2024.01.22 (Mon)
『日本共産党』の志位さんが、ついに、委員長を退き、不破さん退任後は空席だったという議長に就任する運びとなったそうな。
ならば、後任は、できるなら女性のなかから登用するのが良いだろうなとは、傍観者の位置で見ている私も思ってたけれど、もちろん、単に、女性だから良いとも言えないし、田村さんは、近年、なかなかの御活躍ぶりも垣間見えた存在だから、このところの党内に おいて、まあまあ(?)妥当な人選なのだろうなあとも思うけど、一つ、クギ刺しとこかな。
まず、
『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』と よく似た、権力や権威性に対して従順・盲目的な「パターナリズム女子」のままではダメですよ、ってことです。
権力者らの つごうとかオッサンやジイサンらにとっての「かしこいなあ、かしこいなあ」的、手先的存在のパターナリズム女子優等生なんぞは、いらんのよ。女前を損ねるだけです。
主権者たる国民にとって、必要ない。迷惑なだけ。
「左翼」界の なかの人たちも、実態は「右翼」以上の「男尊女卑」という話、かねてから聞いてたのでね(嗤)
近頃の「パワハラ事件」が持ちあがったときも、「あー、やっぱりか?」と思いましたもん。
具体的な対象の異なりはハッキリしていても、やはり、いわゆる「権威」性、それに関わってくる形式といったものに弱いのか、そういうものを、固く重視する面ということもあるのか?これは、ほとんどの人が知っている「右翼」の最大特徴として顕著なスタイルであり、基本の性向だけれど、
結局、「左翼」だって似たような特徴的ゴチゴチを有しておると いうことなのかねw
そういうのって、やがては自分自身も強圧姿勢になっている自覚アリにせよ無自覚にせよ、説明能力や説得力の乏しさを棚に上げ、他者に対しては従順・服従のみを要求するようになるもんだろう。
仮にも『立憲民主制』国家の政治家なんだから、現実は、国民・有権者一般についても、国政についても、経験値を積み続けなければ ならない、相変わらずの万年野党、「政権シロウト」なのだから、
傲慢沼に、みずからドップリ浸かり、ついに腐り果てた『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』と同類に陥らないよう、重々、気を つけてもらいたいところ。
また、
これは、党内に おける人事についての従来通りの手続きや選挙に対して、(いきなり外部からの?)異議申し立てを行なったというカドで、党からサッサと追い出されてしまった元党員氏のことも、私は当初から、多少の不審は感じないでもないと述べておいた。
だって、党側のみならず、彼の側にも、持って行きかたや方法に無理が あったのでは なかろうか、若い頃からゴリゴリの『日本共産党』一筋だったであろうに、党内の基本中の基本として堅持してきた方針や手続きが由っている思想だか信条だかを、それによって、過去、まさに宮本氏が議長の時代、まさに志位さんが動いて、似たような事が起きていたということも、よくよく心得ていたはずなのに、
なぜ、選挙が近づいてきている大事なタイミングにもなって突然のように、かつての出来事を彷彿とさせるかの如く、世間に向けて大々的に曝け出したのか?と。まあ、私は、詳しいことは全くと言うべきくらいに知りや しないけど。
ただ、ゴリゴリどうしが内外で激しく ぶつかり合っても、収拾が つかないだろうなあと、青々とした信念やリクツに拘り過ぎるよりも、もちっと、うまいこと やってんか、腐れ『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』と、その系列シンパどもに「漁夫の利」を与えるばかりではなあ、と思うのよw
それと、
たとえば、うちの両親は、『自民党』と同じくらい、あるいは、それ以上に、『日本共産党』も嫌っていたわけだがw
その理由は、これも再々述べてきたように、『日本共産党』のほうは、なんと言っても、宮本委員長の頃の印象が、ひどく悪かった、そういう時代情況的なものも あったのだろうし、
ここは、『日本共産党』の なかの人たち、それこそ、老いも若きも踏まえておくべきことだと思うのは、
ひとえに、宮本氏時代のイメージは、ほんとうに悪い。はなはだ悪い。
私は、世代が異なるゆえ疎いから、異様に思えなくもないくらいに、故 宮本氏を、じつに蛇蝎の如くに嫌悪しているのね。
共産党支持者を除けば、そういう客観的事実ですよ。
これが、いまだに、なかなか払拭できていないという現状の困難さが、第一に横たわっているように見受ける。
もちろんのこと、『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』および系列側としては、大いに利用するわけよね、その悪いイメージをw
自分らの膨大な悪事や失態の数々は伏せておきつつww
げに、後世に及ぼす過ちは罪深し。
しかも、無謬の存在であるぞと突っ撥ねたいのならば、そりゃ、『天皇』や『皇族』と同じことになっちゃう(嗤)
ただねえ、うちの親ら、宮本氏に対するのとは逆に、不破さんのことは、わりと好きだったみたいでさw
討論会なんかで、不備な点を指摘されたり反論されたりすると、
「すぐにプーッと、お餅みたいに頬っぺた ふくらませて、顔にモロ出ししてしまうところが、正直者まる出しでカワイイのう♪」
とか言ってましたわww
もともと、若かった戦中に『近衛将校』やってたほどの親父は、立場や世代から当然としても、
親父とは また世代が異なる母親も、地域のサークル的活動に参加していた頃、私に向かって時々言っていたのは、
たしか、『新婦人の会』っての?『日本共産党』系列の。わたしゃ詳しいことは知らないけど、そこの人たちも幾人か加わっていたことから、うちの母親に言わせると、
「配布したり、役所に届け出る原稿とか書類とか、そういうものについても、いちいち細かく、煩いこと言うんやで。まさに教師然で!やれ、そのコトバ表現は如何なものか、その漢字は間違ってますとか、ほんまに堅苦しくてエラソーやねん」
とて、グチを聞かされたのも憶えている。
たしかに、「教育的指導」欲は旺盛なんだろうかね?『共産党』系の人たちってw
当時の『社会党』支持を公言していた うちの兄も、教師だったからなのか どうなのか、やっぱり、「指導」欲が旺盛だったww
特に、年齢が離れていて、ボンクラな妹である私に対しては、二言目には、「これを読め!」「あれは読むな!」だの、わからないことは、まずは とにかく「俺に聞け!」だのww
そんなわけで、うちの両親は、そういう調子だったので、私自身、基本は「無党派」とは言え、社会人になってからも、『自民党』だけは決して決して支持しなかったのと同じく、やっぱり『共産党』も、支持する気には なり難かった。
で、ある日、会社の同僚に誘われたときも、
「えー?共産党のイベントぉ?」
と、ためらう気持ちが真っ先に来て、とても乗り気には なれなかったけれど、まあ、本心を言って断るのもカドが立つかと思って、そのときは渋々応じたものの(ちなみに、有名なミュージシャンのバンドも来演していたり、屋台の おでん食べたりで、それなりに楽しかったです、はいw)、
当時、ごく若かった私も、まだ、親からの影響は大きかったし、政治だ思想だのについても、まだまだ疎かったから、はっきり言って「色眼鏡」そのものに近い見方を していたと思うのは正直に認める。ことに『日本共産党』に対しては。
かなりトシくってからだなあ、
『阪神・淡路』大震災が起きたやら、自分自身の「非正規」問題やらが重なってきて、いよいよ、『自民党』は どうしようもなくなってきた、この国は、自分の生活は、今後、どうなっていくんだろうと、深刻な気分のなかで、
それよりは、とりあえずにせよ、ずっとマシか?少なくとも、腐れ自民党のような問題は起こしてないみたいだし、言ってることも、自分で聞いたかぎりは、いたって真摯で真面目だし、概ねにせよマトモそうかなと、
そこで やっと、
育った時代背景、世代が異なる親たちから擦り込まれてきたイメージに頼るよりも、現状ただ今の ようすを慎重に見聞きしたうえで、社会人の一人、有権者の一人として判断するようになれたのは。
ところで、
先日のエントリーでも少々触れておいた、これ↓あの『東日本』大災害を経験したと自己申告している投稿者のコメントね。
「正月だったから、食べ物も たくさん あって、家族も集まっていたのが、せめてもの幸いと思いたい」云々。
現実は どうだ?
真逆だったと言っても過言じゃなかったでしょ。
ま、いつに変わらぬ「ヤフゴミん」ならではのカン違い、かつ料簡違いなコメント、ザッツ「ヤフコメ クオリティ」ってやつですかねw
自分の身をもって経験・体験してきました!つって、これだもの。
どうすりゃ理解できるの?って、どーしようもない(嗤)
それにしても、
何度も何度も、大きな災害を くぐってきて、いまだに、何もかもが、ほぼ相変わらずのままなんだな、この国と人々は。
『東北』の被災地でも、その直後の『オリンピック』誘致決定や『聖火』巡行を大歓迎しているというニュースを見たとき、私は、正直なところ、ほとほと呆れたもんだけど、
こうしたチョーシとカン違いでもって、『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』を支持し続けてきた連中なら、そりゃあね。。。(嗤)
聞けば、『石川』県と、その周辺は、『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』支持者が昔から特に多いんだってねえ。
うちらの「一票の重み」、3倍ほども彼我の差が あるんだもんねえ。。。
私は、『阪神・淡路』大震災の当時は、『北摂』地域に住んでいたので、距離的に ごく近いし、そもそも、最初は、ずばり『神戸』方面へ引っ越すつもりでいたうえ、大阪府内在住ながら、あの大地震が原因で、職場の同僚が亡くなったという出来事も あったので、とても他人事感覚には なれず、新聞の特集記事などを いっしょうけんめい読んだものだが、
ある日の記事では、
「母子家庭で、息子さんたちは、すでに実家を出て働いてたそうやけど、おかあさんが一人で暮らしてる家が潰れてしまったので、駆けつけて来て、探した息子さんが」
亡くなっていた おかあさんの形見の品(アクセサリーだったか)を見つけ出したという内容を報じていたことも記憶しているのだが、
「そこの おかあさんは、家が潰れたとき、子どもらが、ここに いなくて よかった、と、思ったかもしれんね」
と、母親に言ったことも憶えている。
さて、
このたびの被災地域内である『石川』県『七尾』市という所では、とある体育館にて、夜な夜な「居酒屋」が開店して云々という『朝日新聞』の記事が あったので、見て真っ先に、「ここは、被害レベルが深刻というほどじゃないのだろうかな」と思った。
そして、
集まって、飲食を共にし、リラックスして語り合うことの有意義を、否定するのでは けっして ないけれど、少なくとも、
「乾杯」
ってのだけは どうなんだろうと思った。
てか、いくらなんでも、「不謹慎」とかいう以上に、無神経じゃないのかなと。
【続く】