって帰って来たら、続いて午前中に済ませよう、と奨励されていたもんなのです。
その雨の降りかたが、おかしくなってる。
たかだか一人の人間の一生のあいだで、季候や気象のようすが全体的に変わるって、そうとうのことだと思うんだけど、、、
どの程度に深刻と捉えるべきなのか、よく分からない。。。
もともと、暑いのと夏は大の苦手なのだが、これからの夏は、個人的にも日本列島にとっても、毎年「恐怖の季節」となりそうだ。
いまから、来年の夏がマジで怖い。。。
てか、いまだに台風が発生してるって。。。
と、ここらへんまで、先に書き終えてあったところ、
なんと、今年最後にして最強の台風発生!!ときた。
思わず、「いま、何月やったかな?」と、カレンダー確認したわ。。。
また準備と後始末に追われるんかいorzガックシ
…
まあ、こういう経緯でしたな。
いいかげん、
『さらば夏の日』と言いたくもなるわね?(苦笑)
Du Soleil Plein Les Yeux』
とにかく、
今後とも、窓は持っていかねえでくだせえ!!m(_ _)m
お願いよ(-人-)
「大難が小難で」済みますように。。。
2019.12.01 (Sun)
日本には、もう来なくていいよと言われちゃいそうで?さらば夏の日(笑)
このエントリーも、おおよそ書きあげたまま、長~いこと放置してあったので、季節が完全にズレてしまった。。。
いつまでも暑いなあと思ってたら、急に寒くなったりで、とうとう、久しぶりにカゼっぴき。ひょっとするとインフルエンザかもしんないと思った。
そして、ただいま二度目のカゼっぴき。
さて、いつぞやの過去エントリーでは、子どもの頃、「ピンポン ダッシュ」を やらかしてたくらいの、「ボタン」への、われながらヘンな趣味・嗜好性を挙げたけれどw
これも、むかしからの性向なのだが、どういうものか、名前の、と言うよりも、正確には音韻の感じを受けて、ある種の快さが齎されると、たちまち好印象を抱き、対象へ多少の興味を持つという傾向が、私には ある。
とは言え、
ほぼ日本語の表記によっている感覚なのだから、当該国における実際の発音を聞いたら、印象や感覚がガラッと変わってしまうのかもしれないが、
外国、特にヨーロッパ圏やアメリカの、画家や作曲家、哲学者に対しても そういう傾向が あるので、詩人や小説家であれば、ごく一例を挙げると、たとえばヘルダーリーンとかノヴァーリスとかいった名前を一見しただけで、その著作を読んでみたいと、ほぼ反射的に欲してしまうような、自分でも不可解なほど妙な癖が ある。
ハインラインという作家の名前も、かねてから、なんとなくムシが好くので、いつか読んでみようかなと思いながら、私は、乱読だった若い頃の ある時期から、どちらかと言えば、より古い時代のもの、要は古典から、なるべく優先して読んでいこうという志向を、系統立てて読むということと共に意識して持ち始めたためも あって、くだんのハインライン『夏への扉』は、その他の現代ものや多くのSF小説と同じく、そのまま全く未読だったのだけれど。そろそろ読んじゃおうかなと思ってる。
『夏への扉』
リッキー♪ティッキー♪タビー
今年の暑さが本格的になる直前の頃、
自転車に乗って出かけたとき、なぜか、山下達郎の『ナツヘノトビラ』が、ふと浮かんできて、こころのなかで口ずさみつつ漕いでいった。
帰りは大荷物になり、必死で自転車を漕いでいたら、通りすがりの小道に、猫が現れ、私の自転車に驚いて、すぐ横の植え込みの茂みに隠れた?と思ったら、なぜか、すぐ また出てきたので、バランスを崩しそうになってヒヤッ。
その猫、まさに「タビー」だった(笑)
で、
その後、しばらくした ある日、出かけようとしていたら、ふいに、その猫ちゃんが訪ねて来てくれて、撫でて~と言わんばかりに、そばまで寄ってゴロンと横になったので、最初は遠慮がちに手を伸ばし、「どこの おうちの子~?」と聞きながら、のどのあたりとか撫でてあげた。
毛並も汚れてないし、痩せてもないし、人懐っこいから、たぶん、どこかの家で飼われてるんだろうと思う。
いやあ、何年ぶりかなあ、こんなふうに、ニャンゴに触ったのは。。。
(その後も、また会いに来てくれた)
このことも、旧ブログか過去エントリーで書いたことが あったかな、
むかし、うちの実家の庭に居ついた数匹のノラの子猫たちのなかでも、ひときわ小さくて病弱の子を、特に可愛がっていたのだが、
真冬の、ひどく寒い ある日、カゼを ひいたらしいと思ったら、あっという間に肺炎状態までなってしまい、いそいで、家のなかに入れてやり、2日ほど看病してみたけれど、どうも思わしくなく、苦しそうにしているまま、回復しそうにない。
もともと、猫が あまり好きではない親らが、「やめとけ!たかがノラなのに」と反対するのを押し切り、近くの動物病院へ、温かく包んでから連れて行った。猫は、苦しい息ながら、包まれた布のなかから身を乗り出し、今ここは、どこ?という感じで、必死に、あたりのようすを確認していた。
動物病院に着いて、診察してもらってるあいだに、あとから、うちの母親も やって来て、診察台に載せられている猫に向かって、この人の いつもの癖でもあった、芝居がかったようすで、泣きながら、声を かけていたが、当の猫は、もの言いたげに、ずっと、私のほうを見つめていた。
…
医院の受付で、「できるだけ、お見舞いに来てあげてくださいね」と言われ、
さすがの親らも、これは もう、うちで飼うしかないなあと諦めたようすで、それならば、ちゃんとした名前を付けてやらにゃあと、候補を幾つか考えつつ、とりあえずは、やれやれだと安心していた。
しかし、すでに遅かったようで、猫は、あっけなく死んでしまったとの連絡が翌朝に入り、
まさに、その猫を案じる心理が表れたと思しき悪夢
(聳え立つ、ぶ厚く白い壁の向こうに行かなければと、通り抜けられそうな箇所を、延々と探し続けるのだが、どこまで行っても見つけられなくて酷く焦っている、そんな感じの夢だった)に うなされつつ寝ていた私は、親に起こされて飛び起き、
顔も洗わないまま、人目も憚らず大泣きしながら、自転車を漕いで、その動物病院へ再び向かった。
大むかしの哀しい思い出だが、いまでも鮮明に よみがえってくる。
人間で言えば、幼稚園児くらいのうちに死んでしまった子猫は、他の子たちよりも小さく、病弱だったせいか、警戒心が つよい性格で、他の人には なつかなかったのに、なぜか、私にだけは、初対面から、気を許していた。
最初の頃は、ご近所の人に、食べ物を もらっていたらしいのだが、
「エサねだってるときに、ぎゃーお、ぎゃ~~~お、と、もの凄い声で鳴きよるから、そこの家の奥さんが、『ああ、ギャーギャーさんか、ふんふん、ギャーギャーさん、あんた、なんで、そんなヘンな声で鳴くの?』って言われてたで」
と、母も笑っていたのだが、うちの庭で、私と出会って、
「おなか すいてるん?」
と、声を かけたら、
「にゃん♪」
なんとも可愛らしい声で返事できたよ、と、母に言うと、
「この姉ちゃんなら、わざわざ凄み効かせた声で鳴かいでもエエんちゃうかと思たんやろ」
と苦笑していた。
洗濯物を干していると、いつの間にか、私の足もとに静かに座っていて、うっかりと竿を落としても、飛びのいて逃げもせず、じっと佇んでいた。
フシギな偶然で、その子もタビーの男の子だったの。
【続く】