2023.12.30 (Sat)
子どもの頃、
うちの親は、いつも、私の誕生日と『クリスマス』とを一緒くたに していたw
まあ、およそプレゼントなんてものは、まず ないことだったし、ケーキも、一つで済ませたかったのだろうww
クリスマス シーズンともなると、ケーキ!ケーキ!
と、その話題で持ち切りの感じになってしまうので、久しく忘れていた場面を、ふと思い出した しだい。
腹違いの兄が大学生、私が小学生だった頃の話。
ある日の夕方から晩にかけて、大学近くの下宿先から、兄がフラッと帰宅した。
手には、小ぶりの箱を抱えていて、いかにも それらしいプリント柄、
ひと目で分かったとおりの、クリスマス ケーキを、おみやげに買ってきたのだと言う。
たまたま、その日は、両親とも不在で、家には、私一人だった。
さっそく、二人分の皿とフォークを用意し、
兄から受け取った箱を、いそいそと開けてみたら、
半分ほどが、みごとに ひしゃげていた。
どうやら、道中の どこかで、うっかり落としたか、ぶつけたか したらしい。
兄は、ほんとうにオッチョコチョイだったので、
あるときは、
私に与えようと、かわいらしい色柄ばかりのノートを何冊か、まとめ買いして持ち帰ってくれたのだが、そのときも、あいにくの雨上がりの道の どこかで落っことしたらしく、なかには、泥を少し かぶってしまったものも あって、使えなさそうなものも混じっていた。
これは、いつぞや、何年か前の過去エントリーでも述べたように、
東京の叔母宅から、不用品とされて、とは言え、かなり高価なものや、新品に近いものも平気で混じっていたりするので、とりあえず、うちの家へ運び込まれていた品々のなかに、むかしのレコードも何枚も入っていて、そのなかから、一聴き惚れした私の宝物になっていたのが、かの『アニマルズ』のアルバム。
これを、貸せ!貸せ!と言って聞かず、とうとう無理やりのように、自分の下宿へ持って帰って、しばらく経って、やっと返してくれたかと思いきや、
なんと!
大切な大切なレコード盤が部分的に欠けているのを発見。
私は、目の前が暗くなるほどのショックで泣きそうになったが、
どうやら、そのときも、どこかで落っことしたものらしい。
当時の隣家のオバさんは、「わざと やったんちゃう?」と、少し意地悪そうな表情で言ったものだが、
これも腹違いの、底意地の悪い姉なら大いに ありえたけれど、
あのオッチョコチョイな兄のことだから、やっぱり、悪気なく落っことしたのかもしれないと思う。
後日、
兄なりの詫びのつもりらしかったが、別のレコードを、私にと持って来てくれたものの、
べつだん興味もない日本人アーティストというのかシンガーソング ライターのレコードなんぞ もらったところで、『アニマルズ』の何十分の一にも届きや しない。私にとっては。
あの欠けてしまったレコード盤は、たしか『オデオン』という古いレーベルから出ていて、珍しい、半透明っぽい赤い色の貴重なレコード盤なので、言わば「マニア垂涎の」というべき1枚らしいのだが、とうの昔に廃盤となっているから、いまでも、思い出せば、どうしても腹が立つ。
だいたい、私自身は、いやがる相手に無理させてまで、何かを取りあげたり、自分が持ち去ったりすることは、基本的に、したことが ない。
で、
クリスマス ケーキの話。
実際に、最近、宅配の高級クリスマス ケーキが、冷凍管理の失敗なのか手抜きなのか、そこへ加えて、何らかの衝撃も あったと見受けざるをえない、ひどく崩れた状態で届けられた、という騒ぎになっているとの新聞記事も見かけたが、
なんせ落っことしたからなあ;と、当の兄自身も恐る恐るで覗き込んだ小ぶりなケーキは案の定、半分は完全に ひしゃげてしまっていた。
それを見て、
兄も私も、「あ~あ、、、」と、溜息を ついたけれど、
しかし、近場の洋菓子店で買ってきたばかりなのだし、
やはり、まずは、味に変わりの あるはずもないとて、
きれいなままの部分と、ひしゃげた部分と、半分ずつを分け合い、
両親とも出払ってるし、ホールケーキとは言え、小さめだし、
肩を並べて、おいしいやん(^^♪と、二人でスッカリと たいらげてしまいましたわ(笑)
あ、いましがた思い出したので追加。
母親が、思いがけぬ交通事故で長期入院していたあいだに、『クリスマス』の日が来た。
下校後に、電車に乗り、市内の中心部にある病院へ、1日置きくらいの頻度で見舞いに行っていたのだが、やっと、だいぶ良くなったあたりからは、たまに、病院から目抜き通りの商店街へ短時間の買物に行ったりすることも可能になったので、きょうはクリスマスだしと、母親と二人で、駅前の洋菓子店まで歩いて行くと、いかにも回復途上らしく、どこか弱々しい雰囲気になっていた母親が、どういう風の吹き回しか、特に ねだったわけでもないのに、クリスマス ケーキを買ってくれた。それも、小ぶりながら、綺麗にデコレーションされたホールケーキだったのだが、
母親は、
「これは、あんた一人で食べるんやで。兄ちゃんらには内緒に、隠して食べや」
と、ささやいた。
それで、素直な私はwこっそりと食べてしまおうとしたところを、姉や兄に目敏く見つけられ、さっそく姉からチクられたらしい親父も加わってきて、3人から猛烈に怒られたww
(おぼろな記憶で、その後、別に買ってきたケーキを3人だけ食べ、私はハブられたっけwww)
入院にせよ、離婚のための資金稼ぎで東京に行っていたにせよ、とにかく母親が不在だったあいだは、親父と、腹違いの姉らに、ひどく虐められたことも多々。
まあ、ふだんは忘れてるけど。
おそらく、母親にも言い分が あったのだろうと思う。
たとえば、親父の実家から送られてきた菓子類などは、いつも、私の分だけが なかったり、
そのときのように、母親が入院中、小学生の私は、夕食もロクに与えられないので、自分で用意した お茶漬けで済ませていたと知ったときは、20歳代にもなっている姉が おりながら!と、怒っていたことも憶えている。
私自身は、お茶づけしか食べてなくても、特には何も思わなかったし、
会社勤めしていた姉も、帰宅後に、義理の妹の夕食を拵えてやるのもメンドクサかったんだろう。
私の母親自身、腹違いの弟妹を含めた兄弟姉妹全員の世話を、早逝した実母の代わりに やってきた実績の人だから、同様に腹違いである義理の姉の、妹に対する冷淡さ横着さが許せなかったのかもしれないが。
ま、いろいろと、そんなことも あったなあ。
…
私の現在の自宅は、以前にも述べたように、特に玄関先からの眺望が抜けていて、比較的高い位置から眺められる大空も、ぐるり見渡せるので、自宅を出るたびに、なんとなく、空のようすを確認するのだが、
先日のクリスマスの夜にも、ちょっと外へ出たとき、すぐに目についた、ひときわ光っている星(たぶん『宵の明星』)を見ながら、このような日には特に思い起こすことが あった。
やっとの思いで、最初の一人暮らしを始めた頃、やはり、ゴミ出しか何かで、外へ出て、当時の住まいだったマンション内の広い敷地を歩きながら、ふと、目に入ってきた星が、ひときわの光を放っているのを眺めながら、しばし、なんとなく思い浮かべていた。
それは、「イエスの孤独」ということについてだった。
そういうことを、久しぶりに思い出していた。
あの夜に見た光は、いまの私が立っている場所に、この地上に、いつ届いたろうか。
あれから数十年を経ても、その星は相変わらず、他の星に抜きん出た光を放ち続けている。
さて、いよいよ、2023年も、あと1日を残すのみとなりました。
近年は、毎年、大晦日だ お正月だという感慨も薄くなり続けているのを実感するものの、
まあ、定番どおりの ご挨拶で締めくくるとしましょう。
皆さま、良い お年を お迎えくださいませ。
では また、明けて新年、
あたくしの気まぐれの気が向いたとき、ぼちぼち、お目にかかりましょう(笑)