2020.08.16 (Sun)
『「積極的平和主義」とは』の続き。
ま、天皇の「おことば」もアベシの談話も、『靖国神社』だのも、どーでも いい。
いずれも、私にとっては無意味なこと。
私個人として、また、曲がりなりにも この国の国民の一人としては、
あの時代に一兵士だった人の悲痛な叫びである、
「えらい人は、責任とりません」
という告発のコトバと、
昭和天皇の言い放った、
「どうも、気の毒だとは思うが」
という、
この、対極に位置する2種の発言だけ、今後の終生、肝に銘じていようと思う。
ところで、
この暑いのに火事だの鉄道自殺したの撃ったの殺したのと、
このクソ暑いさなかくらいは、じっとしておれや!!はた迷惑な、と言いたくなるくらい、ここは、どこのインド?と訝しくなるくらい、くそ暑い夏だ。
最近の事件のなかで、特に論議を呼んだのが、例の「バイト殺人医者」の件。
私は、報じられた直後から、この事件のことを取りあげ、当ブログで幾つかエントリーをアップしてきたが、そのときから、『筋萎縮性側索硬化症(ALS)』の患者さんたちに取材するにしても、なぜ、一般的な平凡な経歴の、それも、女性に取材しないのか?と疑問を呈しておいた。
やっと、ある女性の患者に取材した記事が出ていたけれども、
このケースとて、日常、主としてケアを担っているのは、かつてはクラスメートだった、同年齢の御亭主だ。そして、早々に仕事を辞めておられるという。
これまでのところ、関連各団体など、あるいは専門筋・識者などの声明を読んでみても、どこかが、多かれ少なかれ、ピントがズレている。
と思っていたら、
これも、どこかのローカル紙が、やっと取りあげていた。
すなわち、当該事件の「嘱託殺人」を依頼した患者が置かれていた生活状況の現実面。
ああ、やっぱり、と思ったのは、私も指摘しておいた、意識や思考が明瞭にして、しかも女性患者ならではの辛さ。
排泄ケアにまで、男性のヘルパーが あたっていた。
患者は、このことへの辛さも訴えていたという。
これは、まぎれもなく「尊厳」にかかわる事態では ないのだろうか。
誰も、どうすることもできないのなら、その実態、現実を無視して、まずは「生きていていいよ」(←なんだか、お情けみたいなw)と言える社会を!などという主張は、むなしい。
もちろん、
国家財政のためにも、高齢者と障碍者はサッサと死なせるべきだ、
という、いわゆる「ウヨ」「ネトウヨ」連中の えげつなくも冷酷を剥き出しに憚らぬ主張なんぞは論外。
しかし、
さあ、どうですかね?
いわゆる「サヨ」「サヨク」「ヒダリ」と見做されている人たち。
ここでも現状を無視し、自分たちの理想論ばかりを頑として振りかざしている、という批判を、どのように撥ね返せるのかな。
豪も撥ね返せないまま、ひたすら理想論を気の済むまで述べるだけでは、たしかに、これも「硬直」の体だ。
いわゆる「サヨ」「サヨク」「ヒダリ」方面と見做される人たちの主張も、実のところ、本当に、「弱者」や「マイノリティ」層に寄り添ったものとは かぎらないのでないか?という疑いを、私は持っている。
現に、彼らの声は甚だ小さく弱々しいままだ。
彼らにしたって、しょせんは他人事だからなのだろう。
むろん、
「国家を案じ」「国家財政を危惧する」フリだけの私利私欲連中すなわち「ウヨ」「ネトウヨ」連中の主張などは、鼻も引っ掛けないよ、私はw
あやつらの実態も また、自分らの気の済むような税金浪費と横流しには大いに肯定なのだから。
あの連中の、ものすごいアタマの悪さと妥当な論理力の乏しさ、全体の見通しゼロぶりは、すでに明らかだし、腹黒い所業だけ、いっちょまえ。それすらも、アメさんを筆頭に、諸外国には負けっぱなし。
結局のところ、
「サヨ」「サヨク」「ヒダリ」側でも「ウヨ」「ウヨク」「ミギ」側でも、その硬直的ポピュリズム性においては、イイ勝負(嗤)
どうりで永遠と、常に争っているわけだw
だから、私は、どっちも嫌いなのですww