2021.04.11 (Sun)
これは、『皇室』の人たちだけでは なく、そもそも、この制度に賛成しても いないのに、生まれたときから否応なく加担させられている国民にとっても潜在的な問題なのだ。
ほんとうなら、敗戦後に、その手続き、ならびに『昭和天皇』の退位を行うべきが筋だったのだろうが、
戦勝そして統治側となったアメリカの計算や思惑も大きかったらしくて、なんだかんだと、現代まで残し続けてしまった。
いまだに、時代錯誤という以上にも、おのれの幼稚さと思考停止を自覚できない、これは特に「ウヨ」系の専売特許みたいなもんだろうけど、
私は何度も言ってきたように、
「女性天皇」は、あくまで「中継ぎ」的存在として、歴史上の記録が あるので ともかくとして、
「女系天皇」も認めて然るべきと主張する者らも含め、問題の本質が全く理解できていないような人が多いと見受ける。
なぜなら、何度も指摘してきたように、
『昭和天皇』みずからも言われたように、日本の「ファンタジー」として、ずっと伝えられてきたところの、
「男系」ならびに「万世一系」という、まことしやかなタテマエ。
これを、堂々と、というのは、タテマエでなくと言う意味で、なくして いいんだ、ということにするのならば、
「天皇と皇室、その一族を、良くも悪くも特別扱いして、これからも永遠と存続させていくだけの価値あり、とする理由」
が成り立たなくなるからだ。
だから、『皇室祭祀』と共に、根本が崩れてしまう、と言っている。
もちろん、温存・存続させる理由として、第一に、表向きのタテマエである「男系・万世一系」という、世に稀な伝統ゆえ、ということにしてあるのだが、
しかし、このタテマエ、表向きの理由を取っ払ってしまうのならば、そこには何が残るのか?ということになるのだ。
かの『源氏物語』の場面にも示されているように、自分の子でない者を、実子として、将来の帝として育てあげなければ ならなかったという事例は、陰では、いくつか あったのだろう。
もちろん、権力ある男性側は、当然のように「側室」や妾を何人も保有し、そのなかには、「平民」庶民でありながら、「お世継ぎ」を産んだ女性も いただろうし、こんなことは珍しくもなく、それどころか、女性側が主役となって、「不義の子」を黙って産んだ妃も いたかもしれない。
そういったことは、すべて、「タテマエ」「表向き」という屏風の陰で処理されてきたわけだから、当時から現代に至るまで、庶民国民の知るところでは ない。
もちろん、リクツや心底では、そのようなことも あり得るで あろうと、なんとなく分かっているのだけれど。
ともあれ、すべては、こちらに向けられている屏風絵に描かれた物語のとおりである、ということにされてきた。
この屏風は、やたら古びているだけで、あちこち剥げており、何が描かれているのか判然としなくなって、穴さえ幾つも開いている。
さて、その屏風を取っ払ってしまったら、そこに何が残るのだろうか、
私は、それを指摘してきたのである。
いくら修繕しても、使い物にならなくなった破れ屏風を、思い切って捨ててしまうか。
そのあとには、出来たてホヤホヤ、ペンキ塗りたてみたいにテカテカの屏風を新調して据えるのか。
ならば、屏風を新調してまで置き替える理由は何なのか。
「タテマエ屏風」が ないと、この国の民衆は、まともに生きていくことすら できなくなるのか。
高く高く磔にされた「理想の日本人」「理想の一族」「理想の家族」……
その偶像が掲げられてあるかぎり、偶像以外の「日本人」は、みずからが「理想」たろうとする努力や苦労、失敗の呵責を免れる。
しかし勿論、偶像に責任を とらせるはずも ない。
偶像は、いつでも、いつまでも おとなしくしているもので、みずから動き、自己主張や不平不満を言うはずが ないのだ。
その昔には、確かに権力を持っていた偶像。
現代では、権力は、特別待遇・優遇へと変化した。
恐れおののく必要は なくなった、その代わりに、「最高級の生活保護」と誹られもする。
最も「高貴」(?)にして最低、と嘲られる。
さて、
例の小室圭さんの「論文」ね。
どうも、良い成績は得られそうにない情況のようだが、
まずは力作ぶりが あらわれた長長尺という評判もあり、
それもあって、私個人は、あまり、気が進まず、やっと一部だけしか読んでないから、この一部についてしか言えないのだけれど、
いわゆる識者たちも含めた、多くの人たちの感想は、やはりと言うか、
「みなまで言うな!」
なのよね(苦笑)
でも、これは、良くない。
たいがいウンザリしてもね。
出すもんは出して、すっきりさせとかないと、溜めたままでは禍根を残す もと。
ほら、「嘘が服着てる」みたいな人って、話せば話すほど、ボロや人間性が垣間見えるでしょ。
だから、どんどん話してもらうことだよ。
私なんかは「情に訴え」「ほだされ」という感覚が薄いほうのせいかw、
一般的な日本人感覚とは多少異なっているところが あるのか、
それは違う、本当は こうなんです、と言いたいことが あるのなら、まさに、
「みなまで申せ」
と言ってやるタイプなんだけどもw
「情に訴えて」うやむや、あとは曖昧に模糊模糊おぼろ。。。
というのは、私の性には、どうにも合わんもんでw
だって、
ある程度は、しっかり説明してもらわないことには、こっちだって、できるだけ公正な判断しにくいがね。そうじゃない?
本人なりに、溜まった言い分も あるだろうし。
しゃべれば しゃべるほど、透けて見えるものが出てくるんだからさ。
そう言えば、
北欧の、どこかの国の王太子だった人が、非常にスキャンダラスな(刑務所に入っている前科者の男との あいだに生まれた男児の母親、つまり連れ子ありで、本人自身も、麻薬常習などの甚だしい問題が あった、という)一般国民である女性と結婚したいというので、多くの国民が、「王室廃止」を言い出すほどの嫌悪と怒りを示し、王太子の両親である、当時の国王夫妻も、当初は反対していたらしいのだが、
くだんの女性が、公の場にて、王太子と、なんとしても結婚したい、これからは、心を入れ替え、妃として ふさわしい生きかたを するから等々といった内容を、涙で顔じゅう濡らしながら必死に訴えたというので、まず国王夫妻が折れ、そして、国民たちも、ついには受け入れた、ということが あったようだ。
やはり、
「われわれと同じ自由が許されるのなら、われわれの税金で特別な地位や待遇を与えられていることに納得いきません」と、現地の人が不満を言っていたのを見たことが ある。
私は、いまは王妃となっているであろう女性側の私生活の問題以上に、
そんな女性と親密になった王太子の乱れた生活ぶりのほうを訝ったものだけれど。
その事例は、女性側が、王室に嫁ぐわけだから、連れ子ありでも、なんとか認めてもらえたのだろうが、
ましてや、いまでは、王女も、長子であれば、王太子となり、国王となるシステムになっているらしいから、
くだんの国でも、そうなっているのであれば、
もし、逆に、王女が、よりによって犯罪歴のある、庶民の男と結婚したいということだったら、もっと大騒ぎになり、認めてもらうのは、もっと困難だっただろう。
さてさて、
小室さん側に、言ってあげられるとしたら、まずね、
およそメディアというのは、ましてや週刊誌ともなると、たいがい、「盛る」ものですからねw
むかし、誰だったか、当時まだ若かった女性の作家さんだったかな、
「あっと言ったらカッと書かれた」
ってねww
先述したように、
「みなまで言うな」というのが、大多数の日本人の好むところなのよ。
ということと、
「借金じゃないんだ」ということに、小室さんは、やけに拘っておられるのね、ということ。
ここにも、大多数の人たちとの感覚のズレが出てるようだ。
要するに、
借金あるいは、「もらった」にせよ、そのこと自体を咎めるよりも、
それを返したのか、あるいは、相手に請求されて返してあげたか否かに拘ってるわけよ、この国の大多数の人は。
【続く】