2018.03.25 (Sun)
『『共産党』さん江』の続き。
まあ、最後は、もうちっと真面目に話を しておくと、
私は、これも全く知らないんだけれど、少しばかり気に なっていたのが、かの吉井(元)議員が、いつの間にやら、共産党を離れていた事情。このことを含めて、共産党の内部に対する糾弾的内容のブログを、数年前に見かけたことが ある。そのブログ主は、かつては、自身が共産党関係者だったことが窺えた。
さて、共産主義というものや共産党という名称に対して、抵抗感が激しいのは、うちらの親の世代だったと思う。
で、うちら自身は、親らから聞かされてた世代だから、多かれ少なかれ、先入観を持っている傾向は、ある人も多い?かもしれない。
当の私も、20歳代までは、親の影響を受け続けていたせいか、共産党に投票するとこまでは、したことなかったと思う。
とは言え、
あの当時から、私自身は、『共産党』に対して特別な嫌悪感は持ってなかった。それよりも、『自民党』のほうが大キライだったけど、
さすがの自民党も、いまほどの劣化ぶりを剥き出しに ふんぞり返るほど酷い政党では なかったと思うし。
自分なりに、いろいろ考え併せて、基本は「無党派」ながらも、ときどきの政情を慮り、敢えて『共産党』にも投票するようになったのは、30歳代に入ってから、だったかなあ。
ちなみに、
いわゆる「団塊世代」の、私と大幅に年齢差が あった兄なんかは、当時の『社会党』シンパでね。
ま、家族でも、考えかたは けっこう それぞれだったわけね。
ただ、あの親らの世代は、ぶっちゃけ、宮本委員長時代の印象が最悪なんだわな。
そのへんの経緯事情は、世代が違う私は、いまだに詳しく知らないが、
私の学校時分に、うちの叔母が、この人は、およそ知性や教養に乏しくて、典型的おばか美人だったから、政治の話なんかにも疎く、無関心だったはずなんだけど、たまたま、うちに来て、叔母の姉である私の母親と、宮本委員長のことを話題にしていたとき、二人とも、なぜか、眉間を寄せ、ヒソヒソと声を潜めて しゃべっていたのを憶えている。
子ども心に、よっぽど禍々しいことでも あったんだろうか?というふうに、怪訝に思ったよ。
ところが、
不破哲三氏の時代になったら、とたんに、うちの両親、二人そろって、やっぱり共産主義と共産党を嫌悪していたはずなのに、
テレビの党首討論番組など視聴していて、ときの不破さんが、他党からダメ出しされたりコキおろされたりしたとき、彼の無意識な癖なんだろうけど、思わずプッーと頬を膨らませ、横目で、さも恨めしそうに、争論相手を見つめながら腕組みするようすが、
「かわいいな」
「憎めないな」
と笑っていた。
親父なんか、
「おれは、共産党は嫌いだが、不破さんは好きだ」
ってさw
何かの小説のセリフで、そういう感じのが あったっけ?。。。
あの頃の不破書記長って、安倍さんや麻生さんなんかよりも、よっぽど品の良いオボッチャマの雰囲気が あって(笑)、なかなかハンサムだし、ネクタイとか、お召し物のセンスも良くて、ダンディなタイプだったよね。
もはや「鵺」みたいなバケモノと化したジミン党に比べたら、まだしも、ずっとスッキリしたイメージもあるし、リクツっぽいというイメージだけに、どこか青年っぽい若々しさを演出することもアリだろう。(老害政党ジミンなんか、逆立ちしたってムリだかんねw)
ジミン党と ひっつくということだけは、決して あり得ないのだから、やっぱり、野党共闘・連合路線しかないだろうなあ。
もっとも、魑魅魍魎的、有象無象的に興亡を繰り返してきた野党とは違うのだから、「孤高」のままでも、それは それで やってけるんだろうけど。
少なくとも、「確かな野党」であろうが「永遠の野党」であろうが、生まれては消え、という諸々の野党と比べりゃ、間違いなく必要な政党、とされる立地は確保できているわけだ。
あとは、
「わが党に、これまで以上の経験を積ませてやりたい」という志位さんの悲願も あろうかと。
ま、とにかく、共産主義や共産党に対する、私も含めた一般的な国民のイメージは、学問的知識に裏付けされているものでないことが殆どなのは、それに違いないと思しいけれど、事実として、世間に知れた事件等が影響している面が大きいのであれば、そこは、共産党関係者は、重々踏まえて、「総括」とか言うの?必要な反省点(たとえば、「冷戦」時代に、自国の情報を、思想的に通じる体制の他国へ漏らしていた?)を直視したうえで、分析と、今後の戦略を練ることだね。
いまの日本の政界で、フラフラせず、「軸足」をシッカリと地に つけているというだけでも貴重な存在だ。
でき得るならば、せめて、単党のままでも、ジミン党に圧を かけていけるくらいには伸びるべきだと、そうなれば、『公明党』なんかよりも、よっぽど期待できるのにと、私は思っている。