2021.04.04 (Sun)
まずは、芋虫と蝶の話から。これは、懺悔である。
このエントリーも、ずいぶん前に下書きしたまま放置していた。
もはや春となり、話の内容に ふさわしい季節だ。
さて、私は、爬虫類とか甲殻類、また、およそ「虫」と付く類の生物が、大の苦手。
それなのに、
小学生のとき、理科の授業の一環だったかと、ぼんやり憶えているのだが、
春先の或る日に、校外の近所にある畑へ(当時は、まだまだ田舎の雰囲気だった地域で、田畑や原っぱが多く残っていた)、担任教師に率いられ、クラスあるいは学年全員で繰り出し、
そこ ここに植わっている農作物の葉っぱなどに とり付いている、小さな芋虫を観察し、また採取して、校内へ戻ってきたことが あった。
そのおりに、あらかじめ用意しておいた適当な容器のなかに、キャベツの葉などの餌を敷いて置き、蝶の幼虫である芋虫を飼う方法を教わったのだということも、うっすら憶えているのだが、
先述したように、大の「虫」嫌いの私、
別の日の授業中だったか、やはり、芋虫の実物「サンプル」として、担任教諭が、クラスじゅうに見せて回り、触れたい子は触れてもいたので、私も、なんとなく、かつ、思い切って、手を伸ばし、そっと触れてみた瞬間、ほぼ反射的に、小さく叫んでしまい、担任の女教師に たしなめられた事も あった。
それなのに、だ。
何の気まぐれでか、
採取した芋虫の一匹のみを、持参してきた容器に入れて、自宅へ連れ帰り、そのまま、飼育を開始したのである。
緑色した、小さな、おとなしい芋虫だった。
最初のうちは、まあ、真面目に世話を していたと思う。
しかし、もとより苦手な対象だったはずで、興味が薄いのである。
幾らか日数が過ぎてからは、芋虫の餌にするための葉っぱを新しくしてやることを怠けるようになった。
そういう状態で、しばらくのあいだ、全く放置してあったのだが、
春も深まった、ある日のこと。
室内の窓際のカーテンの襞に、小ぶりな白い蝶が一匹、静かに息を つくように留まっているのを見つけた。
窓の隙間からでも入り込んできたのだろうかと、最初は思ったのだけれど、
ふと思い出したのは、放置したままの芋虫のことである。
急いで、ようすを確かめようと、容器の蓋を外しにかかったが、
その容器というのは、
もとは、たぶん、海苔などの乾いた食品が納まっていたのであろう茶筒型の、わりに大きさと厚みのある半透明プラスチック製で、とは言っても、内部は全く見えない材質なので、もちろん、外からは、なかを見通せない。
その芋虫のための空気を通すよう、あらかじめ、小さな穴を開けておいた蓋を取り、じかに覗き込まないかぎりは。
蓋を開けてみると、案の定で、とうに古くなったキャベツの葉の臭気などがプンと漂ってきた。
ほんの数枚の萎びた葉っぱを上から眺めただけでは、居るはずの芋虫の姿は見えない。
恐る恐る、葉を めくってみたが、見つからない。
すべての葉を裏返し、
しまいには、全部を取りのけて、狭い容器の底まで確認したのだが、
芋虫は消えていた。
この事実を確認し、なんとも説明の つかない、怪訝な思いに耽っているあいだに、私に見つかってからも、小さく羽を揺らして、それでも まだ、カーテンに留まっていた白い蝶は、いつの間にか、こちらも、姿を消していた。
薄情な私を許しておくれ。
汚れなき白き、小さな無垢な蝶よ。
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次は、カゼと嗅覚のこと。
カゼひくと、鼻が鈍く、ってのは、世間で よく言われるよね。
ところが、その逆の現象が ある。
鼻が、よく利いてるところを みると、さては、カゼぎみだな?とw
これ、私自身のことなんだけど、
長年、自分でもフシギに思っていて、あるとき、ふと思い出し、私以外にも、同じような経験してる人は いるのかなぁと検索してみたら、
全く同様の事例は見つからなかったけれど、ただ一件だけ、
「体調が悪いからこそ、鋭敏になるのでは ないか?」
という説を掲げているブログさんが あった。
ん、なるほどと思いました しだい。
このリクツで いくとですな、
長年、体調最悪だった頃に、いわゆる「金縛り」現象などに頻々と見舞われていたと同時に、「予知夢」の類までも増加していたことの理由が説明できるように思える。
あらためて ことわっておくけど、
私は、聴覚障碍のことは別次元のこととして除いても、恥ずかしながら、いわゆる五官というもの全般が鈍いほうのタチであるw
視力だけは、小学生時分までは、両眼とも1・5くらいを保持していたのだが、中学生になってからは、「仮性近視」になっていることを、専門医から告げられた。
おおかた、本を読むときの姿勢が悪かったのだ、といったことを、親らに指摘されたが、その親ら自身、もともとから乱視だったり、目が弱かったり。なので、
早晩、子である私の眼にも、何らかの遺伝的影響は現れるのが必然だったに せよ、
たしかに、視力が低いというのは、なってみれば、甚だ鬱陶しいもので ある。
しっかり見ようとしても、どうにも見きれない、
さりとて、あまりに近くに、おのが眼を近づけると、かえって、雨滴しとどと流れて滲み ぼやけるフロントガラスの状態となり、
近づいても、もちろん遠くても、ピントが合いにくい、この もどかしさ。
諦めて、「見ぬもの清し」という現象を受け入れ、実感せざるを得ないことでも ある。
聴覚の場合も そうなのだが、必要性に迫られて自覚しないかぎり、もう他人事のように ひらきなおっているしかないようなことでは ある。
私の場合、嗅覚が、これまた甚だ鈍いときている。
ところが、、、なのだ。
このあたりに まつわる話を、過去エントリーで述べたことが あった。
ご興味を感じられた向きは、読んでみてくだされな。