2021.05.04 (Tue)
『一言二言の指摘と三言四言の憶測と』五言は小言?wの続き。
太古、先住民族の列島に、それよりも先に進んでいた古代『中国』由来の技術や文化を持って、朝鮮半島から渡って来たのであろう『天皇家』の「神話」に登場する女性である『天照』なる者が、家の長女として、かつ、家を統べる存在として、男子である弟『素戔嗚(須佐之男)』よりも、ずっと重きを なしていたという伝説には、古来『朝鮮民族』の家の習わしも窺えるようだ。
そもそも、『天皇』家は、身内どうしで、お定まりの権力争いをサンザンに経て、「武家社会」になってから このかたの長きにわたり、実権はスッカリ失っており、古代『中国』由来の文化的権威、というオモテ看板だけを頼りに(日本人の「舶来」好みの源流か?w)、ほそぼそと窮乏・貧乏生活を味わっているところを、今度は、同じ「武家」のなかでも、ド田舎のとか下級のとか、やっぱり貧乏な武士などの倅らにエッサ エッサ担ぎ上げてもらって、返り咲いた。
要するに、みずから「変化」し「変容」を遂げつつ、生き延びてきたのとは違う。たいがい、いつも「外圧」だったw
そして、大失敗して、またも、実権を取りあげられた。そして、またもやの外圧によって、現憲法に縛られつつ、特別優遇されつつ、いまだに生き延び、と言うか、生き延びさせてもらっている。
どのような栄耀栄華を誇った王侯貴族も、民衆に対し、理不尽、横暴を行い、その不満を招き続けたならば、やがてのことには、暴動が起きて、根こそぎ引っ繰り返されるときが来るパターン、これも歴史上の事実で ある。
たとえば、昔日のフランスの王家なども、かのマリー・アントワネットの事例に見られるように、表向きの婚姻は、あくまで国家間の、いわゆる政略上のことであるから、本人に残された、せめてもの自由恋愛は許容されるべきと見做されたという、
このことは、現代における『イギリス王室』のエリザベス女王でさえも、故ダイアナ元妃とチャールズ王太子、カミラ夫人の三角関係問題について、王侯貴族には当然のこととして昔から許容されてきたことなのにと、不満の内容を発言されたそうな。
ところが、当然ながら、時代とともに、人心も、規範の ありようも変わってきたわけで。
『皇室』だけは一夫多妻、「側室」制度を認めるべきだと、『三笠宮』家の故 寛仁氏あたりがブチあげられたところで、そんなことでは、とうてい、「国民の手本」たるを演じることは できず、したがって、国民一般からの敬愛を得ることも できは しない。
ヨーロッパ圏の王室は、みな親戚筋と言われるだけあってか、『ドイツ』の血を ひいていて、「純イギリス人」(?)などとは到底言えないエリザベス女王ご自身、そもそも、ご自分の気に入った男性と結婚された。
だから、ご本人は満足できて、その後、いろいろ あったにせよ、基本的には大いに納得されているはず。
それは、たまたま、女王の配偶者たるに違和感ない相手(もともと親戚筋であり、『ギリシャ王室』出身)であったことに負うところが大きいし、
ひるがえって、女王の妹マーガレット王女は、まだ独身であった時代に、側近的立場であった男性との不倫が発覚し、エリザベス女王を始めとした周囲や国民たちからの猛反対により、結局は別離を余儀なくされたという出来事が あったそうで、これは、その後のマーガレット王女の人生に、陰に陽に作用したものと思われる。
『イギリス王室』も、昔からスキャンダルだらけだわな。
女王の後継者である王太子チャールズさんも、人気はイマイチ薄いそうだし。なぜなのかは、自覚しておられるんじゃないかな。
ちなみに、
例のヘンリーさんメーガンさん御夫妻が訴えていたという、内外からの「人種差別的」言動に対し、自分たち夫妻を守るような、王室からの擁護が なかった、というふうな不満の発言について少々。
これはね、イギリス王室の気風みたいなものらしくて、王室の一員である男性が、同性とパートナーとなったことについてのインタビューによると、王室メンバーたちは、それぞれのことについて、わりと無関心でいることがアタリマエなのだという、意外な内容を話しておられたのを読んだことが あるよ。
たぶん、メーガンさんたちのことも、その域を出ないようなことだったんじゃないかな。
エリザベス女王は、周囲に対して、とにかく「良い子にしてなさい!」としか おっしゃらないそうで(笑)これも、紀子さまのような「過剰適応」のうちということなのかもしれないけれど、
要は、基本的に納得しておられるからだろう、
まずは好きな男性と結婚して、一女性としての幸せは満たすことが できた、それから、自身が、国内最高の地位である『国王』であるということに。
だから、『王』である自分の役割を果たすこと、果たしていると示せることを迷いなく、第一優先にしてこられた。
そして、
やはり、「民を王となす」に至っているのは、日本の『皇室』と同様だ。
身分差どころか、女王の お孫さんたちは、かつての植民地『インド』の血も ひいており、人種の異なる妃も誕生した。良いも悪いも ないが、もう何でもアリが現実だ。
こうなると、とことん「お行儀良く」していること、「模範的」な ようすが第一の、唯一の資格条件になる。
各国のメディア、当の日本国内の政党もメディアも そうであるが、
特に「リベラル」的論調をウリにするところや、現代の良識的潮流として論じるメディア各社には、『皇室』特有の事情も、よく踏まえておいてからにしてもらいたい。
この事情というのは、もちろん、「皇室祭祀」のことが絡んでくる。
私が何度も言及してきた「皇室祭祀」の問題とは、比較的日常レベルの祭祀ではなく、代替わりのときの一大儀式のことを言っている。
和歌山県の『加太の淡島神社』も、男女が共に お参りすると、祀っている女神がヤキモチを焼くという言い伝えが あるとおりで、
性別に関わるタブー的な話は、この方面では、よくあるもののようであるが、
『天皇』の代替わりに あたり、この特別な、秘密的大儀式においては、「男系」にして男性の天皇でなければ ならないとされてきたことについて、それは本当なのかどうか、こんにちでは主権者でありながらも、われわれ国民にはサッパリ分からない。
なので、
その代替わり儀式を、身をもって体験された『天皇』さん自身が、「男系」の「男性」である必要性について言明されれば よいのにと、前の『天皇』さんの頃から、私は何度か指摘してきたわけである。
『皇室神道』の紛れもない主催者である『天皇』さんが、「男系」「男性」に拘る必要性なしと言うことも一切 しないまま、国民が主権者となっている現代であるからには、国民側で決めてくれたら よい、という おつもりなのだろうか?
そうだとしたら、
結局、大した意味も意義もない儀式なのだろうか、莫大な税金を費やすわりには。
かつて貧乏生活だった時代の『天皇家』は、こういう大きな儀式を、どうやって行なっていたのかしらん。
じつは、行なえなかったとか?
だったら、
この現代で、莫大な税金を費やしているのは、どういう理由なの??
本当に「古式ゆかしく」「伝統」に則ってるのか???
葬儀についても、前『天皇』さんは、それが大変で、『皇室』側にとっても、負担は大きいといった理由を挙げておられたようだが、
それなら、どこへも負担にならない程度まで、グッと簡素にすれば いいだけじゃん?と、私は思う。
このように、
当の日本人ですら、いや、もっと言えば、当の『皇室』『皇族』の人たちですらも、本当には分かっておられないのでは なかろうかと思しいところが ままあるのだから、
他国の人やメディアに、じゅうぶんな理解可能は困難であろうし、
それでも敢えて、この問題を取りあげ、「時代に そぐわぬ」旧弊どっぷり、男女不平等な日本を教化してやろうなどといった浅薄な姿勢で取りあげることは、厳に慎んでもらいたいものだ。
これは、「女系天皇を認めよ」と主張する連中が言うような「男系教(狂)の信奉」といった程度のものでは ない。
この問題の底にある本当の本質は、「男女平等」といった分かりやすいレベルのことでは ない。
この点は、結局のところ、いくつかの国の「王室」等が、なぜ、この現代に至っても存続しており、しかも、それを有難がる者が、『皇室』や『王室』をネタにする商売人のみならず、そのへんの「シモジモ」一般国民にさえ、少なからず存在し続けているのは何故なのかという、人類普遍の(ミーハー?w)心理と事実に踏み込んで直面しなければ なるまい。
ま、ヨーロッパ随一の王家とされているらしい『ハプスブルク』家も、また、かの『ブルボン』王家も、とうの昔に なくなったけれど、それは それで、誰も困ってないし、ということは証明されてるw
『皇室』に話を戻すと、
そもそも、愛子さんは、『天皇』になる予定は なかったからこそ、美智子さまの、愛子さんへの呼び方(呼び捨てらしい)にも、それが表れているのだろうし、いわゆる『帝王学』なんて教わっても いないだろうし、
ご本人のメンタル面も、母親である雅子さまのこともあるし、思春期の頃の「拒食症」も あったし、あまり強いほうとは思えないんだけど、
って、先日のエントリーでも言った。
だいいち、
やっぱり『天皇家』直系に限る!さっそく『皇室典範』書き直し!
では、愛子さま、どうぞー!!
と言われて、
ご本人が、
「厭ですぅ」
と おっしゃったら、どうすんのか?
無理強いするのか?と、私は問うているのだよ。
もしか、厭だということ自体、言っちゃいけないのかな?
それなら、男女平等以前の人権侵害だろ、っての。
【続く】