2020.08.10 (Mon)
こないだ、どっかの「奥さま向け記事」みたいなとこで読んだには、
家庭を持つ女性が、いまだに負担を大きく担いやすい家事のなかでも、特に、毎日の食事づくりが苦痛と悩んでいる人が多いという内容。
うん、
私自身は、「主婦」だったとかじゃないけれど、
実家の親らの病気が深刻度を増し始めてからは、その日の親の希望する献立を確認しておいて、勤務先の仕事を終えたあと、食材を買いまわり、それから実家へ直行して、料理にとりかかっていた。
うちの母親は、実母を、小学2年生の年齢のときに亡くしており、
そのせいか、これまで何度かは触れたとおり、その前後から、弟妹たちのために担当していたという料理が得意だったので、すべて自己流で、和食店を経営していた時期も あった。
せっかく、お得意さんたちが多く通って来てくれるようになったあたりで、タクシーどうしの交通事故に巻き込まれ、長く入院しなければ ならないハメになり、最終的には、店を売って、手離したのだが、この事故による入院治療中に、『C型肝炎』というやつを もらってしまったようで、このため、後年になっても、ずっと、通院生活を続けなければ ならなかった。
そんな情況に在った ある日のこと、
偶然、母が小学校時分の級友だった人と、病院内で再会し、先方も同じく、型は異なるが肝炎だということで、しばし、話し込んだという。
先方の女性は、そうとうに気分も塞いでしまっていたようで、彼女の親の代から経営してきた老舗喫茶店も、すでに たたんでしまったと言い、うちの母親も また、経営していた店の経緯もあり、それを めぐっての苦労話や、お互いの これまでと現在の生活のなかでの体調のこと、特に食事のことなどに話が及んだそうなのだが、
相手は、自分で料理するのもシンドイときなんか、どうしてる?と聞くので、うちの母親は、しんどいときは、そりゃ、店屋物を頼むことも多いよ、などと応じたが、相手は なお、
「けど、店屋物かて、続いてくると飽きてしまえへん?」
とボヤクので、母親は、すかさず、
「せやから、自分でも時々は作るんやんか」
と答えたという。
実際、うちの母親って、おすしが大・大・大好物だったので(笑)、それは もう、「江戸前」式の、新鮮な魚介を用いたものは勿論、大阪では昔から好む人の多い、『バッテラ』(+うどんセットね 笑)も大好物、とにかく海産物の類と「すし」と名の付くものは毎日でも飽きないというくらいだった。
まだ元気だった頃は、来客もないのに、自分一人が食べる寿司の出前を、ほぼ毎日のように取っていたのである。
私が実家で生活していた頃なんか、その日も、昼時となったので、なじみの寿司屋から出前を頼もうと言い出し、苦手なネタが多い私が食べられないものは、母親が喜んで、ひとつ残らず食べてしまうのが決まっているので、とりあえずの「盛り合わせ」などを注文し、届けられたのを見てみたら、非常に珍しいことに、小ぶりながら鮑をネタに握ったのが、2個ほど加わっていた。
特に貝類を好んだ母は、鮑には殊のほか、目が ない。
意外さに驚きつつ、相好を崩して、まずは、その鮑の握りを真っ先に口にしてから、間髪を入れぬ勢いで、すぐさま、同じ寿司屋へ電話を入れた。
思いがけぬ大好物のネタを入れてくれていたサービスへの感謝を店主に伝えようと、、、んなわけないよ、もちろん。
高級ネタであるらしい鮑の握り そのものを注文したのでは、お代が高くなっちゃうから、要するに、先ほどと同様、「盛り合わせ」を追加で頼めば、その桶に再び、いとしい鮑が、と狙ったわけなのだったが、柳の下にナントヤラで、残念ながら、もくろみはアッサリと外れて、いつもの内容の「盛り合わせ」に戻っており、可愛い鮑の姿が、どこにも見えない。それを確認した母親は、
「ああ、やっぱり、、、そうは いかん かったなぁ~」
と、肩を落とし、哀しそうに照れていたw
…
二回目に倒れてからは、親父に付き添われて、リハビリを兼ねた散歩に出たら、通りすがりの回転ずし店を目ざとく見つけ、そこへ通うことも始めた。それくらい、一番の好物だった、おすし。
それでも、自分自身で和食店経営の時代が あるだけに、もともと、いわゆる「口が肥えて」いるうえ、料理が得意なだけあって、質や味には、常から厳しい。
体調が良くないときには尚更、ごく簡単にでも、みずから調理しようという執念を持ち、あたかも「食べて治している」ようなところが あった。
そんな母親も、最後の入院に至る前後は、以前の調子で食べることが できなくなっていった。それと同時に、どんどん弱っていった。
私は、実家に居た頃から、母親を見ていて、「おかあさんのようなタイプは、食べられなくなったら おしまいやね」と指摘していたが、そのとおりになった。
私はね、そんな親に似ず、料理も苦手(苦笑)
好きなものを食べることは、もちろん楽しいことの一つだけど、母親ほどの食い意地は張ってないし、好き嫌いのみならず、体質に合わないために食べられない食材も多いほうだから、親らの気に入る食事づくりとなると、こんなメンドクサがりの私でも、かなり、気を遣いました。
最初の頃は、きちんと切っておいたつもりの人参を、お箸で摘まみ上げたら、ぞろぞろ一列に連なってきたので、「これは何や!」と、テーブル越しに、呆れ顔で睨まれたりしたもんですw
でもね、
段取りの悪い、嗅覚も味覚も、生まれつき鈍いほうの、いたって大雑把な腕しか持たない私だけれど、どういうわけか、最終的に、味付けだけは、失敗と言うべきほどの失敗を したことは ないのだ。目分量でもね。
なので、食べられないほどの失敗を してしまう人が理解できないくらい。
つまり、
ちんたらモタモタあたふたの果て、やっと、それらしく出来あがった、
どれ、だいじょうぶかなあ?と、ひとくち運んでみたら、
「うん、まあ、うまいこといったやんか」と、辛うじての及第点。
でもさ、疲れるのよ、そりゃあ。
だいたい、私自身が食べたいと思って作ってるのと違うんだからね。
うちの両親とも、なかなかエネルギッシュだった原因なのだろうか、殊のほか、魚介類に目がなく、その他にも経験してきた様々な美味いものを よく知っているし、特に母親は「病気の問屋」を自負していたわりには、
いや、だからこそというので、まあ「美食家」であり「健啖家」だった。
最初は、些か疑わしそうな眼つきで、私が並べた料理を眺め渡し、おもむろに、お箸を取りあげ、気難しげな表情で味見にかかる。と、
「うん!これは美味しくできてる!」
と言うが早いか、次の瞬間、
皆で取り分けるための大鉢ごと、食卓の真ん中からズィ―っと、自分のほうへ引き寄せていき、自分の目の前に据え置いたが最後、親父も私も、手が出せなくなるのである。
あとは、母親が独り占めw
負けじとガンバって、こちらから腕と箸を伸ばし、せめて ひとくち、と思う前に、もう あらかた、食べられてしまう。
母親は、食べるスピードも異様に早いのだ。
だが、見ている分には、決してガッついてるでもなく、いたって ゆったりと食べ進めているようにしか見えないのだが、フシギなことには、なぜか、こちらが、ああ、、、と言う間に、食べ終えてしまっている。
また、
母親は、食事しようと入った店で、注文したものが すみやかに運ばれて来ないと、刻々、キゲンが悪くなっていく。
しゃれたレストランで、フルコースなんぞを頼んだひにゃ、差し向かいに座った私は、ハラハラするはめになる。
料理の運びや給仕の段取りが少しでもモタつくと、まず、ピキッと、眉間にシワが寄り、2度3度モタつきが続くと、その店の悪口をブツブツ口走り始めることすら あるからだ。
まあ、店側の手腕にも問題あるなと思えても、急いで運んでくるウェイター・ウェイトレスさんの、なんとも言えない焦った表情を見るにつけ、私も、せっかくの料理を味わうどころでない。
もう一つ、うちの母親の致命的な悪癖は。
自分が食べ終わって満足したら、すぐさま立ち上がり、支払いを済ませて即、店内から去ろうとするのである。
私は、食べるのが人並みより遅いわけでは ないが、早いわけでもないので、殆どの場合、母親のほうは、とうに食べ終えている。そして、まだ終えていない私にイライラし始めているのが伝わってくる。ついには、バッと立ち上がったと同時に、「まだか?行くで!」とピシャリ言い捨て、フォークやスプーンを握ったままの こちらを置き去りにする勢いで、本当に、後ろも振り返らず、さっさと出て行ってしまうのだ。
【続く】