2017.03.20 (Mon)
一週間ほど前に、市内の中心部にて午前中の所用が あり、朝食を とらないまま外出した。
用を終えた頃になると、さすがに空腹を感じ始め、とりあえず食事しようかと、めったなことでは外食しないというか、できないので、なお迷いつつも、以前から、ひそかに目を つけていた(笑)とある店に入ろうと決心、
まずは、玄関先のメニュー看板を眺めてみて、これくらいの価格ならばと、かねてより、美味そうだなあと思っていた「ローストビーフ丼」というのを目当てに、店のドアを押した。
ちょうど、時間帯で、この近辺の勤め人たちが、ランチタイム サービスを目当てに混んでいるようで、狭い一階は、どのテーブルも満員。
店員に促され、2階へ上がり、畳敷きの広間で、窓に近く、奥まった席に着くと、さっそく、注文伺いに来たので、ローストビーフの、と言いかけると、とっくに出はらってしまったと、申し訳なさそうに言う。
やはり、人気メニューであるらしい。
それならと、「だし巻き定食」に変更した。
卵のなかに仕込むものを、マヨネーズやら明太子やらのうち、好きなもので指定できるというので、明太子を指定。サービスで、ドリンクも各種のなかから選べるので、ホットコーヒーを指定。
手もとの書類に視線を落としたり、時おり、目を上げ、小雨パラつく窓外の景色を眺めつつ、のんびり待っていると、やがて、運ばれてきた膳を見れば、
大きな だし巻きが、長方形の皿の上にデンと乗っている。この主役以外にも、エノキ茸、水菜、それぞれに、牛肉や豚肉と焚き合わせの小鉢が二つ付いていて、温かい御飯の横には、漬物の小皿、ワカメの味噌汁の椀も添えられている。
けっこうなボリュームだ。。。
これで、最初の目的だったローストビーフ丼よりも100円安い600円。
たまには いいか。
外食なんて、ほんとうに久しぶりだったが、これだけ良心的内容と味で600円コッキリは、大サービスだろう。
売っている弁当の類でも、ちょっと気の利いた食材を使って、ボリュームもあると、これくらいの値段だもの。
主役を口に運ぶと、プチプチの明太子を射込まれた だし巻きはプルプルほんわり温かく柔らかい。
ああ、おいし。。。
どうやったら、こんなにも ふんわりトロトロ仕上がるんだろう。。。
プロだねー。
やっぱり、定食は良いね。
なるほど、混むわけだ。
昼の休憩時間帯が過ぎたとたん、あっという間に閑散としていた座敷で、ゆっくり食事を済ませ、コーヒーも飲み終えて、1階に降りたら、
そっちは、まだまだ混んでいた。
レジで勘定を するとき、もしかして、消費税別だったのかと思い、600円を硬貨で手渡したあと、店員が何も言わないのを、「600円ちょうど?」と、こちらから確認して、怪訝な顔を されてしまった。
生来、虚弱な傾向の私は、消化吸収力も弱いようなので、無頓着な内容の食事を したあと、どうやら、体質に合わないものを食べたらしいことが、かえってダルく、シンドくなることで分かるのだが(酷いときは、こんな程度で済まない。入院騒ぎになるような どえらいことになる)、それでも、なかなか理想どおりの食生活とは いかず、蓄積してくるとヤバいのだけれど、
このようなマトモな食事を とったあとは、逆に、なんとなく、からだの内側からシャンとしてくるのを感じることもあり、こういうときは、自分のカラダが必要としていたものを、抵抗なく取り入れることが できたときだと分かる。
外に出ると、まだ小雨は続いていたが、そこから、距離的に近い、普段から行きつけのスーパーマーケットへ向かい、到着すると、専用に設けられたスペースの一番端っこに自転車を停めておき、そのまま、並びの雑貨店で、先に買い物してから、続いて、スーパーに入るとき、ふと見やると、
私の自転車を押しのけるように、あとから来た誰かの自転車が、隙間の空間に無理やり突っ込まれたように停めてあったので、一瞬、ムッとした。が、まあ いいか、と、構わずに、マーケット店内に入った。
日用品・雑貨のフロアにて、ふと目についた傘のセールで、気に入った傘を手に取り、品を確認しつつ、これ買ってしまったら、家から持ってきた傘と一緒に、どうやって運んで帰ろうかと少々思案したが、ほんの小雨だし、と思い切って購入。他の買い物も済んで、自転車の所に戻った。
さっき見た無礼な自転車wは消えていて、私の自転車は、もとの適切な位置に(笑)戻されている。
雨は完全に やんでいた。
で、帰宅の道中、ハタと気づいた。
傘が ない。
(こういう題名の歌が あったなあ~)
購入してきたばかりの新しい傘ではなくて、今朝、自宅から持って出かけた、古い傘のほうがだ。
さては、買い物の前に食事した店の傘立てに置き忘れたかと、
まだ「ローストビーフ丼」に未練を残していた私は(笑)、それを食べている情景を脳裏に思い描きつつ、次に出かけたおりに、店の人に申し出ようと考えていて、また、ハッと気づいた。
いやいや、そうじゃない。スーパーマーケットに入る前だ。
そのとき、持ってきていた傘を一緒にして自転車を停めておいたんだ。
だから、そのあと。
たぶん、あの「無礼な」割り込み自転車のヌシが、盗んで行ったとも考えられる。
ひとしきり、腹は立ったが、
買ったばかりの新しい傘と、まさに入れ違いになった。
もう何年前になるのやら、たしか、通り雨に遭った道中の『ユニクロ』で買ったと記憶するが、かなり古くなっていて、小さくシミになった部分や、全体的な傷みも少し出てきていたので、これは、「厄落とし」したんだろうと、新しい赤い傘を眺めながら考え直した。
Pierre-Auguste Renoir(1841~1919) Les Parapluies(circa1881-1886)
Caraud(1821-1905)The Red Parasol(1890)
Carpenters“Rainy Days And Mondays”
B.J.Thomas“Raindrops Keep Fallin' on My Head”
2016.08.18 (Thu)
最近、読みかけの続きもの小説の文庫版を、いつものように寝る前に、なかばウトウトしながら読んでいくと、偶然、葬儀を めぐる一連の場面に さしかかり、
そう言えば、今、お盆の最中だった?と思って、確認してみると、やはり そうだった。
どうりで、「盆の入り」に、妙な夢を見たわけだ。
というのも、
子ども時分から寝つきが悪かった体質のせいなのか、
20歳代に入って、ひどく体調を崩していた頃、睡眠の質が、どんどんと悪化していったせいか、いわゆる金縛りと悪夢の連続に陥り、しまいには、就寝すること そのものに、かなりの恐怖を感じるほどになってしまい、ものの10数分さえも熟睡できず、疲労が極度に蓄積していた時期が長かった。
この話も、たしか、旧ブログに書いたと思うけれど、
その頃は、「お盆」の日に入ろうが、そもそも、そういった方面に、殆ど無関心だったので、それと気づかないまま就寝中、特徴的傾向のある夢を見ては、うなされて目覚めることも少なくなかった。そのようなパターンが何年たっても続いて、
そのうちに、どうやら、「お盆」の入り、あるいは特に、「中日」と呼ぶ日に、どうも気味の良くない夢を見ることに思い当たった。
Fuseli(1741-1825)The Nightmare
その後、
疾病治療の おかげか、極端なまでの睡眠障害の傾向は薄れていき、
数年後の あるとき、「お盆バージョン」的悪夢を見ずに済むようになっていることに気づいて、やれやれと、ホッとしたのだった。
Dadd(1817-1886)Titania Sleeping(1841)
『夏の夜の夢』
舌が二つの まだらへび
姿見せるな はりねずみ
いもりや とかげよ いたずらするな
われらが女王に近寄るな
ナイチンゲールよ いい節で
いっしょに歌おう 子守歌
ルラ ルラ ルラバイ ルラ ルラ ルラバイ
わるさも呪文も魔法の力も
お妃さまには近寄るな
お休みなさい ララバイ聴いて
【参考:http://www.e-freetext.net/mdnght.html】
あれからも また数年が過ぎていき、その間、身内の何人かを見送り、
なおも、その時期に さしかかると、なんとなく、用心するような気持ちが消えなかったのだが、今年の「お盆の入り」日に見た夢は、摩訶不思議ながらも、意外なほど、不快感は伴わなかった。
目覚めてから、無意識に脳裏に浮かんできたメロディの切れ端が、
たまたま、その歌だった、そのせいか、ここ数日は、何か作業しながら、ふと、『黒いオルフェ(『カーニヴァルの朝』)』の歌を呟くように口ずさんでいた。
若い頃、愛用していたギターを爪弾きながら歌うレパートリーの一つでもあったので、原語の歌詞の ところどころが、いまも、辛うじて出てくる。
いと貧しき人々、いと高きところに ありて
この『黒いオルフェ』(1959年)という映画作品を初めて観たときも そうだったし、いまでも、あらためて観るたび、
高所恐怖症や足弱では、とても やってられないであろう急峻な山の上に建ち並ぶ、登場人物たちの素朴な住まい、
そこでの、息を呑むほど素晴らしい眺め、
のどかにして、どこか優雅でさえある生活の ようすに、思わず感嘆する。
Edward Poynter(1836‐1919)Orpheus and Eurydice(1862)
Corot(1796-1875)Orphée ramenant Eurydice des enfers(Orpheus Leading Eurydice from the Underworld)1861
2016.07.18 (Mon)
去年くらいに突然、一番手前の臼歯に異変が起きてしまい、それでも、痛みは さほどでもなかったので、歯科医院に行くことをガマンしていたのだけれど、いくらなんでも、この秋ぐらいには行かなくちゃならないだろうなあと思案していたところ、歯磨き中の当たり所が悪かったのか、数日前から、猛烈に痛みだして困っている。
この暑いなか、アイスも冷茶も、口にすること ままならず、あすにでも、駆け込まないわけにいかなくなったのだが、
じつに不思議なことに、ギター曲『アルハンブラの想ひ出』を聴いている最中は、痛みが多少おさまってくれるので、このところ、“youtube”にて、くだんの曲の演奏を聴いてから就寝している。
『アランブラ』でも『アランフェス』でも、これらの曲を聴くと、たちまち、
スペインの王宮にて、七色のヴェールを纏っていた王女の頃を想ひ出す わらわであるゆえか。。。(笑)
※追記
久しぶりに、イエペス御大の『アランフェス』を聴いてたんだけど、
いつ見ても、この人のギターは、見るからに凄いねw
こんなバケモノみたいなギターを弾けるって、どんな手してはるねん、と、つい思って、まじまじと見てしまうのだが、
でも、イエペスの演奏は、ダントツで安心して聴ける。やすやすと繊細に弾けちゃうイエペス。
さっき、ヨうつべのコメントに、「イエペソ」と呼んでる人が居たww
ま、そんなわけで、ブログ更新が、ますますメンドいのねン。。。
愛らしい女性の、すばらしい演奏を紹介します
朴 葵姫(パク・キュヒ)『アランブラ宮殿の思い出』
こちらの演奏も、みごとです。
しかし、あの地域にも、こんなに雪が積もるんだ。。。
そういえば、この離宮の背後は、何とか言う高山(「ピレネー」かなあと思ってたら、「シエラネバダ」だそうな。アメリカの山脈だとばかりw)。
見るからに寒いなかを、よく、演奏の指が動くもんだと感心したが、音源だけ差し替えてあるのかな?
Rysselberghe“Fountain at the Generalife in Grenada”(1913)
BLECHEN“In the Palm House in Potsdam”(1832-34)
de Dieudonne“An Oriental Girl In The Palace Garden”(1882)
2016.04.23 (Sat)
♪生まれた街の匂い
やっと気づいた
……
街角に立ち止まり
風を見送ったとき
季節が わかったよ
……
最近、ちょっとばかり気になることが生じて、同時に、ここ数年来の予定事項を実行するにあたり、些かの決心を固めるためにもと、じつに数十年ぶりに、帰った。
旧ブログか過去エントリーの どこかでも触れたと思うが、生まれて最初の1年半ほどを過ごした「故郷」だ。
今回の「帰郷」にあたっては、なんせ、ン十年ぶりゆえ、念のためにと、めったに利用しない「グーグル マップ」や「ビュー」を使ったのだけれど、うちのパソコンのマウスの不調なのか、手元が狂ったか、途中で幾度も、とんでもない所へ飛んでいたりして、ここは何処だー?と、位置確認のため、急速に拡大したり縮小したりしているうち突然、連山のカタマリやら深海の表面やらが、わっとクローズ アップされて突き出されてきて、そのたびに、ウへッとなった。と言うのも、
私、こういうの見たくないんだよお
よく、こういうものを、ああ美しい~とかってウットリ口調で礼賛する人もいるんだろうけど、
ハッキリ言っちゃうが、
「ランドサット」撮影の地表とか
「ハッブル」望遠鏡による宇宙の写真画像って、キモチ悪いんだもの
ほとんどグロテスクだろお。え?そうは思わない??
ごく僅かながら、これなら まあ美しいと言うか、辛うじて見るに堪えると言っていいものもあるけれど、殆どの場合、NASAの「色付け」センス?を疑いたくなっちゃう。
むかし、例のQAサイトで質問したときに、宇宙の画像というものには、(われわれの視覚に)分かりやすく効果を強調するため、人工的に、毒々しいほどの色付けしてありますからねとかいう回答してくれた人もいたし、
私と同様、こういう写真画像は、自分も実は苦手なんですと言ってた人もいたけれど、われらは圧倒的に少数派のようなので、もしかして、こういう発言は、タブーなのかもしれないけど。
どうも、大自然・大宇宙礼賛者が圧倒的多数派の世のなかであるらしいので、肩身の狭さを感じて、ふだんは、あまりアカラサマには言わないで来たんだけどね。
うちの母親なんかでも、満点の星空を見ると、息が詰まりそうになるとか、深海なんてブキミだとか、ふとした おりに、吐き出すように言ってたけど、このへんは、私にも理解できるわ。ただ、いまどき、少なくとも都会と その周辺では、夜空を見上げてみても、満天の星空、とは いかないね。
母は、子ども時分の戦中に、田舎へ個人疎開してたそうだから、その頃は、文字どおりの満天の星空を見る機会もあったのだろう。
「息が詰まりそう」
そのとおりで、この世界は、物質で隙間なくギュウギュウの世界なのだと思う。これに対しているはずの、いわゆる「観念」でさえも、物質のうちであると。わしゃ、詳しいことまでは知らんけど。
んで、その「グーグル」で、列島の あちこち、意図せず飛びまくった、そのたびに、
つくづく、日本列島てのは、上下左右いずれ必ず、程なくして、どこかの海上に出てしまうこと、
本当に、ヒトだらけだということを、今さらながら、つよく感じた。
まあー、大概どこの谷底や海際までも、へばりつくように、人家または人工物が ひしめいているわ。
もう、全く、人が普通に住んでいない場所なんて、高い山のテッペンとか海のなかくらいしか残っていないのでは なかろうか。。。って感じ。
私は、いわゆる田舎での生活経験がないので、これまでに見聞してきた物事で想像するしかないが、「グーグル」の画像で見た限りでは、あんな山と山の隙間までも、人家が入り込んでビッシリ埋め尽くしているさまを見たら、なるほど、ヒトが増え過ぎな気も してくるよ。
それこそ、ゴキブリなんか軽く凌駕してるに違いないと思えるほど繁殖しとる。
あ、それと、
航空写真で、グーグルの画像読み込みスピードが追いつかない部分は欠けて出るけど、建物が密集している市街地なんかの上空からの画像の一部が真っ黒状態で表示されるようすは、かなりシュールですぞw
地表に突然出現したブラック ホールさながらww
と、本題から逸れたが、話を戻して、
そういうわけで、片道せいぜい2時間未満の距離なので日帰りながら、「故郷」の街に帰ってきたわけだが、
最後に訪れたン十年前の頃と殆ど変わらないままだったのは、最寄りの駅前の一帯のみ。
そこから、目抜き通りにあたる緩やかな坂を のぼりきった所が、私らが住んでいた場所なんだけど、
さすがに、当時の隣家の人たちも行方は知れず、表札も替わっていて、自宅が あったアパートの位置も、確定は おぼつかず、あたりには、見るからに高級な、どっしりしたマンションが幾つか新しく建ち並び、
こんな お高そうなマンションに、若いうちから住めるなんて、どれほどのセレブーやねん、
さしづめ、私が20代の頃、一時帰阪した叔母と落ち合った中之島のホテル内の高級料亭に、一人でブラッと食事に来ていた、隣の席の青年みたいな人かいな?
(この若い男性を、こういうシチュエーション時の癖みたいに毎度のごとく、叔母は、気づかれないよう観察していたらしく、宿泊の部屋に戻ったとたん、
「あんた、見た?あれは間違いなく、どこぞの御曹司だわよ、ああいう男の人を掴まえなきゃ」
云々と早速うるさい お説教が始まったものだ。
へいへいと聞き流していた私自身は、贅を凝らしたらしき一皿一皿の「ちょっとずつイロイロ」盛られた、その量の、えげつないほど少いことに呆れて、大喰らいゆえ、その提供量についての怒りでアタマいっぱいになっていたというのにw)
等々と連想しつつ、
どうにか おぼろに思い当たる地形等から、だいたい、このあたりだろうと、かろうじて見当は つけたものの、そこまで こぎ着けるあいだに、何度ウロウロと繰り返し行ったり来たりを続けたことか。
幼少時の記憶に関しては、ひとかたならぬ自負ある私にとって、こっち側に、あれが あり、あっちのほうに、それが あってという、その記憶の位置が反転アベコベになっているらしいことを認めるのは、なんとしても気持ちが悪いのである。
なんだか、幼くして生き別れた、それでも、互いの肌と肌で知り尽くしている生みの母が、まるで別人格になってしまったかのようなショックに近いと言えば近い。
その間、まさに「瞼の母」を探し求めて切なく彷徨してでもいるかのような気分だった。
この気分が影響したせいなのかどうなのか、
はたして その夜の夢に、久しく思い出すこともなかったJ・レノンの楽曲『マザー』を、小さな声で歌っていた。
もっとも、この歌詞の内容と、私自身の実際の生い立ちとがピッタリ重なるということは ないと言うか、むしろ正反対に近いけれど。
(だって、私自身は、暑苦しくも親に必要とされていたからさ。とは言え、それは、あくまでも親側の利己的つごうに過ぎず、そのゆえに、私は、「必要とされる」だの「期待される」ということに恐怖すらも伴って、早々に忌避したくなる性向へ傾いてしまった。)
その街に居た私が生まれる前から、すでに建っていた懐かしい お店に入り、長時間ほっつき回って疲れ、ほてった からだを休めて、とりあえず、空腹を静めようと、冷たい麺類を頼んで、その歯応えと冷感を、ひとしきり楽しんだあとに、もう このままで、何も言わず、お勘定だけ済ませて出ようと思ったのだが、
そこの女将の にこやかな顔を向けられたら、もちろん、お互い、記憶に残っているわけもないのだが、なんだか、私の母親に似た感じすらしてきた女将の、さすがに何十年このかた客商売で鍛えられて身についたのか、いかにも、人を逸らさない、それでいて素朴な温もりに満ちた笑顔に、つい、話し出してしまい、訪れた経緯のことを告げ、地図を出してくれた店主夫妻と話し込んでしまった。
要は、あの当時、隣家に住んでいた人たちが見つかれば、私が訪ねた理由であるところの疑問のこと等も判明するかと思い、その街の変遷について、あれこれ教えてもらったわけだが、いかんせん、数十年の時間の流れが、幼少時の記憶鮮明なことだけは自信があったはずの私も、首を傾げざるを得ないほどに、ほとんどを磨りガラスの、あるいは紗の布を透かし見るのが関の山ていどにまでボヤかせてしまっていた。
むしろ、10代から20代の頃にかけて2、3度訪れたおりの記憶のほうが、もっと曖昧な断片にバラケてしまっている始末。
ただ、一つ、かなりハッキリしたことがある。
それは、やはり、この街の出身者で、近年、亡くなったそうだが、日本国内のロック シーンで活躍した有名な歌手の生家が、私の記憶のなかでも、ことに懐かしい対象だった屋敷であり、そこの子息その人であったこと。
その日本屋敷の重厚な門構えを挟んで両側に伸びめぐらせた塀に付属して、おとなの腰の高さあたりに組まれた石垣を毎日よじ登っては、その上に並んだ植栽を踏み荒らして遊んでいた近隣のガキども、
そのなかに混じっていたヨチヨチ歩きの私と、私よりも幾つかは年上の、くだんの有名歌手の男性は、お互い誰だか全く知らないままに、幼なじみであったかもしれないことに気が ついて、今さらながら、いささか驚いた。
その お屋敷周りの植木を、私ら近隣の子どもが、さんざんに踏んで痛めつけ、根こそぎ荒らしていくさまは、当時の写真を時系列で見ていくと、ついに枯れ果てるところまでいったことが明白に分かるのだが、
その お屋敷の人に叱られたということが、ただの一度もないのである。
母は、あの時代は まだ、おおらかな人が多かったからなあ、と笑っていたが、いまどきの時代なら、どれだけの苦情を申し寄こされたことだろうか。
私が、実家を出て、自活を開始した最初の地で馴染んだ、ちょっと高級筋のスーパーマーケットが近くに出来ているのを知り、お土産ではないけれど、懐かしさもあって、少々の食材を購入し、帰宅後に食しながら、その日一日の光景を思い浮かべて、
それにしても、庶民クラスの日常生活にとっては、お世辞にも暮らしやすいとは言えない、あんな お屋敷街で、そのスーパーが出来る前までは、もう少し距離のある場所に設けられているという古いアーケード街まで、皆、えっちら おっちら、坂を上がり降りしながら買い物に出ていたのだろうか、
いまどきは、大都会であるはずの大阪のなかであっても、アーケード街が「シャッター街」と化した凋落ぶりは、地方の嘆きと何ら変わりないようなのだが、、、
と考えを めぐらしていて、ああ そうかぁと気づいた。
ああいう、いわゆる高級住宅街の住人は、その殆どが、高級車で、自宅周辺の幾つもの坂を涼しい顔でス~イスイ走り抜け、大阪ど真ん中のターミナル駅周辺の、選り取り見取りの店舗やデパートにでも乗りつけて、車いっぱい載せられるだけ、高級食材やら高品質な日用品を買い出しに行けるんだわね。
生まれた街は私にとって、いつまでも恋しい「瞼の母」、を言い替えるならば、幼い初恋相手にして初婚の、そして、間もなく別れてしまった、内心では まだ想いの残る、かつての伴侶のような感じでもある。
いまも変わらずに、品良い美しさを保っている、その相手と、ひそかにデートしたあと、
共に暮らして長年になる、別の相手のもとへ帰って来て、かなり雑多ながらも、それなりの洒落っ気や可愛げもあり、庶民らしい気安さ、屈託のなさに、これは これで、おしとどめようもなく寛ぎを感じている。
上下左右あらゆる方面において、私は、言わば、どっちの方向世界にも自在に入って行けると同時に、常に「境界」の位置に立って居る、それが宿命のポジションであるかのように感じられもする。
2016.04.10 (Sun)
天上天下 ゆいがどくそーん!!
どー見ても「サタデイ ナイト フィーバー」w
いや、逆、「サタデイ ナイト フィーバー」が、なの。かな(笑)
(こちらのブログさまにて お借りしました
http://studyenglish.at.webry.info/201601/article_29.html)
今年も「骨川筋衛門桜」に会ってきた。
つくづく観察してみると、根と、根のすぐ上の僅かな幹部分がシッカリしてるかぎりは、上体の、言わば、まるで「内蔵」も「肉」もなくなってるに等しい姿なのに、
皮一枚の(それも、ところどころ破れている)辛うじて残っている部分だけで、
根が、土から吸い上げた養分を、残った「破れ皮」が少しでも伝える力が残ってるかぎり、なんとか、花を咲かせることが できているように見えた。
それが、けっこう、爛漫と咲かせているんだから、驚くほかない。
あなた、えらいなあ、と、去年と同じく心のなかで賛辞を送って、その日は別れた。
花アブかミツバチか分からないけど、精いっぱい咲いた花びらのなかへ、小さな口を、いっしょうけんめいに差し入れてやっていたよ。
並びには、他にも大きな桜の木が、もっとゴージャスに咲き誇っていたけれど。