2021.04.16 (Fri)
『女の子の横断のために一時停止中にトラックが追突 バイクの男性
死亡』4/15(木) 0:38配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/7f0a5bcfa993eeeb2e23a5b1f67e674399889505
この痛ましいニュースについて、
『ヤフーコメント』投稿者の一人が、
「横断歩道と信号はセットじゃないと こういう事故が増える」
と指摘しているんだけど、
残念ながら、そうとも限らないようだ。
私が、最初に一人暮らしを開始した街は、大阪府の北部に位置し、すぐ隣は昔から府内有数の高級住宅街だったんだけれど、その近辺の地域も、府外から遊びに来る人々も多い、風光明媚な大規模公園に続くだけ あって、地元の人に加え、東京方面などの大企業から赴任して来ている、裕福な人たちの住まいである高級マンション等が建ち並ぶ街で、
大きな国道が貫いている途中の何ヵ所にも、きっちりと、信号が設置されている。
ただ、メインの通りを少し外れると、もともと閑静な地域だけに、意外と、人に行き遭わなかったりすることも少なくない。なので、夜間は、けっこう危なかったりするし、私自身も、仕事帰りに襲われかけたことが ある。
私は、引っ越して来て、まだ日が浅い頃の ある日、そんな信号の ある場所の一角で、横断歩道を渡りかけて、肝を冷やしたことが あった。
もちろん、こちら側が青信号のときだ。
だから安心してと言うか、油断したと言うべきか、子どもの頃に教わったとおりに、「右見て左見て、もう一度右を見て」という感じで、もっと慎重に判断すべきだったのだろう。
高架道路の柱と街路樹の陰になっているような箇所の歩道上で、病身の身には それなりに重たい荷物を提げたまま、車最優先になっている信号が、歩行者側の青に切り替わるのを辛抱づよく待っていて、やっと、青に切り替わったのを確認してから1、2歩、道路に踏み出したとたん、私の すぐ前を、猛スピードで走り過ぎていく乗用車に、もう1歩でも進んでいたら、間違いなく、はね飛ばされるところだった。
もちろん、はね飛ばされようが、そんな車が、急遽停車して、乗ってた人が降りて来て、介抱やら救急車要請なんか してくれるはずもない。そのままトンズラに決まっとる。
警察が捜査したところで、犯人を突き止めることも、なかなか困難だろう。
こちとら、ただただ、轢かれ損だ。
数年後、手術を余儀なくされた病身を抱えて、長年、親と共に暮らしてきた実家のある南部地域へと、しぶしぶ戻ったのだけれど、
同時に、
そこでは、信号が切り替われば、それに従って行動することに、特段の ためらいや警戒など必要とせずに済む、以前の自然な感覚に戻ることが できた。
往々、『大阪』という地域については、府外の人々、特に東京、関東方面の人から、「色眼鏡で見られやすい」ということの実感は あって、
私なんかは、母親の おなかに居た頃から、母方の親戚が居る東京には なじんでいたことと、父親も関東の育ちで、これも東京にて過ごしていた時代が あるせいか、
私が、向こうの人たちと接すると、他人さんであれば、少し懇意になったとたん、ほとんどの人から、「本当に大阪の人?」と、イメージと雰囲気が違うなどと驚かれることが多かったのだが、
ちなみに、大阪に居ても、大阪の人か?と聞かれたり、長年の居住地に おいてさえ、地元の者じゃないだろうことは、最初から分かるみたいだ。
まあ、これは確かに、地元出身では ないし、
本来は縁も ゆかりも なかった土地へ、親の つごうで引っ越してきただけなんだけど。
以前に勤務していた職場の同僚男性は、ここいらでは珍しく、『栃木』か あのあたりの出身で、うちの親父と同様、仕事や結婚を機に、わりとトシくってから、大阪に居着いたケースだったので、あるとき、親父が『千葉』育ちだと知って、
「おとうさん、千葉だってぇ!?千葉の どこぉ??」
と、いつになく嬉しそうにハシャいで、眼を輝かせていたものだ。
ふるさとの なまり なつかし
ふるさとは 遠きに ありて
…
先述したように、
最初の引越し先の街は、東京方面から赴任して来ている家族連れの人々も多く、雰囲気は、同じ大阪でも、南部地域とはガラッと違う印象が あり、実際、住民の気質なども多少そのように見受けた。
まあ、地元の資産家の男などは、むかしの『大阪万博』以前までは、このあたりは鬱蒼とした竹藪だらけのド田舎だったんだ、と言ってたけど。
たしかに、私が引っ越した当時でも、竹藪は、まだ たくさん残っていたし、親戚が住んでいた東京や神奈川の雰囲気に、どこか似ているのも、低い丘陵の起伏や樹々の緑が多く、いかにも自然の豊かさを残しているふうでありつつ、まぎれもなく都会でもあるというところの共通性だろう。
ま、そもそもの昔は「首都」であり、街としての開発が、日本列島のなかでダントツに早かった「商都」大阪=上方から見れば、『東京』自体、とんでもないド田舎だったわけで。こんにち、首都となり、世界有数の大都会になってさえも、大阪に比べると、まだ緑が多い印象なのも当然だろう。
それでも、大阪南部地域は、いわゆる「ガラが悪い」といった、ある意味で、「大阪らしい」雰囲気濃厚な所、というイメージが根づよく あるようだが、少なくとも、自分側の信号が、とっくに赤なのに、猛スピードで、歩行者や自転車を追い散らしていくような狼藉者は、めったに いないのだ。
「東京の雰囲気」に似てる、「高級住宅街」らしく上品な閑静な、と言われていても、青信号の横断歩道を渡ろうとして、初めて怖ろしい思いを したのは、大阪北部の街だった。
ということで、
信号が あろうが なかろうが、
基本の交通ルールを守る気が ない者は、守らない。
それだけだと思う。
そういう者に合わせないと、かえって危険だということが実際になってくると、皆が、その狼藉者に倣う仕儀となる。社会は、悪しき変容を遂げるに至ってしまう。
とは言え、
私だって、自分側の信号が赤でも、四方の どこからも、誰も来ないのが確実だと判断できれば、急いでいるときは、青に切り替わるのを待たずにサッと渡ってしまうし、ゴチゴチの優等生なんかじゃないよ。
いまも、私が居住している大阪南部地域で、先祖代々と言っていいほど昔からの地元住民が多いことでは同様の近隣の市へ所用で出かけると、途中の広い道路に、大きな踏切の手前で、信号なしの横断歩道が あるのだが、そこを渡るとき、かつて、北部の「品の良い、閑静な」街で、肝を冷やした出来事を、いつも思い出す。
なぜなら、
そこを渡るつもりで立ち止まると、すぐに、ほぼ全ての車が、当たり前のように、静かに停まってくれるから。