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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2020.08.25 (Tue)

「私だったら死ぬ」投稿はヘイトスピーチ 立岩教授に聞く ALS「安楽死」事件京都新聞8/23() 18:12

https://news.yahoo.co.jp/articles/f6e3716c65c2f71c5752de5ffde385a3c6e03d20

 

死にたい状況の改善が先だ」

ずばり、いつになるんでしょうか、それは。

 

このエントリーでは、いちおうの明確な線引きを期しておきたいので、あくまでも治療法や緩和療法が確立されておらず、しかも、そうとうの苦痛と、明白な死期の予想を伴う難病、という点における疑問としたい。

 

さて、

「自殺幇助」については、何年前だったか、東大の教授だったという人、たしか、西部さんというかたが、「心酔する弟子」さんらの手を借りて周到に準備したうえで入水、という事件が あった。

私は、ご本人のことを、ほとんど存じ上げないのだが、むかし、テレビの討論番組か何かで登場したときに、「なんとも陰気くさい人だなあ」という印象を持ったことだけ憶えていたので、一報を聞いたときには、ああ、やっぱりね、という感じと共に、「このクソ寒い時季に、川で?」と、ただ、えげつない感じすらも受けて、どうしても自分だけでは決行できなかったんだろうか?と不審に思ったことだった。
そのときの「幇助」した側は、やはり、罪に問われていたね。

 

 

「『死ねる』条件を探すのではなく、死にたくなる状況が何に由来しているのかを考える。社会の対応が不十分なまま、いろんな手が打てるのにサボったまま、「死にたい気持ち」に応える制度を実現してあげましょう、というのは順序が違う」

ほんとうに そうですよね!立岩さん。

 

そこで、もう一度、どうしても消えない、私の疑問を、立岩さんや雨宮さんたちに再び。

 

くだんの患者さんが、排泄介助を、男性にしてもらうのが辛いなど訴えていたことに対して、どのように答えたら よかったのでしょうか?

 

あちこちの報道記事でも、

当然、軽薄短小どもの集う「ヤフゴミ捨て場」でも、
この訴えのことがスルーされているのは何故なんだ?

 

【最終・4】最新の事件簿~「枯らすは黒い

【続】「積極的平和主義」とは

 

「自殺幇助に対して一定の刑罰を科すことに合理性があるのは間違いない。歯止めがなくなると、手伝いたい人、商売にしたい人が出てくる恐れがある」

そうなんですよね。

もちろん、そこを危惧するからこそ、制度化に慎重、あるいは断固反対する人たちも多いわけで、その基本的立場は、私も同じです。

 

しかしながら、

 

(自殺することを)助けたいのならば、罪に問われるぐらいのことは覚悟すべきだ」

 

だったら、助けてあげたいとは思っても、自分が罪に問われるのは厭だから、敢えて見て見ぬふりを するということにもなるじゃないですか。

 

「助ける」って、何なんでしょうか。

ほんとうに助けたことで「罪」になるなんて、おかしいでしょう?

 

 

「『私がもし黒人として生まれたら、生きていられない、死んじゃう』とかね」

それは雑ですよ、そういう例えかたは。

「なんでもいい」ことには ならないですw

 

あるいは、

私が、もし、朝鮮人として生まれたら、生きていられない、死んじゃう、とかね(苦笑)
『生活保護』に対しても、同じことを言う連中が いますね。

 

人種差別や民族差別というものは、もちろん、その対象者としての位置に立たされている人たち自身が、積極的に、「死ぬほど辛い」等と訴えることも、実際に少なくないだろう。

しかし、その思い切った、必死の訴えによって、何を最終目的としているかと問えば、まさしく、

「社会の改善」

ですよね。

それは、当事者たち自身の努力も寄与する面のほうが、むしろ、大きいものですね。

概ね、直接の立場に置かれていない者にとっては、無関心や他人事で やり過ごしても いられるからだ。

 

しかし、治癒の見込みが ない、しかも、苦痛に苛まれる病気の場合は、どうなんでしょうか。

苦痛に耐えようと頑張れるのは、ひとえに、ここを乗り切れば、いずれは、いつかは、という目標と希望が あるからに他ならないですよね。

 

 

「しかも、発言者は、目の前にそうした状況が迫っていて、明日にでも死を選ぶのか、と言ったら全然そうではなく、自分は安全圏にいて言っている」

それは、立岩さん御自身も同じような立場でしょ。少なくとも現在は。

 

たしかにね、

「私だったら死ぬわ~」とか言われたら、大きな おせわじゃ!と、ムッとするかもしれない。私自身も障碍を持っているハシクレなので、多少なり理解できる。

舩後議員が話しておられたように、あろうことか、介助スタッフの立場にいる人から、侮辱的言動を受けた、このショックと悲しさ、悔しさは、自分自身で即座に反発・反抗を示したり、何らかの抵抗、防御策を講じることが可能な人には、そうそう分からないだろう。

 

 

「社会が未熟ゆえだ」という証左になるのは、まさしく「死にたい」と思ってしまうところに現出しているわけだ。けれども、

だったら、その「未熟さ」を改善できるまで、待てということなのだろうか?

 

いつまで待てばいいの?

まさに今、ここで苦しんでいる人、その苦しみが解決できそうにない人に訴えられたら、どう言ってあげたらいいのか、私には分からない。

 

ただ、私自身が、身近にいる立場の者だったなら、その人の訴えを真正面から受け止めて、じゃあ、どうしたらいいのかは、共に模索しようとするだろうが、

「とりあえずだけれど、まずは、あちこち当たってみましょう。その結果が出るまで、ちょっと待っててもらえるかな?」くらいしか言えないだろう。

 

でも、その結果が、訴えている人の苦痛を少しでも改善してあげられるほどのものには ならなかったら。

 

 

私は、あの「バイト殺人」事件の犯人である医者らを、おそらく、水面下で、もっと やらかしてきてるんでないかと当初から疑っているので、そのへんも厳しく調査すべきだと思っている。当然、まぎれもない犯罪行為であると判断しているからだ。

同時に、

報道では「被害者」とのみされている患者女性の側も、言わば「オレオレ詐欺」被害者は「犯罪加担」の一面をも持つ者と認識していることに共通する面を、私としては指摘しておきたい。

ただ、
「オレオレ詐欺」被害者とは だいぶ異ならざるを得ないほどの、大いに同情を感じてしまうのが現実だ。

 

現在の法においては犯罪行為。

そうでなくするには、法制度側を変更するか、

変更しなくて済むためには、「改善」できるか。

畢竟、そういうことだろう。

 

【続く】

 

 

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