2021.04.18 (Sun)
敗戦の日本を、どうとでも調理できたであろうアメリカは、あらゆる角度から検討して、利益効率やらコスパ計算を もとにか、『皇室』を残すことをも許した。
かたや、
悲惨な負け戦が明白となっても、なお、「そこを なんとかせよ」的に未練がましかった『昭和天皇』は、ついに決行された『特攻隊』の一報を聞いて、心痛めるよりも大いに歓んだそうだが、あえなく完膚なきまでの敗戦をもって一転、「人間宣言」を行なったあとは、日本人のなかで最も忠実な、アメリカのシンパと化してからも、なお『現人神』気分が抜け切らなかったと見えて、性懲りもなく、『沖縄メッセージ』など発していた。
過去エントリーでも紹介したが、
あの時代に、南方の戦線へ赴かされて、上官たちの夜毎の宴会を横目に、食うや食わずの死線を さまよった とある若かりし兵士は、年老いて、重い病身の声を振りしぼって叫んでいた。
「えらい人は、責任とりません!」
あの時代を知らない、経験していないアナタたち、このこと、決して忘るべからず、とて。
けじめ、潔さといった、「日本人の美徳」なるものを口先に上せつつ、
実際には、曖昧を好み、常に、責任回避、先送りに先送りを重ねて、
ついには何が何やら五里霧中となるに まかせるのみ、
この特徴たるや、「コロナ禍」の今においても、上から下までズズズィ―っと、日本の特徴としての背骨を保ち続けている。
さて、
『「アベノマスク」評価は? 全戸配布開始から1年 使用3.5%「意図伝わらず」』4/18(日) 7:36最終更新:16:18時事通信
https://news.yahoo.co.jp/articles/ade90d22204f752756d85d42f616d6d8db33c7b0
あれが うちにも届いた頃には、マスク自体の衛生状態の問題が指摘され始めていたから、もしやと危ぶみ、パッケージ越しに目を凝らして確認してみたら、やっぱり、何やら黒っぽい粒のようなものが付着していたので、もし使うなら、一度は洗浄してからになるなあと思いつつ、そのままになっていると、過去エントリーで述べておいたけれど、
上掲記事にコメントしてる者のなかに、
例の小室さんに税金が流れるのが嫌だとか大騒ぎするけど、政治家が、その何百倍ものカネを、出せるはずの証拠も一切出さないで、のらりくらりと誤魔化して逃げることは何故、平気なんだろう、
と投げかける者が いるのだが、
それは、ちょっと了見違いというものだ。
まず、それと これとは、単純に同列扱いにできないということも言えるのだが、
先日の当ブログ エントリーでも指摘したように、
「政治屋の悪さ」の陰には、ほぼ必ずといっていいほど、自分個人にも大なり小なりメリットが もたらされるから支持する、という個々のシンパが いるわけで。
要するに「私利私欲」なのだが、
あるいは、「地域の発展のため」等々といった大義名分を掲げて隠れる。
そういう者たちが、「コアの支持層」の一角を構成しているわけだ。
だから、
私利私欲や大義名分信奉者を代表する政治屋が、「悪いこと」を すれば するほど、「悪いこと」が大規模であるほど、
それによって、何らかのメリットを享受できる者らの、そのメリットの大きさや規模も膨れあがっていく。
そして、ますます、支持層を強固にしていくから、
「なぜか」、選挙に出たら当選する、という、「メリット」の外にいる人には、どうにも怒り心頭な結果になってしまう。
腐れ『自民党』は、この図式の最大にして典型的見本。
しかし、
小室さんの場合は、いちおう、『秋篠宮』家の眞子さんの「婚約者」として内定されていると言っても、まだ、ほぼ一般人であり、中途半端な存在に過ぎない彼に、『宮家』なり『宮内庁』なりを通して、威力あるコネのみならず、血税から出た大金を投じて、強力にバックアップしたところで、
どこに、そこからメリットを得る国民が いるのだろうか。
当事者である眞子さんと『宮』家、その関係者、
誰よりも、小室さん親子以外に。
少なくとも、われわれシモジモ一般の庶民国民にとっては、何らのメリットどころか、小室さんたちに投じられる税金のことを考えたら一目瞭然で、むしろ、損害でしかなかろうというものだ。
だから、
メリットに無関係な国民は当然、「悪い政治屋」に立腹するのだが、
悪い政治屋にも かかわらず、その肩を持ち、当選させ続けるような支持者でさえも、小室さんの件については、同様に立腹するわけ。彼を利用できるモクロミが あるなら別だが。
それにしても、
子どもたちへの説明に窮する、といった声も多い、まさに「政治屋」と言うか、「オトモダチ専用ご用聞き」に徹し、その代わりみたく、弱い者イジメに励んだ安倍晋三という、前シュショウ。
小室さんと同列に語れる面が あるとすれば、
まさに、子どもへの教育上の問題が含まれ得るのだろう。
と言うのは、「犯罪スレスレ」な生きかたを してきたのであるらしい、だからこそ、「法的には」というスタンスから一歩も出られない小室さん自身の、おかあさんから直接の影響を受けるもとで生育した彼自身にも指摘できようことだ。
要するに、
「悪いことや狡いことを したら した分、それ以上にも良い見返りが あるんだな」と。
ヘンな「努力」や「因果応報」になってしまうが、
アタマが よく回る者や要領だけで生きているような「優等生」タイプほどテキメンに、見習ったり真似せずに おらりょうかというもんだ。
ただ、
小室さんのような、激しい「自己正当化」と言うのか、自分の体面を守る言いわけのような言動の徹底ぶりは、近頃の若い男性一般にも顕著な傾向のようだと、私は見受けてきていたのだけれど、
まあ、これは、振り返って思い起こせば、私自身の若い頃でも、当時の20歳代前後の男性に、わりと、よく見かけるタイプだったようにも思う。
だとすれば、
若い男性に特徴的な「自己愛」「自己防御」傾向なのかも しれない。
若い頃には若い頃なり特有の、脆い体裁を繕うミエは あるもんでね。
その分、
小室さんにも見受けるような、俗な価値観に裏打ちされた、「見せびらかし」的行動にも励むことになる。
表面には出さなくても、実はコンプレックスが深い人ほど、そうなるようだ。
皮肉なもんだよね。「中の鳥」は出たがり、「外の鳥」は入りたがる。
たとえば、
先日も少し指摘したように、
現代の『皇室』『皇族』の構成員である女性については、昔なら、「正室」となるのは非常に難しかったであろう、本来は縁薄い層から嫁がれた、美智子さまと紀子さまの場合、どちらも、嫁いだ お相手の『皇太子』または『宮』さんに対する恋愛感情という私的動機が、始めから大いに伴っていたというところが、最も重要な基礎的共通点であるということだろう。
だから、香山リカ氏が指摘しておられたような「過剰適応」も辞さないくらいに頑張れるわけで。
辛辣な指摘だろうけれども、
ある程度は恋愛感情が伴ってこないと、いかに「名誉心」旺盛なタイプであろうとも、『皇室』のような、あまりに息苦しさが予想されるほどの家に入るとなると、やはり、お断わりされてしまう。
あとね。
いまの『天皇』さんの一人娘であり一人っ子の愛子さんを、「女系天皇」に!と、ここぞとばかりに喚き続けてる連中。
どういう組織に属してるのだか、はなはだアヤシイし、いや、個人の考えに過ぎないとしても、
世論で圧倒的だというのが事実であるなら、つくづく、日本人は愚かで ある。
それこそ、「ヤフゴミん」の誰かが言ってたように、「学級委員を選ぶ」みたいな感覚で、「向いてる」かどうかで決めようぜ、というのも、ひどく履き違えた主張だ。
第一ね、
彼女だって、まだ学生、これからの人なのであり、今後どうなるとも言いきれない。
『皇室』『天皇制』を温存してきた、表向き最大の理由である「世界に稀なる(男系の万世一系の)伝統」とやらを覆して、最初の「女系天皇」になるなんて、ぜったい厭!と おっしゃるかもしれないのだし、
私には、愛子さんも、「向いてる」ようだとは、あまり思えないし、彼女も、ストレスに強いタイプとは言えないようにも思う。
それでも、無理強いできるのかな?
それこそ、眞子さんと同様なトラブルが起きないという保証も ないのだしね。
また、
もしも、愛子さんに就いてもらうとなったなら、それは、
歴史上にも存在したという「中継ぎ」的『女性天皇』で終わらず、
ことに、変化を嫌う国民性でもあるから、なんだかんだ、このままでイイじゃん、続けていこう、という風潮になる可能性は低くないと予想する。
一から引っ繰り返して、「女系天皇」を認めるなら、『皇室祭祀』についての伝統的ツジツマを、どうするのかな?
いや、これからは、遅まきながら、「政治と宗教の分離」を実現すべく、『皇室神道祭祀』も、なくしてしまいましょう、とするのかな??
そういった、あらゆるツジツマの合わなさのことを考えるにつけても、
やはり、『令和』で終わりで よいわ、という意見に、私は軍配を上げる。
「天皇の前にあっては、人々は平等だから」などと、あたかも、「苦しみを一身に引き受けた、イエスさま」めいた、なんだか『キリスト教』みたいなリクツを付けようとしても、残念ながら、
「現人神では ありませ~ん、人間なんですぅ」と宣言済み。
では、「人間」とは、いかなるものか。
一皮むいたら、あの「皇室芸人」がオチ。
ま、だからこそ「縛っておく」わけでも あるのだが。
『秋篠宮』さんたちが、いまの日本国憲法で謳っているところの「基本的人権」の理念と適用を盾に、ご自分たちにも然るべきと望んでおられても、そりゃ無理が あるに決まっている。
誰が聞いても考えても、理由は明白。
『天皇制』『皇室制度』なるものは、どの角度から見ても、必ずや、矛盾と無理が生じる。
それを承知で、どうにか こうにか、アクロバット的に押し込んだのが、
「象徴である」「国民統合の象徴」
という、ケッタイなヘリクツだ。
けじめを つけなかった『昭和天皇』の代わりに、「贖罪」的色彩を帯びた活動を続けておられた、前『天皇』ご夫妻、そして、最後の「正統」的「男系」として、『令和』の『天皇』位に就かれた、現『天皇』。
ある意味、ここいらでキリの良いところ、とも言えそうだ。
もう、解放してあげましょうよ、とも思うのである。
この『天皇制』だの『皇室制度』などを戴き続けているかぎり、
日本の、日本人の曖昧好み、五里霧中の、あとはオボロ好みは直らない。
「中空の空白」なる便利な乱れ箱のなかへ、とりあえずポイポイ放り込んだままにする癖が直らない。
政治も民衆も。
無責任は続くよ、どこまでも。