2024.01.12 (Fri)
先回のエントリーでも少し言及しておいた『羽田』空港管制塔の問題について、少々追記。
そもそも、
一つの滑走路に一つの機体のみ、
というのは、業界に おいて、基本も基本のルールだということらしいのだが、それを、きちんと履行していたのか、履行は無理だったのか、という問題が あるようだ。
しかし、
このことは基本中の基本事項であるというのなら、管制官から許可を出されていないのに、機長らの勝手な解釈や判断でもって、滑走路内へと入って行っていいわけが ない、はず。
そのへんの、指令のコトバを誤解する余地が あったのなら、何のための英語オンリーなのかいな、とも思ったけれど、
やっぱり、「ないはず」のことだからこそ、管制官も、そんな事態が起きているとは、全く想像していなかったのでは なかろうか。
そうでは なくて、
実のところは、羽田空港に おいて、わりと頻々という感じで起きていた事態だったのならば。
まず、この両極の状態しだいで、私が先日に指摘しておいた「モニターの警報音」機能を付けておくべきだったのか否かの判断も分かれてくる。
もちろん、私自身も、およそ管制塔の内部事情などは知らないのだから、あの、いかにも特殊な内部に おける警報音というものが、どの場合に、どれくらいの頻度で鳴り響くようになっているのかなど、全く知らない。ただ、
あのような事故を引き起こす原因になったミスが、めったに起きる事態では なかったのか、それとも、わりと頻繁だったのかで、管制官の構えや姿勢も変わってくるはずでは あるまいかってこと。
「ヤフゴミん」の誰かが、「原発施設では」と、警報音の煩雑を引き合いに出していたが、それと同列に語っていいのか どうかということと並んでしまうかもしれないけれど、
私は最初から、警報音では不都合が あるのならばと、たとえば、枕を振動させる機能によって電車の運転士を時間どおりに起床させるための目覚ましが あるという話を思い起こしていた。
これは、私自身、聴覚障碍のせいで、ほとんどの時計の目覚まし機能が利用できず、かつて、出勤への不安のあまり、不眠症を悪化させた あげく、あちこち探し回って、やっと見つけたのが、セットした起床時間になると、振動して知らせてくれる目覚まし時計。これを一つ持っていることから連想したわけだけれど、
まあ、それでも、管制官を、どのように、振動で気づかせることが可能なのか否かということは、その方面の技術者にでも問うしかない。
ま、とにかく、
いまのままではダメだということだけは、どシロウトにも明らかに分かるわな。
それで、
滑走路監視モニターの表示色の変化みたいな機能をもって「警告」の代わりにしていたという、これまでの方法では、一人の管制官が注視し続けているわけにも いかないから、とりあえずということなのか、専用に監視担当者を配置する、みたいな話が出てるらしいが、それも、無理じゃないのかなあと。
だって、一つの画面や何かを、じーっと見詰めていられますか?
なんにもオモシロくもないのに、集中が続きますかね?
私だったら、おそらく、つよい睡魔に襲われるわ。
どんなことにも言えるのだろうが、
一人の者の采配能力に全振りで依存してはダメでしょってこと。
こういった、えてして上層部の「甘え」や「タカ括り」が下部の者に無理押しされる、日本では まかり通りがちな傾向じゃないかと、常々思っていた。
そう言えば、
うちの母親が、ごく若い頃、大手の製薬会社で、目薬か何かを目視でチェックするアルバイトに行ってたことが あるらしいんだけど、その話を思い出したわ。
なので、大昔の話では あるけれど、
上のほうから、ポタリ、、、ポタリ、、、
ポタリ、、、
と、間を置いて、一滴ずつ、ゆっくり ゆっくり落ちてくる薬液を、ひたすら延々見詰め続ける、そんな業務だったそうな。
さすがに、母親も、長くは勤務できなかったと言っていた。
次は、
とある小学校での女子児童の着替え時に、男子が、タブレットのカメラ機能を利用したという盗撮案件。
そもそも、学校でのタブレット配布が持ちあがった当時には、盗撮という事態は、さすがに予想していなかったと思うが、また別の様々な角度から、反対の声も少なくなかったようだし、私自身も危ぶんでいた。
まあ、こういったツールを使いこなせるようにという目的を理解できないわけじゃないが、
いまどきのように、パソコンだスマホだタブレットだ、といった類が、一般には全く存在していなかった時代でさえも、いわゆる「ませガキ」タイプは いたのだし、
私も、友人にも、同年配や、少しだけ年長の、主として男児からの性的な行為を向けられたという大なり小なりの不快な経験は、めずらしくも なかった。
ただ、現代では、昔なら考えられなかったようなツールを、子どもにも、むしろ持たせるべきだという考えや方針に疑問を持つことも なくなってきているうえ、
肝心の おとな自身らが、それこそ、モラルやタガを外しまくりで恥じも せずに ひらきなおってる風潮が、各界あちこちで堂々と まかり通ってると言って過言じゃないくらいの世相だから、そりゃ、おおかたの子どもは真似るわな。
どうりで、
「ハイティーン」どころか、小学生女子児童までが、「出会い系」とやらを利用して、おっさん相手も厭わず売春で小遣い稼ぎを目的に、ホテルへノコノコ出向くわけだ。
およそ性的な問題の殆どは、男子や男性側に顕著であることは、論を俟たないが、
かと言って、女児や女性側にも、問題が ないわけでは ない。
もちろん、男性のように、力づくで及ぶという狼藉は まだ ごく少ないし、主として心理的な問題のほうが大きいのだろうが。
そうそう、
私の出身高校なんてね、地元じゃ、名士や裕福層の子女が通う「お嬢さま学校」として伝統あると知られていたはずなのに、
自分が実際に入学してから、アッと驚くことが何度も あって、
「どこが お嬢さまやねん」
と、たまげたり呆れたりした場面が幾つも あったものだが、
いまでも、のっけから驚いた場面の一つをハッキリ思い出すのは、
当時の校舎では、私らのクラスからは、そのときの教室の外壁側の窓と ほぼ同じくらいの高さに あった、近くの高架線路を走っていく電車が、ちょうど平行状態で眺められるので、距離は、ある程度は遠いのだが、車内の乗客と、こちらの教室内と、お互いに、見えることは見える。視力の良い人とか、それこそ、オペラグラスみたいなものを利用したら、かなりハッキリ見えただろうなと思うのだが、
で、
体育の授業の前後に着替えるでしょ。
その前に、一部の生徒らが、まず、カーテンと窓の全てを、全開にするのだよw
そうして、窓の そばにある椅子の、その上に、わざわざ立ちあがる。
あたかも「お立ち台」のようにして。
それから、向こうのほうの高架線路上を、いましも電車が走ってくるのを見計らい、
「たりらり~ん♪」
と、鼻歌を洩らすようにしながら、
それっと一斉に、上着やブラウスを脱ぎ捨て、スカートを下ろして、
下着姿を、世間に大公開しながら着替えるのですわww
もちろん、それは まあ ごく一部の(?)、授業中に、教師の目も憚らず化粧直しを堂々と やってのけるような、おつむがパープリンな生徒だけです、そんな恥ずかしいこと やるのはwww
私は、しませんでしたよ、もちろんです!けっして、やってません!!
まあ、いちおうの進学率だけは高かったものの、
だいたいは、エスカレーター式に進学できるものと安心しきってる子らが、そういうことを やって悦んでたわけで、
エスカレーター式に満足せず、敢えて外部へ進学するつもりの子らは、真面目かつ行儀よく、ハメを外すことなく やってるという、ほぼ真っ二つな傾向だったなあ。
でも、
結局、私らの時代が、母校の歴史上、最悪の時代だったらしくてw
近年は、たまに、後輩たちの登下校姿など見かけることが あると、
「私らのときみたいにチャラチャラしてへんなあ~エライやんか」
と、感心するようになった(苦笑)
すまぬ、後輩たち
ああ、そう言えば、
家庭科の授業で、あるときに、育児に関係する内容が出てきて、
担当の中年女性の教師が、教壇の上から、ふと、
「みんな。おかあさんのオッパイは何のために あるのか知ってるよね」
と、にこやかに問いかけた とたんに、
「パパの ためぇ~♪ 」
と答えて、
「違うでしょっ!あかちゃんのためでしょっ!!
」
と、真面目そのものな先生を激怒させてたことも あった。。。w
むろん、私では ありません、先生を怒らせたのは。
私じゃないよ!間違いない!!
いやはや、
あの彼女たちだって、いまじゃ、そろそろ お年頃に なんなんとする孫の一人や二人いてもフシギは ないわけだ。
そりゃそうでしょうよww
ちなみに、
わが校では、先生と生徒が卒業後に結婚した事例が幾つも あるということは知られていたし、
私の同学年の一人は、事実、卒業と同時に結婚したらしい。もっとも、お相手は、聞くところでは、うちの知人関係の青年で あって、先生では なかった。
18歳で花嫁となった彼女は、いたって地味で真面目な生徒だったようだが。世のなか、案外、そんなことも あるわね。
ところでさ。
もともと、生育環境の影響から、親父や兄といった、男の家族を嫌悪していたことも あり、「ティーン」に近づくにつれ、だんだんと、同級生の男子らに対しても、多少、不愛想だったり、ケンカ腰だったりする傾向も あったかと、われながら思うんだけど(ついには、「女番長」という仇名が。苦笑)
過去エントリーで触れたことが あったように、私自身、すでに小学生も高学年時分には、成人女性と間違えられるほどの身長と体格で、雰囲気も大人びていると言われるタイプだった。
そのせいで、人並み以上に、性的な被害を被りやすい傾向だったのだが、
学年が上がるにつれ、男子だけでなく、女子からも、好奇の目線で見られることが多くなったのが鬱陶しくて、体育の授業前後に着替えるときなど、クラスじゅうからジロジロ見られるのが厭で厭で、思いあまって、母親に訴えたことが あった。
うちの母親は、『PTA』活動なんかにも熱心で、校長を始め各先生たちとも親しい間柄だったりしたので、わりと、意見を通せる立場だった。
特に懇意だったのが、たまたま、当時の担任だったことも あり、悩みを伝えてくれたのだが、ホームルームと言うか学級会の時間に、着替えは男女別にしてほしいという、私の希望を取りあげて、担任から皆に、思うところを聞いたとき、男子からも女子からも、意外なほど咎めるような意見が続出で、しまいには、ベテランの男性教師である担任にも、
「おまえ、そんなに厭かぁ?」
気にし過ぎ、考え過ぎじゃないのかというふうなことを言われたので、私も、シュ~ンとなって、すごすご引っ込めた。そんなことが あった。
いまの時代なら、おそらくは、もっと深刻な性被害を被ったことであろうけど、
男女別の着替えは、すんなり通ったのかもなぁと思った しだい。